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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
おかあさんをするの
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可哀想な毛虫

 あなたたちのせいだ。

 あたしが醜いのは、あなたたちのせい。

 あたしが馬鹿にされるのは、あなたたちのせい。

 あたしが愛されないのは、あなたたちのせい。

 あたしがあたしを愛せないのも、あなたたちのせい。

 あなたたちのせいで、あたしはずっと幸せになれない。

 全部、あなたたちのせいだ。

 胸に渦巻く疑問は不愉快な確信でしかない。

 結果の経緯は、想像するだけで汚らわしい。

 よくも愛だ恋だと愉しんだわね。

 許さない。

 わたしをこの世に引きずり出した事を、地面の上でのたくりながら、ずっと恨むわ。


 

 封魔師、と、アシュレイがベッドの中でオウム返しに呟いた。

 アイリーンは頷いてベッドの中の子供の髪を撫でる。


 腰の光に驚いて妖魔見学どころではなくなったアシュレイを連れて帰った後、大変だった。

 アシュレイの腰は光りっぱなしで、ロイは恐れをなして家中を飛び回って食器や花瓶を幾つかダメにしてしまうし、光の主も引きつけを起さんばかりに怯え、光が外に漏れないように布団に潜り込んで震えた。

 今ようやく光がおさまって、アイリーンは「あなたは封魔師です」と説明が出来たのだった。


「封魔師って……封魔の国の?」


 アシュレイが頬を上気させて聞いた。

 封魔師は妖魔を封じ込めてしまえる、人間達のヒーローだ。

 封魔の国カナロール国で産まれ、更に選ばれなくてはなる事の出来ないヒーロー。

 他国の、特に男の子が憧れる存在でもあった。

 妖魔など、こちらから探しに行かねばもうほとんど出くわす機会のないこの時代でも、封魔師の名はどこにでも知れ渡っている。――――裏を返せば、妖魔の脅威は在り続けているのだ。

 アイリーンはその反応に微笑んで頷いた。

 アシュレイは少し興奮気味だ。


「ど、どうして僕が? 僕が居た所はカナロールだったの? 僕はカナロール生まれ?」


 言ってしまってから、アシュレイは気まずそうに口を噤んだ。

 アイリーンとアシュレイの間で、出会う前の話題が出る事は、もう何年か経つと言うのにこれが全く初めての事だった。お互い、育ての親の話題になるのを避けていた。


『そうです。カナロールで、あなたのおかあさまからわたしが――――』


 と、説明を始めた時、アイリーンの胸がズキンと痛んだ。

 『あなたのおかあさまから』。


『あなたをうんだおかあさまは、ラナ……』


 震える声で、それだけ言ってアイリーンは不思議に思う。


――――わたしは、どうして今までこの話をしなかったのだろう?


 ラナにそっくりな茶色い瞳が、アイリーンを見返している。

 アイリーンはその目と目を合わせる事が出来ない。

 平たく澄んだアイリーンの心の中がさざめき出した。


――――話したくない。


 けれど、話さなくてはならない。ラナの事を。

 だって、ラナがアシュレイのお母さんなのだから。

 アシュレイはアイリーンの様子に訝しそうにしながら、「ラナ?」と、間違いを指摘する調子で繰り返した。


「……あの人の名前はラナじゃなかった」


 出来る限りの、最大限の配慮をもって、否定は紡がれた。

 アイリーンは素直に頷く。


『あのおんなは、アシュレイをひろった』

「……」


 アシュレイの小さな顔に漂う無垢が、上から下へ、青くなっていく。

 

『ほんとうのおかあさんは、ラナ』

「……その人は、どうして僕を捨てたの?」


 アシュレイの顔にゆっくりと怒りが広がっていた。

 アイリーンは驚いて激しく首を振る。子供の怒りが伝染してしまったのか、ラナはそんな事しない、と、少し腹も立った。この子がそんな考えに至るなんて、と、少し悲しかった。

 彼女にしては珍しく、声が荒れた。


『すててない!』

「じゃあどうして僕は!」


 言いかけて俯き、ギュッとかけ布を握る小さな拳に、アイリーンは手をそっと被せる。

 もう十分すぎる程傷ついて来た子供の目が、アイリーンを見た。

 瞳の中が、疑惑でいっぱいだった。


「……だから僕は……?」


 彼がそう言ってゆっくり瞬きをした時、透明で薄い子供の膜がぺらりと顔から剥がれ落ちるのが見えた気がした。

 アイリーンは、それを恐ろしく感じた。


――――だめ。だめ。そんな考え方、だめ。


 落ち着いて。優しい声で。どう言ったら、納得してくれる?

