膨らむ月
村に着くと、ライラ達は早速女将の後について宿へ向かった。
ライラは歩きながら体のあちこちを伸ばした。
「疲れたわ」
気は焦るけど、どうしようもないなら、お腹も減ったしベッドで眠りたい。
宿は小さいながらも小奇麗で、ライラはちょっと緊張した。
彼女は『六角塔』以外で眠った事が無かった。なんとなく心細くて、宿の受付を兼ねた小さな待合室で、いたる所をふんふんしていたハミエルを抱っこする。
くう、と言ってハミエルがライラの頬を舐めた。
ライラは微笑んで彼の頭を撫でると、気を引き締めて受付で女将とやり取りを始めたアシュレイの横に並んだ。
「ええ。もちろん一部屋でいいですよ。ふ、ふ、夫婦ですから」
ヤッパリ。
ライラは肘でドン、とアシュレイを突いた。
女将にニッコリ微笑んで、ライラは指を二本立てて見せた。
「夫婦じゃないし、この人は人さらいなので、二部屋お願いします」
「女将さん、どちらも不正解ですよ。この子は天邪鬼なんです。今のはツンと言う前降りで、結局夜になったら僕の部屋にデレをもってやって来るハズなんです」
「いいえ。あたしはデレません。宣言致します。二部屋お願いします」
「女将さん、究極の無駄です。きっと何かゴキブリアクシデントとか起きたりして、結局一部屋で甘く過ごしますから」
「あら旦那様、うちはゴキブリなんて出ませんよ」
女将がムッとして、ライラが優勢についた。
「もちろんです。でも、ネズミはどうですか」
「ハミエルがいるから大丈夫です」
うん、と女将がライラに頷いた。
「二部屋ですね」
女将はもう遅い事と、主人の様子を見たいからと言う事で、宿から少し歩いた所にある酒場を案内してくれた。
小さな村ながら、酒場はそれなりに賑わっていて明るく、朗らかで素朴な雰囲気だった。
二人は小さな丸い木のテーブルに向かい合って座った。
なんでだよ~、とアシュレイがしつこく言っている。
ライラは無視して運ばれて来た食事を貪った。足元で、ハミエルが用意して貰ったお皿のソーセージにはぐはぐ音を立てている。
「ライラ、そんなに警戒しないでも大丈夫だよ。僕は凄く紳士なんだよ」
「ゴキブリアクシデントを期待するヤツのどこが紳士なのよ」
「紳士じゃないか」
「紳士なら、始めから二部屋用意すると思うけど」
「いやいやいや、分かってないっすね。君が寂しいと思ってだね」
「ハミエルがいます」
ハミエルが舌をぺろりとして、悠々とライラの傍らにお座りするとアシュレイに唸り声を立てた。とても静かな唸り声だったが、怒気は十分伝わって来る。
アシュレイは嫌そうにそれを見た。
「朝になったら本屋に行く。それから、『犬のこころ』を買う」
「必要ありません。あと、この子は狼です」
「知ってる?狼って、犬と対マンすると負けるんだって」
「そうなの?」
ライラは思わずアシュレイの方を見る。
「うん。狼は群れだから強いんだって」
「ふうん……」
「ハミエルははぐれてたの?」
鳥の手羽をハミエルに振って見せながら、アシュレイが聞いた。ハミエルは手羽に見向きもしなかった。
「分からないの。ずっと前にヒョイと現れて、あたしの後をついて歩くようになったの」
ライラがソーセージをハミエルに見せると、ハミエルは嬉々としてそれに飛び付いた。
「へぇ、『ずっと』?」
アシュレイが「ソーセージだったか」と、ハミエルにソーセージを見せたが、ハミエルは見向きもしなかった。
ハミエルは誇り高き狼なのだ。
「そうよ」
「でも、小さいね」
「……うん。ずっと変わらないの。皆で不思議だねって言ってたんだけど」
「何年くらい一緒にいるの」
ライラは首を傾げた。そう言えば、何年くらいかしら?
