5 ショッピングモールで接近遭遇しました
今日は休日バイトもお休み。
お兄さんに会えない事に何故かイライラする自分を持て余して、一周まわって気が付いた。
名前もちゃんと知らないのに態度でかいよね、私!
次に会えたなら、プレゼントを用意してストレートに告白をしよう。
『あなたのお名前なんですか?』って。すっごく今さらですけどね……。
善は急げとショッピングモールに来てみたものの、二十代(推定)男性に贈るプレゼントにまったく想像がつきません。こう考えると私って、本当にお兄さんの事を何も知らない。
ここはやはり日焼け止めか。いやいや、それならサングラス? 麦わら帽子にサングラス。何故だろう、海の家の屋台が頭から離れない。イカ怪獣さんのイカ焼き、美味しかったなぁ……はっ、いけない脱線した!
石崎先輩に胃薬を贈った話で散々龍弥には馬鹿にされたから、意地でも相談はしたくない。
でもやっぱり消え物を選んでしまうのですが。私にプレゼントのセンスは無いのだろうか。
眼鏡屋さんのサングラス売り場の前でうんうん唸っていたら、同じ歳くらいの二人組の男の子に声を掛けられた。何度か断ったが面倒臭くなってきたのでよし走るぞ! と、屈伸運動を始める。ふっふっふ、走りにはちょっとした自信があるのですよ!
急に肩に手を置かれて、びっくりして顔を上げる。
そこには家庭菜園の君……!
思わずお兄さんを凝視してしまった。
ブラックジーンズとラフなシャツ姿がものすごく似合ってる。あの畑での作業着姿しか見てなかったから、そんな姿を想像した事も無かった。麦わら帽子を被っていない髪が、結構長めな事も初めて知った。
家庭菜園の君は私の身体を自分の側に引き寄せた。
何ごとですか!?
「待たせてすまない、俺の連れに何か用かな」
後半は私ではなく、男の子達に向けられていた。
おおっ! いつも振り切るのに苦労するナンパさんが「あう」とか「いえ」とか、あ行で不思議な受け答えをしながら、風のように去っていく! なんて華麗なお手並み。
二人組が見えなくなってから、さっとお兄さんは離れた。
「今日は弟さんと一緒に買い物?」
「いえいえ違います! 今日は一人で買い物に」
いっつも弟自慢ばっかりしていた弊害ですね、完璧ブラコンだと思われてる。いえ、私は姉バカなんです……。うちの弟は格好良くて可愛くて、生意気なヒーローですから!
一人でと口にした途端、お兄さんの表情が曇った。もしかして友達のいない可哀相な子とでも思われた?
「そうか。じゃあ用が済んでいるなら送っていく」
あれ、送って行く事が決定事項ですか?
お兄さんの中で私の精神年齢設定はいくつなのでしょうか。
心配のされ具合が小学生並み? すっごく気になるわー。
「あの、さっきの件ならいつも自分で対処出来ているので大丈夫ですよ?」
「具体的にはどうやって?」
見慣れない姿のせいだろうか、尋問を受けている気分がしてきました。
「全力疾走をすると誰もついては来れません! 全戦全勝です!」
自信を持って断言したのに、何故かお兄さんは頭痛を耐える様に目を閉じてしまった。眉間! 眉間の皺がすごい事にっ。癖つくよ!?
「……ナンパ相手に一々全力疾走していたら埒が明かないだろう」
「いえ、結構どうにかなるもんですって」
「次からはもっとはっきり断れ。それと今日はもう帰った方がいい」
何故に命令口調なのか。
「はっきり断っても付いてくるので振り切るんですよ。あとまだお買い物が終わっていないので帰れません」
この雰囲気何なんだろ、お兄さん機嫌が悪い? 全力疾走は確かに周りに迷惑掛かるけれども。お兄さんと仲良くなりたくてプレゼントを買いに来たはずなのに。
お名前聞くどころか喧嘩してるみたいだ。
「それなら俺が一緒に――」
俺が一緒に?
