狼のなわばり
狼たちの跳躍は素晴らしく、ライラとアシュレイはカナロールからうんと離れた上空を飛んでいた。
北の星へ向かえば向かう程、気温がどんどん下がるので、ライラもアシュレイもガタガタ震えて身を寄せ合っていた。
「う、うえへへへ……ラッキー……」
アシュレイが、歯をガチガチ鳴らして鼻を啜っている。
色を失くした震える唇の間から、月明かりの中白い息が立ち上がって、風に吹き飛んで行く。
「口に出すところがイヤ。それにしても、ホント寒いね」
「世界の真北なんだろうね。迂闊だった。防寒着が無いと凍えて死んじまう」
二人して震えていると、とうとう狼達が下降し出した。いつの間にか北の星は頭上で輝いていた。
二人を乗せていた欠け耳の狼が、どの狼たちよりも早く下降する。やっと厭な荷を降ろせるのだから、急ぎもするだろう。下降の勢いにアシュレイが情けない叫び声を上げると、連なって高くそびえ立つ雪山のどれかが、その情けない声を木霊させた。
『勘弁してくれよ』
横に並んだ小さな狼が、呆れ声で言い、彼らを追い抜いて行った。
*
連れて来てもらった狼たちの縄張りは、雪を被った岩山だった。月明かりしかないので影の色が濃く『厳しさ』という単語がよく似合う。
ライラ達にとっては野趣溢れ過ぎている場所だったが、狼たちにとって急過ぎも緩すぎもしない斜面なんだろう、細い足場を優雅に駆けるものや、岩から岩へ軽々と飛び跳ねる姿が見て取れた。
その斜面に幾つも穴が開いていて、狼達が思い思いに出入りしている。きっと横穴で、寝床なんだろう、と、アシュレイが興味深げに言った。
「ちょ、もうホント、寒い、寒い……」
毛皮の為にどれか一頭封魔しようかな、などと小声で呟くアシュレイをライラは慌てて肘で突いた。
「気を付けないとホントに食べられちゃうから!」
「僕が食べられちゃったら、泣いてくれる?」
「アンタの舌なんか凍っちゃえばいいのに」
小さな狼は、岩山の一番下の方にある、一番大きな穴へ向って行く。ライラ達を背に乗せた欠け耳の狼も、後について行った。
小さな狼は穴の入り口で振り返らずに『こい』と言って、先にサッと入っていってしまった。
ライラは欠け耳の狼から降りると、彼女にお礼を言った。欠け耳狼は、ライラにすり寄ると、ぐるる、と喉を鳴らした。それからアシュレイを汚い物の様に見て、ピョンと宙へ舞う。そのまま、岩肌にたくさんある穴の一つへ消えてしまった。
「行こう」
ライラは小さな狼が入って行った穴へ、アシュレイと共に恐る恐る入って行った。
穴の中は、真っ暗だ。狼たちが複数いるのか、獣の息遣いや、思わず漏れてしまった唸りで満たされている。ライラは怖くなって、アシュレイがちゃんと傍にいるか手を伸ばし、彼の上着の端をぎゅっと握った。
その時、アシュレイが突然よく通る大きな声を出した。
「おーい、君たちは火を怖がってパニックになったりしないよね」
ライラは飛び上がって驚いた。
穴の中は深く、アシュレイの声が響き渡っている。
息遣いや唸り、中にいるモノの気配が一瞬にして凍って消えた。
「何聞いてるの!?」
「いや、明かりが欲しいからさ……」
『俺らはただの狼じゃねぇぞ。火なんぞで騒ぐかバカ』
前方で小さな狼の不服そうな声がした。意外と近くを歩いてくれているらしい。
「あっそ」
アシュレイは短く答えて、炎をまとう猫を出す。ライラはちょっとこの猫とは気まずくて、目が合わないようにした。猫は、自分の登場で暗闇から浮かび上がった大きな狼たちを見て、卒倒しそうになっていた。
穴は想像以上に深く、狼が何頭もこちらを見ていた。その一番奥に、一際大きな狼が座ってこちらを見ている。ライラはその狼と目が合うと、妙な予感にドキリとした。
狼が瞬きをする。真っ黒な鼻の穴から、白い息がふわりと吹き出された。
