アイリーンのお化け退治
アイリーンは、封魔師だらけのカナロールからずっと離れたところまで子供を連れて行った。
自分はラナに封魔されているのだから、他の封魔師に封魔される心配はない。けれど、妖魔と見れば向って来る相手がいる所で、オチオチ子育てなど出来やしない。
何処かに落ち着かなくては、この子にお友達もいる、と、アイリーンは考えていた。
ラナと、アガットみたいに。
この子が嬉しい時に一緒に笑い、困った時に助けてくれる、そんなお友達。
人間には人間の付き合い方があると、アイリーンは心得ている。
きっとアイリーンには与える事が出来ない、人間同士で与えあうものを、この子にも。
どんどんと当ても無く進み、一年後に碧い海の見える小さな街に辿り着くと、そこに住み着く事にした。
子供が海の色を気に入ったからだった。
住み着くからには、人間の暮らす家に住まわせてあげたいと思ったアイリーンは、子供を連れて誰も使っていない家を探し回った。
しかし、人の管理していない捨て置かれた家などそうそう都合よく見つかるハズもない。街は人でいっぱいだった。
二・三日、家探しをしていると、見慣れない子連れの流れ者が家を探していると噂になってしまっていた。人の姿を模しているとはいえ、普通の人間から見たらアイリーンは何となく異質で、美し過ぎたのかも知れない。
好奇心旺盛な子供達が、アイリーン達の後をチョロチョロ付いて来るようになった。
「家無しっ子~」
と、子供たちの中でも身なりの良い子供が囃した。
アイリーンはその子供にゆっくり振り返った。小鳥が何処かで囀って、あら、一体何処からかしら? といった様子だった。囀った小鳥が、目を向けた所に既にいなくともいい、ただ、目を向けて見ようか。そういう余裕があった。
見れば囀りの元は自分の愛すべき者と同じく小さくて、それだけで可愛く思えて微笑んでしまう。
「どこか、あいてるところしりませんか」
子供たちは彼女の意外な様子に一瞬怯んだが、怒られたり鬱陶しがられない事で直ぐに調子に乗った。
彼女のヘンテコな様子にキョトンとした後、直ぐに悪戯そうに顔を合わせてクスクス笑い、
「あるよ!」
「あるある!」
「どこですか?」
「海の傍の雑木林に、一軒ある!」
「ぞうきばやし」
「あっちの方!!」
口々に言い、同じ方向を指差す子供達に、アイリーンはペコリとお辞儀をした。
「ありがとうございます。いってみましょう、アシュレイ」
「……うん」
子供たちの様子に、アシュレイは気が進まなそうだったけれど、アイリーンは気付かない。
子供は可愛いものなのだ、と、彼女は思っているのだ。
連れ立つ二人の背後に、ひひひ、と、子供たちの含み笑いがさざ波立っていた。
*
空き家へ向かって進むアイリーン達の後を、子供たちはクスクス笑って付いて来た。
目的地に二人が辿り着くと、うっそうとした雑木林の中に確かにポツンと一軒の朽ちた小屋が建っていた。
その小屋の異様な事と言ったらなかった。
小屋は自身だけでなく、その辺り一帯の空気さえも飲み込んでゾッとする様な気色の悪さを発していた。
小屋の周囲の木々に、ボロボロになった子供の人形が大量にぶら下げられていたのだ。
どこもかしこも、小屋の辺り一帯、見渡す程の子供の人形。そのどれもが、身体の何処かを欠落させていた。中には、腕や足、首だけが微かに湿った風に揺れいた。
アシュレイがアイリーンに身を寄せて、短く息を吸った。
見れば、こちらから見える小屋の窓の向こうに、吊るされた人形たちと同じような薄汚れた人形たちがビッシリと並んでこちらを見ている。実際には人形だから、こちらを『見ている様に』、置かれている。全て頭だけだった。皆微笑んでいる。その向こうの室内はじっとりと暗い。
