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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
狼と歌声と遠吠えと愛と喉骨
118/143

〈うたの子〉

 むき出しの岩肌に蹲るハミエルの傍へ行くと、穴の中が温かい事に気が付いた。

 これにはアシュレイが「あったかいあったかい」と、鼻水を垂らして喜んだ。ライラもホッとした。

 けれど、とにかくハミエルだ。

 ライラがハミエルの傍に膝を突くと、ハミエルは彼女の方へ鼻先を向けてヒクヒクさせた。


「ハミエル……大丈夫?」


 そっと毛皮を撫でると、ハミエルはライラを見上げて真っ黒な目を瞬きさせた。


『みみと、しっぽ』

「あ、ああ、うん……そうなの」

『いっしょ』


 ハミエルはそう言って、力なく笑った。狼だって、笑うのだ。

 ハミエルの傍に立っていたマーナガルも、穏やかな表情で目を細めている。

 ライラはマーナガルを見て、聞いた。


「あたしのせいなの?」

『さよう。お前は死にかけたな?』

「死にかけたの!?」


 アシュレイを無視して、ライラはマーナガルに頷いた。まだ今日の内の出来事だ。突然群れて襲って来た妖魔に、おもちゃの様に引き裂かれ噛み砕かれた記憶が蘇って、ライラは自分の腕を抱く。ああ、今日も本当に色々な事があった。

 

『<うたの子>は、お前の引き継いだ妖魔の力から生まれた』

「<うたの子>? ハミエルの事?」


 マーナガルが頷き、ハミエルが『うたからうまれた』と小さく言った。

 名前が分からない場合は、何から生まれたかを元に仮で<〇〇の子>と、呼ぶらしかった。


『お前は自らの危機に、本能で<うたの子>から元々自分の力だった妖魔の力を吸収したのだろう。今まで耳も尾も無かったはずだ』

「どうしたらハミエルに力を返せるの? 返したらあたしは人間の姿に戻る?」


 ハミエルを元気にしてあげたいのも勿論、出来れば人間の姿に戻りたい。

 ライラが身を乗り出してマーナガルに尋ねると、マーナガルは『不可能では無い』と答えた。


『お前は母親からごく僅かだが力を与えられている』

「……?」


 ライラはハッキリした記憶が孤児からのスタートだったので、母親と言われてもピンと来ない。

 それでもアシュレイの話を聞いた後、母親という存在を羨ましく思う気持ちがあった。だから、マーナガルの台詞の中に「母親」という言葉が出て来てドキリとした。


「あたしに母親がいるの?」

『いるとも』


 マーナガルは大きく頷いてから、ふいにライラから視線を外して早口に囁いた。


『誇り高い女だった』

「……人間?」


 不安に思いつつライラが聞くと、マーナガルは再びライラの方を見て、しっかり頷いた。頷きながら、彼は紅蓮色の瞳を瞬きさせる。丁寧な程の、ゆっくりとした瞬きだった。瞬きの始まりも終わりも、大きな瞳の中で細かな雫が泡立つ様に光った。きっと思い出が過ぎ去って行ったのだ。


『そうだ。人間だ。お前は巧みに魅了のうたを歌うだろう。それは母親から引き継いだのだ』

「お母さんも歌子だったの?」


 ライラが聞くとマーナガルは『違う』と答えた。何に期待したのか、何が嬉しかったのか、そして、どうしてガッカリしてしまうのか、わからないまま、ライラは「そう」とだけ答えた。


『<うたの子>は<うた>から生まれたのだから、<うた>で返してやればいいと私は思う』

「そんな。あたし、魔法使いじゃないわ」

『そうだな。だが、お前は特別な人間の女の子供だ。僅かに特別を継いでいる筈だ』

「そんな事言われたって……」


 ライラは困ってしまって、アシュレイを見る。今まで興味深げに黙って話を聞いていたアシュレイは、ライラに視線で助けを求められて顎に手を当てる。


「<うた>って言われても抽象的だよね。生まれる用の歌や、ええと……『返す』? 用の歌があるのかな?

 ほら、歌詞とか、旋律とか、何処かで何かを用意して何かをしながら――――みたいに法則があるの?」

『そこまでは解らない。我々は個々で産みの親が違う。<うた>は前例がなく、この娘の様な半身の持ち方を私は知らない。本来半身は命を相互し合えるものだが、この娘の場合は一方的だ。そして<うた>事態も特殊だ』

「頭捻って考えて、『こうかも』っていうのに行きついたトコロってとこ?」


 アシュレイにそう言われると、マーナガルはちょっと不機嫌になって、ぐるる、と唸りながら『そうだ』と答えた。

 でも、仕方がないよね、とライラは思う。だってハミエルは今日倒れたのだ。熟考する時間なんて無かっただろう。アシュレイの言い方は少し意地悪だ。


「歌なら歌えるけど……ハミエルに聞かせてあげるって事だよね?」

『……うむ』

「でも、どんな歌を歌えばいいか……そもそも、そんな魔法めいた事、出来ないよ……」


 くたりと寝そべっているハミエルを悲しい気持ちで撫でながら、ライラの気持ちが落ち込んでいく。


『ひ弱な状態でいるだけで、死ぬわけではない』


 ライラの心の痛みを察してくれたのだろう、マーナガルがそう言って慰めてくれた。

 衰弱して死んでしまうのでは、という心配が晴れて少し安心したけれど、こうなってしまった責任が自分にあるのなら、やっぱり落ち込む。ツンと狼らしく歩く姿や、ソーセージに瞳を輝かせたり、たまにはしゃいでピョンピョン跳ねるハミエルが恋しかった。


