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第三部 第一章 第2話

 午後の講義カリキュラム・オリエンテーションが行われる大講堂前の、広々とした石畳の待ち合わせ場所。


 初夏の柔らかな陽射しが木々の葉を透かし、そよ風に揺れるたびに葉擦れの音がかすかに響いていた。

 淡い光と影が織りなす中庭は、心地よい静けさに包まれている。


 アリスは手に持ったノートを胸に抱え、ゆったりとした足取りで歩いていた。

 少し汗ばむ季節の風が頬を撫で、制服の裾を軽く揺らす。

 その先――石造りのベンチの近くに、見慣れた栗色の髪が陽を受けて柔らかく光っていた。


「アリス、こっち!」


 明るく響く声。

 レティアが片手を高く上げ、満面の笑みで手を振っている。

 その姿を見つけたアリスの口元にも、自然と笑みが浮かんだ。


「お疲れ。生徒会の初顔合わせ、どうだった?」

 アリスが歩み寄りながら問いかけると、レティアはベンチに腰を下ろしたまま深いため息をついて肩を落とした。


「最悪~……ほんっと最悪」


「え、いきなり? どうしたの?」

 アリスが少し笑いながら首を傾げると、レティアは身を乗り出して小声で囁くように言った。


「あいつがいたのよ! あの、主席の黒髪メガネ、腹黒優等生!」


「……黒髪メガネ?」


「そう、“完璧主義の化身”みたいなヤツ! 名前……ほら、えっと……リヒト=クロイツベルク!」


「ああ、なるほど。あの人」

 アリスは軽く頷いた。


「学院で有名だよね。冷静沈着で、感情の起伏がないって噂の……」


「そう! まさにそれ! 生徒会の副会長に推薦されてて、もう偉そうに仕切ってんの!」

 レティアは両手を広げて大げさに嘆いた。


「“皆さんのご意見を伺いながら、効率的に運営していきましょう”ですって。あの無表情で!」


「ふふっ、言いそう」


「でしょ!? しかもその後、“ただし、優先順位を誤れば全体の進行に支障をきたします”って冷たく言い放つの! なにその上から目線!」

 アリスは思わず吹き出しそうになり、口元を押さえた。


「でも、リヒトって優秀なんでしょう? うまくやっていけそうじゃない?」


「そこなのよ!」

 レティアがバンッと膝を叩く。


「優秀すぎて逆に腹立つのよ! 何も言い返せないの! 全部正論なの!」


「……それは確かに厄介ね」


「でしょ!? しかも、あの目!」

 レティアは眉をひそめて真似をする。


「“あなた、今ミスをしたでしょう”って言ってるような視線なの! ほんっとムカつく!」


「……あはは。想像できちゃう」

 アリスは肩を震わせながら笑った。


「でも、リヒトは真面目だし、悪意があるわけじゃないんじゃない?」


「そんなのわかってるわよ! わかってるけど――ムカつくの!」


「……それは感情論だね」


「そうよ、感情論よ!」

 即答するレティアに、アリスはたまらず吹き出した。


「ほんと、レティアらしい」


「笑わないでよ~! こっちは真剣なんだから!」


「ごめんごめん。でも、少し安心した」


「え? 何が?」


「ちゃんとレティアが“レティアしてる”って確認できたから」

 アリスの言葉に、レティアは一瞬きょとんとしたが、すぐに頬を緩めて笑った。


「なにそれ……でも、ありがとう」


 風が二人の髪を揺らし、木漏れ日が石畳に柔らかく模様を描く。


「リヒト、本当に副会長になるの?」


「そうみたい。本人は“自分より適任がいる”って言ってたけど、周囲の圧力に押されて引き受けたって感じね」


「なるほど……あの人、表では穏やかだけど芯は強いもんね」


「そう、あのタイプ。表面冷静、中身頑固。議論したら絶対に譲らないやつ」


「ふふ、まるで鏡を見てるみたいじゃない」


「は? 誰が!?」

 アリスは笑いながら言葉を重ねた。


「だって、レティアも意見を曲げないタイプでしょ?」


「……ぐっ。反論できないのが悔しい」

 レティアは唇を尖らせて肩をすくめる。


「まあ、生徒会っていうのは大変よね。みんなのために動くけど、その分プレッシャーも大きいし」

 アリスが穏やかに言うと、レティアは少しだけ目を細めた。


「そうなのよ。みんな見てる前で話すって、思ったより緊張するのね。私、途中で声が上ずったもの」


「珍しいね。レティアが緊張するなんて」


「ね。自分でも驚いたわよ。……でも、終わった後に“お疲れ様です、エクスバルドさん”って言われた瞬間、ちょっとだけ嬉しかった」