人が住んでいるとは到底思えない程朽ちているというのに、何故だか暗闇の中に気配を感じてしまいそうになる。
完全になんか不味い小屋だった。
ここへ導いた子供達へアイリーンが振り返ると、子供達は、わっと歓声を上げた。
「やーい、お化けが住んでるよー!!」
「お化けと一緒に住んでみて!」
「食べられちゃうんだよー!」
悪戯が成功してはしゃぐ子供達に、アイリーンは両手を合わせて微笑んだ。
「すてき!!」
アイリーンは、瞳をキラキラさせて喜んでいた。それは、アシュレイでもたまにしか見られない程の喜びようだった。
「え……」
「ほんとうに、だれのものでもありませんか?」
・・・・・・・・・・
小屋は、この子供達が生まれるずっと前に、住人を失っていた。
今は亡きクレイジーな住人は街の人々の鼻つまみ者で、こんな街の外にこんな小屋を建て、こんな風に飾り付け嫌がられた。
その頃の住人はとても元気で、奇妙な喚き声を上げては夜の街を徘徊し、街の人々を不快にさせた。
――――またアイツだよ。
――――どうにかならないかしら。
そんな風に。
この小屋の住人が辺りの一番大きな木の枝に人形たちと首を吊っているのを見た時、街の人々は恐れ、また安堵もした。
――――やっと。
悲しむ者はいなかった。
そして不気味な小屋だけが残された。
――――なんと厭な小屋だろう。妙な気配がしないか?
――――誰があの人形たちを始末する?
――――関わりたくない……。
――――ああ、なんて厭な小屋だろう!
結局、誰もこの小屋に近付かずに年月が流れてしまい、こうして子供達が肝試しで遠巻きに囃すだけになってしまったのだ。
・・・・・・・・・
「もう昔に死んじゃっていないけど……」
「では、すんでもいいですね?」
「う、うぅん……」
子供達は目を合わせてから、不気味な小屋を見る。
雨風にさらされ続けてグズグズに腐った縫いぐるみたちが、玄関ドアまで小道を造る様に、二列に並んでいる。その先の玄関ドアと言えば、誘う様に半開きになっている。
雑草の生い茂った地面には、直立させられた人形たちが草むらの影からチラチラとこちらへ顔を覗かせていた。あの人形の中に、動くヤツがいてもきっと不思議じゃない。
「……すむの?」
「ぜひ」
「お化けいるよ?」
アイリーンはチラリと小屋を見やって、ちょっと考えた。
とても素敵な小屋だから、どうしても気に入ってしまった。
けれど、先客がいると、子供達は言う。
ジッと小屋を見詰めて、アイリーンは小屋に漂う闇の奥深くを探る。
―――確かに、小屋には何かがいた。
それはアイリーンから見て、下等な何かだった。気付きもしなかった位小物だ。
アイリーンは普段、弱い物いじめをしたりしない。
けれども、アイリーンの中に潜む微かな魔性が『追いやってしまえ』と呟いた。
彼女の意思に気付いたのか、生暖かい風が吹き出して、吊るされた人形たちを揺らした。
辺りがどことなく暗くなり出して、子供達が怯えた声を上げる。
アイリーンが長い髪を風に揺らめかせながら、小屋に踏み出した。
―――決めた。
「おいはらいます」
彼女がそう言った瞬間、小屋のドアがバーンッと、爆ぜる様な音を立てて閉まった。
子供達はいよいよ悲鳴を上げ、我先にとてんでバラバラに逃げて行った。
「アシュレイ、アシュレイも、みんなといてください」
アイリーンはアシュレイにそう言うと、小屋へ近づきドアノブに手を振れた。
ドアノブはガッチリと動かない。
しょうがないので、ドアノブをドアからバキバキもぎ取って、ドアを開ける。アイリーンは目的の為なら容赦しない。ドアなんか後でもっと素敵なヤツに替えればいいのだ。
