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閑話 第一六二回 王立魔導学院 学内武術競技会 -四年次- 第21話

 準決勝から、二日が経った。


 総合部門決勝の日を迎えた王立魔導学院の競技場は、朝からこれまで以上の熱気に包まれていた。

 本選が始まってから連日多くの生徒が詰めかけていた観客席も、今日は開始前からほとんど空席が見当たらず、学院生だけではなく教員たちの姿も目立っている。

 その多くが中央の試合場へ視線を向け、今年度の学内武術競技会を締めくくる最後の一戦が始まる時を待っていた。


 四年次、アリス・グレイスラー。

 六年次、クラウス・ヴァレンディア。


 学年が二つ離れた二人が、総合部門の頂点を懸けて戦う。


 アリスは控え席で剣の柄へ手を置きながら、静かに試合場を見つめていた。

 二日前に行われた準決勝の光景は今でも鮮明に頭へ残っており、特にクラウスがフレイドの攻撃へ適応していった過程は、今日の決勝を考えるうえで無視できない。


 序盤はフレイドが剣、魔法、踏み込みを次々と切り替え、攻撃の流れそのものを途切れさせずにクラウスを押していた。

 それに対してクラウスは、目の前へ来た攻撃だけを見ることをやめ、重心や魔力の集まり方から次の攻撃が作られる前を捉えることで追いついた。


 フレイドが偽の前兆を混ぜれば、今度は必要のない情報を捨て、本当に対応すべきものだけを選ぶ。

 最後まで互いに戦い方を変え続けた末、クラウスは判定術式が必要になるほど僅かな差でフレイドを破っている。


 つまり、一度通用した方法が次も通用するとは限らない。

 こちらが一つ答えを出せば、それを見たクラウスも次の答えを探し始める。


「……まだ考えてるの?」

「何を?」

「クラウスのこと」

「うん」

「二日前からずっと考えてない?」


 隣に座っていたレティアが、少し呆れたような顔でアリスを見る。

 アリスは否定しようとしたが、昨日も何度か準決勝を思い返していたことに気づき、僅かに視線を逸らした。


「ずっとじゃないよ」

「昨日も考えてたでしょ?」

「……ちょっとだけ」

「一昨日の夜は?」

「それもちょっとだけ」

「それをずっとって言うんじゃないの?」


 言われてみれば、否定できない。

 アリスは困ったように眉を下げたあと、再び試合場へ視線を戻した。


「だって、強いし」


 純粋な剣術だけを比べれば、フレイドの方が上だろう。

 実際、剣術部門ではフレイドが優勝しており、アリス自身も決勝で最後まで食らいついたものの、その剣を上回ることはできなかった。


 魔法だけを比べても、学院にはクラウス以上の生徒がいるはずだった。

 だが総合部門では、その二つを別々に評価しても意味がない。


 クラウスの強さは、剣と魔法のどちらか一方にあるわけではなかった。

 相手の動きを見て必要なものを選び、剣、防御術式、攻撃魔法、位置取りを組み合わせながら、相手が最も動きにくい状況を作り続けることにある。


「それに、レティアが勝ってって言ったんでしょ?」

「言ったけど」

「じゃあ、ちゃんと考えないと」

「……私のせいになってない?」

「少しだけ」

「やっぱり?」


 レティアが眉を寄せる。

 アリスはその表情を見て小さく笑ったあと、向かい側の控え席へ目を向けた。


 ちょうどクラウスが立ち上がったところだった。

 二日前の準決勝では最後までフレイドと激しく打ち合っていたが、二日という時間があったことで、その身体に目立った疲労は残っていないように見える。


 少なくとも、試合前の立ち姿を見る限りでは万全に近い。

 準決勝の疲労が残った相手に勝ってもあまり嬉しくないアリスにとって、その様子はむしろ望んでいたものだった。


「アリス」

「うん?」

「勝ってね」


 レティアの声が少しだけ真面目になり、アリスは一度だけ瞬きをした。


