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お見苦しいこの世界に御光臨賜りまして感謝を申し上げます

▼▼▼


 勇者が降臨した。


 その知らせを聞いた時、キルト・レイデンムーンは情報の胡散臭さに顔を歪めた。ちょうど、街の市場で買い物をしていた時である。活気溢れる市場には、様々な反応を示す人間がいた。


 歓喜を表す者や、キルトと同じく情報を斜めに捉えて信じない者。どうせ、今回も偽者なのだろうという思いが大半である。それほどまでに、勇者が降臨した報せは多すぎた。そして、どれもが偽者に終わっている。


 五年前、光の勇者が死んでから後継者として名乗り出る馬鹿な人間は後をたたない。さすがに今回が本物であるという楽観的な考えは出来るはずがなかった。


「たいへんたいへんたいへんたいへんだよぉ!! キルト、たいへんなんだよ!!」


「うるせぇよ!! まとわりつくな、近づくな。どうせ、勇者が現れたって言うつもりだろ?」


 市場のど真ん中で立っていたキルトに、少女が走ってくる。顔を真っ赤に染め、体で感情を表現しているからか、言葉は足りない。十代半ば、人によっては十代前半に見える幼い体で表現しているのは、おそらく驚きだろう。猫を連想させる大きな目は見開かれ、キルトを映している。女性的な魅力は欠片も見当たらないが、僅かに膨らんだ慎ましやかな胸と体つきが彼女の性別を表している。一見、女顔の少年にも見えていた。


 短い金髪を乱れさせながら、キルトの周りをぐるぐると回り続ける少女の頭を捕まえる。


「落ち着け。いいか、ここは市場のど真ん中だ。下手に目立とうとするなよ、分かったな」


 きつい口調で注意するキルトに、少女は頷きを返した。


「アリス、返事は?」


「分かったよ。ごめんなさい、キルト……」


 まるで、子を叱る親と叱られる子である。実際、二人の関係性はそれに近い。


「でもでも、今回は本物だよ」


「何を根拠にそんな事を言ってるんだ。どうせどこかの馬鹿が名乗り出たんだろ?」


「いやいや、今回は巫女様が直々に召喚したらしいよ。二代前と同じ異世界から」


 勇者という存在がこの世界に現れてから五百年が経ち、人々は何も変わらないまま時を過ごしてきた。災厄と称される十の魔王を殺す存在、と声を高々に叫んではいるが実際は兵器の意味合いが強い。


 魔王やその眷属を絶対悪とする風潮に従い、神々が住まう『栄光の園』を信奉するセフィル教は、勇者を選定する。時には全く別の世界から召喚する場合もあり、選定を行い召喚するのが巫女という存在である。


 キルトはアリスの言葉を聞いて頭を抱えそうになった。甦ってくるのは以前、キルトと共に暮らしていた男の言葉。


『自分の尻拭いが出来ないから、異世界の人間にナイフを突き付けてお願いするんだよ。勇者様、どうかこの世界をお守り下さい、ってな。そんな、一人の人間を蔑ろにする事を奴等は堂々とするんだぜ』


 そして彼は、あろうことか彼が憎むべき対象であるはずの勇者まで救おうとした。大団円、ハッピーエンド、それしか望まなかった彼は自分を救わないままいなくなってしまった。


 アホだな、と本気混じりに漏らせば冗談を返してくる。どこにでもいる人間だったはずなのに、どこまでも間違ってしまった挙げ句、空っぽの正義感で力を振るう彼を想うと、チクリと胸が痛んだ。


 多分、キルトは彼を憎みながらも憧れを抱いていた。黒と白、清と濁、自分ではなれない存在。彼の光はキルトの中で蠢く薄暗い心を照らし、醜い部分を目撃しても尚キルトに寄り添ってくれた。


 隣で騒ぐアリスの頭を叩きながら、キルトは改めて自分の決意を見直した。彼が唯一、正しい行動をしたとすればアリスを残したことだ。そんな、キルトにとっても彼にとっても希望の象徴であるアリスを、何があっても守り抜く。


