鬼を捕まえる間違った方法
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『軌跡の残骸』。それはキルトが初めて使った古代魔法で、最も位の低い魔法でもある。師事してくれた人物に比べればあまりにもお粗末な力だが、それでも飛躍的に戦闘能力が向上していた。
そこで、改めてミコトの凄まじさを思い知る。この中で唯一、古代魔法の恩恵を受けていない身ながらも、キルトはまだ彼女の背を遠く感じる程に差が開いている。
しかし、やはりゴブリンロードが打ち込んだ楔は大きい。痛みを表に出していないとはいえ、ミコトは襲いくる激痛に耐えている。止血しても流れた血は返らず、どれだけ自己治癒を強化しても人間の能力では底が知れている。更に、見たところ左腕も使い物にならないだろう。
対して、ゴブリンロードは『王の意思』によって、失った腕を取り戻しミコトと戦っていた時よりも強くなった。
それでも、決めたのだ。ゴブリンロードを殴り飛ばし、全てを掬い上げる。不可能だ、止めておけ、なんて弱音を吐くくらいならば既にもう逃げていた。対峙して退路を塞いだキルトに残されているのは勝利へと向かう道だけ。
そんな事を、時の流れが遅くなった世界で考えていた。迫りくるゴブリンロードから放たれる魔力の刃も、それに対処しようとするミコトも、この目で見える。
キルトの中に蓄積された濃密な経験値が、知識が目の前の光景に対しての最善を導きだした。
再び、世界が加速する。
思考が纏まり、意識をする前にキルトの体が動いた。真っ直ぐに飛んでくる刃を回避する事は、既に軌道を予測しているキルトにとって容易い。本来ならば、放たれる直前に反応しなければならないのだが、キルトの実力ではこれが限界であった。
最低限の動きだけで凶刃を避けたキルトの時間は更に圧縮される。これから来るのは、一撃で体を破壊する程の威力を持った拳。
意識の外で、ゴブリンロードの拳を限界まで強化した足で蹴り上げた。そのまま後ろに飛び退き、拳から放たれる第二撃に備える。
突進の勢いを殺さずに、ゴブリンロードはもう一方の腕を振るいミコトの方へ攻撃を仕掛けた。殺すべき優先順位は、やはりミコトが遥か上である事を理解している。
しかし、キルトの蹴りによって生じた僅かな綻びをミコトは見逃さない。圧縮された時間の中であっても、ギリギリ視認出来るだけの速度を乗せてミコトは下段からゴブリンロードの腕を斬り上げた。
未だ、彼女の実力に底は見えない。負傷していても、古代魔法の支配下にあるキルトの目をもってしても彼女の攻撃は遥か高みにあった。
激しい金属音と共に、ゴブリンロードの腕が弾かれたように跳ね上がった。この斬撃でも切断が出来ない程に、ゴブリンロードの鎧は硬い。『スレイ・アルス』の能力が追い付かない程、ゴブリンロードの『王の意思』は複雑なのだろう。
しかしゴブリンロードに出来た圧倒的な隙に乗じてミコトは更に斬撃を加える。鎧に弾かれても斬れるまで斬る、といったようにあり得ないスピードで剣を振り続ける。片腕が使えない中で、おそらくこれが彼女にとって最速の攻撃なのだろう。
次の予測と最善の行動を思考。ゴブリンロードが態勢を整える前に、決着を付けたい。あの鉄壁とも言える鎧を打ち砕くのは容易ではなく、更にゴブリンロードを死体に戻す方法も考えなければならない状況で、キルトが取った行動は観察であった。
ミコトが怒涛の連撃を繰り出している間、ゴブリンロードの隙は残り五秒も無いはず。その限られた時間の中でキルトはどうにか『王の意思』を殺す手段を考える。
溜め込んできた記憶を呼び起こし、材料となる情報を抜き出す。『王の意思』の発動条件は死。いくらミコトでも、『王の意思』を強制的に解除をする事は不可能だ。肉体を破壊しても、戦う為の形状に戻してくる。
