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閑話 レティシア ストーリー1 第二話

連続投稿が間に合ったので、本日も投稿します。


『白銀の継承者 - Gate of Sealed Eternity -外伝「レティシア・ストーリー」の第二話です。

 馬車も軍の護送隊も用いられなかった。

 クリスは、あくまで私的な訪問であることを貫いた。

 レティシア・ファーレンナイトに会うのであれば随行を付けるという帝国軍側の提案も、すべて断っている。

 帝都防衛作戦群の少尉としてではなく、一個人としてこの場へ向かう。

 その意思を、最初から崩さなかった。


「徒歩でよろしいのですか」


 静かに歩き出しながら、レティシアが問いかける。


「はい。馬車を用いれば、それだけで“意味”が生じます。今回の訪問に、余計な意味を付けたくありません」


「随行を断った理由も、同じですか」


「ええ。誰かを背負って会うべき相手ではない。そう判断しました」


 そして、レティシアもまた同様に随行を断わっていた。

 辺境公爵家の名を知る者たちが護衛を申し出たが、彼女はそれを丁重に退けている。

 この訪問が軍務でも公式行事でもない以上、誰かを従えて向かう理由はない。


「理解できます。護衛がいれば、相手はまず“公女”を見るでしょうから」


「ええ。私自身を見てもらうには、邪魔になります」


 その判断を、クリスは口にしなかった。

 だが、歩き出す前に一度だけ、静かに頷いていた。


 二人は並び、帝都の石畳を徒歩で進む。

 足元から伝わる感触は均一ではない。


「……ずいぶん、まだらですね」


 レティシアが視線を落とし、足元を確かめるように言う。


「はい。復旧が終わった通りと、そうでない通りが、意図的に分けられています。交通を優先した結果です」


 修復された区画では削り直された石が規則正しく敷き詰められているが、わずかに路地へ入れば崩れたままの石畳や、応急的に砂利で埋められた箇所が露わになっていた。


「戦後の街、というより……戦後になろうとしている途中、ですね」


「その通りです。終わったと宣言できるほど、帝都は回復していません」


 復興の途上にある街並み。

 再建された建物と、まだ瓦礫の残る区画が、はっきりと混在している。


「壊すのは、一瞬。戻すのは、何年もかかる」


 レティシアの声は低く、淡々としている。


「……防衛戦で、それを嫌というほど見ました」


「ええ。殿下が立たれた区画は、今も“最後の防壁”と呼ばれています」


「呼ばれなくて結構です。名前を付けると、人は安心して忘れますから」


 壁を覆う足場、修復途中の梁、焦げ跡を隠すために塗り直された漆喰の色の違い。


「隠すのが、早いですね」


「はい。傷が残れば、責任の所在が問われます。塗り直せば、曖昧にできる」


「……都合のいい記憶ですね」


 ここは戦いが終わった街ではない。

 戦いを終わらせようとしている街だった。


「だからこそ」


 クリスは、歩調を変えずに続ける。


「ここで会っていただきたいのです。終わらせようとしている側ではなく、終わらなかった側の人々に」


 レティシアは、それ以上問い返さなかった。

 ただ、前を見据えたまま、小さく頷いた。


「……案内を続けてください。覚悟は、できています」


 二人は並んだまま、復興途中の帝都を歩き続ける。

 瓦礫と再建が混在する街の奥へと。


 行き交う人々は二人に気づきながらも、声をかけることはない。

 視線は向けられるが、それは歓声でも畏怖でもなかった。

 英雄と将校を見る目というより、どこか場違いな来訪者を見るような、あるいは触れてはいけないものを遠巻きに見るような慎重な視線だった。


「……見られていますね」


 レティシアはその視線を意識しながらも、歩調を変えない。


「ええ。ですが、声はかからない」


「英雄扱いも、罵声もない。ずいぶんと、曖昧な距離感です」


「帝都の人々は、まだ整理がついていないのです。誰を称え、誰を恐れ、何を忘れればいいのか」


「忘れる、ですか」


「はい。英雄は便利ですが、同時に不都合でもありますから」


 やがて、街の喧騒から明確に外れた一角に辿り着く。

 商店も広場もなく、音が急に減る。

 そこにあったのは、高い尖塔も豪奢な装飾も持たない、古く小さな教会だった。

 その脇に併設された、慎ましい規模の孤児院。


「……あれ、ですか」


 レティシアの低い問いに、クリスは歩みを止めて静かに頷く。


「はい。あそこに、その方はいます。