 二日前は半分冗談のような調子で、自分を負かしたクラウスへの仕返しを頼んできた。

 だが、今のレティアの表情には冗談らしさがなく、純粋にアリスの勝利を願っていることが伝わってくる。


「……うん」


 アリスは立ち上がり、腰へ下げた剣の位置を確かめた。


「行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 控え席を離れ、試合場へ続く通路を歩いていく。

 外へ出た瞬間、観客席から大きな歓声が降ってきたが、アリスはその音に一瞬だけ目を細めると、そのまま中央へ向かった。


 反対側からもクラウスが現れる。


 六年次の騎士部門で二番手に位置する生徒であり、総合部門ではここまで全試合を勝ち抜いている。

 二日前にはフレイドを破り、今日、この場所へ立っていた。


 クラウスもアリスへ気づき、中央へ向かいながら軽く手を上げる。

 アリスも同じように片手を上げ、そのまま互いに数メートルほどの距離を残して足を止めた。


「もう大丈夫そうですね」

「何がだ?」

「二日前、フレイド先輩とあれだけやってたので」

「二日もあれば十分だ。少なくとも、疲れているから負けたと言い訳するつもりはない」

「それなら安心しました」


 アリスは小さく笑った。


「決勝で勝ったあとに、準決勝の疲れが残ってましたとか言われたら嫌なので」

「……勝つ前提なのか?」

「そのつもりで来てますから」

「なるほど」


 クラウスの口元にも僅かな笑みが浮かぶ。

 そのまま何かを思い出したように、クラウスがアリスの顔をじっと見た。


「それより、レティアから何か言われたか?」

「……なんで分かったんですか?」

「顔だ」

「そんなに出てました?」

「少しな」


 アリスは思わず自分の頬へ手を当てた。

 別に表情へ出していたつもりはなかったのだが、どうやら完全には隠せていなかったらしい。


「まあ、頼まれました」

「何を?」

「それは秘密です」

「聞かない方がよさそうだな」

「たぶん」


 クラウスが小さく息を吐く。


 アリスも笑っていたが、やがて腰の剣へ手を掛けると、その表情から笑みを消した。

 剣術部門の決勝ではフレイドに敗れ、今度はそのフレイドを総合部門で破ったクラウスが目の前にいる。


 もちろん、競技条件も相性も異なる以上、二日前の勝敗だけでクラウスとフレイドの優劣を決めることはできない。

 それでも、クラウスが強敵であることだけは疑いようがなかった。


 アリスは剣を抜き、身体の正面へ静かに構えた。

 クラウスも同じように剣を抜くと、剣先を僅かに下げた状態でアリスと向かい合う。


 互いの腰には三つの軽量アーマーが装着されている。

 先に三つすべてを落とした者が、この総合部門の優勝者となる。


「両者、準備はいいか!」


 審判の声に、アリスとクラウスが同時に頷いた。


 競技場を包んでいた歓声が少しずつ小さくなり、やがて大勢の観客が集まっているとは思えないほどの静けさが試合場を包み込む。

 アリスは周囲の音を意識から外し、正面に立つクラウスだけへ視線を集中させた。


「総合部門、決勝――!」


 アリスが僅かに腰を落とす。

 クラウスの剣先も、その動きへ反応するように僅かに位置を変えた。


「始め!」


 開始の声と同時にアリスが石畳を蹴り、一気に正面の間合いへ踏み込んだ。

 初動から速度を隠すつもりはなく、クラウスが構えを変えるより先に、その懐へ到達することを選ぶ。


「――っ!」


 予想を上回る踏み込みだったのか、クラウスの目が僅かに見開かれた。

 それでも反応は遅れず、右下から跳ね上がったアリスの剣へ自分の刃を差し込み、二本の剣を正面から衝突させる。


 甲高い金属音とともに火花が散った。

 クラウスは力で受け止めず、接触した剣を僅かに傾けることでアリスの刃を外側へ流しながら、空いた左手を至近距離から突き出した。


