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第一部 第五章 第2話

(……また……ここ……)


 アリスは白く広がる世界の中に、ただひとり、ぽつんと立っていた。

 視界に映るのは、無限に続く淡い光の空間だけだ。

 空と地の境界は曖昧で、どこまでも真っ白な世界が続いている。


 目を凝らしても色も形も輪郭さえ掴めず、ただ静謐な光だけが満ちていた。

 風もない。音もない。


 それなのに、不思議と寂しさはなかった。

 耳を澄ませば、遠くで淡い鈴の音のような響きがかすかに流れている。

 澄みきった空気の奥で、それはまるで記憶の彼方から呼びかけるように優しく心を撫でていた。


 時間の感覚もここには存在しない。

 一瞬なのか永遠なのかすら曖昧で、ただ心が静かに満たされていく。


(……ここは……私の“内側”……?)


 思念が小さく波紋のように広がり、やがて白の彼方に溶けた。


「……来たわね」


 低く澄んだ声が背後から響いた。

 静寂を割ることなく、それでいて確かに世界全体に染み渡るような声だった。


 アリスはゆっくりと振り返る。

 霧の光を押し分けて、一人の女性が姿を現した。


 白衣を纏い、夜のように深い黒髪ロングが背を覆っている。

 淡い光を吸い込みながら、その髪は静かに揺れた。

 瞳は深い蒼銀に輝き、冷たさと慈しみが同居している。


 ――レティシア・ファーレンナイト。

 アリスの前世にして、この大陸を導いた伝説の王祖。

 彼女はまっすぐにアリスを見つめ、凛とした微笑を浮かべた。


「久しぶりね……アリス。やっと、ここまで来たのね」


 その声は、懐かしさと誇りを帯びていた。

 アリスは息をのむ。胸の奥に、何か熱いものが込み上げてくる。


 その隣に、もう一人の女性が姿を現す。

 肩に触れるほどの黒髪ショートを軽く揺らし、白衣の裾を整えた。

 理知的で、それでいてどこか人間味のある笑みを浮かべている。


「おかえり、アリスちゃん。ほんとによく頑張ったね。

 こっちの世界まで、ちゃんとたどり着いたのはすごいことよ」


 ――長瀬はるな。

 アリスの前々世であり、地球時代のロボット工学博士にして軍事研究者。

 彼女の声は優しく、まるで懐かしい母のようだった。


「レティシア……はるな……」


 アリスの口から自然に二人の名が零れた。

 その声には懐かしさと安堵が混ざり、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 レティシアが穏やかに微笑み、静かに言葉を紡ぐ。