 目立たず、名も残さず、それでも確かにここに在り続けた人です」


 声に誇張はない。

 だが、軽さもなかった。


「教会と、孤児院。

 帝都で最も、戦火から遠いとは言えない場所ですね」


「ええ。本来であれば、真っ先に被害を受けてもおかしくなかった」


 近づくにつれて、レティシアは周囲の光景に注意を向ける。

 石畳には無数の抉れた跡が残り、魔力衝突による炸裂痕や刃が擦れた痕跡、急造の防壁が崩れた名残が至る所に刻まれている。

 壁面には焼け焦げと無数の斬痕。

 ここが戦場であったことを否定しようのない証だった。


「……かなり激しかったようですね。

 即席部隊同士がぶつかった痕です」


「はい。退却路を兼ねた防衛線が、この周辺に敷かれていました」


 この一帯も、確かに戦場だった。

 だが、レティシアの視線が教会へ向かう。

 外壁にはひび一つ見当たらず、併設された孤児院の建物も同様だった。

 瓦の欠けすらなく、窓枠は歪まず、扉も軋み一つ見せない。

 門も窓も扉も、修復された形跡すらない。


「……妙ですね」


 足を止め、ゆっくりと周囲を見渡す。


「この周辺も、市街地ほどではないにしても大規模な戦闘があったはずです。

 なのに、ここだけが無傷。

 まるで――最初から守られていたみたいですね」


「……」


 クリスは答えなかった。

 だが、その沈黙は否定でも誤魔化しでもない。

 事実を、事実として肯定しているように思えた。


「偶然、ではありませんね」


「はい。偶然で片づけられる規模ではない」


 レティシアは無意識のうちに息を整える。

 偶然ではない。

 少なくとも、戦火の流れからたまたま外れただけの場所ではない。

 意図があり、強い意志があった。


「誰かが、ここだけは守ると決めた」


「……ええ」


 帝都防衛の主戦場は、彼女が戦った学院を中心とする市街地の中枢だった。

 だが、その裏側で、誰かがこの場所だけは戦場にしない、いや、戦場にさせないと決めて戦った。


「表に出ない戦い、ですね」


「はい。報告書にも残らず、勲章も与えられない戦いです」


「それでも、人は救われた」


「だからこそ、その方は、殿下に会いたがった」


「……なるほど」


 レティシアはそう呟き、もう一度教会の扉へと視線を戻す。

 理由はまだわからない。

 だが、確かめる価値は十分にある。


「覚悟は、いりますか」


「ええ。ただし、退く理由にはなりません」


 その答えを求めるように、彼女は静かに一歩を踏み出した。


 クリスは教会の門の前に立つと、一度だけ静かに呼吸を整えた。

 帝都防衛の最前線で砲火の中を駆け抜けたときよりも、今の方が胸の奥がわずかに強張っている。


 それを悟らせぬよう、控えめに扉を叩いた。

 硬い木に拳が触れる音が、静まり返った通りに短く響く。

 ほどなくして、内側から慎重な足音が近づいてくる。

 扉が、わずかに開いた。


 現れたのは、質素な修道服に身を包んだ年若いシスターだった。

 装飾のない布地、飾り気のない装い。

 だが、その所作は落ち着いており、この場を預かる者としての矜持が滲んでいる。


「……はい。

 どのようなご用件でしょうか」


 穏やかで、抑えた声。


 クリスは一歩下がり、深すぎず浅すぎぬ角度で一礼した。


「突然の訪問をお許しください。

 ザンスガード帝国軍、帝都防衛作戦群所属、クリス・レイス・ロアウ少尉と申します。

 本日は軍務としてではなく、あくまで私的な立場でお時間を頂戴したく、参りました」


 肩書きを告げる声は静かだが、曖昧さはない。


 シスターはその言葉を受け、一瞬だけ表情を引き締めた。

 だが、すぐに深く息を吸い、落ち着いた様子で頷く。


「……帝国軍の方、ですか。

 この教会と孤児院は、戦後の混乱の中でも、できる限り静かな場所であろうと努めております。

 その点は、ご理解いただけますか」


「承知しております。

 だからこそ、随行も護衛も連れておりません。

 この訪問は、報告書にも記録にも残らないものです」


「……ご用件は?」


 警戒はしている。

 だが、拒絶ではない。


 クリスは声を落とし、門の外に人影がないことを視線だけで確かめてから、簡潔に必要なことだけを告げた。

 帝都防衛戦の後始末であること。

 軍務ではなく、私的な訪問であること。

 そして――会ってほしい人物がいること。


「帝都防衛戦の最中、

 この場所が守られていた理由に関わる方です。

 その方が、ぜひ一度、こちらの方に会いたいと強く望まれている」


