燃えるゴミの日は木曜日
楽園の扉が開いたのは水曜日だったが、燃えるゴミの日は木曜日だった。
その日、世界中の人間が楽園に向かった。戦争が終わるとか、病気が治るとか、死んだ人に会えるとか、そういう大きな話はもちろんあった。けれど実際には、もっと単純だった。向こうへ行けば、痛いことはなくなる。死ななくなる。もう二度と腹が減らない。好きなだけ眠れる。あと五分だけ、が三時間になってもいい。会いたい人に会える。会えるはずのなかった人にも会える。嫌なことは、今ほど嫌ではなくなる。楽しいことは、もっと楽しくなる。
そういう場所が本当にあると分かったので、人々はそちらへ移動した。近所に新しいドーナツ屋が開いたときよりも、閉店前のスーパーで半額シールが貼られたときよりも、もっと素直に人が動いた。疑っていた人も、怒っていた人も、忙しかった人も、しばらく様子を見ると言っていた人も、結局、かなり早い段階で扉の方へ行った。良い場所があり、そこへ行けるなら、人は行く。そこに深い思想はなかった。
私も、もちろん行くつもりではいた。ただ、台所のゴミ箱には、昨日の夜に食べた焼き魚の骨と、湿ったキッチンペーパーと、大根の皮と、排水口のネットが入っていた。冷蔵庫には半分残った豆腐と、べちょべちょのもやしと、二個だけ残った卵があり、冷凍庫にはいつか使うつもりで小分けにした豚こまが、霜をかぶっていた。
これから楽園を目指す者にとって、それを処理することには、たぶん何の意味もない。こぼれ出る腐敗臭は、たぶん楽園までは届かないだろう。そもそもゴミの回収業者だって、もう一人も残っていないかもしれない。
けれど、しばらく家を空けることになりそうだった。だから、台所に生ゴミを残していくのはどうしても嫌だった。
まずは木曜日まで待とう、と思った。世界が終わるわけではない。楽園の扉は逃げない。たぶん。一日遅れたところで、困ることもない。困ることがあるとすれば、それは本物の楽園ではない。だったら先に、燃えるゴミを出してから行けばいい。
ひとりで暮らすようになってから、私は燃えるゴミの日だけは間違えなくなったし、忘れなくなった。燃えるゴミを出し損ねると、その一週間が少しだけ駄目になる。仕事で大きな失敗をしたわけでも、人に嫌なことを言われたわけでもないのに、家に帰るたび、台所の隅にある袋が自分のだらしなさのような顔をして待っている。
以前、家を出たときにも、私はそういうものをいくつか残した。大きなものはちゃんと片づけたつもりだった。書類も、鍵も、必要な荷物も、手順通りに処理した。けれど、あとになって妙に思い出したのは、冷蔵庫の奥に残っていた揚げ浸しが入った容器だった。あれを元夫が食べたのか捨てたのか知らないが、どこかでずっと、あれは自分が始末するべきだったような気がしていた。
だから今度は、残したくなかった。私はまず、冷蔵庫の中身を出した。豆腐ともやしと卵を食べ、冷凍庫の豚こまは甘辛く煮た。向こうへ行けば、もっと上等なものがいくらでもあるのだろうと思いながら、それでも無理をして最後まで食べきり、使ったフライパンを洗った。
フライパンに焦げついた醤油をスポンジの角でこすりながら、楽園で最初に会うのは誰だろうと考えた。母とは自然な形で会える気がした。気まずいけど、父にも会える。会ったこともない祖先にも、気安く声をかけられるのだろう。もう二度と会わないと思っていた友人や、会わない方が楽だと思っていた人たちとも、向こうでは今とは違う顔で会うのかもしれなかった。
ただ、そういうことを考えると、胸の奥が急に忙しくなった。誰に会うのか。何を言うのか。謝るのか、謝られるのか、何もなかったみたいに笑うのか。分からないことが一度に増えたので、私はひとまず風呂に入ろうと思った。ゆっくり入ろうと思ったが、考えることがまとまらなくて、いつの間にか裸で風呂掃除していた。腰を気にせず湯船を洗い、膝を気にせずしゃがみ、そのうち黒ずんだ換気扇をにらんでいた。
