矮小な虫けらに血の祝福を
古代魔法。アリスの知る限り、それは今の魔法とは全く違う方法で編み出された技術である。内から出る魔力を用いて世界の法則を崩さない現代の魔法とは違い、何処かから持ってきた魔力を使って世界の法則さえねじ曲げる、とはキルトが言っていた事だ。
アリスがその考えに至った理由は、彼女自身が古代魔法を修得していたのと、魔力を増幅する魔法なんて現代の魔法では存在しないからだった。
奥底から沸き上がる恐怖に打ち勝ち、何とかゴブリンロードを見る。今や最初の頃とは比べ物にならない程の魔力をその体に内包しており、溢れた魔力は物質化して暴れまわっていた。
ゴブリンロードにこのような特性は無い。少なくとも、記録に残っている個体ではない。なぜ、こんなゴブリンロードが森にいるのか、疑問は尽きないがそれはアリスが考えても分からない事だ。もしかしたらキルトなら何か知っているのかもしれないが、生憎と彼は追ってきたゴブリンを退ける為に戦っている。
だが、一瞬にして場の時間が凍結した。
「上等なモン持ってんじゃねェかよォ」
ヌメリとした感触が肌を撫でる。威圧しているわけでも、殺気を放っているわけでもない。ただ、彼女は愉快げに顔を歪めていた。それだけで熱しられた空気を凍らせるには十分な違和感。
「オマエ、面白れェよ」
目の前にいるのは人間なのか。こんなにも邪悪に、それでいて無邪気に笑う人間を見たことがない。
ゴブリンロードもまたミコトの異質さを感じ取ったのか、荒々しさはそのままに洗練された動きで距離を詰めた。
その後、アリスの目に映ったのは何故か右腕を切り落とされたゴブリンロードと、剣を振り抜いた体勢のミコトだった。何が起きたのか、理解しているのはゴブリンロードとミコトだけである。
腕が斬られたというのに、ゴブリンロードは残った左でその豪腕を振るう。当たれば確実に死が待っている攻撃は、それでもミコトには届かない。
後ろに飛び退いたミコトに、追撃を加えるように稲妻のような魔力を飛ばした。
しかし、あろうことか彼女は歯を剥き出しにして笑いながら、剣を薙いだ。剣に宿った魔法がここで発動する。荒れ狂う黒い稲妻は、刀身に触れた瞬間消えてしまった。
これがミコトが残していた魔法。斬る事に集中した結果、辿り着いたのは魔力さえ断ち切る魔法だ。魔力の操作を失った魔法は霧散し解除される。
この戦法は大して珍しくはなかった。ただ、実際に使うには卓越した魔力操作の技術と、相手の魔法を理解するだけの頭脳を持っていなければならない。
アリスでも推測出来たゴブリンロードの魔法に関してはおそらくミコトならば発動した時に理解していたはず。問題になるのは、ゴブリンロードが行った複雑な魔法を壊すだけの魔力操作。この場合、達人であったとしてもこんな技術を実戦で使うのは不可能だ。
ミコトが行使した魔法は『スレイ・アルス』と呼ばれるものだ。過去、剣神とまで言われたクル・スレイ・アルスが用いた絶技。今となっては格下相手に使う魔法だが、クル・スレイ・アルスは複雑怪奇な魔法さえも切断したとある。
「ははっ……」
もう笑わなければやってられない。剣神を連想させるミコトも、常識外れの力を見せるゴブリンロードも、これではまるで怪獣同士の戦いだ。
稲妻を斬られたゴブリンロードは動揺も見せず、すぐさま次の攻撃方法を用意する。接近戦は不利だと感じたゴブリンロードは再び遠距離から稲妻を放った。
数の暴力でミコトに当てる作戦か、休むことなく何重にも黒い稲妻が襲い掛かる。
対して、ミコトは回避と切断を繰り返し一気に防戦一方になった。ゴブリンロードの方は魔法に集中しているようで、その場から動こうとはせずある意味では膠着状態と言える。
しかし、このままならばゴブリンロードが有利だろう。種族としての差が、魔力量と体力の差が表れるはずだ。消耗戦で人間がゴブリンロードに勝てるはずはない。
結果として徐々にミコトの動きが鈍くなっていく。それでもアリスの目には何をしているのか、理解出来ない。
勝てる、そう確信したゴブリンロードは更に魔力を猛らせた。完全な黒の形態になってからゴブリンロードはダメージを受けていない。それほど、戦闘能力がはね上がったのだ。
ーーああ……。
この時、初めてミコトの表情が変わった。
狂気の笑みから、冷酷な無表情に。まるで人格が変わったかのように、ミコトを包む雰囲気が変容した。同時に、強化魔法に用いる魔力の質も。
「ーーウラァァァァァ!」
媒体は自らの身体。全方向に剣を振る事で、新たな魔法が発動する。既にミコトは二重どころではなく、三重もの魔法を行使していた。限界を超えた脳が焼き切れても仕方がない程に、彼女は脳を酷使している。