「ふふ、褒められると弱いんだから」


「うるさいっ」

 笑いながら、レティアはアリスの腕を軽く小突いた。


「でも、リヒトに勝てる気がしないのよね。あの人、言葉の間に一拍置くのよ。その沈黙の圧がすごくて……」


「沈黙も戦術のひとつ、ってことかな」


「そう! あれはもう、無言の威圧!」


「ふふっ……ねえ、レティア」


「なに?」


「その“腹黒優等生”のこと、実はちょっと気になってるんじゃない?」


「な、なに言ってるのよ!」


「図星?」


「ちがっ……うるさい! 違うってば!」

 真っ赤になったレティアが慌てて否定し、アリスは楽しそうに笑った。


 やがて、レティアは頬を膨らませたまま小さく呟く。


「……でも、まあ、少しくらいは興味あるかも」


「ほらね」


「違うの! 敵を知るって意味よ! 敵!」


「はいはい、“敵”ね」


「アリス、ほんとに性格悪いときあるわね」


「お互い様でしょ」

 そんなやり取りに、二人の笑い声が石畳に響く。


「レティア、何か対策とか考えてるの?」


「うーん……まだ手探りだけど、とりあえず情報収集かな。あの人の弱点とか、性格のクセとか、つかめたらいいんだけど」


「ふふ、まるで作戦会議ね」


「当たり前でしょ。戦略は基本よ」

 アリスは少しだけ目を細めて言った。


「頼もしいね。でも、無理はしないでね」


「……わかってるわ」

 風が木々の間をすり抜け、葉の影が二人の足元で揺れた。


「そうそう。だから私も負けてられないって思うの。アリスも一緒に支えてくれたら心強いのに」

 レティアの声には甘えにも似た響きがあり、瞳はまっすぐアリスを見つめていた。


 アリスはその視線から逃げるように空を見上げ、柔らかく息を吐く。


「いやよ」


「えっ……早っ!?」

 レティアが思わず目を丸くした。


「即答!? せめて一拍置きなさいよ!」


「考える余地がなかったの」


「ひどい!」

 アリスは苦笑しながら、少しだけ肩をすくめる。


「だって……正直、面倒が増えるのはイヤだし、それに、また目立つのも……ちょっとね」


「まあ、アリスらしいけど」

 レティアはため息をつきながらも、どこか優しい目をしていた。


「あなた、いつもみんなの中心にいるのに、自分では気づいてないのよ」


「そんなことないよ。私は……普通の生徒の一人」


「普通、ねぇ。白銀の英雄がよく言うわ」


「やめて、その呼び方」


「ふふっ、ごめんごめん」

 少しの沈黙が流れた。


 やがて、レティアが穏やかに言う。


「わかったわ。あなたのペースでいい。無理に巻き込みたくないしね」


「ありがとう。……でも、困ったときはちゃんと呼んでね」


「その言葉、忘れないでよ?」


「約束する」


 二人の間に、柔らかな風が通り抜けた。

 木漏れ日が頬を照らし、季節の匂いが微かに香る。


「お互い、やることは違っても、目指してるものは同じだもんね」


「ええ。――それぞれのやり方で、頑張りましょう」

 アリスはその言葉に頷き、視線を交わした。

 二人の笑みの中にあるのは、言葉以上の信頼と絆。


 午後の鐘が鳴り、大講堂の扉がゆっくりと開く。

 新しい学期の光が差し込むその瞬間、二人は静かに立ち上がり、並んで歩き出した。


「ねえ、レティア。さっきフィオナ様に会ったよ」

 午後の陽光に包まれた中庭を歩きながら、アリスがふと思い出したように口を開いた。


「新学期から留学してきて、学院でまた会えるなんて思わなかった」

 レティアは軽く瞬きをしてから、穏やかに微笑んだ。


「うん、晩餐会で会ったわね。あのときはあんなに堂々としてたのに、学院の制服を着てる姿を想像すると、なんだか不思議な感じ」


「そうなの」

 アリスは楽しそうに頷いた。


「護衛がついててちょっと堅苦しい感じだったけど、意外と気さくな方だったよ。話してみると、すごく柔らかい雰囲気で」


「ふふっ、なんとなく想像できる。あの方、表では完璧な王女なのに、どこか人懐っこいところがあるものね」

 レティアの声には、親しみと敬意が混じっていた。


「それにね、フィオナ様から“もしよければ一緒に講義を受けたい”って言われたの」


 アリスは少し頬を赤らめながら続ける。


「まだどの講義を取るか決めてないから、これからレティアと相談して決めるつもり。決まったらお知らせしますって伝えておいたよ」


「へえ……一緒に受けたい、か」

