第一部 第一章 第4話
魔導飛行艇が高度を安定させると、室内には魔力制御によって保たれた、心地よく温かな空気が満ちていた。
奥行きのある搭乗区画には、政府役員や外交官、そして今回の演習を支援するバックアップスタッフたちが整然と座っており、その中で唯一、実地演習に参加する十五班だけが班単位でまとまって配置されていた。
飛行艇の内部は、金属の光沢と魔導装置の未来的なデザインが見事に調和しており、無機質でありながらも静かな優雅さを漂わせている。
各席は広めに設計され、背もたれには魔導機器が埋め込まれていて、乗客の魔力波を感知しながら最適な姿勢に微調整してくれる仕組みだ。
照明は柔らかく、魔導結晶が発する青白い光が天井を通して船内を静かに照らしていた。
その淡い光の揺らぎが、まるで空の呼吸と同調するように感じられ、緊張していた乗客たちの心を少しずつ落ち着かせていく。
窓から差し込む陽光が、魔導結晶の管を青白く光らせ、細い光の筋が室内を横切る。
その向こうには、深く澄んだ蒼空が広がっており、時折、雲の切れ間から柔らかな日差しが差し込んでいた。
光が船体の側面を滑るたび、流線型の銀の外殻が反射し、青と白の光が交錯する。
窓の下では、王都の壮麗な街並みがすでに点のように小さくなり、遠くには海が輝き、その向こうに緑の絨毯のような大森林がうっすらと見え始めていた。
一番前の列には、班長を務めるレオが座り、そのすぐ後ろにアリスとレティアが並ぶ。
さらにその背後に班員たちが整然と並び、規律正しい整列が自然と隊の落ち着きを生み出していた。
周囲では、役員同士の小声の会話や、符術書類をめくる音が静かに混ざり合い、金属音のない穏やかな空間が広がっていた。
アリスは窓際の席から青い空を見上げながら、微かに息を吐いた。
「……すごい。ここまで来ると、もう地上が霞んで見えるのね」
隣のレティアも、きらめく空を見上げながら静かに頷いた。
「まるで夢みたい……。雲の上にいるなんて、今でも信じられないわ」
アリスは彼女の横顔をちらりと見て、微笑を浮かべた。
「ふふ、初めての空だからね。でも慣れたら、この静けさが癖になるわよ」
レティアは目を細め、しばし外の光景に見入った。
「地上で見ていた空と、まるで違う色ね。こんなに深い青だったなんて……」
「上空魔力層の影響で、色が少し濃く見えるのよ」
アリスが穏やかに説明する。
「空気中の魔素濃度も高くなるから、光の屈折率が下がって――ほら、青がより鮮やかに見えるの」
「……さすが、説明が専門家みたい」
レティアが笑うと、アリスも肩を竦めた。
「伊達に学院で“理屈っぽい”って呼ばれてないからね」
そのやり取りに、前方のレオが軽く振り返った。
「おーい、後ろの理屈組。空の講義はあとにしてくれよ。今だけは景色を楽しめ、せっかくの特等席なんだし」
「はいはい、班長」
アリスが苦笑しながら返すと、レティアもつられて笑った。
「でも、班長も本当は見たいんでしょ? 顔がちょっとこっち向いてますよ」
「ばれたか」
レオは苦笑して肩を竦め、前方の窓越しに視線を戻した。
「ま、こうして雲の上に出るのも久しぶりだ。地上の喧騒を忘れるには、悪くない景色だな」
「ええ、本当に」
アリスが静かに答え、青白い光に包まれた窓を眺める。
その横で、レティアが少し身を乗り出し、柔らかく笑った。
「ねえ、アリス。私たち……ほんとうに、今、空を飛んでるんだよね」
「ええ。ちゃんと現実よ」
「……なんだか、地上のことがずっと遠くに感じる」
アリスはその言葉に小さく頷き、膝の上に置いた手を握った。
「でもね、ここからが始まりよ。私たちの任務も、私たちの物語も」
レティアは彼女の横顔を見て、静かに微笑む。
「うん。……怖くないよ。アリスと一緒なら」
「それを聞いて、少し安心したわ」
アリスの口元が柔らかく緩む。
機内には穏やかな沈黙が流れ、遠くで聞こえる魔導炉の律動が、まるで心臓の鼓動のように静かに響いていた。
外の空はどこまでも澄みわたり、光と影が交錯しながら、ゆっくりと流れていく。
十五班を乗せた魔導飛行艇は、静寂とともに、目的地――ミラージュ王国領へ向けて、穏やかな軌跡を描いて進んでいた。
「飛行艇ってさ、陸路で一週間かかる距離を半日で行けるんだってよ」
「へえ……そんなに速いんだ。便利だけど……いざって時に落ちないかなぁ……」
「おいおい、縁起でもないこと言うなって」
座席のあちこちから、そんな軽い冗談混じりの会話が弾む。
最初の緊張が少しずつ解け、笑い声がぽつぽつと広がっていった。
誰もが不安を抱えながらも、それを隠すように明るく振る舞っている。
そんな中、前方席のレオ班長がくるりと振り返った。
「二人とも大丈夫か? 気分悪くないか」
穏やかな口調には、頼れる指揮官としての落ち着きが滲んでいる。
「大丈夫です、班長」
「平気ですっ」
アリスとレティアは息を合わせたように答える。
そのタイミングがぴたりと揃っていて、レオは思わず笑った。
「はは、息ぴったりだな。……よし、それなら安心だ」
軽く頷くと、前方スクリーンに映る航路へ視線を戻した。
淡い光の軌跡で描かれた航路図には、王都からミラージュ王国領までの経路が滑らかな曲線で映し出されている。
