本日は曇天なり
この憤りはいったいどこから来るのだろう?
夫に対してではない…それを友人達は羨ましいと言う。そうだろうか?
更年期手前の私の仲間は、半分以上、下手したら、そのほとんどが夫に不満を持っている。
理由は、様々…本当に色々なのだ。呆れるくらい。
女達が、カフェいやカフェなんて洒落たもんじゃない。たっぷりモーニングのおまけがついた喫茶店で、何故身を乗り出して語り合うか?
これから歩む人生を語るのではない。ましてや日本の政治経済を憂うのでは、もっとない。
夫の事、子供の事、姑舅の事、実家の事、友達の事を面白可笑しく…。
基本的には互いの不幸を語り合うのだ。時には脚色して大袈裟に、時には不幸を割り引いて。本当の不幸はそうそう語れるものじゃない。そんな井戸端会議に、自分の本当の悩みなんか打ち明けやしない。
女達は強かだ。少しの不幸を見せて、相手に大きな不幸を語らせる。それをさもわかったかのように、同情したり励ましたりして、結局は、自分の不幸の慰めをする。
本当の気持ちを聞いて貰ったわけでもない、互いの悩みを解決しあったわけでもない。でもレジをすませる時には、みな晴れ晴れと、またね!と手を振ってわかれる。
本心なんてどこにもないのに、空々しさも何故か無い。それでいいのだ。それが日常なのだ。
私だって、一番言いたかった事は姑の事なのだ。
私が出かける時間と帰宅する時間を、こっそりカレンダーの裏に書き記す。
この姑の事こそ、今の私の心の刺だ。
まぁいい。次の機会に聞いて貰おう。
この手の話はかなり誇張して話してもみな納得する。気の毒がられても、ちっとも不快じゃない。むしろ誇らしい。こんな仕打ちされてるのに、何も投げ出さず家庭を守っている。それは地球を守るウルトラマンより称賛に値するからだ。
秋晴れの気分とは違う。でも、ふんわり秋風が頬を心地よく撫でていった。心の刺も、いつの間にか抜けたような錯覚だ。さっきまでのイライラと憤っていた自分はいない。
これでいい…。さて、夕食の献立を考えるか。