閑話 レティシア ストーリー1 第三話
久しぶりに投稿します。
『白銀の継承者 - Gate of Sealed Eternity -外伝「レティシア・ストーリー」の第三話です。
最初に口を開いたのは、年長の女性だった。
椅子に腰掛けたまま、
一度、深く息を整え、背筋を正す。
「……改めまして。
本来であれば、名を明かし、立場を示し、正式な手順を踏んだうえでお会いすべきところ。
それが叶わぬまま、それでも“会いたい”と願い、あなた方に接触を求めた非礼。
まずは、その一点について、お詫びいたします」
低く、落ち着いた声。
そこには、長く誰かを守る立場にあった者特有の、覚悟と誇りが滲んでいる。
「私の名は、セリーネ・シルヴァリス。
かつてエルファーレ王国に連なる一族の者であり、
今はただ一人、リディア様に仕える者です。
護衛であり、補佐であり、責任者。
そして――この身が朽ちるその時まで、その御身と選択を守ると誓った者でもあります」
簡潔な名乗りだった。
だが、その一言には、失われた国とともに生きてきた者の重みが宿っている。
そう告げると、上体をわずかに傾け。
続いて、視線と手振りで、同じ卓を囲む二人を示した。
「こちらが、リディア・エルファーレ様。
エルファーレ王家の血を引くお方です。
王位継承権は高くありません。
それでもなお、この亡国において、
名を掲げることを選び、責を引き受けておられる御方です」
名を呼ばれた少女――
十七、十八歳ほどの若い女性が、椅子に座ったまま、静かに頷く。
年若さはある。
だが、その姿勢には、王族特有の気品がにじんでいた。
背筋は自然に伸び。
視線はまっすぐで、揺るがぬ芯を宿している。
「……お初にお目にかかります」
穏やかで、抑制された声。
「このような形でお会いすることになったのは、私たちの事情によるものです。
本来あるべき礼を欠いていることは、承知しております。
それでも――
それでもなお、あなた方にお会いしたいと願いました」
「……そして」
セリーネは、今度は声をわずかに和らげ。
最年少の少女へと、そっと手を添えた。
「こちらが、レイリス・セリンドリス。
リディア様付きの、侍女見習いです。
まだ幼く、表向きの身分も低く置いていますが――
それは、この子を軽んじているからではありません」
七、八歳ほどの小さな少女。
椅子に浅く腰掛けたその姿はまだ幼く、
フードを外した下の表情には、拭いきれない不安が残っている。
それでも。
無意識のうちに、リディアの袖を掴む指先には。
疑いようのない、強い信頼が感じられた。
「……あの……」
か細い声。
一度、言葉を探すように視線を伏せ、
それから、小さく息を吸い込む。
「わたし……まだ、何もできません。
でも……でも、リディア様のそばにいることだけは、
誰に何を言われても、やめません」
その言葉に、セリーネは口を挟がず、
ただ、静かに頷いた。
――その配置を見た瞬間。
レティシアは、すべてを理解した。
エルファーレ。
亡国となった、ハイエルフの王国。
その名を名乗る少女が中央に座り、
一人は護衛であり、責任者。
もう一人は、身分を超えて付き従う侍女見習い。
(……王家の血を引く者と、その随伴者)
幼いながらも、濃密な魔力を宿すレイリスが、
あくまで“侍女見習い”という立場に置かれている理由も、
レティシアには、自然と察しがついた。
守るべきは、誰なのか。
そして、守るために。
“名を伏せられている存在”が、どちらなのか。
レティシアは、表情を崩さぬまま、
静かに、息を吐く。
「……なるほど。
あなた方が“会いたい”と願い、
そして私が、ここに来た理由も。
この配置を見れば、十分に理解できます」
それ以上の問いは、
この場には、必要なかった。
その様子を見て。
セリーネが、静かに椅子から立ち上がる。
二人の間に割って入るのではなく。
そっと、その場の空気を整えるように、一歩前へ出た。
「……さすがですね、レティシア様。
お噂に違わぬ洞察と、そして何より――
肩書きではなく、人の在り方を見てくださるお方だと、改めて感じ入りました」
穏やかな声だった。
そこには、試す響きも、探る色もない。
「殿下の御素性を、
血筋や継承順位ではなく、
今ここに立っておられる“姿”として受け止めてくださるとは……
私どもにとって、それは想像以上の救いでございます」
わずかに首を傾け、微笑みを浮かべる。
「ですが――」
その一言で、場の空気が再び引き締まる。
「レティシア様こそ、
王国ミラージュに連なる、由緒正しきファーレンナイト辺境公爵家の方。
王国の防壁として最前線に立ち、
領地と民を預かる責を負ってこられた、高貴なお立場にございます」
淡々とした口調。
そこに自嘲はなく、誇張もない。
ただ、長い時間をかけて受け入れてきた事実として語られていた。
「それに比べ、私どもは……
すでに国を失い、名を失い、
歴史の中では“滅びた側”として記される者たち。
亡国の者にございます」
その言葉を聞き、レティシアは一瞬、目を伏せた。
次いで、ゆっくりと顔を上げる。