 ああ、この事実を話すのは、泣きそうだ。宙に雨なんて無いのに、わたしの中に雨が降ってる。


『ラナ、ようまにさらわれたの……』


 幼子の様に頼りなく、アイリーンが言った。

 アシュレイはじっと彼女を見詰め、尋ねた。


「……お母さんでも叶わない妖魔?」

『……あなたを……』


 人質に取られて動けなかった。言い訳をしようとした唇を引き結ぶ。


「僕を? なに?」

『……あいしてた』


 伝えると、アシュレイの顔が歪んだ。

 我慢する方法の分からない痛みに、耐えようとして失敗した顔だ。


「……もう寝る……」

『う、う、うまれるの、たのしみに』

「聞きたくない!! イヤだ!!」


 勢いよくかけ布を頭から被り、アシュレイが泣き声で喚いた。

 彼がアイリーンに対して、こんな風に感情で拒絶するのは初めてだった。

 アイリーンは彼が驚くのは予想できた。けれど、こんな風に怒りだすのは予想できなかった。


『すててないのよ』


 か細い笛の様な声で、ようやくそれだけが言えた。

 返事は無かった。

 アイリーンは瞳の中をグチャグチャにして、よろよろと子供部屋を出た。


 ラナの話をした事で、主人への恋しさが募った。

 今頃、ラナは時の妖魔の手中で……。

 子供部屋を振り返る。

 白いかけ布に丸まって、中身が震えて泣いている。

 繭に包まれてしまったラナの姿と重なって見えて、アイリーンは震える息を吸い込んだ。



 翌朝、アシュレイは普段と全く変わらない様子で子供部屋から起きて来た。

「おはよう」と言っていつも通り挨拶をすると、鼻を鳴らして足に纏わりつくロイを抱き上げ、あくびをした。

 アイリーンは不思議に思ったけれど、アシュレイが泣き止んだのなら良いと思った。

 けれども、ホッとして昨晩の続きを話そうとすると、アシュレイがそれを巧みに避けたのでアイリーンはまた萎んでしまって、この話はもっと後に話そう、と心に決めた。

 わたしたちには、まだまだ時間はあるのだから……。

 アイリーンは、もうしばらくアシュレイのあんな顔を見たくなかった。

 窓から射す朝日の中で、アシュレイが彼女に笑いかけている。子供相手にこんな例えは変だけれど、子供の顔が、とても上手だ。そして、大人の様に、とても優しい。


「ねぇ、今日も妖魔を探しに行こうよ! 封魔をしてみたいし、夜まで探し回って、プロセッショネールを見つけよう」 

『……いいですね』


 アイリーンが答えると、アシュレイは「ふふ」と笑ってロイを伴い外へ駆け出した。

 その背中を目で追って、アイリーンは言い聞かせる。


 まだ時間はあるのだから、と。



 アイリーンは封魔師のラナと共にいたが、封魔についてはちっとも詳しくなかった。

 けれども今でも鮮やかに思い出せるラナの構えや、間合いの取り方、封魔する際に腕をパッと振るのを身振り手振りで教えると、アシュレイは半日ほどで小さな妖魔を封魔出来るようになった。

 もともと、『印』の場所さえ判れば特に鍛錬を積まなくても可能なものなのかどうか、アイリーンにはわからなかった。そして、彼女はそういった細かい事を気にしなかった。

 彼女はただひたすら、やっぱりラナの子だ、と、心の中で誇らしげに喜んだだけだった。

 虫や魚が上手に獲れると嬉しいように、アシュレイもそういう感覚で小さな妖魔を追い回して封魔した。自分がヒーローにでもなった気でいる無邪気な様子だ。

 アイリーンとアシュレイは夢中で野山を飛び回り、すぐに日が暮れてしまった。

 いよいよ、月光を浴びて音楽を奏でると言う美少女毛虫(プロセッショネール)が出没する時刻だ。

 二人は昼の間に妖精たちへ聞き込み、目星をつけた森の中へ入り込んだ。

 夕食の為に焚火を起こしひと段落ついた頃、捕まえた妖魔を見たいとアシュレイが言い出した。

 アイリーンは首を捻った。封魔と同じ要領ではないのだろうか?