「ちょっとぉ! なーんで落ち合う場所からこんなにずれてんのよ!? ケータイは出ないし探しちゃったじゃないの」
お兄さんの背中から女性の声がかかる。お兄さんはぎこちなく振り返ろうとして、
――背中に膝蹴りを食らった。
倒れなかったのはすごいと思う。そして何より膝蹴りを華麗に決める女性もすごい。
背中をさする家庭菜園の君の横から、パンツ姿の女性がひょいと顔を覗かせた。
「ねえ緋路、この子は?」
彼女はお兄さんの方に首を傾げる。肩位置で切り揃えられた黒髪がサラリと左肩に流れた。ヒールを合わせるとお兄さんとそう変わらない長身の綺麗な女性だ。
私を見つめるその瞳は、好奇心を満たそうとする猫の様に輝いている気がした。
ああ、『ヒロ』さんって言うんだ。こんな形で名前を知りたかったわけじゃないのになあ。一応これも目標達成なのかな……。
「初めまして私は草薙と申します。お兄さんにはいつも野菜を分けて頂いてお世話になっております。せっかくのデート中のところお邪魔して申し訳ありません。私はもう行きますので、失礼します!」
そこまで一気に話しきって、その場から離れようと踵を返す。さっきは全然うまいこと話せなかったのに、こんな時ばかりよく回る口だと我ながら感心する。
私はきちんと笑えていただろうか。失礼なのは分かっていても自分の感情がどうにもならない。
ここに長居するのは精神衛生上よろしくない。私の本能が告げています!
私は駆け出そうとして、両腕を掴まれそのまま前につんのめった。
「ちょっとまった!」
「ちょっとまってよ!」
見事なユニゾンで引き留められた。右腕はお兄さん、左腕は女性に、片腕ずつ取られている。息ぴったりですね、でも二人ともに後ろから掴まれていると永遠にそちらを向けないのですが……。こんなひっぱり体操が体育にあった気がする。
「何か勘違いしてないか? こいつは舞雪と言って俺の……」
「緋路が野菜ってどういうこと? しかもあなた、草薙ってまさかあの草薙!?」
同時に喋られても対処できないよ。しかも相変わらず二人とも離してくれないし。
忘れてる? 二人とも忘れてるの? 私は後ろ向きで傾いて固定されてます。
「腕、痛いですっ。逃げませんから離してください~」
「すまんっ…」
「やだ、ごめーん」
漸く離してもらえて両肩を軽く回す。二人とも馬鹿力だよ。
二人に向き直って口を開こうとしたとき――
ショッピングモール全体にサイレンが鳴り響く。
怪獣出現の警報だ。携帯端末からも同じ警報音と位置情報が表示される。
場所はショッピングモール西側駐車場入り口付近。
一キロ離れているかいないかだ。非常にまずい、普通ならこんな場所には現れないのに。
通路の真ん中付近にいた私達は、一斉に動き始めた人の流れに別々に流され始める。
「円ちゃん!」
必死に逃げる人々をかき分けて、こちらに辿り着こうとするお兄さんに大声で答える。
「私は大丈夫です! 誘導に従って退避行動を取ります!」
一瞬時が止まったように強い目で見つめられ、頷かれた。
私も頷いて見せ、今度こそ踵を返す。流れに逆らわないようにしながらも、廊下の端に寄っていく。誘導通りの退避行動を取る訳にもいかないので別々になったのは好都合だった。
携帯はさっきからずっと鳴りっぱなしだ。急いで龍弥からの電話を取る。
『姉ちゃんっ!』
「今ショッピングモールの中。目標から一キロ程」
報告は的確に素早く。物心ついた頃には教え込まれた。
『もうすぐ剣十さんが到着予定だ。俺も向かってる』
龍弥の声と共に風を切る音と遠く鳴り響くサイレンが聞こえる。
「万が一の為に、西側出口で待機します」
東側出口は人が殺到しているから駄目だ。西側は怪獣から最も近い出口だ。でもどっちみちこの距離じゃ見つかっているから、下手に探されたらモール全体が危険になる。
『――絶対! 絶対に間に合うからっ!』
全力で移動しているせいだろう、弟の声が掠れている。
「大丈夫だよ龍弥。みんなが強いの、ちゃあんと分かってるんだから。ね?」
通話を切り、人の波にもまれながら西側出口を目指す。
随分時間がかかってしまい、辿り着いた時には既に怪獣との距離は五百メートルを切っていた。丁度駐車場の真ん中付近で、怪獣は足止めをされていた。どうやらその場から動けないようだ。
三体揃うとお肉がバター風味になるという噂の、トラ怪獣さんではありませんか!