天候・気流・予想到着時刻――魔導端末が示す数値のひとつひとつが、空の安全を保証するように輝いていた。
飛行艇が雲海を抜けてから、すでに数時間。
班員たちはすっかり落ち着きを取り戻し、それぞれ思い思いの時間を過ごしていた。
魔導端末で地図を確認する者、符術式を読み込む者、あるいは静かに目を閉じて心を整える者。
「この高度だと、外の空気は相当薄いらしいぞ」
「そりゃそうだろ、窓の外、もう雲の上だし」
「でも、魔導障壁ってすごいよな。外が氷点下でも、中はこんなに暖かいんだもん」
穏やかな会話が、ゆるやかに空気を和ませていく。
船内の温度は快適に保たれ、柔らかな風が肌を撫でた。
床下の魔導炉の低い脈動音が、一定のリズムで響く。
その律動はまるで、巨大な心臓の鼓動のようだった。
通路では、乗務員が銀のトレイを手に静かに歩いている。
「温かいお茶はいかがですか」
「軽食もございます」
彼女たちの丁寧な声とともに、香草の香りがほのかに漂う。
アリスとレティアのもとにもカップが届き、二人は笑顔で受け取った。
「ありがとうございます」
「いただきます……あ、すごくいい香り」
アリスはゆっくりと一口含み、ほっと息を漏らした。
「魔力安定化のブレンドティーね。学院の実習でも出たわ」
「ほんとだ……なんか落ち着く」
レティアが嬉しそうに微笑み、アリスも穏やかに頷く。
窓の外は、どこまでも透き通った青。
薄い雲の層が、絹のように流れていく。
太陽の光が魔導結晶の管を反射し、青白い筋を室内に描き出していた。
「……こうして座ってると、遠足みたいだね」
レティアがぽつりと呟く。
その声には、ほんの少しの高揚と、抑えきれない期待が混ざっていた。
アリスはその横顔を見て、微笑を浮かべる。
「そうね。でも――降りたらすぐ演習開始よ。気を抜きすぎないでね」
「わかってるけど……少しくらいは浮かれてもいいでしょ」
レティアが頬を膨らませると、アリスは小さく笑いを漏らした。
「ふふ、そうね。今日くらいはね」
少し前の席では、レオが簡易端末を操作しながら全体の進行状況を確認していた。
ときおり後ろを振り返っては、静かに班員たちの様子を見守る。
「……おい、そこ、寝るなよ。着いたら即準備だぞ」
「ひゃいっ!? だ、大丈夫です」
「お前らなぁ……まったく、初任のころの俺を見てるみたいだ」
その軽口に、笑いが起こる。
飛行艇の外では、太陽がゆっくりと傾き始めていた。
窓から差し込む光は金色を帯び、室内を柔らかく照らす。
その光を受けた魔導装置の管が淡く輝き、青と金が溶け合う幻想的な色彩を描き出していた。
その穏やかな光景は、いつしか眠気を誘うほど静かで、優しいものだった。
やがて――
飛行開始から半日が経とうとする頃、
澄んだ女性の声が再びスピーカーから流れた。
「皆さまにご案内いたします。まもなく当飛行艇は、目的地であるミラージュ王国領・大森林入口、魔導騎士団防御駐屯地に着陸いたします。安全帯をもう一度お確かめの上、着陸時の揺れにご注意くださいませ」
機内が一瞬静まり返る。
誰もが息を整え、金属のバックルを鳴らして安全帯を締め直した。
「よし、全員確認急げ」
レオの指示に、班員たちが一斉に応じる。
アリスとレティアも目を合わせ、小さく頷き合った。
「……あっという間だったね、半日って」
「うん。降りたら、本当の演習の始まりだわ」
二人は小さく拳を合わせる。
互いの瞳に映るのは、不安ではなく、確かな決意。
飛行艇が低く唸りを上げ、ゆっくりと高度を落としていく。
足元にわずかな重力の圧が戻り、座席が軽く沈む。
「……耳が……ちょっと変な感じ」
「高度調整の影響よ。唾を飲み込めばすぐ楽になるわ」
アリスが優しく教えると、レティアは素直に頷き、深呼吸した。
窓の外――
雲の切れ間から、大森林の濃い緑が広がり始める。
その手前に、魔力障壁で囲まれた駐屯地の輪郭が浮かび上がった。
結界膜が陽光を反射し、淡く金色に揺らめく。
「見えてきた……あれが目的地ね」
「ええ。想像よりずっと広いわね」
機体が風を切りながら降下し、森の上空を通過する。
下方の駐屯地では、魔導滑走路が光を放ち、迎えの部隊が整列しているのが見えた。
船底の支持脚が音もなく展開し、滑走帯に触れた瞬間――
ふわりとした衝撃の後、船体が静かに沈み込み、やがて完全に停止した。
「着陸が完了いたしました。お手元の荷物をお確かめの上、降機の際は係員の指示に従ってください。本日もご搭乗、誠にありがとうございました」
そのアナウンスが終わると同時に、レオが立ち上がった。
「全員、装備点検を済ませてすぐに集合だ! 降りたら即準備に入るぞ」
力強い声が、機内に響いた。
アリスは腰の標準支給剣の鞘を確かめ、レティアは自分の符術ポーチを整えながら、深く息を吸い込んだ。
「さあ……行くわよ、レティア」
「うん……絶対に負けない」
二人の瞳が、光を宿す。
外気を遮っていたハッチが開き、冷たい風と土の匂いが流れ込む。
見下ろす先には、魔導障壁に囲まれた駐屯地――そしてそのさらに奥、深い古代の森が静かに息づいていた。
十五班の新たな戦いが、今、始まろうとしている。