「どうしたの?」


 首を傾げながら見上げるアリスに、穢れた自分を見ながらも笑顔をつくる。


「勇者なんざ、俺達には関係ない。俺とお前が優先すべきなのは、今日の夕飯だろうが」


「うわっ、そうだったよ。私もう固いパンは嫌だ」


「情けなくなるから言うんじゃねぇよ。もっと柔らかく包んで言え」


「えっと、じゃあお金が欲しいね」


「さっきより直接的じゃねぇか!! 喧嘩売ってんのか!?」


 この馬鹿な性格は確実に彼から受け継いでいる。自覚なしに心を抉るような言葉を発するのは誰に似たのか。母親の影響だと悟るには時間はかからなかった。


 働かなければ金は得られない。職が溢れているわけでも、経済状況が良好なわけでもないご時世において社会的弱者であるキルトは冒険者という安定性の欠片も無い仕事に就いていた。


 取り柄といえば、十五の時より教わった戦闘術だけ。幸いにも、キルトには戦闘関連の才能があったので危険の多い冒険者にはなれた。といっても、冒険者とて常に仕事が在るわけでもなく、普段は雑用仕事に従事している。


 金払いの悪い仕事ばかりで、ここ最近は収入が少ない。キルトにしてみれば、魔王を殺すより先に経済をどうにかしてほしいわけである。大多数の人間が抱いている思いだが、誰も口には出さない。不満ばかり訴えても状況が改善されるわけではない、という事は学んだのだ。


「あぁ、どっかに金貨でも落ちてないもんかねぇ」


 真っ昼間の市場で不景気な事を言うキルトに、アリスは先程までの間抜け顔を一変させる。


「働けよ」


「仕事があったらキリキリ働いてんだよ。仲介もケチケチした依頼しか持ってこねぇし……」


「困ったねぇ。何か見付けないと、いつか泥水啜るはめになるよ」


「クソッタレな世の中だ。何でもかんでも金かよ」


 はぁ、とため息をつく。今日も既に雑用を終えたところで、キルト達が出来る仕事はもう無いと言われたばかり。ここ最近は魔物の討伐依頼もなく、護衛の仕事や採集も他の冒険者に取られる始末。


「よし、いっちょブレンニアの馬鹿をブッ殺すとするか」


 今一番、冒険者の中で依頼を受けている凄腕の名を告げた。


「……勝てると思ってるの?」


「大丈夫です、背後から刺せば良いんです」


 呆れたように呟くアリスの頭を撫で、何故か丁寧な言葉で作戦を言うキルトは、一瞬後に顔色を変える。視界に映ったのは、綺麗な女性と共に歩くブレンニアの姿。


「クソッタレがぁぁぁ!!」


 同じ職業なのに、この格差は何だと嘆く。あっちは美女をはべらせ、キルトの横にいるのは女性的な魅力が皆無なお子様だ。


「うわぁ、あれはイラッとする」


 アリスも顔を歪め、憎々しげにブレンニアを睨んでいる。


 手入れされたような長い金髪に、爽やかな笑顔の似合う端正な顔付き、空のように青く澄んだ瞳で見詰められている女性はうっとりと頬を染めている。冒険者らしく鍛えた体つきだが、手足はスラリと伸びて柔軟性を感じさせる。身に付けた装備も見るからに良質で、キルトとは雲泥の差であった。


 更に、頭も切れて戦闘能力も高い。なぜ冒険者になっているのだ、という疑問すら沸いてくる器用さを見せるブレンニアは、高い能力を持っていながら謙虚さを忘れず中身まで爽やかである。


 対してキルトは、生まれの悪さを象徴しているような鋭い目に、育ちの悪さを象徴しているような悪人面。短い赤髪は適当に切られており、とても手入れをしているとは言えない。筋肉質な体つきは逞しさを感じさせるようで、女性には好評だ。体だけは、である。