「顔を上げて、アリス。私たちはもう、あなたの“過去”ではない。

 あなたが今ここに立っていること、それ自体が“継承”の証よ」


 はるなが頷き、アリスに一歩近づく。


「そう。今のあなたは、私たちを越える“今”の存在。

 ねぇ、アリスちゃん……あの光景を見て、怖くなかった?」


 アリスは少し視線を落とし、唇をかすかに噛む。


「……怖かった。

 あの時、胸がぎゅって締めつけられる感じがして……。

 でも――それと同時に、すごく静かで……。

 あれが“恐怖”じゃなくて、“祈り”みたいに感じたの」


 はるなが優しく微笑み、肩に手を置く。


「そう……それが“共鳴”なの。

 あなたの心が、私たちの記憶と響き合った瞬間。

 恐れなかったのは、あなた自身がもう“受け継ぐ側”に立っていたからよ」


 レティシアがゆっくり頷く。


「恐れる必要はない、アリス。

 あの戦いは過去のものだが、それを見届けたお前の中に芽生えた感情は、確かに“今”の意志。

 それを誇りに思いなさい」


 アリスは静かに息を吸い込み、目を閉じて頷く。


「……うん。あの時、レティシアの剣が光るたびに……

 胸の奥で、何かが燃えるように疼いたの。

 まるで、“まだ終わっていない”って言われているみたいで……」


 レティシアは微かに笑い、瞳を細めた。


「それは――私の願いが、あなたに届いた証。

 あの刃は、お前のために振るわれた。

 そしていつか、それはお前の手に宿るだろう」


 アリスははっと顔を上げた。

 その蒼銀の瞳に、決意の光が宿る。


「……本当に、私が……?」


「ええ。誰かの代わりではなく、あなた自身の力として」


 はるなが優しく補う。


「ねぇアリスちゃん、あなたはいつも“誰かを守るために”戦うけど、その根っこにはちゃんと“自分で選んだ意思”がある。

 それを忘れないで。――もう、私たちは手を引かないからね」


 アリスは小さく微笑む。


「……うん。二人がそう言うなら、大丈夫。

 でも、少しだけ――寂しいよ」


 レティシアの瞳がやわらかく揺れた。


「……“寂しい”と思えることは、強さの証よ。

 もう一人じゃない証でもあるわ」


 はるなが軽く息をつき、いつもの柔らかい口調で続けた。


「さて――本題に入ろうか」


 レティシアの声音が空気を引き締める。

 漂っていた光がわずかに脈動し、空間が静かに呼吸を始めた。


「アリス。これから、私たちの“記憶”と“力”を――あなたの中に融合する」


 アリスが目を瞬く。

「融合……って、どういう意味?」


 はるなが一歩前に出て説明する。


「簡単に言うとね、これまでみたいに“借りる”んじゃなくて、

 完全にあなたの一部になるってこと。

 知識も力も、感情も、全部あなたの中でひとつになるの」


「じゃあ……二人はどうなるの?」


 アリスの声が少し震える。

 レティシアとはるなが静かに目を細める。


「私たちの意識は深層に残る」

 レティシアが静かに告げる。

「けれど――こうして直接話せるのは、今日が最後になる」


 はるなが頷き、穏やかに言葉を添える。


「消えるわけじゃないよ。眠るだけ。

 でもね、アリスちゃんが呼べば、いつだって応える。

 声じゃなくても、“感じる”ことができるはず」


 アリスは小さく息を飲み、目を伏せる。


「……でも……怖いの。

 自分じゃなくなってしまいそうで……」


 はるながそっとアリスの頬に触れた。


「大丈夫。根っこはアリスちゃんのまま。

 ほんの少し、私たちの“色”が混ざるだけ。

 個性も心も、あなたのものよ」


 レティシアが柔らかく微笑む。


「お前が“お前自身”を信じる限り、誰も奪えはしない」


 アリスは息を吐き、静かに頷いた。


「……うん、頑張る……」


 二人は同時に微笑んだ。

 そして、レティシアがほんの少しだけ真顔に戻る。


「最後に――一つだけ頼みがある」


「……頼み?」


「私が生前、果たせなかった不始末がある。

 それを、お前に託したい」


 アリスは驚きに目を見開く。


「不始末……? どんな……?」


「それは今は言えない」

 レティシアは首を振る。

「記憶の奥に封じておく。時が来たら、お前自身が見つけるだろう」


「……ずるいよ、それ……」


 アリスが唇を尖らせると、はるなが笑った。


「ふふ、ほんと昔から変わらないね。

 そうやって不器用に秘密を抱え込むところ」


「おい、はるな」


「だって事実でしょ?」


 アリスが思わず吹き出す。

 空気が少し和らいだ。


「……ありがとう、二人とも。私、ちゃんとやってみる」


 白い空間に金色の光が満ち始める。

 柔らかな輝きが霧を透かし、やがて二人の輪郭が淡く滲んでいく。

 それは消失ではなく、融合の始まりだった。


「――アリス、最後に覚えておけ」

 レティシアの声が凛と響く。


「私たちの記憶と力は、あまりに大きすぎる。

 必要のない時は決して解放するな。

 たとえ血を分けた家族であっても、感づかれぬように隠せ」


 はるなが隣で優しく微笑む。


「それとね……魔力の全開放だけは、本当に危険。

 どうしても守りたいものがある時以外は、絶対に使っちゃダメ。いいね?」


 アリスはゆっくりと頷いた。


「……うん、約束する」


 胸の奥で確かな誓いが結ばれる。

 光が彼女を包み込み、世界が金と白の輝きで満たされていく。


「――行け、アリス。もう、私たちの時代ではない」

 レティシアの声が静かに響く。


「行ってらっしゃい。次は、あなた自身の物語を生きてね」

 はるなの言葉が優しく重なった。


 柔らかな風が吹いた。

 アリスの髪がふわりと舞い、その身体は光の海にゆっくりと溶けていく。

 鈴の音が遠くで小さく鳴った。


 ――そして世界が、静かに光の粒となって崩れ落ちていった。。

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