だが、強大な古代魔法にも弱点はあった。それは、『向かう側』から供給されてくる魔力の通り道を閉じて、魔法そのものを継続させないようにする、といったやり方だ。
ここまで辿り着くのに一秒未満。まだ猶予はあった。
ならば、どうやって魔力の供給を止めるか。これには少し反則技を使わなければどうにもならない。『向こう側』から奪っている魔力を元に戻す。逆流させて、道を塞ぐのだ。
生憎、キルトの記憶にはそんな事が出来る魔法は無かった。だけど、経験と知識を最大限、活用する事により魔法を造り出す事は可能である。
しかし、問題があった。まず必要不可欠な『軌跡の残骸』を解除しなければ新たな古代魔法が使えない事。そして、果たして今から僅か数秒で魔法の発動まで持っていけるのか。導き出された答えは、不可能だった。
ミコトのような魔力操作の技術があれば話は違うが、キルトでは絶対に出来ない。『軌跡の残骸』の影響下ならば可能であろうが、発動している『向こう側』の魔力にもう余裕はなかった。
思ったよりも悪い状況だが、これよりも酷い事態には何度も遭遇してきた。全てを彼と乗り越えてきた。今回もどこかに抜け道があるはず。
ーー『軌跡の残骸』が、いち早く答えを導き出した。
キルトの意思とは関係ない思考は、本来ならば絶対に考えない答えを出してしまった。
アリスの為、この身を犠牲にしてでも良い。だけど、アリスの為に彼女を悲しませる事だけはしてはいけない。間違った方法で得た結果の先に、アリスが笑っていなければそれは悲劇になる。だからキルトは彼女に関してだけは間違ってはいけない。
だけどキルトは元々間違いだらけの人生で、矛盾に苛まれながらも何とか自己を犠牲にする事なく、これまで生きてこれた。大きな理由としては、常にキルトの横には彼がいたからだ。傷を負ってきたのはいつも彼で、弱さを嘆きながらキルトを守ってきた。
何もかもが強い彼に出来なかった事を、キルトが出来るはずがない。
否、それでもやらなくてはならない。他ならぬ彼に、アリスに、そして自分に誓ってしまったのだ。奮起してどうにかなるのなら、世の中はこんなにも厳しくない。
だけど残酷な世界にも、少しくらい優しさがあっても良いではないか。絵本に出てくる勇者のように全てが都合よく進む現実があっても良い。何もかもが悲劇で終わる世界なんて、そんな事は絶対にあり得ないはずだ。
今ここで、ここだけは勇者になってみせよう。全てを守り、何一つその手からこぼれ落ちない現実を描いてみせる。
拒絶と共にいるキルトだから、その選択は悲嘆に暮れたものではなかった。世界は残酷だが、それさえ捩じ伏せて条理に抗う事が出来た。
後ろ向きな決意が、『軌跡の残骸』を解除させる。取り戻した時間の速度は、考える間もなくキルトを動かした。
既にミコトの体を貫こうとする腕が、振り上げられている。それでも攻撃を止めようともしないミコトを押し退けた。
きっとそんな行動はいらなかったのだ。ミコトは確実にゴブリンロードの攻撃を回避していたはず。この行動はキルトが導き出した方法の一部でしかない。
腕はキルトに目掛けて飛んでくる。全力で魔力を操り、即死だけは避けようと自身の魔力だけで強化を発動した。
「ぐっ……!」
被弾するが、貫かれたりはしない。それでも内部はかなり破壊されたはずだ。痛みで倒れてしまう前に、激痛が脳を支配してしまう前にキルトが持つ『向こう側』の魔力と、ゴブリンロードの『向こう側』の魔力を絡み合わせる。
「捕まえたぜ」
混じり合わないはずの二つは融合し、あらかじめ使用していた古代魔法が発動する。
キルトはゴブリンロードの古代魔法を奪おうとしていた。
ーー意識が、白濁とした世界に引き上げられる。
後日に大幅な改訂をするので許してください。雑ぅぁ。