何だか真面目に考えてみた
完璧な存在などいない。そう言ったのは誰よりも完璧である事に執念を燃やし、尽きてしまった男だった。
しかし、と否定に近い言葉を紡ぐ。理想を現実にし、何一つ手のひらから零れ落ちず、全てを守ってしまう傲慢な存在を知っている。悲劇すら、悲劇にしない。まるでそれが彼の糧であったかのように、物事が集約されていく。
そんな理不尽な存在を知ったのは、キルト・レイデンムーンがまだ十五歳の時だった。戦乱の炎が彼の村を焼き付くしていた。血が舞い、狂気の歌声が支配する地で己の無力と恐怖に震えていた。自分が何の罪もないと言い聞かせている様は、何よりも醜悪で汚泥に浸した心を表している。
銀色の一閃を放ちながら、狂気の根源を駆逐していく存在を見た時、キルトは耐え難い自責に押し潰された。なんて自分は醜い存在なのだろう、光を当てられ浮き彫りになる己の姿は、まるで化け物のように歪で邪悪であった。
誤魔化すように、傍で転がっていた誰かの肉片を集める。
「は、ハハ……はは、ハハハ……」
壊れた笑みを宿す彼は、誰が見ても既に終わっていた。あるいは、こうなる前から終わっていたのかもしれない。それが光を浴びて表に出てきただけ。銀の刃は眩しく、心臓を切り裂くように光る。
数分後、悲劇を終わらせた男はキルトに言った。
「すまない、仇は取るから……」
悲痛で、今にも泣きそうな表情はキルトの脳を焦がしていく。なぜ、もっと早く来なかったのか、そんな言葉が出てしまいそうになるが、グッと堪えた。今の自分が誰かを責める権利はない。見るからに、この世のあらゆる善意を集めたかのような男は、キルトの境遇に嘆き謝罪の言葉を吐いた。
ーーそれが、キルトにとって最大の侮辱である自覚も無しに。
キルトの背には、村の住人がのし掛かっている。彼の罪を許さない、憎しみと悪意が形となって怨嗟の声を吐き出していた。きっとこれは幻聴ではなく、犠牲になった彼らの魂が訴えているのだ。
男の言葉に、激しい怒りを抱いた。死んでいった者達を知らないくせに、彼らを蔑ろにするような言葉はキルトの胸に黒い汚濁にまみれた感情を宿す。弱者は強者にとって糧でしかないのか、目的を与える為の道具でしかないのか、救われない事がそんなにも必要か。
ただの八つ当たり、そんなもの分かっている。しかし想わずにはいられない。これが正しい姿であるはずがなく、こんな現実を認めてしまっては、あまりにも報われないではないか。子供が作った張りぼてのような心を奮い立たせ、拳を握った。
弱々しい拳は、男の頬に当たる。避けられたはずなのに、男はキルトの醜悪な感情を受け止めてみせた。
「間に合わなくてごめんなさい。守れなくてごめんなさい。だからーー」
だから、せめて救わせてください。男はそう言った。
どこまで優しく、歪んだ人間なのだろう。世界の悪意も、悲劇も、全て優しさで包んでいくような温かさにキルトは流れ出る涙を止められなかった。
ーー世界を救った勇者と、救われなかった少年の出会いは、空に暗い帳を下ろした。
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「まあ、完璧なんて人の認識で変わるだろ? 俺は俺を完璧と思った事は一度も無い。むしろ、自分すら守れない未熟者だ」
そう彼は言った。どれ程の傷がこの言葉に込められているのか、キルトは分からない。負け犬の人生を送り、何者からも必要とされなかった。孤独と戦い、だけど折れない強い心を羨ましいと思う反面、気持ち悪いとも思ってしまう。
「逆に光の勇者様なんかは完璧に見えるよな」
世界に存在する七人の勇者の内、最も有名なのが光の勇者だ。全てを守り、救おうとする傲慢な人間。今もどこかで人助けをしている事だろう。
「俺みたいな偽者とは違うって事かな。……ん? いやいや、別に気にしちゃいないさ。あっちはあっち、俺は俺でやらせてもらうよ」
それで、彼は救われない者すら救おうと努力をして、心をすり減らしていく。どれだけ他人に尽くそうと感謝もされず、時には拒絶さえあった。守った相手に拒絶されようと、彼は困った表情で笑うだけだ。隣にいるキルトが怒りを覚えた程である。
彼は呪いみたいなもの、だと言っていた。自分が弱いから、抱えきれない重荷を背負っているから、取りこぼしたものが多すぎるのだと。純粋で穢れた存在などと自らを評する彼の表情には、僅かに影が差していた。
駄々をこねる子供みたいなものだろうか。自分の主張が通らないから、両の手を振り回す。手に握っていた大切なものは落ちてしまい、残ったのは強大な力と呪いだけ。
「けどなぁ、ちょっとくらい嫉妬はする。俺もあれだけ真っ直ぐに生きれたらな、とは思う」
いや、とキルトは即座に否定した。彼の在り方は勇者なんかよりも真っ直ぐで、純粋だ。きっとこれほど馬鹿な人間はそうそういない。
「馬鹿とは失礼だな。学が無いのはお前も同じだろ」
そう言って笑いかける彼は楽しそうだ。キルトの罪も、心に巣食う化け物も悲鳴を上げるような笑顔は毒となってキルトを苦しめる。歪で、壊れてしまったモノは元には戻らない。どう足掻いても救われる事がない。
しかし、このやり取りがキルトを癒してくれるのは事実である。緩やかに腐食していく心が正常な形に保っているのは間違いなく彼のおかげだ。いや、正しくは過去形か。
分かっていた。彼が目の前で話しているはずはないのだと。これはキルトが作り出した幻想で、既に彼はいない。こうして笑いかける事もなく、ふざけ合う事も、きっともう無いのだろう。
「夢であろうと、お前の幻想だとしても、俺はお前を救いたい」
ああ、と声が漏れた。幻想の中で明るく照らしてくれる彼は、かつて存在した彼と寸分狂わず眩しかった。
「いつかお前の心に光がありますように。罪も、悪意も、俺が持っていってやるから。だから生きてくれ、キルト」
「ーーーー」
鎖のように締め付け、水のように浸透する彼の言葉に、キルトは自らを苛む呪いを受け入れた。
「さあ、もう一度だけ立ち上がって、自分自身を守れ。過去に負けんじゃねぇぞ」
負け続けた彼の最後の言葉には、純粋な願いが感じられた。