9 あるヒーローの後悔(緋路視点)
四月初旬。会談の場所として指定されたのは、ホテルの一室だった。
目の前の男はもうすぐ七十の声を聞くような歳には見えない。
ヒーロー協会総帥、草薙菱義。
組合、協会を問わずヒーローなら知らぬ者はいない、伝説とも言える人物だ。
俺と朔也さんは彼の返答を待つ。
ヒーロー組合の情報部から、最初の報告が上がって来たのはほんのひと月前の事だ。
『怪獣の発生パターンに微細なズレが見られる』
そもそもうちの技術開発チームの中に、『誘導装置』を頑迷なまでに推奨し、研究し続ける男がいた。先代の代表は装置推進派であった為、予算もかなり組まれ研究も試作段階まで進んでいたのだ。
しかし一年前の代表選挙において、此花朔也が代表に就任し、内部体制を一新した。そして新代表は誘導装置研究をすっぱりと切った。理由はリスクが高すぎるというものだ。中型以下の怪獣を抽出して呼び出せるが、その分偏った咎が大怪獣やさらに上の巨大怪獣という形で、凝縮されて現出される可能性が、指摘されていた。
あくまで可能性だと研究主任の男は抵抗したが、代表権限で即決だった。
部門は即時解体、研究主任は職を解かれ姿を消した。
それが一年前。
今こうして反目しあう組合と協会のトップが顔を合わせているのは、調査の結果研究主任の男が協会内に潜り込み、研究を続けているらしいという結論に至ったからだ。
そしてもう一つの重大な提案の為である。
「協会と組合の統合か……。君なら出来ると言うのか」
「ええ、私とあなた、そしてこいつが居れば出来ます。このままではいかんでしょう、草薙総帥」
視線を寄越した朔也さんから話を引き継ぐ。
「あなたが強いのは誰だって知っています。ですが人である以上、寄る年波には勝てない。
草薙龍一さんが存命の時は良かった。彼ならばあなたの後釜に就いても、実力も求心力においても誰からも文句は出なかったでしょう。しかし彼は居ない。まさか内部抗争を勝ち抜いただけの腑抜けに、継がせる気はないでしょうし、今そちらで実力と人気を兼ね備えた者は、みな若年者ばかりだ」
草薙総帥は泰然とした態度を崩さない。彼自身こそ一番理解している。
十年前、彼にとって娘婿であり稀代のヒーローと呼ばれた草薙龍一を失った穴は大きい。俺にとっては憧れだったし、朔也さんにとってはライバルだった。
「そもそも二つに分裂して、ぐだぐだ内輪揉めするのはヒーローの仕事じゃない。でしょ?」
「……それで?」
草薙総帥が先を促す。
朔也さんは不敵な笑みを浮かべ口を開く。この人は相変わらず緊張感がない。
「まずは狭山に草薙総帥の補佐をさせ、数年かけて協会と組合の方式をすり合わせたのち、機が熟した所で統合します」
「此花君、君ではなく彼がやるというのか……。ずいぶん若そうに見えるが」
朔也さんは三十八歳。彼より明らかに若い俺には任せる気にはならないって?
「二十七歳です。貴方が就任したのも二十代でしたよね?」
どのみち改革も統合も必要なことだ。
沈黙が流れる。
時間にすれば一分にも満たなかったのかもしれないが、気分の良いものでもない。
溜息と共に、草薙総帥の表情が少し和らぐ。
「いいだろう、但し条件がある」
草薙総帥から出された条件、それは『孫娘を守ること』。
娘と孫達を心配するのは分かる。協会内部で誘導装置研究のパトロンを務めている、裏切り者を特定しなければならないのだ。
家族は既に家を離れているというから、表向きは喧嘩を理由に自分の側から離れさせたのだろう。
娘である『駒子』は、今は一般企業に勤めているとはいえ結婚前は元協会員。
孫の『龍弥』は中学生ながら必殺技を会得したヒーロー。
問題はもう一人の孫『円奈』。一般人の女子高生、登下校は徒歩。朝は弟と共に登校するが、放課後は一人だ。
「……いや、実は本当に喧嘩して出て行ったんだ。それに携帯はアドレス変えられるし、孫達は駒子に気を使って会ってくれない。それでも龍弥には協会支部でこっそり会える。でも円奈には接点がなくて会えないんだ。
死んだ妻にそっくりで、どこか抜けた円奈がじいちゃんは超心配っ!」
最後の方は叫ぶように言うと、草薙総帥は両手で顔を覆ってしまった。
――祖父バカって噂は本当だったんだなぁ。
「意外と面白れえっ……」
「朔也さん、心の声漏れてます……」
グッと距離は近づいたが、伝説のヒーローの威厳は霧散した。
そして俺は彼女の放課後護衛担当となった。
受けた時点で後悔しているんだが。
・・・・・・・・・・
「いつまで笑ってる。さっさと隠れろ」
俺は笑い転げる部下のすねを蹴って追い払う。
部下はそれでも腹を抱えながら、姿と気配を消す。
場所は何の変哲もない住宅街の道。ちょうど高校生の下校時間。
農作業姿で土いじりをしながら草薙円奈を待つ毎日だ。
最初に護衛についた時、気配に聡い彼女がものすごい勢いで部下の尾行を振り切ったのが始まりだった。どうやらナンパと勘違いしたらしい。
現役ヒーローを振り切るってどんな脚力だ。流石はあの総帥の孫……なのか?
今度は変装してポイントポイントで抑えることにしたのはいいのだが、一回限りのつもりで家庭菜園をそのまま借り受け土いじりの振りをしていたら、彼女が食いついてしまったのだ。
勢いに負けて「欲しい?」と聞いてみたら、ぶんぶん首を縦に振りながら満面の笑みを浮かべるから、思わずその辺の野菜を手当たり次第に収穫して渡した。
次はもうやるまいと、畑には近づかずスーパーで客のふりをして彼女を見守っていたら、しっかりとこちらを覚えていて気づかれた。他の部下は顔バレしてないのに何でだ。
結局しっかり顔を覚えられて、今さら引けずに毎日野菜を渡している。
名前を名乗らずに済んでいるのが、せめてもの救いだ。
畑の世話は元々の家庭菜園の主がしている。下校時間は決して近づかず、彼女が近づいたら他人のふりをしてもらう約束で、頼んでいる。俺は収穫時期の野菜を適当に採って渡すだけだ。
彼女が手伝うと言い始めた時は焦った。
畑の世話なんて素人だから、じゃがいもの収穫で何とか誤魔化した。
面倒臭いことになったと、後悔していたはずなのに。
「ありがとうございます! 大好きですっ」
彼女があんまり嬉しそうに、可愛い笑顔で言うものだから。
「――俺も好きだ」
思いも寄らない言葉が口をついて出た。
この子の頭の中は、今じゃがいもでいっぱいだって分かっているのになぁ。