 魔力が集まり、小さな術式が瞬時に完成する。


 アリスは踏み込んだ足を止めず、上体だけを横へ傾けることで放たれた魔力弾をかわした。

 同時に外へ流された剣を手首の返しで反転させ、その勢いを殺さないままクラウスの胸元へ横薙ぎを放つ。


 薄い防御術式が二人の間へ滑り込んだ。

 アリスの剣先がその表面を擦りながら僅かに上へ逸らされ、刃はクラウスの肩口を数センチ外れて通過する。


 クラウスはその隙を逃さず一歩踏み込み、受け流しに使った剣を最短距離で返した。

 アリスの脇腹へ向かった刃を身体を沈めてかわし、そのままクラウスの右脇を抜けながら、左手だけを後方へ向ける。


 背後へ向けて術式が展開され、振り返ることなく一発の魔力弾を放つ。


 クラウスも振り返らず、身体を前へ投げ出すように踏み込むことで背後から迫った魔力弾を紙一重で通過させる。

 その勢いのまま軸足を入れ替えて反転すると、同時に振り返ったアリスとの間で再び二本の剣が激突した。


 今度は一撃では終わらない。

 互いに相手の中心線へ踏み込もうとしながら二度、三度と刃を交差させ、そのたびに立ち位置を僅かずつ変えていく。


 アリスが右へ回ればクラウスも追い、クラウスが外側へ押し出そうとすればアリスが足を入れ替えて内側へ戻る。

 どちらも決定的な位置を取れないまま、先に剣を引いたのはクラウスだった。


 後方へ二歩下がりながら左手を振ると、三つの術式がアリスの正面へ展開される。

 放たれた三発の魔力弾は僅かな時間差を持ち、一発目が正面、残る二発が左右へ逃げた場合の進路を塞ぐように広がった。


 アリスは左右へ逃げず、そのまま正面へ走った。


「なに……?」


 一発目の魔力弾が目前へ迫ったところで、アリスは剣を使わず、その前へ薄い防御術式を斜めに展開する。

 魔力弾が接触する直前に障壁の角度を僅かに変え、正面から来た一発を右上へ逸らすことで、後続の一発へぶつけた。


 二つの魔法が空中で衝突し、弾けた魔力の光が一瞬だけ視界を覆う。

 残る一発には剣を合わせ、刃へ纏わせた魔力で外側へ弾きながら、その爆発の光を突き抜けてクラウスへ迫った。


「……なるほど」


 クラウスが呟く。


 アリスの剣が上段から振り下ろされる。

 クラウスは半歩だけ横へずれながら刃を受け流し、そのまま返した剣でアリスの脇腹を狙った。


 アリスは流された剣を無理に戻さず、空いている左手へ魔力を集める。

 クラウスの剣が軽量アーマーへ届くより先に小さな魔力弾を撃ち出し、咄嗟に展開された防御術式へ衝突させた。


 魔力が弾けた衝撃で、クラウスの剣先が僅かに外へ流れる。

 アリスはその瞬間に腰を回し、流されていた自分の剣を身体の回転へ乗せて円を描くように戻した。


 クラウスは肩へ迫った刃を上体を反らしてかわし、アリスも無理に追わず一歩後ろへ下がった。

 互いに追撃を選ばなかったことで数メートルの距離が生まれ、最初の攻防を終えた時点では、どちらの軽量アーマーもまだ落ちていない。


 そこでようやく息をすることを思い出したかのように、観客席から遅れて大きな歓声が上がった。


「……速いな」

「ありがとうございます」

「褒めたつもりじゃない」

「じゃあ、返します」

「何を?」

「クラウス先輩も、思ってたよりずっと面倒です」


 クラウスが僅かに眉を動かした。


「……それは二日前にも言われたな」

「フレイド先輩に?」

「ああ」

「じゃあ、間違ってないですね」


 アリスは少しだけ笑ってから、再び剣を構えた。

 口元にはまだ笑みが残っているが、その蒼い瞳はすでにクラウスの全身を観察している。


 最初の攻防だけで、ある程度は分かった。


 クラウスは準決勝の最後に辿り着いた戦い方を、そのまま使っている。

 すべての前兆を読み切ろうとはせず、攻撃が本物か偽物かを判断することにも必要以上の時間を使わない。


