第一部 第一章 第5話
飛行艇のハッチが静かに開くと、室内に籠もっていた温かな空気が一気に押し出され、代わりに湿り気を含んだ森の空気が流れ込んだ。
木々の青い香りと、遠くで響く小鳥の声――そして眼前には、ミラージュ王国の魔導騎士団が築いた防御駐屯地の堅牢な外壁と見張り塔がそびえていた。
外の空気はひんやりとしており、草木の香りが混じり合って、都市の喧騒から一変した静けさが広がっていた。
「……すごい……。これが、ミラージュ王国の駐屯地……」
レティアが思わず息を呑む。
その横で、アリスは静かに外の光景を見渡した。
「想像よりも整ってるわね。森の中なのに、まるで都市拠点の要塞みたい」
「ほんと……防壁の魔力、空気からでも伝わってくる」
レティアは腕を擦りながら、肌を撫でる微かな振動に目を細めた。
タラップの下には、魔導障壁で囲まれた広場があり、そこでは駐屯中の騎士団員が行き交い、演習用の補給物資や魔導装置の点検が忙しなく続いている。
騎士団員たちは鋼鉄のような硬い足音を立てながら素早く動き、機械的な精密さで作業をこなしていた。
その足元に広がるのは、頑丈に整備された石畳と、所々に植物が生い茂った地面だ。
「動きが速い……。まるで訓練じゃなく実戦前みたいだね」
「ええ。規律が行き届いてるわ。これが王国最前線の騎士団……」
アリスの視線は、遠くで指揮を取る隊長格の女性に一瞬止まる。
彼女の纏う雰囲気に、かつて学院で見た上官たちの緊張感を思い出していた。
さらにその広場の奥――巨大な魔力収束装置を背負った二体の大型魔導神器 《ブラッドライン・スレイヴ》タイプが、重厚な脚をゆっくりと動かしながら周囲の監視を行っていた。
甲冑のような外装に刻まれた魔術陣が青白く脈打ち、その巨体から発せられる低い駆動音が地面にかすかな振動を伝えている。
《ブラッドライン・スレイヴ》タイプは、魔力と機械の絶妙な融合を誇り、極めて高い防御力と多用途な戦闘機能を兼ね備えていた。
「……あれが噂の《ブラッドライン・スレイヴ》……。本物を見たのは初めて」
アリスも思わず息を吸い込み、真剣な眼差しでその巨体を見上げた。
「学院の資料で見た試作型とは別物ね。完全稼働してる……。駐屯地の警備にまで実戦投入されてるなんて」
「魔力反応がすごい……。あの魔導陣、私たちの術式じゃ制御できそうにないね」
「制御装置も高位魔力回路仕様よ。……さすがミラージュ王国の最前線だわ」
二人の声は自然と低くなる。
それほどまでに、その存在感は圧倒的だった。
その隣には、駐屯地の外壁上に四基の固定式大型魔導砲が一定の間隔で設置され、魔力コンデンサを介して常に発射可能な状態に保たれていた。
砲口から微かに立ち上る熱気と淡い魔術光が、その威力を無言のうちに物語っている。
空を睨みつけるように構えられた砲身は、駐屯地の守りを固める最後の砦のようで、周囲の空気に一層の緊張感を与えていた。
「うわ……あの砲、魔導学院の実験棟にあったものより倍は大きいんじゃない?」
レティアの驚きに、アリスはわずかに目を細める。
「恐らく出力も倍ね。見て、砲身の冷却符術が複層式になってる。……連射も可能ってこと」
「これだけの防御設備があるなら、そう簡単には攻め込まれないね」
「そうね。でも、それだけここが重要拠点ってことでもある」
「ほら、降りるぞ。足元、滑るから気をつけろよ」
班長のレオが先にタラップを降り立ち、軽く手を挙げて合図を送った。
彼の声が響くと、十五班の面々が一斉に返事をし、整然と列を作る。
レオは笑みを浮かべつつも、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「降りた瞬間からもう任務の一部だ。気を抜くな、視線を上げろ。周囲の様子を観察しながら動け」
班員たちはタラップを降り、次々と地面に足をつけていく。
アリスとレティアも互いに目を合わせ、小さく頷いた。
「行きましょう、レティア」
「うん……緊張するけど、やっとここまで来たんだね」
「そうね。……これが“現場”よ」
足裏に伝わるのは、硬く整備された石敷きの地面と、その隙間から染み出す森の湿り気。
森の湿った空気が、ようやく飛行艇から降り立った体に包み込むように触れてくる。
レティアは深く息を吸い込み、胸の前で手を握った。
「……なんだか、空気が違う。生きてるみたい」
「森全体が、魔力の流れを持ってるのよ。感じるでしょ? 地脈のうねりが」
「うん……たしかに、鼓動みたい」
周囲の騎士団員たちが行き交う中、アリスとレティアは駐屯地の環境に一瞬で引き込まれるように見入っていた。
見張り台、防御柵、符術監視塔――どれも精緻に構築され、整然と動いている。
「ここに配属されてる人たちって……全員、実戦経験者なのかな」
「ええ、多分ね。どの顔にも迷いがない。命令の流れも完璧」
アリスの声に、レティアが小さく息を呑む。
その光景は、学院では決して見ることのなかった“戦場の規律”そのものだった。
「……これなら、森の奥から魔物が群れで来ても簡単には突破できないわね」