夜のあいだ、私は部屋を片づけ続けた。窓のレールを雑巾で撫で、洗濯物を畳み、シンクを磨き、米びつの中を空にして、トイレの床を拭いた。玄関の靴を揃え、新しく替えたばかりのスポンジを捨てるかどうかで少し迷い、結局それも燃えるゴミの袋に入れた。もう戻らないかもしれない家をきれいにすることに意味があるのかは分からなかったし、徒労のような気もした。でも意味がないから雑にしてよいという理屈も、私の身体にうまく馴染まなかった。
片づけが終わるころには、外が少し白んでいた。私は布団に入った。ちゃんと寝るほどの時間ではなかったが、ちょっとだけでも横になっておこうと思った。目を閉じると、体の奥がゆっくり沈んだ。楽園へ行けば、もう眠れない夜も、寝足りない朝もなくなるのだろう。そう思いながら、私は二時間ほど眠った。
目が覚めたとき、体はひどく重かった。こんなに気怠い思いをしてまで、ゴミを出す必要があるのかと思った。燃えるゴミは午前中に出す決まりだったが、どうせ収集車は来ないのだ。きっと、もう誰も来ない。ならば昼過ぎまで惰眠をむさぼってから、気が向いたころに袋を抱えて出ればよかった。
それでも私は起きた。起きてしまった。昨日残しておいた茹で卵を食べ、最後にもう一度台所を見た。冷蔵庫は空だった。コンセントは抜いた。ガスの元栓も閉めた。窓の鍵を確認し、郵便受けに残っていたチラシを捨て、玄関を掃いた。ゴミ袋は思ったより重くなっていた。魚の骨、大根の皮、豚こまのトレー、もやしの袋、新しく替えたばかりのスポンジ、排水口のネット、昨日までの自分の生活が、半透明の袋の中で少し湿っていた。
外へ出ると、町はもうほとんど空だった。遠くで車の音がした気もしたが、収集車ではなかった。
ゴミ捨て場には、すでに三つの袋が出ていた。
私は少し腹が立った。燃えるゴミの日は木曜日であり、昨日は水曜日だった。世界中に楽園の扉が開いたからといって、水曜日が木曜日になるわけではない。町内会の貼り紙にも、収集日の前夜に出さないでください、と赤い字で書いてある。楽園で死や貧困がなくなったとしても、カラスの被害までなくなるとは限らない。
それでも袋の中身を見ると、怒りは少し形を変えた。ひとつには、トレーに入ったままの生肉が見えた。赤い汁がラップの内側に溜まり、値引きシールの貼られた肉が、買われたときの形のまま捨てられていた。もうひとつには、未開封の豆腐と、袋ごとのカット野菜と、チューブの調味料が入っていた。最後のひとつは妙に軽そうで、ティッシュや紙くずばかりだった。みんな、行く前に家の中から出したのだと思った。冷蔵庫のものを食べきる時間も、煮る気力も、排水口のネットを替える余裕もなく、楽園へ向かう直前に、とにかく腐りそうなものを袋に詰めて、収集日の前夜だと知りながら、ここへ置いたのだ。
それなら仕方ない気もした。でも、ネットはちゃんとかけてほしかった。私は三つの袋を奥へ寄せ、自分の袋を手前に置いた。黄色いネットを広げて、全部にかぶせた。端の方が少しめくれていたので、ブロックで押さえた。収集車は来ないかもしれない。たぶん、もう来ない。それでも、ネットがめくれているのは嫌だった。
顔を上げると、ゴミ捨て場の横に扉があった。
立派な門ではなかった。光ってもいなかった。町内の掲示板と、古い消火器の箱と、誰かが水曜日に出したゴミ袋の横に、ただ自然に立っていた。想像していたものよりもずっと地味で、けれど私には、それが自分のものだと分かった。
燃えるゴミの日は木曜日だった。
私は、ちゃんと木曜日に出した。
楽園の扉が開いた世界を、もっとヘンテコな角度から
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