閑話 レティシア ストーリー1 第一話
不定期にはなりますが、本編とは少し離れた位置づけとして、
『白銀の継承者 - Gate of Sealed Eternity -』外伝「レティシア・ストーリー」シリーズを、
閑話として書いてみようと思います。
当初は別作品として切り出すことも考えましたが、更新がかなり不定期になることが予想されるため、本編内の外伝・閑話という形にしました。
今回のショートストーリーは、プロローグ第三話の続編です。
本編の流れを知らなくても読める内容になっていますので、少し寄り道する感覚で楽しんでいただければ幸いです。
ザンスガード帝国――帝都ザンスガード攻防戦から、一ヶ月が経過していた。
帝都を包んでいた硝煙と焦土の匂いはようやく薄れつつあり、瓦礫に覆われていた大通りも、最低限の通行が可能な程度には復旧が進められている。
だが、街の至る所に残る破壊の痕跡は、この都が一度、戦場と化した事実を否応なく語っていた。
その帝都の一角。
かつて外交拠点として用いられていたファーレンナイト辺境公爵家の屋敷は、周囲の被害とは対照的に、驚くほど整った姿を保っていた。
高い石塀と重厚な門扉、帝国式とは異なる設計思想を色濃く残すその建築は、瓦礫に埋もれた街並みの中で、異質なほどの静謐さを湛えている。
屋敷がこうして無事であるのは、単なる幸運ではない。
攻防戦の最中、この屋敷は幾度となく帝国軍や暴徒の視線に晒されていた。
だが、門を越えようとする者は、ついに現れなかった。
その理由を知る者は少ない。
屋敷に仕える執事やメイドたちは、かつてファーレンナイト辺境公爵軍の近衛に属していた者たちだった。
中でも精鋭として選抜され、前線に立つのではなく、“守るために戦う”ことを任とされていた部隊の生き残りである。
彼らは、レティシア・ファーレンナイトのように魔導神器を自在に操るほどの戦闘力を持つわけではない。
だが、それでもただの使用人ではなかった。
屋敷の防衛に用いられたのは、レティシアが帝都に身を置いてから設計・開発した試作型魔導兵装だった。
急造品ではあるが、既存の軍制や運用思想に縛られない発想でまとめ上げられており、少数での防衛を前提とした構造と制御系を備えている。
個々の出力は限定的で、白銀のヴァルキュリーと比べれば及ぶものではない。
それでも、この時代においては明らかに画期的な戦略兵器であり、屋敷という限定空間を守るには十分すぎる性能を発揮していた。
表向きは執事として扉を開き、メイドとして茶を運ぶ。
その裏で彼らは装置の起動符を握り、屋敷全体を一つの防衛拠点として機能させていた。
結果として、この屋敷は“触れてはならない場所”として認識され、戦火を免れたのだった。
屋敷の奥、日当たりの良い客間で、レティシア・ファーレンナイトは紅茶のカップを手にしていた。
白磁の縁に金彩を施したそれは、かつてミラージュ王国で用いられていた様式のものだ。
湯気とともに立ち上る香りは穏やかで、戦後の緊張を忘れさせるかのように、ゆっくりと室内に満ちていく。
修復を終えた魔導神器は、今は屋敷の地下に設けられた専用格納庫で、静かに眠っている。
激戦の傷跡を残していた装甲はすでに整えられ、白銀の機体は再び、かつてと変わらぬ威厳を取り戻していた。
帝都防衛戦の最中、一時的に学徒へ貸与していた魔導ライフルも、すでにすべて回収されている。
それらは点検と封印処理を施されたうえで、同じ格納庫に収められていた。
もはや展示物でも、威嚇のための象徴でもない。
必要とあらば、再び戦場へ持ち出される――その時までの、沈黙だった。
だが、その静けさを支えていた者たちの存在が、語られることはない。
静寂を破ったのは、控えめなノックの音だった。