 実際に攻撃が始まった瞬間から必要な情報だけを拾い、最も安全で、それと同時に反撃へ移りやすい位置を選んでいる。

 だから途中で攻撃の種類や方向を変えても、その変化そのものを見てから対応できる。


 フレイドは、それを偽の前兆と攻撃の数で崩そうとした。

 だがクラウスは最終的に、見る必要のない情報を捨てることで対応している以上、同じ方法をそのまま繰り返しても意味はない。


 アリスは僅かに剣先を下げ、その変化を見たクラウスの視線が一瞬だけ剣へ向かい、すぐに足元と左手へ移ったことを確認した。

 左手へ魔力を集めると同時に右足へ重心を寄せても、クラウスはどちらにも反応せず、剣を構えたまま待っている。


「……やっぱり」


 次の瞬間、アリスは右足へ乗せていた重心を一気に前へ移し、完成させた三つの術式から魔力弾を放った。

 そこで初めてクラウスが動き、右へ半歩ずれながら一発目を防御術式で外へ逸らし、二発目には剣を合わせ、最後の一発の射線から身体を外す。


 それでも、アリスは間合いへ入らなかった。


「……?」


 クラウスの視線が僅かに揺れる。


 アリスはその場で左手を横へ振り、新たに四つの術式を異なる高さへ展開した。

 先ほどより横へ広がった四発の魔力弾が一斉に放たれ、クラウスが後方へ下がるための空間まで塞いでいく。


 クラウスは後ろへ跳びながら二発を防御術式で逸らし、一発を剣で弾いた。

 最後の一発は身体を捻ってかわし、着地と同時に反撃へ移ろうとする。


 だが、その正面にはすでにアリスがいた。


「っ!」


 左下から迫った剣をクラウスは咄嗟に受け流すが、アリスは刃が接触した瞬間に力を抜き、そのまま相手の剣の表面を滑らせるように軌道を変えた。

 身体を低く沈めながらクラウスの右側へ回り込み、同時に左手へ再び魔力を集める。


 クラウスは左手へ反応せず、身体を回してアリスの剣だけを追っている。

 魔法が実際に放たれるまでは対応しないという判断を確認した瞬間、アリスは踏み込まず、逆に一歩だけ後ろへ下がった。


 近接戦が続くと見ていたクラウスとの距離が、再び広がる。


「なに……?」


 クラウスが初めて明確に戸惑った。


 アリスはさらに半歩下がりながら左手を正面へ向け、五つの術式を横一列に展開する。

 ほとんど間を置かず放たれた魔力弾が、それぞれ僅かに異なる高さからクラウスへ迫った。


 クラウスは防御術式を二枚重ね、その角度をずらすことで三発の軌道を外へ逃がす。

 残る二発へ剣を振り、一発を弾いたところで、最後の魔力弾が狙いを僅かに下げて足元の石畳へ着弾した。


 砕けた石片と衝撃が下から突き上げ、クラウスの身体が僅かに浮く。

 アリスはその瞬間を待っていたように地面を蹴り、クラウスが着地するより先に間合いへ入った。


 右下から振り上げられた剣へ、クラウスは空中で身体を捻りながら辛うじて自分の剣を差し込む。

 二本の刃は正面からぶつかったが、足場のない状態では十分に力を受け止められず、押し込まれたクラウスの身体が横へ流れた。


 アリスは着地地点へ先回りするように踏み込み、そのまま次の斬撃を振り下ろす。

 クラウスは着地と同時に防御術式を展開し、アリスの剣を受け止めた。


 薄い障壁の表面へ亀裂が走る。


 クラウスは術式が砕かれるまでの僅かな時間を使って横へ逃れた。

 アリスは深追いせず、追撃できる位置にいながら自分から距離を取る。


「……そういうことか」

「気づきました?」

「ああ」

「早いですね」

「二日前に似たようなことを散々やられたからな」


 剣を構え直しながら、クラウスがアリスを見る。


「俺に選ばせないつもりか」


 アリスは答えず、僅かに笑った。


 フレイドは偽物を混ぜることでクラウスが見る情報を増やしたが、クラウスは必要のない情報を捨てることでそれを乗り越えた。

 ならばアリスは情報の真偽ではなく、クラウスが対応を選んだあとの状況そのものを変える。