ドキドキと鼓動する胸をそのままに、ライラはハッと彼が誰か思い出した。
孤独で、惨めで、悲しくて仕方が無かった夜、ダイアナを連れて飛んで来た大きな狼だ。
パチンと記憶がハマれば「あー!」と、声を上げてしまうのはしょうがない。ライラは思わず大きな狼の元へ駆け出した。
「ま、マーナガル!! ねぇ、あなた、マーナガルでしょ!?」
勢い込んで巨大な狼の鼻先で叫ぶと、狼は瞳を細め『さよう』と、言った。小さな狼やハミエルと比べると、少し老いを感じる声だった。
「また会えるなんて……!!」
『名を覚えていてくれて嬉しい』
「ラ、ライラ……?」
慌てて駆け寄って来たアシュレイに、ライラは振り返って以前話した時に現れた狼だと説明する。
大きな狼――マーナガルは、立ち上がるとアシュレイを睨み付けた。炎の猫は縮み上がってアシュレイの足元へ隠れてしまった。
『お前がライラに付きまとっている封魔師か』
「付きまとってない。連れ添っているんだ」
『いいや、釣り合っていない。なにが目的だ』
マーナガルはぐるぐる唸ってすごみながら、アシュレイを結構理不尽に問い詰める。
バッサリと釣り合いを否定されたアシュレイは、微かにショックを受けながらも果敢に答えた。
「け、結婚……?」
『許さん。死ね』
「あ、あの……それよりハミエルは……?」
ライラが雲行きの怪しい会話に割り込んだ。
どう考えても、ハミエルの方が大事だと思うのだ。しかし、アシュレイの心が発火した。
彼はガタガタ震え、鼻水を垂らしながら内股で叫んだ。
「な、なんだお前、ライラの親でもあるまいし!!」
『親みたいなものだ。絶対に許さん。あくまでも無理矢理つがいになると言い張るなら、死ね』
「はんっ、『みたいなもの』ってなんだよ。親権ないなら黙っててください~! あと、ライラはちょっと無理矢理されるのが好きなんです~!!」
『要するに無理矢理なのだな!?』
「ちょっと、やめて!」
牙を剥いて地響きの様な唸り声を立て始めたマーナガルと、今にも封魔の構えを取りそうなアシュレイの間に立って、彼を連れて来た事を後悔した。
マーナガルは逆立てた緋色の毛皮を揺すって、ぐっぐ、と笑うと、牙を収めた。
ライラはホッとして、マーナガルの方を見る。
マーナガルは、牙を収めたもののアシュレイをピタリと見据え、更にややこしい事を言い出した。
『ライラが誰の子を産むか、もう決まっている』
「ああん!?」
折角収まったのに、ますますアシュレイを焚きつけてしまった。アシュレイがほとんど寒さを忘れたホットな状態でマーナガルに詰め寄ろうとするので、ライラは必死で押さえつける。今はライラの方が力が上だったので、初めて狼の耳と尻尾に感謝した。
「まさか、ハミエルとか言い出すんじゃないだろうな!?」
「そ、そう! ハミエル!! あたしはハミエルの調子が悪いって聞いて来たの!! ハミエルに会わせて!!」
「ハミエルなの!?」
狼公認が最強のガーディアンでは、アシュレイもマズいと思ったのだろう。荒ぶりが収まってくれない。
ライラはとうとう牙を剥いて怒鳴った。
「今は! そんな事より、ハミエルの様子を見たいの!!」
一連の流れを遠巻きに見ていた狼の何頭かが、きゅんと鳴いて縮こまった。
マーナガルも『うむ』と言って、ようやくアシュレイから視線を外した。
そして、穴の中に更に幾つか存在する横穴の一つへ大きな頭を向けると、『来なさい』と言ってライラを呼んだ。
ライラが頷いて、アシュレイの腕を引く。
「明かりで照らしてね」
彼を一人にさせたら、また他の狼と喧嘩するかも知れない。
穴を潜ると、炎の猫の明かりが蹲る小さな狼を照らした。
「ハミエル……」
ハミエルは元の小ささに戻っていた。それが良いのか悪いのか、ライラには解らないけれど、ハミエルは彼女を見て力なく尾を振ると、『きゅん』と鳴いた。