「ええ……でも逆に言えば、これだけ配備しないと駐屯できない場所ってことね」
二人は顔を見合わせ、小さく笑いながらも、その奥に潜む張り詰めた緊張を感じ取っていた。
防御体制が万全である一方で、それが逆に駐屯地内の危機感を浮き彫りにしているようだった。
その時、駐屯地の奥から銀と黒の紋章を刻んだ鎧をまとった数名の兵士が姿を現した。
傾いた陽光を反射する鎧は淡く輝き、胸元にはミラージュ王国の紋章――双翼と星を象った意匠が刻まれている。
鎧の継ぎ目には魔導結晶の微光が宿り、動くたびに蒼い線光が淡く流れた。
彼らの足音はまるで一糸乱れぬ旋律のように揃っており、その整然とした行進には、鍛え上げられた騎士団特有の重みがあった。
「……ミラージュ王国の、魔導騎士団……」
レティアが小さく息を呑む。
アリスは静かに頷きながら、その整然たる動きを目で追った。
「歩き方ひとつに隙がないわね。やっぱり、王国直属の第一団は格が違う……」
「ねえ、見て。あの肩章……指揮官級だよ。普通の部隊じゃ絶対に会えない」
「ええ。――つまり、こっちも本気で見られてるってことね」
彼らは一直線に歩み寄り、十五班の前でぴたりと足を止めた。
先頭に立っていた青年が兜を外し、金糸のような銀髪を風に揺らしながら深く一礼する。
その所作には礼節と誇りが滲み、周囲の空気が一瞬静まり返った。
「お待ちしておりました、ファーレンナイト王国・実地演習班の皆様」
よく通る声が駐屯地の広場に響く。
「我々はミラージュ王国第一魔導騎士団。私はこの魔導騎士団を預かります、エルネスト・ルヴェリエ少将です。この駐屯地で皆様の後方支援と、遺跡探索の現地先導を務めます。どうかお見知りおきを」
端正な顔立ちにわずかな緊張を漂わせつつも、エルネストはレオ班長と視線を合わせ、礼を解いた。
その目は真っ直ぐで、芯の通った誠実さと責任感を宿している。
「レオ班長ですね。以後、よろしくお願いいたします」
声は穏やかでありながら、どこか威厳を感じさせた。
レオもすぐに姿勢を正し、兜に軽く手を添えて礼を返す。
「改めてご挨拶を。私はファーレンナイト王国第二騎士団第二師団第五分隊所属、今回の十五班の班長を務めます、レオ・バルト少尉です」
一歩前へ出て、胸を張る。
「我が班は学院からの選抜生と、騎士団・魔術師団の新人で構成された混成班ですが、全員が選りすぐりの精鋭です。――エルネスト団長殿、これよりどうぞお力添えをお願いいたします」
そう言い終えると、レオは一拍置き、軽く息を抜いて口元に笑みを浮かべた。
「……もっとも、ひとつだけ言えば王立魔導学院の学院生が二人ほどおります」
少し肩を竦めて見せる。
「まあ、その分、腕前は保証付きです。下手な騎士より頼りになると自負してますよ」
その言葉に、駐屯地の騎士たちの中からわずかに笑い声がもれた。
緊張に満ちていた空気が、ふっと和らぐ。
レティアは頬を赤らめ、アリスは肩をすくめながら小声で囁いた。
「……ちょっと、班長……また大げさに言ってる」
「ふふ、でも悪い気はしないでしょ?」
「まあ……少しだけね」
アリスが口元に笑みを浮かべると、レティアもつられて微笑んだ。
エルネストも小さく笑みを返し、すぐに真面目な表情へと戻る。
「それでは、まずは駐屯地内部へご案内します」
静かに手を掲げ、後方の部下に合図を送った。
「装備の確認と状況説明を済ませた後、作戦指令室にて改めて詳細の打ち合わせを行います。――案内、始め」
その声に応じ、背後の魔導騎士たちが一斉に整列。
鎧の金具が鳴り、駐屯地の門を守る衛兵たちが即座に動く。
石畳の奥に続く重厚な門が、低い金属音と共にゆっくりと開かれた。
魔力の封印が解かれる音がかすかに響き、淡い光が門の縁を走る。
アリスとレティアは肩を並べ、開いていく門の奥を見つめた。
「……ここからが、ミラージュの心臓部か」
「ええ。想像してたよりも、ずっと厳重ね」
「学院の訓練施設とは、空気の重さが違う……」
レティアの声はかすかに震えていたが、瞳はしっかりと前を向いていた。
「行こう」
アリスが静かに言うと、二人は同時に深く息を吸い込み、足並みを揃えて門の中へと踏み込む。
背後では魔導飛行艇のエンジン音が遠ざかり、代わりに駐屯地の生活音――魔導装置の駆動音、兵の掛け声、風に揺れる旗の音が耳に届いた。
アリスは一度だけ背後を振り返り、先ほどまで空を舞っていた飛行艇と、並び立つ大型魔導神器、魔導砲群を見やった。
「……あの防備、見事なものね」
「うん。でも、同時に――ここが危険地帯の最前線ってことでもある」
レティアの言葉にアリスは短く頷く。
門の先――石畳の道が緩やかに森の奥へと続き、遠くには魔導障壁の光が脈打っている。
アリスとレティアは、互いの歩幅を合わせながらその奥へと進んでいった。
「……ここからが本番ね」
「うん。絶対に無事に終わらせよう」
小さく交わされた約束の言葉は、胸の奥に静かに刻まれた。
駐屯地の高い防御壁の向こうには、森の気配が絶えることなく息づいている。
深い古代の封印は――確かにすぐそこに。
静寂の奥で、彼女たちを待ち受けていた。