先ほどまでの厳粛さが、ふっと和らぐ。
代わりに浮かんだのは、柔らかな微笑だった。
「……それを言うなら」
一拍置き、穏やかに続ける。
「既に私も、亡国の者ですよ。
名の上では辺境公爵家の者であっても、
守るべき領地は地図から消え、
帰るべき場所は、もう存在しません」
その声には、悲嘆も、怒りもない。
ただ、静かな確信だけがあった。
王国ミラージュ。
そして、その最前線に位置していたファーレンナイト辺境領。
魔国の大侵攻により、
大陸で最初に滅びた領地。
王国全土が戦火に包まれるよりも早く、
真っ先に飲み込まれ、
逃げ場も、猶予も与えられなかった場所。
「国がなくなったからといって、
そこで生きてきた人間まで消えるわけではありません。
名が失われても、
旗が倒されても、
そこに積み重ねてきた時間や、選択や、誇りまでが
否定される理由にはならない」
レティシアは、三人を順に見渡す。
「名前を奪われても、
歴史を否定されても、
“何であったか”まで失う必要はない。
それを忘れなければ、
亡国であろうと、私たちは“無かった存在”にはならないのです」
セリーネは、思わず息を呑んだ。
リディアの肩が、わずかに震える。
しばしの沈黙のあと、
リディアが意を決したように、小さく一歩踏み出した。
「……でしたら」
声はまだ控えめだが、逃げはなかった。
「どうか、私のことは
肩書きではなく、一人の人として。
“殿下”ではなく……
“リディア”と、お呼びください」
一瞬、部屋の空気が止まる。
王族が、自ら肩書きを下ろすということ。
それが、どれほどの決意を伴うかを、ここにいる全員が理解していた。
レティシアは、驚いたように目を瞬かせ、そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……では。
その申し出、ありがたく受け取りましょう。
名で呼ぶというのは、立場を外すということ。
同時に、相手を対等として認めるということでもあります」
一歩だけ距離を縮め、穏やかに応じる。
「あなたも、私を“レティシア”と。
様付けは、いりません。
ここでは、称号も家名も一度、脇に置きましょう」
その言葉に、リディアは一瞬、言葉を失い、次の瞬間、胸に手を当てて深く頷いた。
「……ありがとうございます。
そのように言っていただけるとは、思っておりませんでした。
ですが……はい。
それでは、失礼します――レティシア」
名を呼ぶ声は、まだ少し震えている。
だが、そこには確かな意思があった。
王であった者。
王を支えた者。
そして、王に仕えることを選んだ幼い存在。
この部屋には、肩書きではなく、同じ“亡国を知る者”として向き合う空気が、静かに生まれていた。
その空気を、レティシアは一度、受け止めるように息を整える。
「……立ち話を続ける内容ではありませんね。
ここから先は、感情だけで語るには重すぎる。
時間も、順序も、必要です」
柔らかく、しかし場を導く声だった。
「座りましょう。
互いの立場を外した今だからこそ、
落ち着いて話すべきことがあります」
そう告げて、レティシアは身を翻し、元の席へと静かに戻る。
椅子を引く音が、控えめに響く。
それに倣い、リディアも、セリーネも、レイリスも、順に席へ着いた。
六脚の椅子がすべて埋まり、机を囲む形が、ようやく整う。
こうして、この小さな会議室で交わされる言葉は、もはや“偶然の再会”ではなくなっていた。
そのやり取りを、少し離れた席から見守っていたクリスは、無意識のうちに拳を握り締めていた。
軍人としての判断でも、命令でもない。
ただ、目の前で起きている光景そのものが、答えだった。
帝都を救った英雄が、
亡国の王族に膝を折り、肩書きを外し、名を交わす。
そこには、打算も、政治的駆け引きもない。
あるのは、滅びを知る者同士の、静かな敬意だけだった。
(……間違っていなかった)
胸の奥で、はっきりとした確信が形を取る。
自分がレティシアをここへ連れてきたこと。
帝国軍の思惑ではなく、
“彼女自身の意思”で、この場に立ってもらったこと。
それこそが、最善だったのだと。
クリスは、誰にも聞こえぬほど小さく息を吐き、
椅子に腰掛けたまま、改めて背筋を伸ばした。
この出会いは、軍の作戦でも、命令でもない。
だが――
間違いなく、歴史が動く瞬間だと感じた。
名を交わしたあとの静けさが、会議室を包んでいた。
全員が席に着いたまま。
誰も言葉を発さない。
しかし、沈黙が重くなりすぎることはなかった。
互いの存在を確かめ合うような、張りつめた均衡。
その均衡を崩さぬように、
セリーネが椅子に座ったまま、わずかに上体を前へと傾けた。
フードを外した今、その所作はよりはっきりと目に映る。
護衛であり、侍女であり、
そして“責任を背負う者”の立ち居振る舞いだった。
「……改めまして。
先ほどは、私どもの立場と感情が先に立ち、
十分な説明もないままお話を進めてしまいました。
ここで改めて、
本日、このような場を設けていただいた理由を、
きちんとお話しさせてください」
声を低く整え、
