閑話 第一六二回 王立魔導学院 学内武術競技会 -四年次- 第22話
総合部門の決勝戦で初めて、アリスが一歩先へ出た。
石畳へ落ちた軽量アーマーを確認したクラウスは、悔しそうな表情を見せるでもなく、剣を構えたままアリスへ視線を戻した。
一つ取られたという結果よりも、その直前に自分がどう崩されたのかを確かめるように、アリスの剣と左手、そして二人の間に残された距離を順番に見ている。
「……やられたな」
「危なかったですけどね」
「またそれか」
「本当に危なかったので」
「俺は取ったと思った」
クラウスが言っているのは、その直前にアリスの防御を崩しかけた場面だろう。
偽の前兆で防御術式へ意識を向けさせ、剣を押し上げて右腕を開かせたところまでは、完全にクラウスの狙い通りだった。
「私も取られたと思いました」
「なら、もう少し焦った顔をしてくれ」
「……してたと思いますけど?」
「見えなかった」
「じゃあ、次は頑張ります」
「そこを頑張る必要はない」
観客席の一部から笑い声が漏れる。
アリスも僅かに口元を緩めたが、クラウスが剣を握り直したのを見て、すぐに意識を戦いへ戻した。
残る軽量アーマーは、アリスが三つ、クラウスが二つ。
数字だけを見ればアリスが先行しているが、その差をそのまま優位と考えるには、目の前の相手はあまりにも変化が早い。
しかも、クラウスはすでにアリスの戦い方を言葉にできるところまで理解している。
相手の対応そのものを次の攻撃条件へ変えるという狙いまで知られた以上、先ほどと同じ組み立てを続ければ、今度はそこを逆に利用される可能性があった。
「アリス・グレイスラー」
「はい?」
「一つ訂正する」
「何をです?」
クラウスの剣先が、ゆっくりと下がった。
「君は――フレイドより面倒かもしれない」
アリスは一度だけ瞬きをした。
「……それ、褒めてます?」
「今度は褒めてる」
「なら、ありがとうございます」
少しだけ嬉しそうに答えたアリスに、クラウスの口元にも僅かな笑みが浮かぶ。
だが、それも長くは続かず、剣を握る右手へ力が戻ると同時に表情が引き締まった。
「だから――ここからは、俺も変える」
言葉が終わるより早く、クラウスが石畳を蹴った。
先ほどまでのクラウスは、アリスの動きを確認し、それに対して最も安全な位置と手段を選んでいた。
ところが今度は判断を待たず、自分から一直線に距離を潰し、剣の間合いへアリスを巻き込もうとしてくる。
「っ!」
正面から振り下ろされた剣を、アリスは自分の刃で受け止めた。
腕へ伝わった衝撃はこれまでより明らかに重く、受け流すために剣を傾けた瞬間、クラウスは刃が外へ流されること自体を前提に、さらに半歩踏み込んでくる。
アリスは身体を右へ逃がし、続けて横から迫った剣へ自分の刃を合わせた。
クラウスは接触した瞬間に剣を引き、今度は逆側から斜めに振り下ろしてくる。
左手は身体の近くへ置かれているが、魔力は途切れることなく巡っており、いつでも術式を展開できる状態が維持されている。
剣だけで攻めているように見えても、魔法を捨てたわけではないことは明らかだった。
アリスが二撃目を受け流す。
三撃目は半歩下がって外したが、その瞬間にクラウスの左手が僅かに持ち上がった。
アリスは魔法に備え、剣を戻しながら左側へ防御術式を展開する。
しかしクラウスの左手には術式が現れず、そのまま右足を深く踏み込むと、剣を下から跳ね上げた。
「……!」
防御術式へ意識を割いた分だけ反応が遅れ、アリスは上体を後ろへ反らすことで刃を胸元の前へ通過させた。
続く一撃へは剣を合わせ、今度は持ち上がった左手を意識から外す。
その瞬間、クラウスの左手に術式が現れた。