 剣へ対応したなら魔法へ移り、魔法へ対応したなら距離を詰める。

 近接戦へ対応する構えを作ったなら自分から離れ、遠距離戦へ対応し始めたなら再び懐へ飛び込む。


 正しい対応を選んだこと自体を間違いにはせず、その対応が必要だった状況だけを長く残さない。


「……面倒なのは、どっちだ」

「お互い様じゃないですか?」


 アリスが剣を構える。

 クラウスも再び腰を落としたが、その視線は先ほどより僅かに鋭くなっていた。


 互いの軽量アーマーはまだ一つも落ちていないが、二人の戦いは開始直後とはすでに別の形へ変わっている。


「なら――次は俺の番だ」


 クラウスが左手を上げると、その周囲へ四つの術式が扇状に展開された。

 その配置を見たアリスは、二日前の準決勝で同じ軌道を見たことを思い出し、正面へ撃つだけの魔法ではないと即座に判断する。


 クラウスが左手を振る。

 四発の魔力弾はアリスへ直進せず、最初から左右へ大きく広がる軌道を取りながら放たれ、同時にクラウス自身が正面から踏み込んできた。


「やっぱり、それね」


 アリスは後ろへ下がらず、剣を身体の正面へ置いたままクラウスへ向かって走った。

 正面から突き出された剣を半歩だけ左へずれてかわし、すれ違いざまに自分の剣の腹を当てることで、クラウスの刃をさらに外側へ押し出す。


 肩が触れそうな距離ですれ違った直後、左右へ広がっていた四発の魔力弾が一斉に軌道を変えた。

 アリスの背後へ回り込むように曲がり、異なる角度から追いかけてくる。


 アリスは振り返らず、左手だけを後方へ向けて二枚の防御術式を異なる角度で展開した。

 右後方から迫った一発を斜めへ逸らし、左側から来た別の一発へ衝突させる。


 二発の魔力弾が背後で爆ぜる中、残る一発は頭を下げてかわし、最後の一発へは振り向きざまに剣を合わせて斜め上へ弾き飛ばした。

 だが、クラウスはその処理が終わるより先に次の攻撃へ移っている。


 アリスが振り向いた先で新たに三つの術式が展開され、三発の魔力弾が放たれる。

 さらにクラウス自身もその後ろから距離を詰め、魔法への対応が終わる瞬間を狙って剣を振るうつもりだった。


 アリスは一発目を剣で弾き、二発目へ防御術式をぶつけ、三発目は身体を横へずらしてかわした。

 最後の魔力弾が脇を通過した直後にはクラウスの剣が迫り、アリスは戻した剣でそれを受ける。


 甲高い金属音が響き、クラウスは接触した瞬間に剣を引くと、ほとんど間合いのない位置から左手をアリスの腹部へ向けた。

 術式が完成する前にアリスは横へ跳び、放たれた魔力弾をかわしたが、着地しようとした瞬間、背後から再び魔力の気配が近づいてくる。


「えっ?」


 先ほどかわした三発目の魔力弾が、途中で軌道を変えて戻ってきていた。

 クラウスは最初から一度で当てるつもりではなく、アリスが回避したあとの位置まで含めて攻撃を組み立てている。


 アリスは着地を諦め、地面へ左手をつきながら身体を横へ投げた。

 魔力弾がすぐ横の石畳へ着弾し、弾けた石片と衝撃が身体の側面を叩く。


 視界の端には、すでに追撃へ入っているクラウスが映っていた。

 アリスは地面へついた左手へそのまま魔力を流し、手のひらの下へ術式を展開する。


 石畳へ叩き込まれた魔力が円状の衝撃となって広がり、踏み込んできたクラウスの足を一瞬だけ止めた。

 その間に身体を起こしたアリスが低い姿勢から剣を振り上げ、クラウスもすぐに剣を差し込んだことで、二本の刃が激しくぶつかった。


 今度はアリスが押し込み、クラウスの足を半歩下がらせたところで左手を向ける。

 クラウスは魔法を警戒して身体を僅かに横へずらしたが、アリスは撃たず、その移動先へさらに一歩踏み込んだ。


 予想より早く間合いへ入られたクラウスの反応が僅かに遅れ、その胸元へアリスの剣が横から迫る。

 防御術式で剣先を上へ逸らしたクラウスは、そのまま身体を沈めてアリスの懐へ入り、下から返した剣で腰の軽量アーマーを狙った。