確か……ライラは思い出すのを止める。
適当そうに、「五年くらい」と答えて水を飲んだ。
「ごねん~??」
「不思議でしょ?」
「うん。羨ましい。五年かぁ~。子供のライラはどんなだった?」
アシュレイが親しげにハミエルに聞いたけど、ハミエルは背を向けて腹這いになってしまった。「フン」と鼻息を吐いている。
「『犬のこころ』買う……」
「狼だってば」
ライラが苦笑した時、カラカラと酒場のドアベルが鳴った。
どやどやと男達が入って来る。ライラは少し緊張した。彼らはそうさせる空気を持っていた。
ちょうどライラたちの傍の、大きな角テーブルに着くと皆「ふー」と重い息を吐いた。
「どこの町の娘か、可哀想に」
「罪人みたいに荷車に乗せられてなぁ」
「王都に集められるってよぉ」
ライラが動く前に、テーブルに乗せていた彼女の腕にアシュレイがサッと触れた。彼は、「もう少し聞こうよ」とばかりに腕組みをして椅子の背に深くもたれた。
男の一人が何度目かの深い溜め息を吐いて、額から後頭部まで大雑把に撫でた。そうすると、ランプの明るい光の中に、チリが舞った。
「オレにも娘がいる。……あの位の」
「酷ぇよなぁ。自分らで連れて来た癖に、殺しちまったら他人に後始末を放りやがって」
今度こそガタッと椅子の音を立てて、ライラは立ち上がった。
男達が疲れた様な顔を、のろのろこちらへ向けた。
「殺された?」
「ライラ」
「殺されたって、誰が!?」
ライラは宿の部屋のベッドの片隅で、膝を抱いて蹲って脇にある窓の外の月を見ている。月は彼女の白い顔を、青く惨めに照らしている。
「落ち着いた?」
アシュレイが部屋のドアの外から何度目かのノックをした。
ライラは無視をし続けている。
「ら~い~ら~」
「うるさいわね!あっち行って!」
ガチャッとドアノブが動いたので、ライラは獣のごとくベッドから飛び降りて、身体ごとドアを押さえつけた。
「最低!入って来ないでよ!」
「だって、心配なんだ!コノヤロ、開けろ」
コノヤロって言った!と、変な所でちょっと驚きながら、ライラはドアを必死で押さえつける。
「ほ、ほっといてよ!ハミエルもいるし、平気だから!」
「ホントかな!ホントかな!?」
「ホント!だって、ダイアナじゃなかったでしょ?」
詰め寄るライラに事情を察して同情してくれたのか、男の一人が殺されたと言う女の髪を見せてくれた。
柔らかそうな、黒髪だった。
聞けばライラの街より随分離れた街の娘のもので、そこまで遺体を運ぶのを厭って髪だけ届けようとしたらしい。
ライラはその場にくずおれた。
アシュレイがそれを支えて「友達の?」と聞いたので、ライラは首を振った。
ダイアナは綺麗な金髪だ。
安堵と共に、不安がやって来る。
逃げようとしただけで殺されるなんて、乱暴すぎる。
アシュレイは落ち着いていた。
「どうして殺されたか分かりますか」
「逃げようとしたんだ。そこを」
男が両腕を、剣を持つ様に見立ててブンと振った。
ライラはドアを押さえつけながら、目をギュッとつぶった。
「あんたもあんたの友達も最低!」
「友達じゃないよ、知り合い!」
「どうだか!」
ぬおお!と雄叫びがして、ドアが思い切り開いた。
ライラは吹っ飛ばされ尻もちをつくと、息を荒げた。「突破!」の表情のアシュレイも息を切らしている。
突破しちゃったものの、この先どうしよう、といったところか、少し気まずそうにアシュレイが「やぁ」と片手を上げて見せた。足にハミエルが噛み付いている。
ライラは顔を歪めた。みるみる目に涙が溜まって、零れ落ちる。
アシュレイが足に噛み付いているハミエルに「ほらね」と呟いて、ライラの傍にしゃがんだ。ハミエルはアシュレイから離れ、座り込んで泣き出したライラに前足をかけて腕をペロペロ舐めた。
「アシュレイ……どうしよう?」
「追いかけるしかない」
「ダイアナは逃げようとするかも」
「現場を見ているハズだ。よっぽど馬鹿じゃないと、それはしないと思うよ」
「ダイアナ……」
ポン、と頭に手が置かれた。暖かくて大きかった。
「明日、馬を買うよ。ライラ馬乗れる?」
「の、乗れない」
しゃくり上げながら、ライラは答えた。
「じゃあ一頭でいいか。馬車より早く行けると思うよ。その代り、凄く疲れるからね」
ライラは頷いた。「よし」と声がして、頭から手が離れるとちょっとだけ寂しく思った。
月はライラの気持ちと共に、徐々に膨らんで行く。