「今度は本物……!」
至近距離から魔力弾が放たれる。
アリスは身体を捻るだけでは外し切れないと判断し、剣の腹へ魔力を纏わせて斜めから魔力弾へぶつけた。
弾かれた魔力弾が石畳へ着弾し、爆ぜた衝撃が二人の足元を揺らす。
アリスの姿勢が僅かに崩れたところへ、クラウスの剣が間を置かず迫った。
薄い防御術式を正面へ展開する。
クラウスの刃がその表面へ食い込み、細かな亀裂を走らせた。
アリスは障壁を維持したまま後方へ下がり、剣を立て直すための距離を作ろうとする。
だが、クラウスは離れず、障壁の向こうからさらに身体を押し込んできた。
防御術式が砕ける直前、アリスは自分から術式を解除し、身体を左へ滑らせた。
支えを失ったクラウスの剣が前へ流れ、その側面へアリスの剣が走る。
クラウスは身体を沈めてかわした。
同時に左手を地面へ向け、小さな術式を足元へ展開する。
アリスは咄嗟に後ろへ跳んだ。
しかし、術式は発動しない。
「また……!」
その反応を待っていたように、クラウスが追ってくる。
魔法を撃つことではなく、撃てる状態を見せることそのものが攻撃へ組み込まれている。
左手を無視すれば魔法が来て、警戒すればその時間を使って剣が来るため、どちらか一方だけを見て対応することができない。
アリスは着地と同時に剣を構え、迫ったクラウスの一撃を外側へ流した。
そのまま身体を入れ替えるように左へ回り込み、クラウスの脇腹へ向けて剣を返す。
クラウスが防御術式を展開した。
アリスは剣が障壁へ触れる直前に左手を向け、クラウスの足元へ魔力弾を撃ち込む。
石畳が弾け、砕けた破片と衝撃にクラウスの足が一瞬だけ止まった。
その隙にアリスは剣を引き、今度は反対側から軽量アーマーを狙う。
だが、クラウスも防御術式を自分から解除し、アリスの剣が伸び切る前に前へ出た。
互いの間合いが急激に潰れ、アリスの剣は十分な速度へ乗る前にクラウスの肩へ当たって止まる。
同時にクラウスも剣を使えない距離へ入っていたが、それでも攻撃は終わらなかった。
クラウスの左手がアリスの腹部へ向く。
「っ!」
アリスは反射的に左手を差し込み、二人の間へ小さな防御術式を展開した。
ほとんど同時に魔力弾が放たれ、至近距離で障壁へ衝突する。
魔力が爆ぜ、その衝撃で二人の身体が互いに反対方向へ弾き飛ばされた。
アリスは空中で姿勢を整え、着地と同時に靴底を滑らせながら勢いを逃がし、クラウスも数メートル先で踏み止まる。
互いの軽量アーマーは、まだ落ちていない。
「……変えましたね」
「ああ」
「急に剣ばっかりになったから、何かと思いました」
「ばっかりではないだろう」
「使わない魔法の方が多いですけど」
クラウスが僅かに笑った。
「使わなくても、君は見てくれるからな」
その一言に、アリスは目を細めた。
先ほどまでのクラウスは、アリスがどう対応するのかを見てから次を選んでいた。
今は逆に、魔法を使うかもしれないという可能性を残したまま剣で圧力を掛け、アリス側へ判断を強いている。
左手を見れば剣への反応が僅かに遅れる。
剣だけを見れば、今度こそ本当に魔法が飛んでくる。
しかも、実際に魔法を撃つ必要はない。
アリスが警戒してくれる限り、魔力を集めて見せるだけでも十分に意味がある。
「……嫌な戦い方」
観客席でレティアが呟いた。
隣にいたラースが横目を向ける。
「お前が言うのか?」
「なんでよ」
「いや、別に」
「何よ、その言い方」
レティアが睨むと、ラースは何も答えず試合場へ視線を戻した。
その口元が僅かに笑っていたことに気づき、レティアの眉間へさらに皺が寄る。
試合場では、アリスもすでに剣を構え直していた。
