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指切り  作者: 湊音
3/3

3(終)

『×月×日・最愛の我が子を失って、半月が過ぎた。自分の腕を過信し、奢り高ぶっていた私への罰なのだろうか、この世に神などいない。妻も私を捨てていった。生きるとはなんなのだろう』

『×月××日・ようやく死への決心がついた。明日死ぬことにしよう』

『×月×○日・最後の散歩に出た。そこで、私は小さな少年に出会った。もう少しだけ生きてみようとおもった』

『×月○○日・今日もあの少年に出会った。少年はどうやら、私の手を気に入ったみたいだ』

『×月○×日・あの少年が私の部屋へと通ってくるようになった。何もない部屋だから暇だっただろう。少年はずっと、私の手を眺めていた。明日はなにかお菓子でも用意しておこうと思う』

 更にページを進めていく。

『××月○日・日に日に成長していく少年の姿が、愛しい我が子のようだ。この少年との出会いは、もしかしたら神様が与えてくれたのかもしれない』

 それからのページには、僕との日々や成長が綴られていた。そして、最後のページに僕宛の日記があった。


『○月××日・この部屋に通ってくれた君へ。

君と過ごした数年間、私は幸せで溢れていた。地獄の底にいた私をあの日の君が救ってくれた。君は覚えているかな。

初めてあった日のことを、見ず知らずの知らない人間に小さな君は「だいじょうぶ」と言い、「おじさんの手きれいだね」と手を握ってくれたんだ。こんな汚れきった私の手を綺麗だなんて、うれしかった。こんな手を握って「おじさんをいじめるやつは、ぼくがやっつけてあげるね」と言ってくれた、その姿を見て、私は久しぶりに笑みがこぼれた。

 君は僕の小指を取り「やくそくね」と指きりしてくれた。私はそんな君の姿に息子を思い出した。治してあげると、必ず治す。そして沢山遊びに行こう、新しい世界を見せてあげようと指きりをして約束した息子の最後の姿を。

 君のような少年がいるなら、こんな残酷な世界でも生きていようと思った。ほんの些細な事だったけど、私には大きな出会いだったよ。だが、私の中の罪悪というものが日に日に募っていく。

ああ、私は長く生き過ぎたみたいだ。

私はあの子のそばに行くことにしようと思う。

あの時、君に出会えてよかったよ。ありがとう』


 日記を読み終え、僕は初めて涙を流した。日記にパタパタと涙が落ち、ページにシミをつくる。この男は僕のことを我が子の様に思ってくれていたのだ。僕が何をしていても何も言わずに、ただ一緒にいてくれた。ずっと隣にあったぬくもり。優しい微笑み。

 生きて、生きて、生きて、死んでいったこの男の人生はどれほどまでに辛いものだったのだろう。思い出した、あの本の結末は最後にあの少年を救ってくれる人間があらわれるのだ。僕もあの本の中のように、この男を救うことができたのだろうか。この男の人生の中で「僕」という存在が価値あるものだったのだろうか。

 死んでしまったこの愛おしい塊に縋り付き、声を出し泣いた。「トキタ」の顔を見上げれば『ありがとう』と言っているようで、更に切なくなり、僕は涙と嗚咽を止めることができなかった。硬くなってしまった指を取り「ゆびきりげんまん、うそついたら針千本のます……」小さな声で歌った。

 それから、警察と救急車がやってきた。僕は事情聴取ということで警察へと行き状況を説明したが、きっとしどろもどろだったろう。

 警察は自殺ということでこの件を処理し、「トキタ」の体はすぐに帰ってきた。

葬儀は「トキタ」の遺族たちが行った。僕は「トキタ」に遺族がいたことにも驚いた。僕は本当に「トキタ」の事を何も知らなかったのだ。いや、知ろうとしなかったのだ。棺桶の中、花に囲まれ静かに眠る「トキタ」。

「お疲れ様、あんたはもう苦しまなくていいんだからな」

 きっと、向こうで待っている、「トキタ」の子供も思っているだろう言葉をかけた。「トキタ」の遺族達は「かわいそうに」などと、「トキタ」に同情していたが、僕には「トキタ」の顔は幸せそうに見えた。ようやく最愛の我が子の元へ行けたのだから。

 煙が昇って逝く空もあの部屋の窓から見た空の様に綺麗で、この空の向こうで「トキタ」と「トキタ」の子供は楽しげに約束を果たして貰っているだろう。そう思うと少しだけ「トキタ」の子供に妬けてきた。

 

 通いつめたあの部屋はもうなくなってしまった。簡素な部屋で、丸いテーブルが一つ真ん中にあり、

壁の本棚には大量の本が整然と並んでいるだけの不思議な空間。壁は真っ白で窓はひとつ。優しく微笑む「トキタ」と、その本を読む時の骨ばっていてスラリと伸びた指を眺めるのが、僕の幸せだった。


        


                  終



ゆびきりの起源


男女が愛情の不変を誓い合う旨を証拠立てることを「心中立(しんじゅうだて、心中立て)」と言うが、指切は、遊女が客に対する心中立てとして、小指の第一関節から指を切って渡したことに由来している。これにはかなりの激痛が伴うため、それほど愛してるということを意味し、貰う客も、遊女の思いに応えるくらいの気構えが必要であった。しかし、実際に切る遊女は少なく、贋物(模造品)の指が出回ったらしい。そして、この「指切」が一般にも広まり、約束を必ず守る意思を表す風習へと変化した。



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