 アリスは腰を捻り、刃を数センチの差で通過させる。


「危なっ……!」


 クラウスは止まらず、そのまま次の斬撃へ繋げてくる。

 アリスは一度後ろへ下がって続く二撃目も外すと、三撃目が来る直前、さらに下がると見せていた重心を前へ切り替えた。


 伸びてきたクラウスの剣が十分な速度へ乗る前に間合いへ入り、その手首近くへ剣の腹をぶつけて軌道を外へ流す。

 さらに空いた場所へ肩を入れてクラウスの身体を押し返したことで、二人の間に再び距離が生まれた。


 アリスはその距離を利用して左手を上げ、身体の周囲へ七つの術式を展開した。

 これまでより多い術式を目にした観客席が大きくざわめ、離れた場所から試合を見ていたレティアも思わず声を上げる。


「七つ……!」


 だが、アリスは七発すべてを一度には撃たなかった。

 最初に二発だけを放ち、クラウスが防御術式を展開したことを確認してから、別方向に置いていた一発を遅れて撃つ。


 クラウスは最初の二発を障壁で逸らし、三発目へ剣を合わせた。

 その処理を確認したアリスが今度は左右に残していた二発を同時に放つと、クラウスは攻撃の重ならない右側へ移動した。


 残る二つの術式を発動させず、アリスは魔力弾そのものではなく、クラウスがどの攻撃をどの方法で処理するのかを見る。

 右側から迫った魔力弾へ防御術式を使った瞬間、残していた一つから低い軌道の魔力弾を放ち、クラウスの足元を狙った。


 横へ逃げれば先ほどの攻撃と重なるため、クラウスは上へ跳ぶことを選んだ。

 その瞬間にアリスが走り、空中で剣を構えたクラウスとの間合いへ入る直前、最後まで残していた術式を発動する。


 放たれた魔力弾が向かったのは、クラウス本人ではなかった。

 空中から降りてくる先、その着地点へ魔力弾が走ったことで、クラウスの表情が初めて大きく変わる。


 空中では進路を大きく変えられず、そのまま降りれば魔力弾が待っている。

 着地する前に処理するしかないと判断したクラウスが左手を下へ向け、防御術式を展開した。


 魔力弾が障壁へぶつかった瞬間、アリスが跳ぶ。

 下方の防御へ意識を割いたクラウスへ上から剣を振り下ろし、咄嗟に上げられた剣へ強く叩きつけた。


 二本の刃が激突し、クラウスの身体が下へ押し込まれる。

 着地した両足へ一気に体重が掛かって膝が僅かに沈んだところへ、アリスは剣を押し続けず、接触した瞬間に引いて左側へ回り込んだ。


 腰の軽量アーマーへ向けて横薙ぎが放たれる。


「くっ!」


 クラウスが身体を捻り、アリスの剣先が軽量アーマーのすぐ上を通過した。

 あと僅かのところで届かず、さらに踏み込もうとしたアリスへ、今度はクラウスの左手が向けられる。


 完全にかわすには近すぎる。

 アリスは剣を身体の前へ戻しながら防御術式を展開し、放たれた魔力弾を真正面から受け止めた。


 魔力が弾けた衝撃で身体が後方へ押され、靴底を石畳へ擦らせながら数メートル滑る。

 クラウスも追撃せずに乱れた体勢を立て直したことで、二人の間が再び開いた。


「……惜しかった」


 アリスが自分の腰へ視線を落とすと、三つの軽量アーマーはどれも残っている。

 向かい側のクラウスも同じで、これだけ攻防を重ねても、まだ互いに一つも取れていなかった。


「惜しかった、で済ませるのか?」

「取れなかったので」

「こっちも危なかったんだが」

「私も危なかったですよ?」

「そうは見えなかった」

「ちゃんと危なかったです」


 アリスが真顔で答えると、クラウスは一瞬だけ言葉を失った。


「……そうか」

「はい」


 張り詰めていた空気が僅かに緩み、観客席の一部から笑い声が漏れる。

 それでも二人とも剣は下ろさず、互いの間合いから視線を外していない。


 アリスは呼吸を整えながら、今の攻防を頭の中で組み直す。