「それなら――」
アリスの左手へ魔力が集まり、その周囲へ三つの術式が展開される。
今度はクラウスがすぐには踏み込まず、剣を正面へ置きながら魔力弾の軌道を確認できる位置へ移動した。
アリスが左手を振る。
三つの術式のうち、発動したのは一つだけだった。
一発の魔力弾が正面からクラウスへ向かい、残る二つは展開されたまま光を維持する。
クラウスが剣で魔力弾を弾いた瞬間、アリスが踏み込んだ。
残る二つの術式を撃たないまま剣を振り、いつ発動するか分からない魔法を意識させながら近接戦へ持ち込む。
「同じことをするつもりか?」
「参考にしました」
「早いな」
「見せてもらったので」
剣を押し合いながら、アリスが僅かに笑う。
次の瞬間、右側の術式が発動した。
クラウスはアリスの剣を外へ流しながら身体を左へずらし、横から迫った魔力弾をかわす。
その移動先へアリスが踏み込んだが、クラウスは左手を上げて牽制し、接近を一瞬だけ止めた。
術式は現れない。
アリスは止まり切らず、重心だけを後ろへ逃がしてクラウスの剣を誘う。
クラウスが踏み込んだところで再び前へ出て、互いの剣が短い距離でぶつかった。
アリスの背後には、最後の術式が一つだけ残されている。
クラウスがそれを意識していることを確認すると、アリスは上段から剣を振り下ろした。
クラウスが斜めに受け流し、そのまま左手を向ける。
アリスは魔法を警戒して身体をずらしたが、今度は本当に術式が現れ、魔力弾が放たれた。
薄い防御術式を斜めへ置き、正面から受けずに軌道だけを外側へ変える。
その間にクラウスが剣を返してきたため、アリスは身体を沈めながら刃をかわした。
そこで、最後まで残していた術式が光る。
クラウスの視線が動いた。
だが、魔力弾は放たれない。
「……!」
その一瞬だけで十分だった。
アリスは低い姿勢から懐へ入り、右下から剣を振り上げる。
クラウスは軽量アーマーへ迫った刃へ咄嗟に自分の剣を差し込み、二本の刃が激しくぶつかった。
アリスは押し込まず、接触した瞬間に剣を引く。
そのまま左側へ回り込むと、残していた術式を今度こそ発動させた。
至近距離から放たれた魔力弾へクラウスが防御術式を展開する。
魔力が弾けた光で視界が塞がれた瞬間には、アリスもそれ以上追わず、自分から距離を取っていた。
クラウスも障壁を解除し、剣を構え直す。
「……真似したな」
「参考にしただけです」
「同じじゃないか?」
「少し違います」
「どこが?」
「私なりに変えました」
クラウスが何か言い返そうとして、やめた。
実際、同じではないことは戦っている本人が一番よく分かっている。
クラウスは魔法を撃つかどうか分からない状態を維持することで、アリスの判断を縛った。
対するアリスは、展開した術式そのものを場へ残し、クラウスがその存在を意識し続けなければならない状況へ変えている。
似ているが、使い方は違う。
そして互いに、それを一度見ただけで自分の戦い方へ取り込み始めていた。
「……ほんと、嫌になるな」
「褒めてます?」
「今のは半分だけだ」
「じゃあ、半分だけありがとうございます」
アリスが剣先を僅かに上げる。
クラウスも構えを変えた。
今度は先ほどより剣を低く置き、左手も身体の正面へ出さない。
魔力の流れ自体は消えていないが、どの瞬間に術式へ繋げるのかを外から読み取りにくい形へ変えている。
アリスは一歩だけ前へ出た。
クラウスも同じだけ前へ出る。
二人の距離が縮まった瞬間、先に動いたのはアリスだった。
右足で石畳を蹴り、低い位置から剣を振り上げながら、左手へ同時に魔力を集める。
クラウスは剣を下げて受けた。
アリスの左手にも視線を向けない。
