背景
どんと放り込まれたのは、ヒツジやヤギを運ぶような木の荷台。数人の女達の視線の集まる中、ダイアナは膝をしたたかぶつけて目の端に涙を滲ませた。
女達の視線を意識しながら、「イタタ」と小さく呟いてみる。
本当は、ちっとも痛くありませんよ。とでも言う様に。
大丈夫?と小さな女の子が膝を擦ってダイアナに近寄った。
まだ十になるかならないかの、すす汚れた痩せた女の子だった。ダイアナは彼女の生きて来た背景を容易に想像出来た。
「ありがと。大丈夫」
ダイアナは大きな瞳を微笑ませて、肩を竦めて見せた。
「酷いわね。一体何なの?おっと」
荷台が揺れて、ダイアナは尻もちをついた。繋がれていた馬が走り出して、風景が動き出す。
ダイアナは舌打ちして、馬を操る御者を睨んだ。
また、女の子が「大丈夫?」と聞いた。
「アハハ、大丈夫。ネェちゃん、お尻大きいから」
女の子が微笑んで、彼女のすぐ傍に大人しく座り込んだ。
直ぐに周りの女達もダイアナへ視線を向けるのを止めて下を向いた。皆、綱で後ろ手に縛られている。ダイアナもだ。
ダイアナは先頭の白馬にまたがる金髪の騎士を首を伸ばして見やった。
〈セイレーンの矢〉と言ったっけ。突然店に押しかけて、歌を歌う女を出すよう店主に詰め寄った。
もちろん、店主も最初は抵抗していたけれど、いかんせん、国からのお達しだった。「審判」とやらが終わったら返してくれる事や、もし何かあった場合はそれなりの保証をする事を条件に、ライラを差し出す事になった。
ライラが出かけていて良かった。
ダイアナが皆の腕を振り解いて「わたしよ!」と、金髪の騎士の前に進み出ると、店主はちょっと目を見開いてから、短くダイアナにニヤリとした。
ダイアナも顔を傾けて、流し目と睨み付けの中間辺りで店主に視線を返した。長すぎも、短すぎもしない間を保って店主が頷いた。
彼からしたら、ダイアナはライラより安いのだ。
よし、来い。
金髪の騎士がそう言って、ダイアナの腕を掴んだ。
触んなよ、と腕を振り解いて睨み上げると、端正な顔がこちらを見た。
物陰から見ていて判ってはいたけれど、それでも間近で見てダイアナは息を飲んだ。
長い前髪を無造作に掻き上げて晒している額の形が素晴らしく良い。整った剣眉は、男らしい。その下で冷たく光る切れ長の瞳は薄いグレーのかかった青。とても薄情そうな色をしているのに、ぞくりと来る魅力を秘めている。
鼻はスッと通っていて、薄い唇はもう、何も言う事は無い。
男にしては白い顔だ、とダイアナは強がった。
腕を引かれる子供じゃないよ。
騎士が笑った。
もっと意地悪で冷たい笑い方をするかと思ったら、意外と優しげに笑ったので、ダイアナは不意打ちを喰らった気分で不覚にも胸を疼かせる。笑うと、随分若く見えた。
では、歩け。と彼が言ったので、ダイアナはざわめく胸を押えて歩き出した。
いち、に、さん……と女達を数えると、十三人いた。美しいのも、そうでないのもいて、「ふうん」とダイアナは荷台に揺られながら思った。歌を歌うのに容姿が良い方がそりゃおあつらえ向きだけど、大事なのはやっぱり歌声だ。ちゃんと歌子を選んで、こいつ等は女達を集めている。だとしたら、私はヤバい。歌がそんなに上手くない。
ダイアナが歌おうとすると、何か喉が塞がった様な感覚の後、みっともない声がか細く、あるいは野太く出てしまう。「アヒルみたいね」とライラが笑ったから、本気で喧嘩をした事があったっけ。
酷いよ、ライラ。傷ついたんだから。
ダイアナは遠ざかって行く街を振り返る。
あちゃー、離れて行く……。
ダイアナはふと、お馴染みの客の顔を思い浮かべる。
昨晩もっと愛想良くしてあげれば良かった。自慢のお髭を、もっと褒めてあげれば良かった。それに。あーあ、キスくらいしておけば良かった。焦らし過ぎたら後悔するぞ、なんて凄んでたけど。私は鼻で笑っちゃったね。だって酔ってたじゃない。でもゴメンネ、あなたは正しかった。まさか、こんな事になるなんて知らなかったんだもの。……私は帰って来れるのかな。