 クラウスは距離を変えれば攻撃の配置を変え、一度かわされた魔法まで次の攻撃へ組み込んでくるため、目の前の攻撃だけを処理しても安全にはならない。


 しかも七つの術式を時間差で使ったとき、途中からこちらの狙いへ気づき始めていた。

 最後の一発を着地点へ撃った瞬間には明らかに反応が変わっており、次に同じ方法を使っても通じない可能性が高い。


 アリスがそう考えたのと、ほとんど同じタイミングだった。


「一つ分かった」

「何がです?」

「君は、フレイド先輩とは違う」

「それはそうだと思いますけど」

「そういう意味じゃない」


 クラウスが剣先を僅かに下げた。


「フレイド先輩は、俺が対応したあとで攻撃を変える」


 アリスは黙って聞く。


「君は違う。俺がどう対応するのかを見て、その対応自体を次の攻撃に使っている」


 そこまで正確に捉えられていたことに、アリスの目が僅かに細くなった。


「防御術式を使えば、その間に距離を変える。剣を使えば反対側へ魔法を置く。避ければ、移動した先を次の攻撃地点にする」


 クラウスが剣を構え直す。


「俺が正しい対応を選んでも、それを次の攻撃の条件にされる」


「……嫌ですか?」

「かなりな」

「よかった」

「褒めてないぞ」

「知ってます」


 アリスは笑ったが、内心では少しだけ困っていた。

 これほど早く整理されるとは思っておらず、フレイドとの準決勝で何度も戦い方を変えた経験が、確実に今日のクラウスへ繋がっている。


 そして、二日前の準決勝を見ていたのはアリスだけではない。

 クラウスもまた、ここまでのアリスの試合を見ている。


「じゃあ、どうします?」


 クラウスは言葉では答えず、代わりに左手をゆっくりと上げた。

 その周囲へ術式が一つずつ展開され、四つ、五つと増え、最後に六つ目が現れたところでアリスの表情から笑みが消える。


 六つの術式は正面へ並んでいない。

 左右と上方、斜め後方、さらにクラウス自身のすぐ近くにも配置され、どこからどの順番で撃つのかを簡単には判断できない形になっている。


「……増やしてきた」


 先ほどアリスが行ったことを、そのまま真似したわけではない。

 クラウスは自分の戦い方へ合わせ、アリスが処理方法を選んだあとに別方向から攻撃できる配置を作っている。


「そっちも、選ばせないつもり?」

「お互い様なんだろ?」


 六つの術式が輝く。


 最初の魔力弾が右側から放たれ、アリスは剣を振って外側へ弾いた。

 その剣が戻る前に左後方の術式が発動し、今度は身体を沈めて魔力弾を頭上へ通過させる。


 続いて上方の術式が光り、アリスは防御術式を展開して受け止めた。

 だが、魔力が弾けて視界を塞いだ瞬間には正面にいたクラウスが動き出しており、その光を抜けて一気に懐へ入ってくる。


 アリスは反射的に剣を上げ、振り下ろされた刃を受け止めた。

 腕へ伝わった重い衝撃を力で押し返さず、剣を斜めへ傾けてクラウスの刃を外へ流すと、空いた左手から至近距離で魔力弾を放つ。


 クラウスは身体を横へずらしてかわした。

 アリスはその移動先へ踏み込もうとしたが、そこにはまだ発動していない術式が残されており、横から魔力弾が迫る。


 踏み込みを途中で止めたアリスが防御術式を展開し、魔力弾が障壁へぶつかった瞬間、距離を取ったはずのクラウスが再び間合いへ戻ってくる。

 右から迫った剣を受けた直後には左側から別の魔力弾が飛んできたため、アリスは身体を沈めながら剣を流し、そのまま後方へ跳んだ。


 だが、着地点へ最後の術式が向いている。


「なるほど……!」


 アリスは空中で左手を向け、自分から魔力弾を撃ち出した。

 クラウスの術式から放たれた一発と正面から衝突させ、その爆発の衝撃を利用して予定していた場所から身体を横へ流す。


 別の位置へ着地した瞬間、クラウスが追ってくる。

 アリスも逃げずに石畳を蹴り、二人の剣が中央で激突した。


 そこからは、攻撃と防御の境目そのものが曖昧になるほど、剣と魔法が入り交じった。


