お菓子のうた
なんかかんだあって、ライラがアシュレイと街を出たのは夕刻に近かった。
ライラはまず、ネックレスが偽物だと店主や皆に笑い飛ばされ、その内良く見れば見間違う事の無い類稀な神々しさに、今度は盗みを疑われた。
アシュレイが間に入って、余計に怪しがられ、結局宝石店までぞろぞろと事実を確認しに行く羽目になったのだった。
さぁ、いざネックレスがホンモノだと判明すると、店主はステージの花形を失うのを少し渋った。
ライラはアシュレイの忠告通り初めに自分の値段を聞いたので、店主はそれ以上吹っ掛ける事は出来ず、結局のところは元手以上を手に入れるのだと納得した。
現金に困っていた彼は、すぐさまネックレスをその場で売った。
ライラにとって、随分、呆気ないものだった。
騒がしい者達が行ってしまうと、宝石店店主は再びよろよろと座り込んだ。
先ほど別れたばかりのお宝が、再び店の一番いい場所で煌めいている。
「一体何がどうなっているんだ?」
店主は「なぁ?」とネックレスに話しかけて、ハタキ、ハタキ、とハタキを探しに店の奥へ消えた。
どこかから隙間風が入ったのか、ランプの灯が揺れた。
宝石たちだけの店内で、チラリ、とネックレスが苦笑する様に光った。
* * * * * * * *
アシュレイはライラの予想通り乗合馬車に乗ったので、街の門から感慨深く一歩、というドラマチックなモノは無く、ただただガタガタと座席に揺られ、呆気なく門を通り抜けた。
ライラは馬車の窓から壁に囲まれた街を眺めた。
街並みに立ち並ぶ煙突や、モスクのホイップクリームの様な屋根の先を眺め……微かに見える六角塔の屋上にはためく怠け者の踊り子たちの、色とりどりの洗濯物が風に揺れるのを見ると、ライラは窓を開けて身を乗り出した。
「危ないよ」と、アシュレイが言ったけれど、ライラは窓から頭を出して、彼の言う事を聞かなかった。
……物心ついた時から、あそこで育った。年上の女達に苛められたりしたけれど、皆気は良いネェさんたちばかりで、案外すぐ馴染んだ。
店主は怒ると本当に怖かったけれど、別にそれ以外はまぁこんなものでしょう、という程度だったし、踊りの稽古も楽しかった。酔っ払い達はイヤな奴もいれば、陽気で楽しい奴もいた。なにより食べ物や屋根に困らなかったし、ダイアナという友達も出来た。
不満を連ねて来たけれど、まんざらでも無かった毎日。
何が足りなかったのだろう、と今更思う自分に、ライラは笑った。
あたしは欲張りなのかしら?
あれ?あたしは今、『六角塔』に、郷愁なんて抱いちゃって。そんな必要無いのに。
ウリを免れたじゃない。ネックレスのお蔭で、多分、店も持ち直す。皆もしばらくは大丈夫。その先は心配だけど……。
毎夜のステージ。皆の視線。あたしの声で、ランプが揺れた。
「ライラ?」
ライラは窓枠に添えた腕に、顔を押し付けた。
膝に収まっているハミエルの重みと温もりが、本当はいつもの部屋の、あの軋むベッドで感じているものなんじゃないか、なんて思いながら、ライラは泣いた。
アシュレイが肩に触れたので、ぴしゃりと叩いてやった。
「なぁに?喧嘩かい?」
乗り合わせた初老のご婦人が、興味本位で聞いたのに対してアシュレイが「ははは」と笑った。
「いえ、新婚なので喧嘩なんてしませんよ~」
ライラは泣き声で「ハミエル」と言って、ハミエルが「合点承知」とばかりにアシュレイに飛び掛かった。
アシュレイは悲鳴を上げたきり、静かになった。
* * * * * * * *
馬車は順調に進んだ。ライラは初めて見る街の外の風景に始めは目をキラキラさせていたが、どこまでも続くかの様な平原にその内飽きてしまった。夜になって暗くなると、ガラスに映る自分の顔しか映らなくなったので、いよいよ窓には興味を持たなくなった。
アシュレイがうつらうつらするフリをして、何度かライラにもたれ掛ろうと仕組んで来たが、その度にハミエルに噛み付かれた。
それでも果敢に立ち向かって来る彼に呆れながら、ライラは彼の薄目を両手で無理矢理広げた。
アシュレイは白目を剥いて手をバタつかせた。
「あだだだだ……痛いよライラ。もっと優しく」
「ねぇ、すっごく今更だけど、この馬車何処行きなの?」