「失礼いたします。帝国軍よりご来客です。事前にお約束のあった方々で、随行を含め三名。いずれも正装にて到着しておりますが、あくまで私的な訪問とのことでした」
扉を開いた執事の所作は、どこまでも丁寧で落ち着いている。
だが、その立ち姿には、戦場を知る者特有の無駄のなさが滲んでいた。
「通してください。応接間ではなく、この部屋で構いません。形式張った対応は不要です。必要なのは礼節ではなく、用件でしょう」
現れたのは、帝国軍の正装に身を包んだ士官と、その背後に控える随員たちだった。
彼らは無意識のうちに室内の配置や出入口を一瞥する。
それが習慣なのか、それとも、この屋敷に対する本能的な警戒なのかはわからない。
いずれも階級章は高く、明らかに“正式な要請”を担う立場であることが見て取れる。
「本日はお時間をいただき、誠に感謝いたします。レティシア・ファーレンナイト公女殿下。帝国軍を代表し、まずは帝都防衛戦における多大なるご尽力に、深く感謝の意を表します」
士官は一礼し、慎重に言葉を選びながら口を開く。
「貴殿の戦果は、単なる一戦果に留まるものではありません。指揮、判断、そして戦場における在り方、そのすべてが帝国軍上層部に強い衝撃を与えました。現在、帝国各地で不穏な動きが相次いでおり、我々としては――」
「用件は、わかっています」
レティシアはカップを置き、視線だけを向けた。
その動作は静かで、しかし場の主導権を一瞬で奪うには十分だった。
「再度の、参加要請でしょう。帝国軍への正式な戦力編入、あるいはそれに準ずる立場での協力要請」
士官は一瞬、言葉に詰まったが、すぐに頷く。
「……はい。その通りです。帝国としては、貴殿を特別戦力として正式に編入し、階級や権限についても最大限の配慮を行う用意があります。名目上の所属や形式についても、柔軟な対応を――」
「お断りします」
遮る声は低く、しかし明確だった。
感情の揺れは一切ない。
「なぜです。帝都を守った英雄として、帝国民は貴殿を歓迎しております。形式上の国籍や過去の立場など、この際――」
「形式ではありません」
レティシアはそう言って、静かに背筋を伸ばした。
「私は、亡国となった王国ミラージュの辺境公爵家の息女です。現在、どの国家にも属しておらず、ザンスガード帝国の民でもありません。ゆえに、帝国の招集義務を負う立場ではない」
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「しかし、現実として帝都を救ったのは――」
「現実と、立場は別です」
レティシアの蒼色の瞳が、士官を真っ直ぐに射抜いた。
「私が剣を執ったのは、帝国に忠誠を誓ったからではありません。命令でも、契約でもない。ただ、人が滅びるのを看過しなかった。それだけの理由です」
士官は唇を噛みしめ、最後の切り札のように言葉を続ける。
「では、もし条件が整えば……。帝国の名のもとでなくとも、独立した立場としての協力、あるいは共同戦線という形では――」
「ありません」
即答だった。
「もし、私が再び剣を執るとすれば」
レティシアは一度、視線を窓の外へ向けた。
遠くに見える帝都の街並みは、まだ完全には癒えていない。
「それは、今はなき“王国ミラージュ”か、“人族連合軍”の名のもとだけです」
その言葉には、過去への悼みと、揺るぎない誇りが同時に宿っていた。
「その名が存在しない以上、私はどの国の旗の下にも立ちません。たとえそれが帝国であっても、同じことです」
沈黙。
やがて士官は深く一礼する。
「……承知しました。本日のところは、これ以上は申しません。我々の要請に対し、明確なお答えをいただけたことに感謝いたします」
「ご苦労でした」
レティシアは再びカップを手に取り、穏やかな仕草で紅茶に口をつける。
使者たちが退室したあと、客間には再び静寂が戻った。