 アリスが斜め上から剣を振れば、クラウスが受け流しながら左手を向ける。

 アリスは魔法が放たれる前に位置を変え、今度は空いた側へ魔力弾を撃ち込む。


 クラウスが防御術式で弾けば、その障壁が視界を遮る位置へアリスが回り込む。

 だが、クラウスもそれを予想して剣を先に置き、踏み込んできたアリスへ逆に斬撃を返した。


 距離が開けば魔法が飛び、魔法を防げば剣が迫り、その剣を流せば次の位置へ別の攻撃が置かれる。

 一つの攻撃が終わってから次が始まるのではなく、直前の攻防の結果そのものが次の攻撃へ変わっていった。


 観客席から聞こえていた歓声も、いつの間にか小さくなっている。

 声を上げる暇すらなく、誰もが目の前で変化し続ける攻防を追っていた。


「……速すぎる」


 レティアにも動きそのものが見えないわけではない。

 だが、一つの攻撃を理解しようとしている間に次の形へ変わり、その次の攻撃は直前までとはまったく違う位置から始まっている。


 アリスがクラウスの剣を外へ流しながら左手を向ける。

 クラウスは魔法を警戒して身体をずらすが、アリスは撃たず、その移動先へ自分から踏み込んだ。


 クラウスは踏み込みへ剣を置き、アリスが止まった瞬間に距離を詰める。

 今度はアリスが魔力弾を放ち、クラウスが防御術式で受け止めた隙に、その障壁の外側へ回り込む。


 クラウスが剣を返し、アリスが受けた直後、今度はクラウスの左手が動いた。

 アリスは魔法へ備えて薄い防御術式を身体の横へ展開したが、その左手には術式が現れない。


 フレイドが準決勝で使った偽の前兆を、今度はクラウスが使っていた。


 アリスが防御術式へ意識を割いた一瞬に身体を沈め、低い位置から腰の軽量アーマーへ向けて剣を振るう。

 アリスは咄嗟に自分の剣を下げ、寸前でその刃を受け止めた。


 だがクラウスは、それすら予想していた。


 接触した剣を下から押し上げ、アリスの右腕を外側へ開かせる。

 防御のために左手はすでに術式へ向けられており、胴体の中央が一瞬だけ空いた。


 そこへクラウスの左手が向く。


「まず――一つ」


 至近距離で魔力が集まり、防御術式を出し直すには遅い。

 アリスは左足を大きく後方へ引き、腰を軸に身体全体を回転させた。


 放たれた魔力弾が腹部のすぐ前を通過する。

 同時に外側へ開かされていた右腕を身体の回転へ乗せ、剣を大きな円軌道でクラウスへ戻した。


「なっ――!」


 クラウスが咄嗟に防御術式を展開する。

 アリスの剣が正面から障壁へ叩きつけられ、その表面へ亀裂が走った。


 クラウスが後ろへ下がる。

 アリスは今度こそ逃がさず、そのまま一歩踏み込んだ。


 剣を引く動きを見てクラウスの視線が刃へ向いた瞬間、アリスは左手から魔力弾を放つ。

 クラウスが反射的に防御術式を展開し、その攻撃を正面から受け止めた。


 魔力が弾けた光の向こうでアリスの剣が動き、クラウスも気づいて身体を捻る。

 だが、横薙ぎに振るわれた剣先を完全には外せなかった。


 刃が腰の軽量アーマーを正確に捉え、乾いた音とともに固定具を弾き飛ばす。

 外れた軽量アーマーが回転しながら石畳へ落ち、その音が不思議なほど大きく競技場へ響いた。


 一瞬、観客席が静まり返る。


 アリスもクラウスも追撃せず、石畳へ落ちた軽量アーマーへ視線を向けた。

 クラウスの腰から、一つ消えている。


「……取った」


 離れた場所で見ていたレティアの声が、小さく漏れた。


 次の瞬間、競技場全体が揺れるほどの歓声が上がった。

 アリスは大きく息を吐きながら距離を取り、クラウスも追わずに剣を構え直す。


 アリスには三つ。

 クラウスには、残り二つ。


 総合部門の決勝戦で初めて、アリスが一歩先へ出た。

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