渡せなかった手紙
これは、童話の企画小説です。「九月の童話」のキーワードで検索すると、他の先生方の作品も読めます! ぜひ、読んでみて下さいね。
夜空に綺麗な満月が浮かぶ、静かな夜のことでした。
時計塔のある広場に、一人のおじいさんが杖にすがりゆっくりと歩いてきました。髪は白髪が目立ち、顔には深い皺が刻まれています。彼は久しぶりにこの街に戻ってきました。少年の頃街を出て以来のことです。やつれた顔のその人は、悲しそうな目をして、長い間時計塔を見つめていました。
「今夜はお月様が綺麗ですよ。一緒に月を眺めませんか?」
ふと、おじいさんの後で声が聞こえました。後を振り返ると、そこには一人の年老いたおばあさんがベンチに座っていました。年老いたおばあさんは、にこやかに微笑んでいます。白髪の長い髪を綺麗に束ねた、優しく品のいいおばあさんです。
「はい……」
おじいさんは言われるまま、静かにベンチに腰を下ろしました。見上げた空にはまん丸い月が輝いています。下ばかり向いて歩いていたおじいさんは、今まで全く気付きませんでした。
「時間はたっぷりありますよ。今夜はゆっくり私と話しをしていきませんか?」
おばあさんは、そのおじいさんに優しく語りかけました。その人があまりに寂しそうな顔をしていたので、気になったのです。
「はい……」
おじいさんは小さく返事をすると、満月を見ながら口を開きました。
「ついこの間、私の大切な人が亡くなったのです。身よりのない私を幼い頃から親代わりとなり面倒をみてくれた人です」
「そうですか……それはお気の毒です」
「もうかなりの高齢でして、寿命がきたのだと思います。それは、仕方のないことだと思いますが……」
おじいさんはそう言うと、目を伏せました。
「私はその人に、たった一度だけ嘘をついたのです」
おじいさんは、伏せた目に悲しみを浮かべ、ぽつりと言いました。
「嘘は誰でもつきますよ」
おばあさんは優しく答えます。
「いや……あの嘘は彼の一生を変えてしまうような、大きな嘘でした。私は今までずっとそのことを胸に秘めてきました。彼にもとうとう告げることはありませんでした。彼に告白するのが怖かったのです。彼は許してはくれないでしょう……」
おばあさんは、おじいさんの手をそっと握りました。
「その人は気にしてはいませんよ。別な人生になったとしても、その人は幸せな人生をおくったのではないですか? あなたと過ごせて幸せだったでしょう」
「いいえ」
おじいさんは首を振りました。
「私は彼を裏切ったのです。若い頃、彼にはテルマ様という恋人がいました」
「テルマ?」
おばあさんは、その名前を聞き少し驚いた顔をしました。
「えぇ、テルマ様はお金持ちの領主の一人娘、彼は鍛冶屋で働く若者。テルマ様の両親は、当然二人の仲を許してはくれませんでした。ですが、二人は深く愛し合っていたのです。密かに会っては、お互いの気持ちを確かめ合っていました」
「その若者のお名前は?」
「ルシオです」
「まぁ……それで、あなたのお名前は?」
おばあさんは、さっきよりもっと驚いた顔をしておじいさんを見つめ返しました。
「私はジョルディと言います。少年の頃、テルマお嬢様のお屋敷で馬小屋の番をして働いていました」
「ジョルディ……」
おばあさんは、ジョルディというおじいさんに優しく微笑みかけました。
「あなたはどんな嘘をついたの?」
「……私は、ルシオに手紙を言付かったのです。テルマお嬢様に渡してくれと……」
ジョルディは、言いにくそうに口ごもりました。
