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第一部 第四章 第12話

 月光の下。

 白銀の刃と星々の残光だけが、地を這う全ての闇を切り裂いていく。

 空気は灼けるように熱く、魔力の摩擦音が夜を焦がしていた。

 遠くで崩れ落ちた瓦礫が光の反射で蒼く瞬き、焼けた土の匂いが漂う。


 夜の闇を裂いて、バロール・ビースト亜種の最後の咆哮が空に響いた。

 低音から高音へと跳ね上がる異形の咆哮――空気そのものを揺らし、岩壁を震わせる。


 群れの中でもひと際巨躯。

 他の個体が次々と薙ぎ払われていく中、ただ一体だけ、逃げず吼え、爪を振るって迎え撃つ。

 その瞳孔は血のように赤く、白銀の光を拒絶するように狭まっていた。


 だが――


(……フレイム・ボール――展開)


 その言葉すら、もはや“声”ではなく、レティシアの内なる意志として淡く響く。

 呼吸一つ乱さず、思念の命令が世界を貫いた瞬間、周囲の空気が震動する。


 小さな星々――超高密度エーテル球が、白銀の髪に導かれるように浮かび上がった。

 十、十一、十二――次々と生まれた光の球体が、月光を吸い込みながら宙を舞う。

 空間そのものが歪み、彼女を中心に銀色の魔力渦が形成されていく。


(はるな、視界、同期して)

――《了解。コアの残留魔力もスキャン済み。外殻は厚いけど、貫通可能》

(……問題ない)


 レティシアの瞳が細められ、蒼の光が一点に収束する。

 息を吸い、踏み込み――地面の破片が一瞬遅れて宙に浮いた。


 レティシアはふわりと跳躍し、黒き巨獣の視界の真上に位置を取る。

 月を背に受けた瞬間、白銀の髪が夜風に揺れ、まるで天光が地上へ降りたかのようだった。

 巨獣が咆哮と共に振り上げた前脚を狙いすました一閃が切り裂いた。


 刹那――

 光が空を走る。

 衝撃と同時に、空気が爆ぜた。

 目に見えぬ衝波が放射状に広がり、瓦礫の山が一瞬で吹き飛ぶ。


(右腕、排除)


 その右腕が肘からごっそりと消し飛ぶ。

 断面からあふれた黒い血液が蒸気のように沸騰し、鉄の匂いと魔力の焦げた臭気が混じって空気を灼く。


 巨獣が痛みに狂い、無残な雄叫びを上げた。

 地を打つたびに大地が波打ち、崩れた柱が次々と倒れる。


《さすがだね、三百年経っても衰えてないじゃない》

――(はるな……今は茶化すな……集中する)

《はいはい……。じゃあ、コアの熱量、送るよ》


 次の瞬間、彼女の背後に展開していたフレイム・ボール群が一斉に赤熱化した。

 熱線が空間を走り、空気が悲鳴のように鳴る。

 レティシアの蒼い瞳が閃光の向こうに浮かぶ魔核の気配を正確に捉える。

 わずかに口角を上げ、踏み出す。


 エーテルソードを逆手に構え、爆風を踏みつけるように一気に懐へ突入する。

 彼女の動きは一瞬――視認できるのは、ただ光の軌跡だけだった。

 空気を切り裂く音が続き、同時に銀と青の残光が交錯する。

 その軌跡のたびに、巨獣の身体がわずかに裂かれ、血と魔力の火花が弾ける。


 巨獣がようやく自分の“死”を悟った。

 その眼孔が恐怖に見開かれ、残された腕を振り上げる。

 だが――遅い。


 空を裂くような絶叫。

 その咆哮の中を、白銀の閃光が縫うように走る。

 剣の軌道が胸元に食い込み、直後に背後の岩壁へ蒼白の閃光が抜けた。


(終わりだ――穿て)


 その思念と同時に、十二の星が収束し、一直線の光となって獣の胸部へ突き刺さる。


 閃光。轟音。衝撃。

 空気が爆発し、地面が波打つ。

 蒼白い輝きが、真夜中の大地をまるごと照らし出した。

 遺跡の石壁が反射光に包まれ、影が踊る。

風が爆ぜ、砂が炎の渦に巻き込まれて舞い上がる。


 巨獣の心臓が砕ける。

 その瞬間、全ての魔力反応が沈黙した。

 赤黒い光が失われ、巨体の内部で崩壊が始まる。

 血の代わりに、黒い霧が溢れ、やがて空中で淡く弾けて消えた。


(……はるな、これで――全部終わったな)

――《うん。これで全部……掃討完了だね》


 どすん、と地面が揺れた。

 黒き巨影が音もなく崩れ落ち、震動が遺跡全体を伝っていく。


 砂塵がゆっくりと落ちる中、レティシアは静かに剣を下ろした。

 白銀の光が弱まり、風の音だけが残る。

 はるなの声が遠くで微笑むように響いた。


――《お疲れさま。やっぱり、貴女は……どこまでいっても、レティシアなんだね》

(……そんな名前、もう呼ぶな。今の私は――アリスだ)