のどかな昼下がりの日の下を、隊は駆け抜けて行く。
立ち上がる砂埃に目を細めて、ダイアナは「サヨナラ」と呟いた。
* * * * * * * * *
〈セイレーンの矢〉は途中で小さな村に寄って、ほんの少しだけ休憩を取った。
ダイアナ達にもパンや水が配られて、その時ばかりは縄が解かれた。隙の無い世界で生きて来た女達だ。縄を解かれながら、皆が鋭く周りの状況を目だけで計算しているのが、お互いに判った。何かを待つ空気の中、黒髪の少女が縄を解かれる番になった。
彼女の目が光ったのを、ダイアナは見た。
それから、ダメ、今じゃない!と心で彼女に叫んだ。
彼女は身を翻して縄を解いた騎士の剣をサッと抜き、彼の喉元に突き付けた。
そうしながら、じりじりと荷台の柵に足をかける。スカートがまくれ上がり、青い血管が透けて見える程白い彼女の太ももが露わになった。
「どきやがれ」
少女は酒焼けした声で凄んだ。連れて来られる前にしこたま飲んだのか、飲まされたのか。その憐れな声に、ダイアナは胸を詰まらせた。もしかしたら、彼女もダイアナの様に(ダイアナは自ら進み出たのだが)身代わりにされたのかも知れない、と思ったのだ。
何かがおかしい。〈セイレーンの矢〉は、歌を試さなかった。噂や評判だけを信じて人を狩っている?そんなの、おかしい。
皆が固唾を飲んで成り行きを見守っている。
騎士が手を上げて、荷台からゆっくり降りた。その目は笑っている。
黒髪の少女はそれに気付いていない。彼女はダイアナより幾分か幼く、余裕が無い。騎士が後ずさったのに勝利の微笑みを浮かべて、何てことだろう、無防備に荷台から飛び降りた。
騎士がそれを受け止める様に片手をサッと出した。手には早業で現れたナイフ。
ダイアナは目を閉じた。
次いで、赤ん坊の泣き声の様なリズムで「アァ〜、ア〜、アァ」と繰り返された掠れる声に、耳も塞いだ。
声はすぐに「グェ」と締めくくりを響かせて止んだ。
騎士がナイフを彼女の身体の奥に差し込んで、命を絶ったのだ。
ダイアナの隣の女が吐いた。荷台の柵の外に身を乗り出してくれたのは幸いだった。ダイアナも景気よく吐いてしまいたかったが、吐き気よりも悪寒が酷くて身体中が動かなかった。
どうした、と金髪の騎士が来て、眉を潜めた。そのまま血を流して倒れる黒髪の少女をチラリと確認すると、二・三秒目を閉じ
「片づけろ。すぐ村を出るから、女達を縛れ」
とそれだけ言って馬に跨った。
女達は与えられた物をロクに口に入れる事が出来ずに、再び後ろ手に縛られる羽目になった。
女達は皆、胸中で舌打ちした。初めにダイアナに話しかけてくれた女の子は、泣きじゃくっている。
「跳ねっ返りの馬鹿餓鬼!」
女達の誰かが黒髪の遺体に悪態と唾を吐いた。
何人かの騎士たちがそれを見たハズだが、誰も何も言わなかった。
「やめな、可哀想に」
ダイアナが言うと、唾を吐いた女が彼女を睨んで、ズリズリ近寄って来た。
やんのかよ、とダイアナは膝を立てた。爪は使えないけど、私の足はネェサマより長いわよ。
だが、女はふぅ、と息を吐くと、ダイアナの傍に座った。
「私はねぇ、昨日の昼から食べてない」
「……そう」
それは、イライラしちゃうよね。
ダイアナは荷台の柵にもたれ掛った。空は夕焼けを終えて、オレンジ色と蒼色が出鱈目に混ざり合おうとしている。
まいっちゃったなぁ。
隊はますます大人しくなった女達を連れて、走り続ける。
※誤字報告を頂きました。
ダイアナの名前がライラになっていましたので、訂正致します。すみません(/´△`\)
ご指摘凄い嬉しかったです……ありがとうございます!
これからも、どんどんご指摘頂けるようになると嬉しいです!ありがとうございました!