 冒険者としての腕は完全に負けていると言わざるを得ない。キルトも確かに知恵は回り、ブレンニアよりも高い戦闘能力を誇るがいかんせん要領が悪く、依頼を遂行するという意味では成功率も速度もブレンニアが圧倒している。


 本来、冒険者とは危険な場所に行き依頼された事を遂行する職業で、高度な魔法と機械技術の眠った遺跡に侵入する。何を勘違いしたのか今では冒険者を便利屋と間違えて依頼する者が増えているのだ。


 キルトも、遺跡に入る許可さえ下りれば今すぐにでも入る実力はある。現在の遺跡は冒険者組合が管理しており許可の無い者は入れない仕組みになっている。


 そんな事情もあって、貴族や商人からの信頼が厚いブレンニアに依頼が集中してキルトのような冒険者は遺跡に入る事さえ出来ないのが現状だ。


 きっと、今から遺跡へ行くであろうブレンニアを見ていると、本当に殺意が沸いてきた。


「ブレンニアァァァァァ!!」


 先程、アリスに注意した事も忘れてキルトは叫ぶ。凄まじい形相でブレンニアに迫る様は、チンピラが絡んでいるようにしか見えない。


「ああ、キルトとアリスちゃんか。こんな所でどうしたんだい?」


 キルトの怒りをものともせず、はたまた気付いていないのか清涼感溢れる笑顔を向けてくる。


「こんにちは、ブレンニアさん」


「良いご身分じゃあねェですかブレンニアさんよぉ。美女を隣に連れて、今から遺跡へ行くのでありますかァ?」


 妬み、嫉妬、憤怒を込めて顔を近付けるキルトに、ブレンニアの隣にいる美女は完全に怯えていた。どちらが悪役かと聞かれれば、十人中十人はキルトと答えるだろう。アリスも微妙な表情でキルトを見ている。


「恐い顔だね、キルト。彼女が怯えてしまってるじゃないか」


 苦笑いを浮かべながら、隣の女性を気遣うように肩へ手を添える。こういう行為を自然に出来てしまうのが、ブレンニアという人間である。もちろん、キルトは彼の事が大嫌いだ。


「会話が成立してねェんだよ。質問に答えろよ質問によォ」


「全く……キルトは相変わらずだね。今日は遺跡へは行かない。彼女の依頼でこれから教会に顔を出すんだ」


 その言葉に、隣の女性は控えめに抗議をする。


「ブレンニアさん、あまりそういった情報は……」


「すまない、リャムセアラ。けど、彼は信頼出来るから心配無いよ」


 優しげな瞳で見詰められた、リャムセアラと呼ばれる女性は顔を赤くして俯いた。ブレンニアのような美形には無条件で人を惹き付ける力があるのだ。


 何故か、キルトも気恥ずかしく感じて頭を掻く。こうも信頼を寄せられると、自分が何か悪いことでもしているのではないかと思ってしまう。毒気を抜かれるとはこの事か。やはり、ブレンニアの持つ魅力は恐ろしい。