 小さく、しかし確かな思念が返る。

 白銀の髪が風に揺れ、夜空の星の光が淡く彼女の輪郭を照らした。


 その姿は、まるで月光の化身。

 誰もいない戦場の中心に、ただひとり立つ少女の背が、静寂の中に溶けていった。


 白銀の髪が、ゆっくりと降り注ぐ月明かりに溶けていく。

 その髪先が揺れるたびに、光が滴のように零れ落ち、夜風に散った。

 レティシアは何も言わず、振り返りもしなかった。


 暗い森の奥から響いていた全ての咆哮が、止んだ。

 ――静寂。

 夜風だけが、戦場を撫でていた。


 血と焼けた魔力の匂いがまだ漂う。

 だが、その中に混ざる月の匂い――冷たく澄んだ夜気が、ようやく戦場に戻ってくる。


 ――これですべての掃討が、終わった。


 夜はまだ深く、砕け散った黒い外殻の残骸が月明かりにかすかに光を返す。

 剣で裂かれた大地の亀裂に、白い霧が薄く流れ込む。

 生温い夜風と、焦げた土の匂いだけが漂っていた。


 遺跡の外縁を越えた少し開けた草地。

 そこに、血と汗と土にまみれたリナ小隊が集まっていた。

 誰もが深い呼吸を繰り返しながらも、互いの無事を確かめる声すら出せない。


 火薬と鉄の味が残る唇を拭いながら、エルドが荒い息を吐いた。


「……終わったのか……? 本当に……全部……」


 誰も答えなかった。

 ただ、遠くの夜風に混じって、何かが近づいてくる気配だけがあった。


 誰も言葉を発さない。

 誰もが、あの“白銀の影”を探していた。


「……あれは……こっちに来るぞ……!」


 エルドが低く息を呑んだ。

 わずかな月影の先に、草を分けて歩いてくる人影が見えたのだ。


 白銀の髪が夜の微光に溶ける。

 その髪が、月光を受けて淡く輝くたびに、空気がわずかに震えた。

 それがゆっくりと彼らの前まで歩み寄る。


 足音はほとんどしない。

 ただ、踏まれた草の葉が夜露を弾く小さな音だけが響いていた。


 リナは立ち上がりかけて、無意識に膝をつき直した。

 手のひらに土がついても気づかないほど、体が震えている。

 その胸の鼓動が、戦闘の最中よりも早く脈打っていた。


 レティアは胸を押さえ、目を大きく見開いている。

喉が震え、声にならない息が零れる。

 震える手で口元を覆い、アリスを見つめたまま、頬を一筋の涙が伝った。


 マーヤが震える声で、誰に問いかけるでもなく呟いた。


「……アリス……なの……?」


 その声は風に消えそうなほど小さかった。

 けれど、その一言で空気が変わった。

 全員の視線が、彼女――白銀の少女に集中する。


 返事はない。

 ただ、白銀の少女は一度立ち止まり、静かに彼らを見渡した。

 冷たくも、どこか優しい視線。


 まるで、遠い時代から帰ってきた誰かが、懐かしい夢の続きを確かめるように。


 だがその瞳に宿る光は、確かに“彼女”ではなかった。

 その奥にあるのは、戦場を見慣れた者の静かな覚悟。

 そして、どこかに滲む哀しみ。


「……アリス……だよな……? なあ……」


 フィルが一歩踏み出しかけて、言葉を飲み込んだ。

 彼女の纏う空気が、あまりにも違っていたからだ。

 人ではなく、光そのもののようで――近づくことすらためらわれた。


 白銀の少女は何も言わない。

 その場でそっと片手を上げ、彼らの無事を確かめるように小さく頷いた。

 その無言の仕草だけが、全てを物語っていた。


 ――“仲間たちを見届けた。これで、いい”


 リナは震える声を押し殺しながらも、仲間たちを振り返る。


「……全員……生きている……アリスさんのおかげです……ありがとう……!」


 その言葉がようやく声となった時、全員の肩から一斉に力が抜けた。

 それでも少女は言葉を返さない。

 わずかに唇が動きかけて、また閉じられた。


 ――その奥で、静かな思考の声が交わる。


(……はるな、これでひとまず片付いたな……)

《……うん、お疲れ様、レティシア……ふふ、英雄様がまだまだ健在で安心したよ》

(ふん……これくらい、昔の私なら当然だ……。さて――あとは……)

《そろそろ……アリスに返してあげないと、ね》


 白銀の髪を包んでいた淡い光がゆっくりと収束していく。

 光が空気の粒子に混じり、彼女の周囲で星のように舞った。

 流れ星のように舞い散った光が、少女の髪を再び金色に戻していく。


 瞼がゆっくりと開き、その奥に宿ったのは、確かに――アリス・グレイスラーの瞳だった。

 蒼銀の光が消え、代わりに穏やかな蒼が戻る。

 戦場の冷気の中でも、その瞳だけは確かに“生”を宿していた。


 アリスは小隊に向けてほんのわずかに唇を緩め、かすかに微笑んだ。


「……みんな……無事で……よかった……」


 その声は掠れていても、確かにいつものアリスの声だった。

 温かく、柔らかく――誰もが待ち望んだ音。


 その笑みを最後に、膝がふらりと折れた。


「――アリス(さん)!」


 リナとレティアが同時に叫び、駆け寄る。

 フィルが咄嗟に支えに入るが、アリスの体は力を失って静かに崩れ落ちる。


 地面がわずかに揺れ、乾いた土が舞った。

 アリスの頬にかかった月光が淡く滲む。

 その瞼は閉じられ、安らかな表情を浮かべていた。


「大丈夫……息はある……!」


 マーヤが震える指で脈を確かめ、顔を上げた。

 安堵の息が、全員の胸から一斉に漏れる。


 レティアはその傍らに膝をつき、アリスの手をそっと握った。


「……おかえり……アリス」


 その一言が夜風に溶け、月の光の中に消えていった。

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