8 心はヒーローでいたいのです
「もう既にターゲットロックオンかぁ」
ああ、どうせ対面するなら切り身のあなたと対面したかった……。
パンダ怪獣さんはこちらを窺っている。距離は大分離れているけど、私から見えるんだからあちらだって気づいているでしょう。
私は弟のように必殺技を身に着けられはしなかったけど、子供の頃から獣に好かれた。
それは近所の犬や猫、動物園の動物から、果ては怪獣にまで及ぶ。
普通の動物ならちょっと近づいてくるだけなのに、怪獣に見つかると確実に追いかけっこが始まってしまう。だからいざという時には、周りを巻き込まない行動を、物心ついた時には教え込まれた。
いつもは近づき過ぎなければ見つからないのに、歌うと予防線も無視して引き寄せる。
必殺技の使えるヒーローになれれば良いのにって、子供の頃は真剣に願っていた。
結局足が速いだけの、普通の子にしかなれなかったけど。
この特異体質に感謝する日が来るとは思わなかったな。
周りの男達が慌てだす。
「何故いきなり大怪獣が出現した!? 装置の作動はっ」仮面の男が声を荒げる。
「していないはずだっ! そもそもあんな大物この装置の許容外なのにっ」
白衣の男が檻と装置に駆け寄る。
仮面の男は初めて焦った様子を見せる。
「倒しに行かないんですか、未来のヒーロー協会総帥さん?」
その仮面を見上げて微笑む。
祖父ならきっと先陣を切る。生涯現役を地で行くから。
「ふざけるな……っ! あんなの我々だけの数でどうにか出来る大きさじゃない」
きっとどうにか出来る人員が揃っていても、逃げるんでしょうね。
私の知ってるヒーローは、損得計算で獲物を選んだりしない。
「いくら祖父が引退したって、あなたは総帥にはなれません」
「私を怒らせたいとは、相当頭が弱いらしいな。この状況を分かっているのか? 君をこのまま放置しても良いんだぞ」
「あなたこそ、分かっていますか? このタイミングで怪獣が出現すれば、あなたの支持者は誰だって、装置の誤作動のせいだって思いますよ。また投票したら、今度は過半数は難しいんじゃないですか?
あなたの総帥就任は不可能です――私と祖父を舐めないで」
大怪獣の出現は余波も大きく出る。ヒーローが辿り着くのもすぐだろう。
仮面の男は手を振り上げて、寸でのところで踏み止まった様だ。荒い息を吐き怒りのコントロールをしているのが見て取れる。
私も一応腕を上げて防ごうとはしてみたけど、本当に打たれていたらあんまり役には立たなかったと思う。直前の暴力への恐怖で胃が引きつる。
それでも私は満面の笑みで続ける。
「ご存知ですか? 本物のヒーローはいつも絶対に間に合うんです」
「くそっ」
射殺しそうな目で睨まれた。仮面の下のその目は血走っている。
それでも私を共に連れ出すことにした様で、腕を掴み車に押し込もうとする。
「豊海さん、真直ぐこっちに向かって来ます! 」
スキーマスクの一人が誘拐犯を名前で呼ぶ。
誘拐犯の名前は豊海ですか。忘れない様に覚えておかなきゃねー。
パンダ怪獣さんは明らかにこちらを目指しています。うん、だってもう目が合っちゃってるから。この間のトラ怪獣さんほど足が速くないのが救いかな。でもその分体長二十メートルはありそうな大怪獣だから、リーチが長い。そしてやっぱり二足歩行。怪獣さんはみんなどうして二足歩行に拘るんでしょうね。
「おいっ早く車に乗らないと間に合わないぞ!」
抵抗する私と、車に押し込もうとする豊海に、既にエンジンをかけてスタンバイしていた男が、窓から顔を出して怒鳴る。
「離してください、私はここに残ります! あなた達にヒーローの矜持が残っているのなら、協会と組合にこの場所と怪獣の正確な情報を伝えてください。そして安全な距離まで避難していてください」
呼んじゃったのは私だしね。覚悟を決めて歌ったんです。
怪獣たちは殺そうとするんじゃなくて、捕まえようとしてくる。もちろん怪獣の握力で捕まえられれば死に至る訳だけど、即死の攻撃は、私に対しては行われない。
待っているのはヒーロー現着までのデス追いかけっこです。そろそろ腿のアップをしなければっ!
「――それじゃあ、あんたを囮に残していくみたいじゃないか」
運転席の男が何故か躊躇いを見せるので、大きくため息を吐く。
「いいじゃないですか、それで。最初から私は囮だったのでしょう? 怪獣さんを呼び出す実験に使って、帰す気なんてなかったんだから」
さっきまでの状況と、怪獣さんとの追いかけっこを秤にかけて、私は選んだ。
あと呼んでおいて何だけど、他人の命まで背負う覚悟は私には無いですっ!
皆さんさっさと離れてくださいってば!