「ライラの父親は人間じゃないんだよね」


 アシュレイが確認した。マーナガルは頷いて、『我らがフェンリルである』と、答えた。

 ライラは予想していたものの戸惑ってマーナガルを見る。

 

「……マーナガルなの?」


 先ほどアシュレイに『娘みたいなものだ』と言っていた。けれど『みたいなもの』と言う事は、違うのだろう。案の定マーナガルは首を振った。少し間を置いてから、小さく『違う』と、彼は言った。


「ここにいる?」

『今はいない』

「生きてはいるの?」

『うむ……母親は、死んでしまったが』


 母親の話題の時に過去形で話が進んでいたので、ライラは覚悟していた。けれど、自分の中で認めるのは思いがけなく勇気が必要で、心から一歩離れた所から「そう」とだけ返事をした。

 アシュレイがライラの肩に手をそっと置いた。ハミエルの目が一瞬だけギラリと険しく光ったが、今の彼ではそれで精一杯の様子だ。

 アシュレイはそれを見て、心の中でほくそ笑んだ。だが今は大事なライラの事が先だ。


「あのさ、あんたの言う<うた>をライラにすぐやれと言っても、出来ないと思う。だってライラは、自分を人間だと思って生きて来たんだ。いきなりそんな不思議な事出来やしないさ。それに、両親の事を聞いたりして少なからず動揺もあると思う。今日はもう、休ませてあげて欲しいな」


 マーナガルはアシュレイに頷いて、『そうしよう』と賛成した。


『穴の外はお前達には寒いだろうが、山の熱で中は温かい』

「そういう事か、はぁ、助かった……凍死するかと思ったよ」

『お前は外だ』

「え!?」


 驚くアシュレイに『当然だろう』という顔をして、マーナガルが唸った。

 アシュレイが凍死しては困るので、ライラはマーナガルに掛け合った。


「本当に死んじゃうから、この人もここにいさせて」

『くさい』

「き、きみらの方が……!!」

 

 獣に匂いを嫌がられて抗議するアシュレイに、『ふぅ~』と、マーナガルが面倒臭そうに鼻息を吐いた。

 そしてアシュレイと向き合うと、こんな提案をしてきた。


『なにも無駄死にさせるつもりはない。ここから一番近い、人間が住んでいる町へ案内してやる。お前はそこから、ライラが生きるのに必要な物を調達して来い』


 マーナガルは、ライラが外の寒さに耐えられる服や靴、生活用品、食べ物などをアシュレイに用意して欲しいらしかった。

 それでアシュレイの同行にそれほど文句を言わなかったんだ、と、ライラは気付いた。


「だったらライラも一緒に町へ行った方が良いじゃないか」


 ライラもその方がいいなと思う。だって、ここにはベッドどころか包るかけ布も無い。温かいけれど、むき出しの岩の地面では、座っていても直ぐにお尻が痛くなる事だろう。昨夜だって洞窟で過ごしたのだ。出来れば人間らしい場所で休みたい。でも、ハミエルの傍を離れたくないし、自分の姿の事もある。

 マーナガルは即答した。


『駄目だ。その町には封魔師がいる』

「こんな遠くに封魔師が? ……町と契約してるのかな」

『知らん。女で、二十年程前から現れて町を守っている。ライラを連れて行くのは危ない』

「なんだ。そんな心配いらないよ。封魔師は、他の封魔師の妖魔に手を出せない。だから、もしもその封魔師に耳と尻尾がばれたら僕の妖魔って事にすれば問題ないし、実際ライラは僕のだしね」


 ふふん、とアシュレイが言った。以前規則違反をして、実際に制裁を見たアシュレイには、その威力が良く分かっている。分かっているから、規則がもしも破られたとしても安全だと確信していた。並の者なら死んでしまう災悪が降りかかるのだから。


「あの、そういう事なら私も、出来ればベッドで休みたいなぁって思う。ハミエルを連れて行ってはダメ?」

『……俺も町へ入れるだろうか』


 マーナガルは、そう呟いた。アシュレイが口の片端だけを上げる。


「封魔しようか?」

『断る。だが……町へ入ってみたい』

「なんでさ、大虐殺でもするつもり?」


 アシュレイが警戒すると、マーナガルはグッグと笑い、赤銀の毛皮を揺すった。


『我々は理由も無く猛る種族ではない。町に見てみたい場所があるのだ。もし町の封魔師に会えれば、尋ねてみておくれ。アガットの家はまだあるのかと』

「アガットさん?」

『お前の母親の名だ』

「え……」

 

 息を飲むライラに、マーナガルは少し疲れた表情と声で、話を切り上げた。


『町へ送ろう。休み、整えたらまた沢山話を聞かせてやる』


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