「……こちらの方、とは?」


 その問いに、クリスは即答しなかった。


「ここでは、名前は出せません。

 ですが――」


 わずかに言葉を区切り、続ける。


「その方にとって、

 お会いする意味があるのは、この場に立たれている方ただ一人です」


 そのやり取りを、レティシアは少し距離を置いて見守っていた。

 扉の影に立ち、視線を外すこともなく、だが主導権を奪うこともない。


 話の途中、ふとシスターの視線が動いた。

 レティシアを見る。


 次の瞬間、彼女の目がはっきりと見開かれた。


 言葉はない。

 だが、その反応だけで十分だった。


 驚愕。

 理解。

 そして、確信。


 シスターはもう一度レティシアを見つめ、その後、ゆっくりとクリスの顔へ視線を戻す。

 彼の言葉を遮ることなく、静かに、しかし確かに頷いた。


「……事情は、察しました。

 ここで立ち話をする内容ではありませんね」


 一拍置き、穏やかな声で続ける。


「少し、お待ちください。

 中へお通しする準備をいたします」


 それだけ告げると、扉を大きく開け放ち、すぐに中へと姿を消す。

 残された二人の間に、短い沈黙が落ちた。


「……驚かせてしまったようですね。

 こちらの事情を説明する余地もなく、ああいう形になってしまいました」


 レティシアが小さく言う。

 声には自覚があり、わずかな苦笑が混じっていた。


「ええ。

 ですが、あの反応は想定の範囲です。

 ここは、表に出ないものを預かる場所ですから」


 クリスは正直に頷く。


「驚きよりも、理解が先に来たのでしょう。

 守るべきものが何かを、最初から知っている方の目でした」


 一拍。


「すいませんが、ここでしばらくお待ちください。

 中の準備と、関係者への連絡を行います」


「構いません。

 むしろ、こういう場所であれば、落ち着いて待てます」


 レティシアは頷き、教会の扉を見つめたまま動かない。


 やがて、再び扉が開いた。

 先ほどのシスターが現れる。

 今度は、迷いのない態度で。


「……お待たせしました。

 どうぞ。

 中へお入りください」


 二人は静かに足を踏み入れる。


 教会の内部は、外観と同じく簡素だった。

 長椅子が整然と並ぶ集会場。

 高い天井に反響する微かな足音。

 香の残り香と、古い木材の匂い。


 祈りの場を抜けると、空気がわずかに変わる。

 そこは祈願ではなく、判断と決断のための空間だった。


 奥まった位置にある小さな一室。

 飾り気のない机が一つ。

 その周囲には、簡素な椅子が六脚ほど、等間隔に並べられている。


 多人数での話し合いを想定した配置だが、常設ではなく、必要なときだけ整えられる類のものだと見て取れた。


 壁には最低限の記録板が一枚。

 余分な装飾はなく、音を吸うためか、古い布が一部に張られている。


 会議室。

 そう呼ぶのが、もっともふさわしい場所だった。


「こちらで、お待ちください。

 間もなく、皆さまがお揃いになります」


 シスターはそう言って一礼し、静かに扉を閉める。


 二人きりになると、空気が一段と張り詰めた。


 レティシアはすぐには座らず、立ったまま部屋を一巡り見渡す。

 机の位置、椅子の数、出入口からの距離。


 豪奢さはない。

 だが、無駄もない。


「……話をするための部屋、ですね。

 隠すためでも、飾るためでもなく、

 決めるためだけに用意された空間」


 低く、確認するような声。


「ええ。

 この部屋で交わされた話は、基本的に外へは出ません」


 クリスはそれ以上を語らなかった。


 短い沈黙の後、彼は六脚のうち向かい合う位置にある二脚へ視線を向ける。


 レティシアは一拍置き、小さく頷いた。


 二人は机を挟んで向かい合う形の椅子に腰を下ろす。


 残る椅子は、まだ空いたまま。

 これから訪れる者たちのために、意図的に残された席だった。


 椅子が、かすかに軋む。


 その瞬間、レティシアは意識をわずかに研ぎ澄ませた。

 ほどなくして、空気の奥に重なり合う気配を感じ取る。

 三つ。

 いずれも濃密な魔力を内包している。

 量だけを見れば、帝都でも指折りの水準。

 だが、敵意はない。

 刃を向ける前の鋭さも、威圧も、殺気も感じられない。

 代わりに伝わってくるのは、微細な揺らぎ。

 抑えきれない緊張。

 ためらい。

 そして――怯え。

 感情に引きずられるように、魔力が不安定に波打っている。

 隠そうとしても、隠しきれないほど素直な反応だった。


(……なるほど)