「……ルシオとテルマ様は駆け落ちしようとしていたのです。次第に二人が会うことも出来なくなり、テルマお嬢様は他の男性との婚約が決まっておりました。ですから、駆け落ちを……私はその手紙をテルマ様には渡せなかった」
「何故?」
「……私は、私はテルマ様もルシオも慕っておりました。テルマ様は私の憧れで、ルシオは私の兄のような存在です。その二人が私から離れて行ってしまうのが、怖かったのです」
ジョルディは、苦痛な表情で顔をしかめました。
「私は自分勝手な人間です……ルシオから受け取った手紙を私はこっそり読んでしまいました。それには、『午前零時に時計塔で待っている。君が来なければ私は全てを諦める』と書かれていました。私はルシオが馬車の用意や旅の支度をしていたことを知っていました」
ジョルディは、フーッと深くため息をつきました。
「……私は、その手紙をテルマ様に渡すことなく、その場で破りすててしまったのです」
「ジョルディ」
おばあさんは、ジョルディの手を優しく握りしめました。
「神様はいつも一番良い選択をしてくださるのよ」
「……?」
微笑みながらジョルディを見つめるおばあさんの瞳を、ジョルディは見つめ返しました。
おばあさんの瞳は綺麗な青い色をしています。その青い瞳が、ジョルディの心を揺さぶりました。
「……あなたのお名前は?」
ジョルディがおばあさんの名前を尋ねた、その時です。時計塔の鐘が低く時を告げ始めました。おばあさんとジョルディ以外誰もいない広場に、ゴーン、ゴーンという音が響き渡ります。
と、突然、どこからともなく二人の耳に声が聞こえてきました。
『ジョルディ、もう一度時を戻してやろう。もし、あの時手紙を渡していればどうなっていたか、お前に教えてあげよう』
ジョルディは驚いて立ち上がり、あたりを見回しますが、誰の姿も見えません。ジョルディの目の前には、時計塔がそびえ立っているばかりです。
「あなたは?……」
『私は時計塔に宿る精霊。ずっと昔から時を見守っていた』
低い声が響き、ジョルディの目の前の風景が突然ゆがみました。目の前が真っ暗になり、気付いた時、ジョルディは全く別の場所に立っていたのでした。
それは懐かしいテルマお嬢様のお屋敷。お屋敷の馬小屋の前で、ジョルディは手紙を持って佇んでいました。まだあどけない少年の姿です。
──これは一体?……。
姿は少年ですが、心は今のジョルディです。これから起こることの全てをジョルディは知っています。
──もう一度やり直せることが出来るのだろうか? 私は二人に嘘をつかず、手紙を渡すことが出来る。
ジョルディ少年は、手紙を握りしめました。
やがて、ジョルディの元に、乗馬に出かけていたテルマお嬢様がお供を連れて戻って来ました。テルマ様は金色の長い髪をなびかせ、弾けるような美しい笑顔をジョルディに向けます。テルマお嬢様の姿を見て、ジョルディは懐かしさでいっぱいになりました。
「ジョルディ、どうかして?」
あまりにジョルディが見つめるので、テルマは首を傾げました。
「あ、いいえ……」
我に返ったジョルディは、慌てて首を振りました。テルマの顔を見るだけで、頬が赤く染まっていくのが分かります。
「これを、この手紙を……ルシオからの手紙です」
お供の人達が側を離れた後、ジョルディはテルマに手紙を差し出しました。
「ルシオから!」
テルマはパッと顔を輝かせ、ジョルディから手紙を受け取りました。
「ジョルディ、ありがとう」
テルマは手紙を胸に抱き、真っ直ぐにお屋敷に戻って行きました。
──渡せた。これで二人は幸せになれるのですね?