魔法を警戒していないわけではない。
左手が動いてから見るのではなく、自分の位置そのものを魔法と剣の両方へ対応できる場所へ置いている。
アリスが左手を向け、術式を展開する。
それでもクラウスは動かず、魔力弾が実際に放たれた瞬間にだけ半歩ずれ、最小限の移動で射線から身体を外した。
同時にアリスの剣を押し返し、そのまま一歩前へ出る。
アリスは後ろへ下がり、クラウスがその距離を追った。
今度は左手を使わず、剣だけで二度、三度と連続して攻撃を重ねてくる。
アリスは一撃目を受け流し、二撃目を身体の回転で外し、三撃目へ自分の剣を合わせた。
そこでクラウスの左手が動いた。
アリスは反応しない。
術式は現れず、さらに剣が来る。
その斬撃を受けた直後、もう一度クラウスの左手が動いた。
今度もアリスは剣への対応を優先し、クラウスの剣を外側へ流す。
魔法は来なかった。
二度続けて同じ動きを見せ、それでも一度も撃たない。
だからこそ、三度目に左手が動いたとき、アリスの意識は僅かに剣へ残った。
クラウスの口元が動く。
今度は術式が現れた。
「っ!」
至近距離から放たれた魔力弾へ、アリスは咄嗟に身体を捻った。
完全にはかわし切れず、魔力弾が上着の脇を掠め、その衝撃で身体が僅かに横へ流れる。
クラウスの剣が追ってきた。
アリスは流された姿勢のまま剣を差し込み、辛うじて刃を受ける。
だが足元へ十分な力が入らず、押し込まれて一歩後退した。
その踵が、先ほどまでの攻防で砕けていた石畳の破片へ乗る。
ほんの僅かに足が滑り、アリスの身体が後方へ傾いた。
それでも、クラウスには十分だった。
押し合っていた剣から力が抜かれ、アリスの身体が前へ流れる。
クラウスはその横を抜けるように身体を入れ替え、すれ違いざまに剣を返した。
アリスも腰を捻る。
だが、間に合わない。
乾いた音が響いた。
アリスの腰から、一つの軽量アーマーが外れる。
石畳へ落ちたそれが数度跳ね、回転しながら止まった。
観客席から大きな歓声が上がる。
アリスは数歩先で止まり、自分の腰へ視線を落とした。
三つあった軽量アーマーが、一つ減っている。
「……取られた」
「これで同じだ」
「ですね」
アリスは落ちた軽量アーマーを一度だけ見てから、クラウスへ視線を戻した。
悔しくないわけではないが、それ以上に、自分がどこで崩されたのかを頭の中で辿っている。
クラウスは二度、左手を動かしても魔法を撃たなかった。
だから三度目も剣への対応を優先したところへ、本物の魔法を重ねてきた。
だが、魔力弾そのものが決定打だったわけではない。
身体を横へ流し、剣で押し込み、すでに砕けていた石畳へ足を運ばせるところまでが、一つの攻撃として組み立てられていた。
アリスはその流れを理解すると、小さく息を吐いた。
「……なるほど」
「何か分かったか?」
「はい」
「聞いても?」
「次は気をつけます」
「それだけか?」
「全部教えたら、また変えるでしょ?」
「……まあ、変えるな」
「じゃあ秘密です」
クラウスが僅かに笑った。
アリスも剣を構え直す。
「……楽しいのか?」
「ちょっと」
「そうか」
「クラウス先輩は?」
「俺もだ」
二人が再び剣を構える。
互いに残る軽量アーマーは二つ。
数字だけを見れば振り出しへ戻ったことになるが、戦いそのものは開始時とはまるで違っていた。
アリスはクラウスの戦い方を知り、クラウスもアリスの戦い方を知った。
互いに一度ずつ相手を崩し、その方法さえすでに相手へ見せている。
次に同じことをしても、おそらく通じない。
ならば、また変えるしかない。
アリスは剣を正面へ構えながら、すぐには動かなかった。