机越しに、レティシアへと向き直る。
「私どもにとって、
この席は偶然でも、成り行きでもありません。
時間をかけ、悩み、選び取った結果として、
どうしても必要な場でした」
レティシアは、椅子に腰掛けたまま急かさない。
ただ、静かに頷いた。
「ええ。
ここまでの経緯も含めて、
すべて聞かせてください、セリーネ」
名を呼ばれたことに、
セリーネの瞳がわずかに揺れる。
だが、すぐに気を取り直し、言葉を続けた。
「今回の顔合わせは――
私どもが、クリス・レイス・ロアウ少尉にお願いし、
仲介していただいたものです。
強制でも、命令でもなく、
あくまで、私どもの意思によるものでした」
その名が出た瞬間、
レティシアの視線が、自然と机越しにクリスへ向かう。
クリスは席を立たない。
ただ、背筋を正したまま、口を閉ざしていた。
弁明もしない。
誇ることもない。
ただ、事実として、そこに座っている。
「帝国軍の正式な意向ではありません」
セリーネは、はっきりと言い切った。
「命令でも、作戦でもなく、
ましてや政治的な取引でもない。
これは、亡国となった私どもが、
一個人として選び、託した仲介です」
一度、深く息を吸う。
「レティシア様が、
ザンスガード帝国からの度重なる参入要請を退け続けていること。
その理由も、
私どもは、すでに承知しておりました」
そこで、わずかに言葉を選ぶ。
「そして……
亡国ミラージュの名、
あるいは、人族連合軍の再興であれば、
剣を執ると仰ったこと」
その言葉が口にされた瞬間、部屋の空気が、確かに変わった。
それは緊張ではない。
むしろ、張りつめていた何かが、一本、正しい方向へ張り直されたような感覚だった。
「私どもは、その話を聞いた時――」
セリーネの声が、ほんのわずかに震える。
「……正直に申し上げます」
視線を逸らさず、続けた。
「感嘆いたしました。
滅びた名を背負ったまま、
なお新たな名に寄りかからず、
己の立つ場所を自ら選び取ろうとする在り方に」
その一言に、
リディアが小さく息を呑む。
「国を失った者が、
新たな国に身を寄せるのではなく、
滅びた名を否定せずに立つという選択。
それが、どれほど困難で、
どれほど孤独な決断であるかを、
私どもは知っています」
リディアは、胸に手を当て、静かに言葉を重ねた。
「……私は、その在り方に、敬拝の念を抱きました。
王族である前に、
一人の亡国の者として、
どう在るべきかを示されたように思えたのです」
声はまだ若い。
だが、その言葉に迷いはない。
レイリスは、二人の会話を黙って聞いていた。
だが、その小さな手は、無意識にリディアの袖を掴んでいる。
セリーネが視線を落とすと、レイリスはこくりと頷き、少し背筋を伸ばしてから、小さな声で、しかしはっきりと言った。
「……はい。
レイリスも、そう思いました。
なくなったから終わり、じゃないって。
それでも、前を向こうとするのは、
とても、すごいことだと思いました」
その言葉に、
セリーネの表情が、ほんの一瞬だけ和らぐ。
「そして――」
再び、レティシアへ視線を戻す。
「私どもは、同意いたしました。
誰かに説得されたわけでも、
条件を突き付けられたわけでもありません」
それは、誰かに説得された結果ではない。
理屈でも、計算でもない。
「国を失ったからこそ、
その言葉の重さが、
痛いほど、わかったのです」
セリーネは、静かに微笑んだ。
「だから、思ったのです」
一拍。
「……できることなら」
その言葉とともに、
セリーネはゆっくりと椅子から立ち上がった。
動きは静かで、慎重だったが、ためらいはない。
この言葉を、座ったまま告げるべきではないと、
彼女自身が理解している所作だった。
それを見て、リディアの背筋が自然と伸びる。
「あなたと、
同じ旗の下に立ちたい、と」
それは懇願ではない。
対等な立場での、願いだった。
「救ってほしいのではありません。
守ってもらいたいのでもない」
セリーネは、はっきりと言った。
「共に在りたいのです。
亡国の名を否定せず、
それでも前へ進もうとする者として。
肩を並べ、
同じ責任を背負う覚悟のもとで」
その言葉を言い切ってから、
セリーネは深く、一礼する。
「それが、
この会合の理由です」
沈黙が落ちる。
だが、それは重くはない。
答えを急かさぬための、誠実な間だった。
レティシアは、三人を見渡す。
そして、少しだけ視線を横に移し、
沈黙を守るクリスの姿を認める。
――なるほど。
この男が、仲介に選ばれた理由も、今なら理解できた。
レティシアは、ゆっくりと息を吸い、再び三人へと向き直る。
亡国の名を背負う者たちが、今、同じ未来を見ようとしている。
その重みを、確かに受け止めながら。
どうだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。
このストーリーは、ほぼリアルタイムで執筆していますので、
少しずつの更新というか不定期となりますが、気長にお付き合い
いただければ嬉しいです。
それは本編も引き続き、よろしくお願いします。