トラ怪獣さんは後ろ足と尻尾で立ち上がり、そのままの状態で固定されている。
しかも、もう一体が付近で既に倒れている!
ヒーローが間に合ったようで良かった。
怪獣の正面で炎を纏った刃が一閃される。柱の陰からではよく見えないが、恐らく石崎先輩だ。
ホッと息を吐き、緊張していた体を弛緩させた。
――ふと、足元が暗くなる。
このショッピングモールは天井部分に明り取りのガラスが設けられており、太陽光を取り入れている。上を見て固まった。
もう一体いた。
天井のガラス付近に張り付き、自重でギシギシと嫌な音をさせている。
天井越しに見つめ合い機能停止していると、駐車場から断末魔が響いた。
私は弾かれた様に正気に戻り、全速力で出口を潜る。
天井からガラスを軋ませ、もう一体が出口めがけて飛び降りるのは同時だった。
ギリギリのタイミングで駐車場へと駆け出す。後ろに着地したトラ怪獣さんを振り返ると、こちらを目指して駆け出していた。
でーすーよーねー! 三体で合体攻撃の噂は真実だったんですねっ。
でも一体だけ別行動とかやめてっ! しかも二足歩行ってぇぇっ。
何故に二足歩行!? おかげで捕まらずに済んでるけれどもっ!
「円奈さんっ」
こちらに向かって修羅のごとく大太刀を携えた石崎先輩が走ってくるのが見えた。
「石崎先輩っ!」
ラストスパートファイトッ! と気合を入れて先輩に向かって走ったのに、跳躍したトラ怪獣さんが私の前に回り込む。私は勢いが付いていて止まれない。
華麗な跳躍とかそんな芸当出来るなら最初っからやれいっ。いえ、やられたら困るんだけど。それでも何とか怪獣の股を抜けようと勢いはそのままに叫びながらスライディングをかける。
「今日の夕飯は! トラ怪獣さんのバター炒めなんだからねっーー!」
股下を潜るときトラ怪獣さんの動きがピシリと止まった気がした。
「姉ちゃんっ!」
左方から龍弥の声がする。
ああ、やっぱり私の弟はヒーローだ。ピンチギリギリに駆けつける正義のヒーロー。
私を助け起こし背中に庇う石崎先輩の腕の間から、龍弥の槍がトラ怪獣に突き刺さる様を見つめる。穂先から走る稲妻によってトラ怪獣が感電する姿を見ていた私は、話には聞いていたけど実際の弟の必殺技すごいっ! と思いながらも、その後すぐに意識を失ってしまった。緊張の糸が途切れてしまったのだろう、うう無念。
気を失う瞬間、お兄さんに名前を呼ばれた気がした。
トラ怪獣さんのお肉はその晩我が家の食卓に上りました。味はいまいちだったけど、恨みは晴らした気分です。やはり三体揃って合体してこその美味しさなんでしょうかね。
何と言っても草薙円奈、胃と心が頑丈に出来ているのが取り柄ですからっ!