「ごめんね、うちの保護者が絡んだりして。キルトってちょっとアレだから」


 同時に、ブレンニアの魅力にあてられたアリスもひきつった笑みで言った。それに対しブレンニアの方は首を横にいるのは振る。


「良いんだよ。何だかんだでキルトが優しいのは僕も知ってるから」


「冗談じゃない。テメェに見せる優しさなんてねぇよ」


「ハハッ、素直じゃないなぁ」


「……ブッ殺すぞ」


 アリスがニヤニヤしながらこちらを見ている。気付いたときには手が出ていた。


「痛っ! 何で叩くかなぁ?」


「ムカついた。イライラする。金がない」


「金がないのは関係無いと思うんですけどぉ」


 不満を訴えるアリスの言葉に、ブレンニアが反応する。


「あれ、キルト達は魔物討伐には行かないのかい?」


「あァ? そんな話、俺は聞いてねぇんだけど」


「うん、今さっき僕が断りを入れた依頼だからね。そろそろ他に流れるんじゃないかなぁ」


 瞳の色を変えて、キルトはブレンニアに詰め寄った。


「そりゃ本当か!?」


「もちろん、こんな事で嘘はつかない」


 こうしてはいられない。他の冒険者に取られる前に依頼を奪う必要がある。


「おい、アリスはファル爺の所へ急げ!! 俺は組合まで行くから、後で広場集合だ!!」


「うん! きっちり取ってきてよ!」


 焦りの表情で、そのままブレンニア達へ向かって別れの言葉を告げる。


「ってことで、時間がねぇ。またな」


「ああ。無事を祈っているよ」


 すぐさま、キルトとアリスはその場から去っていく。目指すのは、市場から少し走った所にある冒険者組合の支部。この街の依頼が集まる場所である。


 残されたブレンニアも市場から離れる為に、隣のリャムセアラを見る。


「……? どうかしたかい?」


 感情の読み取れない無機質な目でキルトが走り去った先を見ている彼女に違和感を抱く。


「いえ。感じた事のある魔力だと思ったのですがーー気のせいでした」


 ーーセフィル教の使徒、リャムセアラは静かに目を閉じた。


▼▼▼


 その少年と相対した時、全身が震えた。


 神々しい輝きは芯を揺さぶる程の圧倒的な存在感を示し、神聖ささえ感じさせる魔力はかつて見た光と遜色は無く、彼が本物という証拠になる。疑いようはない。ここまで美しい魔力は見たことがなかった。血が沸騰するかのような興奮が、そして天に感謝を捧げる程の歓喜が支配する。


 彼の魂はきっと、死を迎えたとしても神々が住まう栄光の園へ召喚されるだろう。


 メルギウスはこの瞬間程、セフィル教徒である事を感謝したことがない。人生でも最高の時、光の勇者を召喚した現場に立ち会えた幸福を脳に刻み付ける。他の六人の勇者など、彼に比べれば俗物でしかなく彼こそ本当の勇者なのだ。


 それが光の勇者が持つ特性である事を知っているにも関わらず、メルギウスの心は抑えられない激情が襲い掛かる。ここまで魂が洗練された人間を他には知らなかった。今だけは、他者が視ることの叶わぬモノを視る目を愛しく思う。


 己の醜さを見て、そして洗われていく。霞がかった心の中に光の雨が降り注ぐ幻を見ているようだ。全ての悪を照らし、全ての不浄を洗う存在。傲慢だと言えば、首肯せざるを得ないのに、それが誇らしく感じる。


 魔法師として修行を重ねて二十年、数えきれない偉業を成してきた身であるメルギウスからしても、目の前の存在は異常であり何よりも正しいモノであると理解した。


 石で造られた部屋に光が照らされる。魔法による光は、次第に少年へと集められた。


「こ、ここは……?」


 自分が召喚された事に気付いていないのか、彼は混乱した表情で辺りを見回した。容姿だけで言えば、あまり目立ったものはない。肩まで伸びた黒髪に黒い瞳、黄色系の肌色はこの国ではあまり見られないが、それでも珍しいという程ではなかった。意思の強さが垣間見える目は観察するように泳いでいる。引き締まった体は、鍛えている者と比べれば少し物足りない印象を受ける。


 特異な点を挙げるとするならば、見たこともない黒い服であるが、彼が異世界の住人である事を考えればそれも当然か。異なる人間が集まれば異なる文化が生まれるのは当たり前の事。


「我々の召喚にお応えいただき、感謝を申し上げます。異世界の勇者様、どうか世界を救ってください」


 困っている勇者を気遣ってか、メルギウスの後ろで待機していた巫女が声を上げた。美しい白銀の髪と完成された芸術のような顔の造形は見る者を例外なく虜にする。人形を連想させる動きの無い表情は冷たさを感じるが、これもまた魅力の一つである。抑揚の少ない言葉はまるで用意されていたものであるかのようだ。


「ーー救って、ください」


 誰も、メルギウスさえ気付かなかった。巫女は、「守る」ではなく「救う」事を望んだ。彼女の無表情の中に、僅かに暗い影があった事を誰も気付けなかった。


 


 


 





 


 


 

 

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