向かい側のクラウスも同じように距離を保ち、先ほどまでとは僅かに異なる構えでアリスの出方を窺っている。
「……来ませんね」
「君もな」
「待ってるんですけど」
「俺も待ってる」
「それだと終わりませんよ?」
クラウスが僅かに笑う。
「じゃあ、どうする?」
「そうですね――」
アリスの左手に魔力が集まった。
「こうします」
四つの術式が、アリスの周囲へ一斉に展開される。
クラウスの視線が動く。
だが、先ほどのように術式一つ一つを追うことはなく、剣を身体の正面へ残したまま半歩だけ右へ移動した。
アリスが左手を振る。
二つの術式から魔力弾が放たれ、残る二つはその場へ留まった。
正面と斜め左から迫った魔力弾に対し、クラウスは一発を剣で弾き、もう一発を身体をずらしてかわす。
そこへアリスが踏み込んだ。
残された二つの術式が光る。
クラウスは見ない。
アリスの剣だけを正面から受け止め、そのまま刃を滑らせて軌道を外へ逃がす。
術式の一つが発動したが、クラウスは剣を合わせた位置から半歩だけ踏み込み、アリス自身を射線との間へ入れた。
「……っ」
アリスが術式を止める。
その瞬間、クラウスの左手が動いた。
アリスも見ない。
剣を引き戻しながら身体を左へ回し、クラウスが魔法を撃った場合にも射線から外れる位置へ先に移動する。
実際には術式は展開されず、クラウスの剣だけが追ってきた。
アリスはそれを受け流した。
もう一つ残っていた術式が背後からクラウスを狙う。
クラウスは振り返らず、アリスとの間合いをさらに詰めることで射角そのものを潰した。
術式が消える。
二人の剣が再びぶつかった。
金属音が響き、互いに一歩ずつ離れる。
軽量アーマーは、どちらも落ちていない。
「……やっぱり」
「ああ」
短いやり取りだけで、互いに同じことを理解した。
もう、見てから対応しているだけではない。
相手が何を選ぶかを読むより先に、どの選択をされても致命的にならない位置へ身体を置き、攻撃そのものが成立しにくい状況を作っている。
アリスが残した術式も、クラウスの偽の前兆も、それだけでは以前ほど大きな意味を持たなくなっていた。
「面倒ですね」
「それは俺の台詞だと思うが」
「さっき私に言ったじゃないですか」
「だからだ」
「じゃあ、お互い様ですね」
「そういうことにしておこう」
アリスは剣を握り直した。
クラウスも構えを低くする。
次に必要なのは、相手が何をするのかを当てることではない。
何を選ばれても対応できる相手に対して、その選択肢そのものを削らなければならない。
アリスの視線が、クラウスから僅かに外れた。
砕けた石畳には、先ほどまでの魔法で生じた焦げ跡が残っている。
細かな破片が散った場所がある一方で、まだほとんど傷ついていない場所もあった。
そして、試合場を囲う境界までの距離。
クラウスも同じように、ほんの一瞬だけ周囲へ視線を走らせた。
アリスはそれを見逃さなかった。
「……同じこと考えてます?」
「たぶんな」
「困りましたね」
「本当にな」
次の瞬間、二人が同時に動いた。
アリスは正面ではなく、斜め右へ大きく踏み込んだ。
クラウスもアリスとの距離を詰めようとはせず、ほぼ同時に反対方向へ走り出す。
二人が向かったのは、互いではなかった。
アリスの左手に三つの術式が展開される。
その照準が向いた先を見た瞬間、クラウスも意図を理解した。
「やっぱり、そっちか」
「クラウス先輩もでしょ?」
「ああ」
アリスの魔力弾が放たれた。
狙ったのはクラウスではなく、試合場の石畳だった。
三発の魔力弾がそれぞれ離れた位置へ着弾し、鈍い破砕音とともに石材が砕け、大小の破片が周囲へ散っていく。