「それに諦めてなんかいません。ヒーローはいつもピンチギリギリに間に合うものでしょ」
余裕をもって間に合おうよ、とは言ってはいけません。それがヒーローってやつですから! 本音は超速で来て欲しいけれども。
親指まで立てて見送ってあげてるのに、何故か運転席の男は車から降りてきた。
豊海の制止を無視して、彼がスキーマスクを脱ぐと、一人また一人と周りの男達も脱いでいく。
意外にもその目は豊海の様に淀んではいなかった。
なに!? 私が死ぬの確定だから冥土の土産的な? いらないよっ死ぬつもりないですし!
運転席の男が口を開く。
「言い訳に聞こえるかもしれないが、帰す気がないなんて知らなかった。こんな事がしたくて装置導入に賛同したわけじゃないんだ。
…………本当に、間に合うと思うか?」
どうしてそんな事を聞くんだか。
「当ったり前です。それだけの努力をしてる事、あなた達だって分かってるでしょう?」
私はヒーローの孫で、娘で、姉なんだ。私が信じないで、誰が彼らを信じるの。
・・・・・・・・・・
それからの彼らの行動は速かった。
豊海と白衣の男をロープでぐるぐる巻きにして平野の端の林付近に放置。
車両数台を使って怪獣を翻弄する。パンダ怪獣さんは基本的に私を探しているので、偶に顔を出して誘導する。引き付けたところで別の車から、遠距離対応の必殺技を持つ男達が攻撃を打ち込む。
但しジリジリと追い詰められて、負傷者も大分出ている。車も潰された。
最後に残ったトラックの荷台に(私用の檻を積んでたアレです)私が乗り、運転は運転席の男こと、ノリさんだ。すっごくシュールな感じですよ、誘拐犯の運転する車の荷台からパンダ(怪獣)に追いかけられる女子高生。
捕まえあぐねてイライラしているのか、パンダ怪獣さんの角が立派な竹に育とうとしています。竹の成長が早いって、本当だったんですねー。
ああ! 変なこと考えてたら、パンダ怪獣さんの手がすぐ目の前にぃ!
爪が異様に鋭いのは、笹の為じゃないですよねきっと。
怪獣さん越しに騒音と土煙、そしてサイレンが聞こえる。
あともうちょっとなのにっ。
お母さんとおじいちゃんに仲直りして欲しかったな。
龍弥が立派なヒーローとして独り立ちする姿、見たかった。
そして緋路さん、何故だか無性にあなたに会いたいです。
ああこれが走馬灯ってやつかなぁ。でも過去の事じゃなくって思いっきり願望ばっかり。
願望と言えば幻のパンダ怪獣さんのお肉が目の前に……。
「……って、食べてないのに諦めると思ったら大間違いだからっ!」
最後の最後まで諦めるかっ! とパンダ怪獣さんを睨みつけようと上向くと、そこにはヘリコプターから降ってくる人。
「円奈っ!!」
どうして此処にいるんですか?
ううん、分かっていたんです。そうじゃないかなぁって。
「――緋路さんっ!」
私は何故か父を思い出していた。
歌って、初めて怪獣を呼び出してしまったとき。
父は必死に私を守ってくれた。大怪我を負って、それでも決して私を離しはしなかった。
お父さんごめんなさい。もう歌わないって約束したのに、また円奈は歌ってしまいました。
パンダ怪獣さんはピシリと固まり、動きを止めていた。
よく見ると足や腕に冷気が漂い、凍っているように固まっている。
その身体をクッションにしながら、緋路さんは地面に着地する。そのまま全速力で荷台から私を担ぎ上げその場を離れる。
離れるのを待っていたのだろう。
いつの間にか追いついていた龍弥は、槍どころか全身稲妻を纏って攻撃をしかけている。決めの必殺技名が長過ぎて聞き取れない。いくら中二だからって、その名前は私のネーミングセンスを笑えないぞ、弟よ。
石崎先輩の大太刀からは斬撃と共に炎が走る。斬撃が早すぎて手が六本くらいに見えます。
そして祖父の拳は、その身体のサイズからは考えられない衝撃音を響かせ、内部まで凍っていたパンダ怪獣さんの片足が粉々に砕けた。お肉が粉々…………くぅっ。
土煙を巻き上げながら倒れるパンダ怪獣さんは、続々と集まったヒーローによって倒されるだろう。
私は緋路さんによって少し離れた場所へと降ろされた。
降ろされた途端、足に力が入らなくてしゃがみ込みそうになる。すぐさま支えられて、抱き込まれるような形になった。
信じていたけど、それでもやっぱり怖かったんです。
今まで我慢していたものが溢れ出して、緋路さんに腕をぎゅうぎゅうと巻き付けたまま、泣き始める。戸惑ったようにそっと背中を撫でられたから、余計に止まらなくなってしまった。
「うぇえん……怖かったよっ……」
「ああ、もう大丈夫だ。良く頑張ったな」
「ご……ごめん、なさいっ」
「円奈は何も悪くないさ」
そう言って、頭を撫でてくれるけど、私はぶんぶんと首を振る。
「ちがうの……約束、やぶっちゃったから……」
「……約束?」
「ふええぇんっ! お父さんごめんなさいーっ!!」
緋路さんにしがみ付きながら、何故だか私はお父さんと連呼して、祖父が引き剥がすまで盛大に泣き続けたのだ。
緋路さんの腕の中は、父が守ってくれたあの時の様に、一番安心できる場所だと思った。