 レティシアは表情を変えず、背筋を伸ばして静かに息を整える。

 自分がなぜ呼ばれたのか、その理由が少しだけ見えた気がした。


 その時、不意に控えめなノックの音が扉の向こうから響く。


 クリスは立ち上がり、一歩前に出て落ち着いた声で告げた。


「どうぞ。

 お入りください」


 その声を合図に、扉がゆっくりと開かれた。


 入室してきたのは、三名の女性だった。

 扉が完全に開ききる前から、レティシアには先ほど感じ取っていた魔力の揺らぎが、より明確な輪郭をもって迫ってくるのがわかった。


 年長と思しき二十代前半の女性が一人。

 その半歩後ろに、十七、十八歳ほどの若い女性。

 そして、その二人に挟まれるようにして立つ、七、八歳ほどの子供。


 三人は足並みを揃えながらも、わずかに位置関係を保っている。

 中央に最年少を置き、両側から守る陣形。

 それだけで、長い年月を生き抜いてきた者たちの習慣が読み取れた。


 三人とも深くフードを被っている。

 顔立ちは窺えない。

 だが、室内に足を踏み入れた瞬間から、魔力の揺らぎは否応なく伝わってきた。


 張り詰めた緊張。

 抑え込もうとする感情。

 そして、消しきれない恐怖。


 先ほどよりも、はっきりと。

 それらが三つの魔力の波として重なり合っている。


 最初に一歩、前へ出たのは年長の女性だった。


「……失礼いたします。

 突然の場であること、どうかご容赦ください」


 低く、抑えた声。

 そこには警戒と覚悟が混じっている。


「フードを取る前に、一つだけ確認させてください。

 ここで見たこと、そして、ここで聞いたこと。

 そのすべてを、いかなる形であれ他言なさらないと、

 お約束いただけますでしょうか」


 条件としては重い。

 だが、迷いはなかった。


「ええ。

 その申し出、理解しました」


 レティシアははっきりと頷く。


「ファーレンナイト辺境公爵家の公女として、

 この場で交わされたすべてを秘匿することを、

 ここにお約束いたします。

 立場によって、言葉を違えることもありません」


 即答だった。

 言葉には逃げも曖昧さもない。


 それだけで十分だったのだろう。

 三人の間に、目に見えて安堵が走る。

 張り詰めていた魔力が、わずかに緩んだ。


 年長の女性が、ゆっくりとフードに手をかける。

 続いて若い女性。

 そして子供も。


 三人は、ほぼ同時にフードを外した。


 露わになったのは、人とは明らかに異なる特徴。

 すらりと伸びた長い耳。

 澄み切った魔力。


 ――エルフ。


 しかも。


(……ハイエルフ)


 レティシアは瞬時に見抜いた。

 同時に、その意味も理解する。


 ハイエルフ。

 それは、亡国となったエルファーレ王国と深く結びつく種族。

 王族。

 あるいは、その直系に連なる存在。


 三人の立ち位置。

 年長者の前進位置。

 若い女性の控えめだが隙のない構え。

 そして、子供を挟む距離。


 ――王族。

 ――その護衛。

 ――あるいは、専属の侍女。


 そこまでを、レティシアは一瞬で察した。


 同時に、なぜ教会と孤児院が戦禍を免れていたのか。

 なぜ帝国軍が、この件を正式な要請にできなかったのか。


 すべてが一本の線でつながる。


「……そういうことですか。

 なるほど、ここが戦場にならなかった理由も、

 魔国軍が踏み込めなかった理由も、

 すべて、ここに集約されている」


 それ以上は語らない。


 だが、その一言だけで、三人は察したように深く頭を下げた。

 この出会いが偶然ではないことを。

 そして、ここから先の話が、帝都だけでなく、過去の亡国にまで触れるものであることを。


 沈黙の中で、机を挟んで着席していたクリスが静かに口を開いた。


「どうぞ、お掛けください。

 ここは、身分や立場を問い詰める場ではありません。

 腰を落ち着けて話せるよう、

 意図的に整えた部屋です」


 一拍。


「この部屋で交わされた言葉は、

 外には伝わりません。

 その点は、私が保証します」


 そう言って、視線だけで机の周囲に並ぶ椅子を示す。


 三人は一瞬、互いに視線を交わし、

 それから、ゆっくりと頷いた。


 年長の女性が先に腰を下ろし、

 若い女性がその隣へ。

 子供は二人に守られる位置の椅子に、静かに座る。


 六脚並んだ椅子のうち、三つが、ようやく埋まった。

 残る席は、これから交わされる言葉の重さを、

 静かに待っているかのようだった。


どうだったでしょうか。

少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。


このストーリーは、ほぼリアルタイムで執筆していますので、

少しずつの更新になりますが、気長にお付き合いいただければ嬉しいです。


※明日はすいませんが、投稿できません。(書けていない・・・・。)


それは本編も引き続き、よろしくお願いします。

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