直後、反対側でも魔力が弾けた。
クラウスが放った魔法もアリスを狙ってはいない。
まだ傷の少なかった石畳へ連続して着弾し、平坦だった足場を大きく崩していく。
観客席がざわめいた。
「……何してるの、あの二人」
レティアが思わず身を乗り出す。
ラースもすぐには答えなかった。
試合場では二人が互いを直接狙うことなく移動しながら、次々と魔法を地面へ撃ち込んでいる。
「壊してるんじゃないか?」
「それは見れば分かるわよ」
「なら聞くなよ」
「そういう意味じゃない!」
レティアが言い返している間にも、試合場の様子は変わり続けていた。
開始時には平坦だった石畳の各所が砕かれ、大小の破片が散らばり、場所によっては浅い窪みまで生まれている。
その一方で、二人とも無秩序に地面を壊しているわけではなかった。
アリスはクラウスが使いやすい進路を潰している。
クラウスも同じように、アリスが速度を乗せやすい直線や、剣と魔法を同時に使いやすい距離を優先して崩していた。
相手を狙うのではない。
相手が次に使いたい場所を狙っている。
クラウスが左へ走る。
アリスはその進路へ魔力弾を撃ち込んだ。
クラウスは着弾前に方向を変えたが、その先にはすでに別の術式が展開されている。
「そこもです」
「だろうな」
クラウスは止まらず、さらに内側へ進路を変えた。
今度は魔力弾が来ない。
代わりに、アリス自身がいた。
クラウスがその意味を理解した瞬間、アリスの剣が横薙ぎに走る。
クラウスは自分の剣で受け止めたが、足元には先ほどアリスが意図的に残した石畳の破片が散っている。
踏み込めない。
クラウスは押し返すことを諦め、剣を滑らせながら後方へ逃げた。
だが、その退路へ今度はアリスの術式が向く。
「……なるほど」
クラウスが小さく呟いた。
魔力弾が放たれる直前、クラウスはアリスへ向かって踏み込んだ。
後ろへ逃げるのではなく、あえて剣の間合いへ入り込み、アリス自身を盾にするように射線を潰す。
アリスはすぐに術式を消した。
クラウスの剣が迫る。
アリスは受け流しながら左へ回り込もうとしたが、その足が止まった。
そこには、クラウスが先ほど砕いた石畳がある。
「……そっちもですか」
「お互い様だろう」
アリスは左へ行くのをやめ、右へ身体を回す。
クラウスも追わず、すぐに距離を取り直した。
二人の間には、先ほどまで存在しなかった凹凸と石の破片が広がっている。
使える場所は、確実に減っていた。
アリスが剣を構える。
クラウスも正面から剣先を向けた。
ここまでは、まだ同じだった。
互いに相手の考えを理解し、同じように戦場を変え、同じように相手の選択肢を削っている。
このまま続ければ、最後には二人とも使える場所を失うだけだった。
アリスの視線が、ほんの僅かに動いた。
クラウスが壊した場所と、自分が壊した場所を順番に確認する。
その先には、まだどちらも手をつけていない場所が残されていた。
「……あ」
小さな声が漏れる。
クラウスの眉が動いた。
「何だ?」
「いえ」
アリスはすぐに首を横へ振った。
「ちょっと、思いついただけです」
「聞かない方がよさそうだな」
「はい。その方がいいと思います」
アリスが剣を握り直す。
その表情を見たクラウスも、僅かに重心を落とした。
互いに残る軽量アーマーは、まだ二つ。
だが、次に動こうとしているのは、もう同じ二人ではなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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ありがとうございました!