使者たちの気配が完全に遠のいたのを確認してから、レティシアは小さく息を吐いた。
それは先ほどまでの張り詰めた応対では見せなかった、わずかな緩みだった。
「……本当に、懲りませんね。断られると分かっていながら、それでも“もしかしたら”に賭けてくる。その執念だけは、ある意味で立派です」
カップを受け皿に戻しながら、ぼそりとこぼす。
声音には疲労と、わずかな苛立ちが混じっている。
「英雄だの、象徴だの。言葉にしてしまえば聞こえはいいですが、結局は都合のいい札を貼って、好きな場所に動かしたいだけでしょうに」
その背後で、執事が一歩だけ前に出る。
先ほどまでの無駄のない立ち姿はそのままに、声だけを柔らげた。
「帝国としては、殿下ほど扱いづらく、それでいて価値の高い存在もおりませんので。力があり、実績があり、それでいてどこにも縛られていない。為政者から見れば、喉から手が出るほど欲しい駒です」
「扱いづらい、は余計です」
レティシアは肩越しに一瞥するが、その表情はどこか諦めを帯びていた。
「国籍がないのが、そんなに気に入らないのでしょうか。剣を振るった事実だけを見て、背景も意思も切り捨てて、都合のいいところだけ拾おうとする」
今度は、給仕を終えて控えていたメイドが小さく微笑む。
「殿下がどの旗の下にも立たれないからこそ、怖いのでしょう。命令も、義務も、利害も通じない相手は、扱う側にとって最も不安定ですから」
「怖い?」
「ええ。味方にできない存在は、いつか敵になるかもしれない、と。実際にはその可能性が低くとも、想像できてしまう時点で、彼らは恐れます」
レティシアは少し考え、苦笑する。
「心外ですね。私は、頼まれてもいない戦争を始める趣味はありませんし、誰かの国を壊したいわけでもありません。ただ、目の前で人が死ぬのを見過ごせないだけなのに」
執事は静かに首を振った。
「殿下。理屈は、彼らにとって問題ではありません。殿下が“剣を執る理由を自分で選べる”こと。それ自体が、命令系統に依らぬ力として映るのです」
その言葉に、レティシアは一瞬だけ黙り込む。
やがて、窓の外へ視線を向けた。
「……面倒な立場ですね。望んだ覚えもないのに、勝手に意味を与えられて、勝手に恐れられる」
「昔からでございます」
即答だった。
メイドが堪えきれず、小さく笑みをこぼす。
「ですが、その面倒さこそが、殿下らしさでもあります。殿下が殿下であり続ける理由だと、私どもは思っております」
「慰めているのか、開き直らせているのか、判断に迷いますね」
そう言いながらも、レティシアの声は先ほどよりずっと柔らかい。
「次に来るのは、何日後でしょうか。同じ顔ぶれで、同じ言葉を持って」
「早くて三日。遅くとも一週間以内かと。内容も、おそらく大差はないでしょう」
「はぁ……」
レティシアは深く、しかし芝居がかった溜め息をついた。
「そのたびに同じ説明をする身にもなってほしいものです。一度で理解してくれれば、こちらも紅茶が冷める前に済むのですが」
執事は静かに一礼する。
「その際も、我々は変わらず、この屋敷を守ります。誰が来ようと、どのような名目であろうと」
「ええ。わかっています」
レティシアはカップを持ち上げ、もう一度紅茶に口をつけた。
その仕草は、再びいつもの落ち着きを取り戻している。
「……せめて次は、もう少し話の通じる方だといいのですが」
その呟きに、執事とメイドは顔を見合わせ、何も言わずに微笑んだ。
この屋敷では、今日も変わらず。
剣を置いた彼女を、戦場を知る者たちが静かに支えていた。
それから数日後。
再び、屋敷の門が叩かれた。
だが、これまで訪れてきた帝国軍の使者たちとは、明らかに空気が異なっていた。
階級章は少尉。決して高くはない。
それでも、門前に立つ青年将校からは、形式ばった圧や、威圧的な自己主張は感じられなかった。