『しょうかん、してください』

「ショウカン……召喚?」


 アイリーンはやっぱりその方法を知らなくて、けれどラナの召喚の構えを取って見せる。


『インから……たぶん』


 見よう見まねの動きだけで封魔が出来たのだ。

 召喚だって――そう思われた。

 しかし、どうがんばっても召喚は出来なかった。


「僕……出来損ないなんだきっと……」


 しゅんとするアシュレイに、アイリーンは首を振る。


『そんなこと、ない』

「だって、召喚が出来ない」

『せんせい、いります』

「そうか……確か、封魔師の学校があるんだよね、カ……」


 カナロールに。

 言いかけて、止めて、アシュレイは頭の後ろで腕を組む。


「学校なんか行かないケド」

『……』

「だって、封魔だけで困らないし」


 召喚が出来なくてションボリしていたクセに、アシュレイはそう言った。

 アイリーンは迷わずに言った。


『がっこう、いかなくては』

「やだよ、だって、あそこは……ふ、封魔師がたくさんいるから封魔されちゃうよ!」

『ふふ、アシュレイも、ふうましになります』

「僕は封魔師にならない」


 アシュレイがそう言うと、アイリーンが厳しい声を出した。


『ダメです』

「え……なんで?」

『おかあさまを、たすけなくては』


 アイリーンはアシュレイの両腕を優しく掴んで、ゆっくり、ハッキリと言った。

 しかし、アシュレイは唇を引き結んだかと思うと、アイリーンの手を払いのけた。


「……イヤだ」

『アシュレイ!?』

「僕の知らない人だ!! イヤだ!!」

『アシュレイ!!』

「どうして『本当のお母様』なんて言うの? お母さんは僕に『お母さんです』って言ったじゃない!! わたしはお母さんっていう妖魔だって言った!!」


 泣き喚くアシュレイに、アイリーンの心は打ち据えられ、息を荒げた。

 母親がズレて入れ替わって行くアシュレイの不安が、アイリーンには分からない。どうしてアシュレイが怒っているのか解らない。


――――嘘を吐いていると怒っているのかしら? どこまでを?


 怒っているのではなく、繊細で曖昧で激しい機微が――――縋っているという事が――――アイリーンという妖魔には、悲しい事に解らなかった。アイリーンという存在の、心のひだの限界が彼女を狼狽えさせる。

 けれど、彼女はアシュレイの名を呼ぶ。呼び掛けて、自分の真意を知ってもらうしか彼女には出来ないのだから。



 何処かから歌が聴こえて来たのは、アイリーンがそっとアシュレイの名を呼び掛けようとした時だった。

 悲し気で儚い、美しい少女の声だった。






 胸に渦巻く疑問は不愉快な確信でしかない。

 結果の経緯は、想像するだけで汚らわしい。





 アシュレイが無き濡らした顔を上げた。

 彼の背後の大きな木に月光が降り注いでいた。

 見上げれば、木のてっぺんに何か人間の子供程の大きさの生き物が巻き付いている。

 歌はその生き物から流れて来ていた。


「プロセッショネールだ……」


 よく見ようと木を見上げるアシュレイを、アイリーンがおずおずと抱いた。

 アシュレイはどうしてそんなに歌う毛虫に興味を持っているのか、アイリーンがそうするのを許した。

 二人でそっと、宙に浮く。

 歌っているものに気付かれないように、隣の木の枝に止まり、二人はそれを見た。


 それはゾッとする姿をしていた。

 美しい少女は煌めく金髪を風にそよがせているが、少女が持つべきすらりとした肢体は無い。

 少女の顔は、気持ち悪い奇妙な色合いの毛を密生させた、毛虫の身体をうねうねとのたくらせていた。




 あたしが醜いのは、あなたたちのせい。

 あたしが馬鹿にされるのは、あなたたちのせい。

 あたしが愛されないのは、あなたたちのせい。




「プロセッショネール……」


 アシュレイが傷を孕んだ声で囁いた。

 どうして泣くの? アイリーンは彼を見て不思議に思う。

 わからない。

 傍で奇妙な毛虫を食い入るように見ているのは、わたしのかわいい赤ちゃんだろうか?





 

 あたしがあたしを愛せないのも、あなたたちのせい。

 あなたたちのせいで、あたしはずっと幸せになれない。

 全部、あなたたちのせいだ。

 



「プロセッショネールはね、綺麗なニンフと、賢い小人修道僧の間に生まれたんだよ」


 図鑑も無しに、アシュレイが説明を始めた。


「でもね、修道僧は恋しちゃだめだったんだって。仲間に追われて……その時二人の赤ちゃんを蝶の繭に隠したんだ。だから毛虫に生まれたの」






 よくも愛だ恋だと愉しんだわね。

 許さない。

 わたしをこの世に引きずり出した事を、地面の上でのたくりながら、ずっと恨むわ。


 あなたたちのせいだ。

 全部、全部あなたたちの……




 おおおーー、と、泣き声が響いた。




 歌が繰り返される中、アシュレイが、ふ、と息を漏らした。


「僕、想像どおりで安心しちゃった……」


 アシュレイはそう言って、アイリーンにもたれ掛り、抱き着いた。


「誰だって、そう思うよね……思ったって、良いよね……」


 アイリーンは、アシュレイが何を言いたいのか解らなかった。

 ただ、回された細い腕が余りにも頼りなくて、愛しかった。

 

「でも僕、誰のせいにもしない。しないから、あなたが僕のお母さんでいて」

『アシュレイ……』


 アイリーンは小さな身体を抱きしめた。

 そして、主人(ラナ)への拭いきれない罪の意識も一緒に抱きしめた。


――――神様、どうかこの子を()()()()ください。

 


* * * * * * * *


「聴いてみたかったなぁ……」

「君には敵わないよ」

「ふふん。でも、後ろ向きな歌ね。イライラする。アンタ暗いのね」

「フッ、僕は影のある男なのさ……」

「そう……?(あたしには日向みたい)」

「……君は、何かが自分を代弁してくれると、気持ちが軽くなる事ない?」

「……」

「なに? 抱きしめてくれるの……?」

「……」

「嬉しいな……」


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