「痛い痛い、なんでハミエルは足に噛み付いてるのかな。ちょ、ちょっと!牙を立てたまま首を振るな!メッ!ハミエル、メッ!!」
おやめなさいよ、と乗り合わせたご婦人が二人と一匹に既に慣れた様子で間に入った。
「お嬢さん、この馬車は王都へ向かってるのよ。知らずに乗っていたの?」
彼女は少しだけアシュレイを疑わしげに見る。
ふふ、とライラが笑った。
「おばさん、あたしこの人に人さらいにあったんじゃないから大丈夫だよ」
「当たり前だよ。ライラが僕と一緒に居たいんだもんね。痛い痛い!は、ハミエル、メッ!」
「あんたねぇ、余計な口ばっかりきいてないで、ちゃんとあたしに色々説明しなさいよ」
「ホラ、やめなさい。そのワンちゃんは、きっとお腹が空いているのね。もうすぐ途中の村に着きますよ」
おば……ご婦人が窓の外を見る様に促した。
どれどれと見やれば、少し先にぽつぽつと灯の光が浮かんでいる。
キレイ、とライラはそれを眺めた。
「村に着いたら、宿を取らなきゃね。ミセス……ですよね?」
「そうですよ」
ご婦人が微笑んだ。
「村の方ですか?取れそうな宿を知りませんか?」
ふふふ、とご婦人が笑った。
「そうですよ。私、宿屋をやっておりますので、ウチにいかがですか?」
聞けば街に薬を買いに来ていたのだと言う。
「主人がギックリ腰になっちゃいましてねぇ。いい湿布が街にあるって聞いてお使いに行った帰りなんです」
「それは大変でしたね。部屋が空いているなら是非」
「ま、待って!」
ライラが話を進める二人に割って入った。
「宿ってなに!?」
「なに、って、宿泊施設……」
「違う!どうして?泊まるって事?」
アシュレイがデレッとした顔をした。ライラは「しまった!」と思ってちょっとのけ反った。
「違う違う違う、アシュレイ、違う!」
「イヤ~、ライラ~大丈夫だよ~。僕、バラをち……痛い!」
ライラがアシュレイの頬を平手で張った。宿屋の女将に聞かれたら事だ。
「違うってば、どうして!?そんな暇無いでしょ!?早くダイアナに追いつかなきゃいけないのに!」
「馬車は夜は走らないの、知らないの?」
「え、え、そうなの?そうなのおばさん?」
宿屋の女将はアシュレイを心配そうに見ながら、「そうよ」と答えた。
「そんな……」
「夜の移動は危険なのよ。今だって十分ね。妖魔の生き残りに会うかも知れないでしょう?平野ならまだあちらの隠れる場所が無いから、もし出会ったら早く逃げられるかも知れないけれど、この先は森なの。暗がりからバッと襲われたく無いでしょう?」
宿屋の女将が、子供に言い聞かせる様にライラに教えてくれる。
「……妖魔」
ライラは妖魔の存在を知ってはいたし、その被害に遭った話も茶飯事に聞いていた。
けれど、大きい被害もあれば小さい被害もある妖魔の話を聞いて、「へぇ、怖いわね」位に返事をした事がある程度で、見た事は無かった。
「ねぇ、アシュレイ。どうしても駄目?」
「そのおねだり顔最高」
「そのだらしない顔最低」
要するにダメなのだろう、とライラは諦めた。
気ばかり焦って、ライラはイライラした。
「大丈夫だよ、ライラ。セイレーンの審判は満月の夜だから」
「満月……」
「うん。まだ上弦を少し過ぎた辺りだろ?」
アシュレイはそう言って、ライラの方へ身を寄せて窓の外を見た。
そっち側の窓を見なさいよ、とライラは思ったが、素直に自分も窓の外を見る。
月は彼の言う通り、上弦の月が少し太った程度だ。
「一週間は大丈夫だよ。村を出たら馬車でまた走って、王都まで二日。夜は進めないから、四日かかるかな」
「ギリギリじゃない!」
「雨が降れば、延期だよ」
「降れば、でしょ?」
ライラは焦りでイライラした。でも、しょうがない。こればっかりは、アシュレイの言う事を聞くしか無さそうだ。
ライラは月を見上げる。
ダイアナ、無事でいてね。
ほほほ、と何故だか宿屋の女将が笑い声を立てて、馬車はガタゴトと小さな村へ入って行った。
* * * * * *
月よ 月よ
なにも食べないで
満月になるのを どうか
遅らせて頂戴
そうしたら
あたしがあんたに
甘いお菓子のうたをうたったげる
ライラのお腹が、ぐうと鳴って、彼女は唇を尖らせた。