小屋の中へ一歩踏み込めば、大きな穴が開いていた。けれどもアイリーンは浮けるから落ちない。
蜘蛛の巣だらけの玄関、蟲の這い回る廊下と進んで、かび臭いリビングに入り込む。そこでは人形の首が歯を鳴らしてたくさん飛んで来たけれど、アイリーンはいっぱい腕を出せる。
「かわいい」
全て捕まえて、ただひたすらに萌える。アイリーンは可愛いものが大好きだった。
「ここをわたしにおゆずり」
アイリーンはガチガチ歯を鳴らす人形の首達を撫でながら、静かに呼びかけた。
ガタン、と、リビングの更に奥で物音がしたので、そちらへ向かう。
向った先には、こじんまりしたベッドルームが腐っていた。存在する布の何もかもが引き裂かれ、叩き割られ、へし折られていた。
床には千切られた人形たちの四肢と、犬や猫の骨が所狭しと散乱している。
狂気が吹き荒れた跡地の隅に、一つだけまともで綺麗な縫いぐるみが椅子に丸まっていた。
犬とタヌキの間みたいな動物の縫いぐるみで、縫いぐるみなのに冷や汗をかいている。
アイリーンはその縫いぐるみの首根っこをむんずと掴んで、縫いぐるみらしく見開かれた榛色で真ん丸の目を覗き込む。
縫いぐるみは必死な様子で目を見開いていたが、アイリーンが余りにも真っ直ぐ目の中を覗き込んで来るので根負けして瞬きした。
アイリーンがニヤリと笑うと、短い前足で顔を覆ってクッククック、と泣き出した。
『クク、クッククック……(ごめんなさいごめんなさい……。ここ、とっても居心地が良くって、変な人間がいなくなったのと同時に住み着いちゃったんです……)』
「おこってないですよ」
『クク……ククックゥ……(本当は憑りついて首吊らしちゃいました)』
「そうだったんですか」
『クー!(ともだち、いっぱい殺された!)』
アイリーンは床に散らばった骨を見る。
その間に、犬とタヌキみたいなのは今までの経緯のダイジェスト版を語ってくれたが、アイリーンは適当に流し聞いた。小屋は手に入ったも同然だったので、この部屋をどう使おう、とか、リビングの家具は手入れすれば使えるかしら? とか、そういった事で彼女は忙しいのだった。
この犬タヌキ妖魔、力が弱くて子供の頃群れから見放された悲しい過去があった。
この辺の野良犬や野良猫と仲良くして孤独を癒していたけれど、残忍な小屋の主に散々仲間を奪われてしまったらしい。
そこで怒りの力覚醒とか色々ドラマティックがあって、見事小屋主を倒したが、今度は犬猫に怖がられ結局独りぼっちになってしまい、誰も寄り付かないこの小屋に棲みつく様になったのだと言う。
『クッククー……』
天敵の人間は皆怖がってやって来ないから、いいところだったのに……と、犬タヌキは悲しげに鳴いた。
アイリーンはしょげる犬タヌキの頭を撫でて、微笑んだ。
「よければいっしょにすみませんか?」
『クー(おいださない?)』
「はい。しません」
犬タヌキは喜んでアイリーンを己のご主人様に決めた。
元々は犬タヌキが先客なのだから、アイリーン達が小屋に『お邪魔する』態ではないか大丈夫か犬タヌキだったが、犬タヌキはそんなに頭が良く無いから別に気にしないのだった。
かくして、おどろおどろしい小屋の周囲から、暗く淀んだ雰囲気が一瞬で吹っ飛んだ。
後は奇抜なインテリアを何とかするだけだったが、アイリーンはアシュレイが泣いて頼むまで中々人形たちを処分してくれなかった。
* * * * * * * *
「そんな気持ち悪い家によく住めたわね」
「だって母さんのほうがお化けより強いんだよ」
「そりゃそうだけど……」
「子供達驚いてたなー。お化け屋敷のお化けを退治しちゃったってさ」
「ま、良かったんじゃない? 皆が嫌がる仕事って、中々できるもんじゃないわ」