 レティアは意味ありげに口元をゆるめた。


「それ、完全に信頼されてるじゃない。フィオナ様、あなたのこと気に入ってるのね」


「えっ、そ、そうかな」

 アリスは頬をかき、照れ隠しのように笑った。


「勝手に話進めちゃって、もし嫌がられたらどうしようかと思ったけど」


「いや、嫌じゃないよ。全然。むしろ嬉しいくらい。――ねえ、アリスが誰かに“また一緒に授業を受けたい”って思われるの、なんか納得できる」


「え? それどういう意味?」


「だってあなた、教えるの上手いもの。演習でも、理論でも。私だって何度助けられたか分からないわ」


「そんなことないよ。私はただ、説明するのが好きなだけ」


「そういうのを“上手い”って言うの」

 レティアはいたずらっぽく微笑んだ。

 アリスは苦笑しながら肩をすくめる。


「じゃあ、早く講義決めないとね。五年生の選択科目、多すぎて迷っちゃう」


「そうね……私は符術と戦術系を取るつもりだけど、アリスはどうするの?」


「今のところ、魔導理論の応用課程と、戦術演習Ⅱかな。でも、どっちも負荷が高いから考え中」


「うわ、それ両方取るのは大変よ。――でも、あなたらしい」


「レティアもでしょ? どうせ忙しくなるのに、生徒会まで引き受けて」


「うっ……それを言われると返せない」

 二人は顔を見合わせ、思わず笑い合った。


 少しの沈黙のあと、レティアが思い出したように声を落とす。


「そういえば、フィオナ様の話……生徒会の会合でも出たわ」


「え、フィオナ様の?」

 アリスが興味深そうに顔を向けると、レティアは真面目な表情に戻り、少し眉を寄せた。


「うん。学院としても、王族の留学生を受け入れるのは簡単じゃないから。みんな、それぞれの立場からどう対応するかを話し合ってたの」


「たとえば?」


「主に、学院内での身分の扱いとか、警護の範囲、それから他の留学生との関係性。――あとは授業への影響とか、あの方が特別扱いされすぎないようにって意見もあったわ」

 アリスは静かに頷く。


「そうか……いろいろあるんだね。確かに、王女だし、警護や礼儀の問題も出てくるか」


「そうなの。だから、先生たちも慎重に進めてる。……でもね」

 レティアは少し目を細め、柔らかく続けた。


「それでも、あの方ならきっと大丈夫だと思うの。晩餐会で見たときも、誰に対しても丁寧で、礼を失わなかった。ああいう人は強いわ」

 アリスも微笑みを浮かべた。


「うん、わかる。話してるとわかるよね。芯が通ってて、でも人を威圧しない。まっすぐで、聡明な感じ」


「そう、それ。あの年齢であの落ち着きはすごいと思う」


「うん……なんだか、少し見習いたくなる」

 アリスの言葉に、レティアは穏やかに笑う。


「あなたがそれを言うなんて珍しいわね。いつもは自分のやり方を曲げないくせに」


「ちょっと、聞き捨てならないな」


「ふふっ、冗談よ」

 二人の笑い声が、風に混ざって中庭に溶けていった。


「でもね、アリス」

 レティアが真面目な表情に戻る。


「生徒会でも言われてたけど、これからは学院全体で協力し合う時期になると思う。国を越えてね」


「うん。そういう時代なんだと思う。――フィオナ様の留学も、その象徴みたいなものかも」


「きっとそう。あの方の行動には、国の想いが乗ってる。だから、私たちが支えなきゃね」


「もちろん。私も、できることがあれば手を貸したい」

 レティアは目を細め、どこか誇らしげに笑った。


「やっぱりアリスは優しいわね」


「そんなことない。ただ、友達が頑張ってるのを見てると、放っておけなくて」


「ふふ、そういうところがあなたらしいのよ」

 木々の間から光が差し込み、二人の頬を照らす。

 学院の鐘が遠くで鳴り、午後の時間を告げた。


 アリスは少し空を見上げて微笑む。


「……さて、行こうか。そろそろオリエンテーションの時間だね」


「ええ」

 レティアも立ち上がり、軽く制服の裾を整えた。


「アリス」


「ん?」


「今日も、一緒にいてくれてありがとう」


「こちらこそ。……これからも、ね」

 二人は視線を合わせ、穏やかに微笑み合った。


 心地よい風が吹き抜け、木漏れ日の中を歩き出す。

 互いに励まし合いながら、これからの学院生活に胸を膨らませ――

 白い石畳の道を、並んで大講堂へと向かっていった。

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