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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
おかあさんをするの
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叶った願いは誰のもの

 誰だって、一度や二度は思った事があるんじゃないかな。

 酷く叱られた夜や、思い描く自由を否定された時なんかさ。

 僕にとっては生ぬるい例えだけれど、そういうの。

 どうしてこんなに酷い状況なんだろう。

 どうしてこの人がお母さんなんだろう。


 僕の本当のお母さんはどこ?


 なんて。





 子供はアイリーンが初めて与えた食事を、促されて恐る恐る食べた後、全て吐いてしまった。突然の出来事と環境の変化と緊張で、そうなるのは無理も無かった。

 アイリーンは、泣きながらえずく子供の背を撫で、えずきが納まった頃、彼女なりに作った薄いベッドへ、子供を横向きにして寝かせた。

 子供は薄っすら目を開けて、アイリーンを見て囁いた。


「ごめんなさい」


 空気の中へ消え入りそうな声だった。

 アイリーンは首を傾げ、子供の柔らかな髪を指で梳いた。自分に五本の指がある事に、幸せを感じた。


『なにが?』

「もらったのに」


 そう言って子供は再び、ごめんなさい、と謝った。

 与えられたものを喜ばなかったり無駄にしてしまった時、母親からヒステリーを起されていたこの子供の日常を、アイリーンは知らない。そして恐らく、知ったとしても完全に理解出来ない。

 どうして謝るのだろう、と、言う事すらアイリーンは気に掛けなかった。


『おしくありません』

「ごめんなさい」

『あすは、たべやすくします』


 アイリーンはそう言って、柔らかい布を子供の身体にふわりと被せ、『煮る、潰す、細かくする……』で、頭の中をいっぱいにする。

 夢中で明日の計画を立てていると、子供がぎこちなく身動きした。


『ねれない?』

「……う、うう……」

『かなしいのですね』


 蹲って泣き出した子供を、アイリーンは抱き上げた。

 子供は短く啜り上げると同時に身体を緊張させて、固まった。

 アイリーンは子供を優しく揺する。

 地獄の様な場面の中、最初にこの子を抱いたのはアイリーンだった。あの時よりも随分大きくなってしまったけれど、こうしたってまだ悪くないだろう。だって眠れずに泣いているのだから。


『みて、アシュレイ』


 アイリーンが夜空に瞬く星々を指差し、ツ、と指先を動かすと、星の幾つかがその動きに従って動いて見せた。


『わかる? きたのそら』


 目をぱちくりさせている子供の鼻の頭を優しく突き、子供の視線を捕まえながら再び星空を指差し、星を動かす。星はアイリーンの指先に操られ、何かの形を造って行く。

 何かを描いているのは分かるけれど、ハッキリ言って歪過ぎて何かは分からない。

 けれど、子供の心を惹きつける事は出来たみたいだった。

 アイリーンの指先と、夜空に描かれる星の絵(?)を交互に見詰めていた。

 アイリーンは夜空に星で謎の模様を描き終えると、ちょっと得意げに言った。


『さかな』

「……」

『きょうたべた』


 絶対に魚に見えなかったけれど、子供はギクシャク微笑んで頷いて見せた。

 アイリーンは彼の手を取ると、自分の人差し指に小さな人差し指を沿わせ、夜空へ指を向けさせた。


『おえかきしましょう』

「僕にも出来る?」

『もちろん』


 アイリーンが夜空の瞳をキラキラさせて微笑むと、子供はおずおずと夜空へ向かって指先を這わせた。

 そうして勝手が解らないなりに、子供は夜空に星屑で子犬の絵を描いた。


『じょうず』

「寝るときに、だっこするの……いつも」

『?』


 子犬なんてあの忌々しい屋敷で飼っていたかしら? アイリーンが首を傾げると、子供が哀し気な吐息を漏らして囁いた。



「僕の、ぬいぐるみ……」


 ぐす、と、子供はまたぞろ泣き出した。


「ロイ……ロイ……ロイがいないと寝れない」


 お気に入りのモノだったらしい。『ロイ』が無いと、この子は安心して眠れないのだ。

 アイリーンは彼の持ち物を、屋敷から何も持ち出して来なかったのを悔やんだ。

 しかしアイリーンはあの屋敷を連想するモノを、この子の傍に置きたくなかった。偽りの母親からはほとんど無理矢理同意を得たけれど、この子の同意は得ていない。そんなものは必要ないと思っていたけれど、帰りたいと強く願われてしまったらと思うと、アイリーンは怖い。

 だから自分との生活を楽しく、快適に思って貰わなければいけない、と、アイリーンは張り切る。


『あす、もってきます!』

「……ロイを?」

『はい』

「おうちに行くの?」

『……』


 アイリーンが夜空を見上げ黙り込んだので、子供も気まずそうに黙った。何となく、『帰れない』『帰ってはいけないんだ』と、感じ取っているのだろう。

 しばらく、二人共ぎこちない空気の中星空を見上げていると、アイリーンが静かな口調で言った。


『かえりたいですか』

「……僕、外に出て見たかったの」

『かえりたいですか』

「おうちでは、お薬でほとんど寝てて……」

『かえりたいですか』

「お母様は泣いたり怒ったりばかりで」


 あの人は貴方のお母様じゃない! と、叫び出しそうになって、アイリーンはグッと堪えた。それを決めるのは、この子だけだ。


『かえりたいですか』

「帰りたいけど、帰りたくない。だって僕は、お外に出たいし、お薬で寝ていたくない。お母様に打たれたくない」

『……あす、ロイをもってきます。こんやだけ、あのロイとねましょう』


 アイリーンは夜空に子供が描いた子犬を指差しそう言って、子供を再びベッドへ戻すと、頭を優しく撫でた。子供は、目の位置までかけ布に潜って、


「僕が眠ったら食べる?」


 アイリーンは夜空の瞳を、ふ、と、細めた。


『もうねないと、たべます』



* * * * * * *


 本当に帰りたいのか帰りたくないのか、僕には解らなかった。

 とにかく貴女が怖かったし……ああ……でも、あの頃の僕は大概の事を怖がってたから、気にしないで。

 僕、願っていたんだ。

 いつか、本当のお母さんが僕を迎えに来てくれますように、なんて。

 でも、なんか想像と違ったから、そう願ったのをポッカリ忘れちゃってた。

 

 貴女は『かえりたいですか』と繰り返して僕に聞いた。

 僕が選んで良いなんて、初めての事だった。

 悲しみのカードを差し出して、僕に選択肢をくれた。


 僕の願いは届いてた。

 でも、そんな事認めたくなかった。

 罪悪感に潰されてしまいそうで、とても怖かった。

 母親を乗り換えるだなんて。

 なんて事を願ってしまったんだろうって、僕は怖かったんだ。


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