ジョルディはテルマの後姿を見つめながら思いました。
と、また周りの景色が突然ゆがみ、視界が真っ暗になりました。次に目を開いた時、ジョルディは真っ暗な夜の時計塔の広場に立っていました。時計の針は午前零時を差しています。そして、ジョルディの目の前には、抱き合っているルシオとテルマの姿がありました。二人は待ち合わせの時間に、時計塔の前に来ていたのです。
喜び合い、幸せそうな二人。ジョルディは二人の姿を見てホッと安心しました。ルシオとテルマは手を取り合い、用意していた馬車に乗り込むと、真夜中の街を駆け抜けていきました。
いつの間にか、ジョルディの姿は宙に浮き、二人の乗った馬車を追いかけていました。暗い夜道を真っ直ぐに走る馬車。街を抜け草原を走りどこまでも進んでいきます。やがて、夜明け前になった頃、二人の馬車は峠の山道を走っていました。険しく細い峠の山道です。 峠の頂上近くまで上った時のこと、向こうから一台の馬車がスピードを上げて駆けてくるのが見えました。土埃をあげ、馬にむち打ち駆けてきます。
なんて乱暴な馬車だろう、ジョルディがそう思った矢先、その馬車はルシオとテルマの馬車に接近して来ました。細い峠の道を二頭の馬車がすれ違います。
「あっ!」
ジョルディは目を見開きました。スピードを上げて迫ってきた馬車がルシオ達の馬車に寄ってきたのです。ルシオの馬車は避けようとして方向を換えます。
それは、一瞬の出来事でした。スローモーションのように、ルシオの馬車が峠の道を外れ、ゆっくりと谷に向かって落ちていくのが見えました。深い深い谷の底へと、ルシオとテルマは馬車ごと落ちていきます。
ジョルディは唖然としてその様子を見つめていました。
「……」
言葉も出ません。薄暗い谷底へ、音もなく馬車は落ちていったのでした。
もう一度、ジョルディの視界が歪みました。グラグラッと目眩がするように世界がまわり、また目の前が真っ暗になりました。
そして、気付いた時、ジョルディは時計塔の前に立っていました。もう少年のジョルディではありません。年を取り杖を手にした老人のジョルディです。
「……あれはどういうことですか? 二人はどうなったのですか?」
驚きの表情を顔に残したまま、時計塔を見つめてジョルディは聞きました。
『あれが、お前が手紙を渡した場合の結末なのだよ』
しばらくして、どこからともなく声がしました。
「そんな……それでは、二人はどちらにしても結ばれることはなかったと?」
ジョルディは肩を落として呟きました。
「ジョルディ」
ベンチに座っていたおばあさんは、ジョルディを見上げて声をかけました。
「あなたのこと、私も一緒に見させてもらいましたよ」
おばあさんは、相変わらず柔らかい笑みをたたえて微笑んでいます。
「私は、私は、手紙を渡そうと渡すまいと、ルシオとテルマ様を幸せにすることは出来なかった……」
ジョルディはさっきよりも、もっと暗い表情をしてゆっくりとベンチに腰を下ろしました。
「いいえ、あなたは充分二人を幸せにしてくれましたよ。あなたは二人の命を救ってくれました。ありがとう、ジョルディ」
「?……」
ジョルディはおばあさんを見つめました。おばあさんの美しい青い瞳が見つめ返します。
「もしかして、あなたはテルマ様?……」
驚くジョルディに、おばあさんはニコニコしながら頷きました。
「ええ、私はテルマです。ルシオには二度と会うことは出来ませんでしたが、こうしてまたあなたと会えました。それだけでも幸せですよ」
「テルマ様」
ルシオがジョルディを連れてこの街を出て以来、もう何十年もテルマとは会っていませんでした。テルマはかなり年を取っていますが、優しい笑顔と美しい瞳は若い頃のままです。
「私の人生は幸せでした。ルシオもきっとあなたとともに生き、幸せだったはずです。今夜は月が綺麗です。もう少し一緒にお月様を見ていきましょう」
「ええ」
ジョルディの顔に、ようやく微かな笑みが浮かびます。そして、時計塔の上に浮かぶ満月を、二人並んで眺めました。時計塔に宿る精霊も、きっと美しい満月を見ていることでしょう。 完
読んで下さってありがとうございます。「童話」は、かなり難しかったです…^^;「です」「ます」調の文章は書き慣れてなかったですが、書いていると優しい感じになりますね。「大人」も楽しめる童話を目指しましたが、どうだったでしょうか?^^; 暗い感じになりましたが、割と現実的な「童話」になったような気もします。
次回、また別な「童話」にチャレンジしたいと思います。