ミコトを中心に直径一メートルくらいの円が出来上がった。その中にある稲妻は彼女を避けるように方向を変えている。全てではないが、襲い来る数が少なくなりミコトの動きでも余裕で対処が可能になった。
そのまま稲妻を対処しながらゴブリンロードに近付いていく。
憤怒の表情で待ち受けているゴブリンロードは、左の拳を握り締め地面を殴った。すると地面は抉られ、硬化した土がミコトに向かって発射される。
魔力だけの攻撃ではミコトを傷つけられないのだろう。ゴブリンロードのとった方法は間違ってはいない。
「ガアアアァァァッッッ!」
それさえ、突進する彼女を止められない。回避出来ない分は、強化した腕で防御する。おかげで、彼女の左腕はグチャグチャに折れてしまった。
切り崩し、押し潰し、全てを蹂躙するような暴風雨の如く突き進む。一連の流れに流麗さは感じず、あるのは凶暴な顎を開ける獣の姿。
そしてとうとう、ミコトは自分のテリトリーに敵を入れた。円が消え、全ての魔力を一撃に注ぎ込む。
ゴブリンロードもまた、全身全霊で目の前のミコトを殺すために拳を唸らせた。
一閃の中に、アリスは鮮血が飛び散るのを見た。
▲▲▲
ちょうどミコトの叫びが集落を震わせた時、キルトは
短剣で最後のゴブリンの頭を貫いていた。醜悪な断末魔の後、ゴブリンは倒れる。
「あらあらまぁまぁ、ミコトの奴、本気出してるよ」
異様な殺気はゴブリン達の動きを鈍くし、これならばキルトでも片手間でゴブリンを殺せる。頭へ攻撃を入れれば良いだけの流れ作業だ。
これならアリスを隠れさせずとも良かった。意識を削がれずに済むので、魔力操作もスムーズなものである。
呆気ない終わりかたに、キルトも苦笑する。
本格的に観戦出来るようになったキルトは、アリスを探した。彼女は少し離れた小屋の方で身を縮めて、食い入るように怪物達へと視線を向けていた。
それもそうだ。アリスはミコトの超人的な実力を知るのは初めてで、このように高いレベルの戦いも見たことがなかった。キルトは十五の時から腐るほどこんな戦いは見てきたので、特別な驚きはない。
ただ、少しだけ疑問に思う。あのゴブリンロードは間違いなく異種と呼ばれる存在である。本来ならこのような場所で留まっているはずもない個体だが、現実にはここにいた。
依頼内容は、森の中にいるゴブリンの討伐。どこにもゴブリンロードの名は無かったし、ゴブリンを発見した者も異種の存在など一言も発してはいなかった。
騙されたのか、はたまた調査不足か。どちらにせよ帰ったら冒険者組合に報告しなければならない。そしておそらく、この場にいる三人は聴取の為に数日間は行動を制限される。
突けば何かが出てくるのは確実だ。偶然にしても出来すぎた事で、そもそもゴブリンロードなんて目立つ個体を、集落を見ている発見者が見逃すとは考えにくい。
それに、元々の依頼先がブレンニアだった事も材料の一つ。いや、少し調べればブレンニアが依頼を断る事はわかったはず。重要になるのは、最終的に誰が依頼を受けたかだ。
ミコト。キルトが知る現役では最強の冒険者で、あり得ない程の戦闘狂である。ここ最近、魔物討伐の依頼が無かったことでミコトの中には苛立ちがあった。そんな時、ゴブリン討伐の依頼を出されて受けないはずがない。
もしも、何かしらの裏がある依頼ならば最終的にミコトへ依頼が行くのは考えれば分かる。いくらなんでもキルトとアリスが着いてくるのは予想出来なかったであろうが、あまり大きな影響はない。実際、二人がした事と言えば逃げ回った挙げ句に少数のゴブリンを殺しただけ。
現実的に考えるのならば、ゴブリンロードの討伐が真の目的だったというのが自然だろう。ミコトに依頼を出すには多額の金がいるし特別なパイプが無い限り名指しでは依頼出来ない。そこで、凄腕と知られるブレンニアへ確実に断れるタイミングで依頼し、案の定断られた宙ぶらりんの依頼は競りにかけられ、ミコトが手に入れる。
計画としては悪くない。納得は出来ないが、それでも金が入るのならば良しとする。
「うひひ、大金だ大金」
今回の件を組合に報告して依頼内容との大幅な相違点を責め立てれば金を搾り取れるはずだ。誰かは知らないが、依頼を出した人物に感謝を捧げよう。
「アリスちゃーん。今日は高いお肉でもーー」
ミコトの方も見ずに陽気に喋りかけたキルトは、アリスの異変を見て言葉を止める。
「おい、どうした?」
「キルト、キルト……!」
彼女は泣きそうな顔で全身を震えさせていた。
「どうしよう、ミコトがーー」
初めて、激しい戦闘が行われていた方向へ視線を向ける。
「ミコトが、死んじゃうよ」
そこには、ゴブリンロードの体から伸びた細い一本の黒い棘に腹部を刺されたミコトの姿があった。