執事が応対し、ほどなくして客間へと案内する。
「失礼いたします。本日は突然の訪問となりましたこと、まずはお詫び申し上げます」
現れた青年は、深く一礼した。
年の頃は二十代前半。引き締まった体躯と、無駄のない立ち姿。
だが、目に宿る光は、これまでの士官たちが持っていた“交渉者のそれ”とは違っていた。
「ザンスガード帝国軍、帝都防衛作戦群所属。クリス・レイス・ロアウ少尉と申します。本日は軍務としてではなく、私個人の責任において、この場を訪れました」
名乗り終えたあとも、彼は余計な言葉を重ねない。
その沈黙が、逆にレティシアの注意を引いた。
「……今までの方々とは、ずいぶん雰囲気が違いますね。肩書きより先に、ご自身の立場を明確にされる方は珍しい」
レティシアは紅茶に手を伸ばしながら、静かに言った。
「はい。今回の訪問は、帝国軍としての正式な要請ではありません。招集でも、勧誘でも、交渉でもない。その点だけは、最初に明確にしておきたかったのです」
即答だった。
その言葉に、執事とメイドがわずかに視線を交わす。
「では、用件は?」
クリスは一瞬、言葉を選ぶように唇を結ぶ。
そして、低く抑えた声で告げた。
「……秘密裏に、ある人物に会っていただきたいのです。帝国の名を出せる話ではなく、また、この屋敷の外で語るべき内容でもありません」
空気が変わる。
「帝国軍への参入要請ではありません。忠誠も、契約も、命令も伴わない。ただ一度、顔を合わせてほしい。それだけのお願いです」
レティシアはカップを置き、真正面から青年を見据えた。
「その“ある人物”とは?」
「ここでは、お話しできません。名前も、立場も、この場では伏せさせてください。それ自体が、その方を守ることに繋がります」
きっぱりとした言い切りだった。
だが、挑発や虚勢はない。
「理由は?」
「その方が、殿下に会うことを強く望んでいるからです。そして――殿下にしか、会えない。立場でも、力でもなく、“存在そのもの”が理由だと、私は理解しています」
その一言で、レティシアは沈黙した。
しばしの間、客間には時計の針の音だけが響く。
帝国の政治的意図か。
それとも、個人的な依頼か。
あるいは、まったく別の――。
やがて、レティシアは小さく息を吐いた。
「……卑怯ですね。理由を伏せたまま、“私にしかできない”と言われるのは」
クリスは、わずかに眉を動かす。
「否定はしません。ですが、私は嘘はついていない。その一点だけは、軍人としてではなく、一人の人間として誓えます」
レティシアは視線を伏せ、考え込む。
執事もメイドも、口を挟まない。
しばらくして、彼女は顔を上げた。
「……わかりました。そこまで言われて、無視するほど無情ではありません」
その声は、すでに決断を終えている。
「会いましょう。その人物に。あなたがそこまで責任を背負う理由も、含めて」
クリスは、ほっとしたように、しかし深く頭を下げた。
「ありがとうございます。このご決断に、必ず意味があったと証明いたします」
「ただし」
レティシアは続ける。
「条件があります。私を“帝国の英雄”として扱わないこと。そして、これは帝国の意向ではなく、私自身の意思による訪問だということ。その二点が守られないなら、途中で引き返します」
「承知しました。その条件を破るくらいなら、最初からお願いはしません」
即答だった。
「では、ご案内します。準備は、すでに整っています」
そうして、二人は屋敷を後にする。
どうだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。
このストーリーは、ほぼリアルタイムで執筆しているため、
少しずつの更新になりますが、気長にお付き合いいただければ嬉しいです。
本編も引き続き、よろしくお願いします。




