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第一部 第四章 第11話

 咆哮の渦に、白銀の光が溶けていく。

 光は断続的に閃き、夜空の奥で淡く散り、やがて霧のように消えた。

 轟く音と爆風の余韻だけが、まだ大地の底から震えの形で伝わってくる。


 リナ小隊は、ただ――目の前で繰り広げられる異形の戦場を、言葉を失ったまま見つめていた。

 土煙がゆっくりと晴れ、焦げた風が肌をなでていく。

 焦げた匂い、鉄の匂い、血の匂い――それらが混ざり合い、呼吸をするだけで喉が焼けるようだった。


「……今……あれ……アリスさん……?」


 リナが、震える声を押し殺して呟いた。

 その瞳は大きく見開かれ、信じたいものと信じたくないものの間で揺れている。

 彼女の頬には、飛び散った泥と涙が線を描いていた。


 レティアは血の気の引いた頬を強張らせたまま、かすかに首を振る。

 息が浅く、震える指先が握りしめた杖をきしませる。


「……わからない……けど……今のあの光は……私たちの知ってるアリスじゃない……」


 その声は、恐怖でも絶望でもなかった。

 ただ、確信に似た哀しみが滲んでいた。


 フィルが息を呑む。

 肩で荒く呼吸し、額から汗が一筋流れ落ちる。


「信じられない……。一撃で……あんな……」


 彼は言葉を継げずに唇を噛んだ。

 その隣で、エルドが力なく膝をつき、拳で地面を叩いた。


「……人間の速さじゃねぇ……剣の軌道すら見えなかった……」


 拳に泥が跳ね、血の混じった水が滲む。

 誰もが理解していた。

 あれは――もう、人の戦いではない。


 咆哮の余波がまだ耳の奥でうなり、心臓の鼓動を乱す。

 視界の端に、かつて巨獣が立っていた場所が見える。

 そこは黒く焦げ、地面は円形にえぐれ、中心には白銀の残光がまだ漂っていた。


 轟音。

 地面を裂く咆哮。

 空気が再び揺らぎ、彼らの身体を小刻みに震わせる。


 先ほどまで巨獣が立っていた場所、その中央に立つはずの白銀の髪の影は――もう、いなかった。


「……消えた……?」


 リナが、声を震わせて前を指さす。

 視線の先には、もはや何もない。

 確かにそこにいた。

 確かに巨獣を討ち果たした、その姿が――視界から、音もなく掻き消えた。


「どこへ……行った……?」


 フィルが呟き、マーヤが肩を抱えるようにして周囲を見渡す。


「まさか……撤退じゃ……ないよね……?」


 その声は、恐れよりも“置いていかれる不安”に近かった。


 誰かが、土煙の向こうを探すように声を上げた。


「アリス! ……応答してくれ!」


 返事はない。

 風の音だけが、裂けた布をはためかせて答えた。


 しかし、答えはすぐに響いてきた。


 戦場のさらに奥――遺跡の外縁内、だが正面の防衛線からはかなり離れた場所で、新たな巨獣の悲鳴と金属音が重なり響いている。


「もう……別の場所で……戦ってる……」


 レティアが、震える声でかすかに笑った。

 笑みというより、絶望を押し殺すような微笑。

 その瞳には涙が滲み、それでも誇りが宿っていた。


「……あの人……行ったんだね……。

  私たちが追いつけない場所へ……」


 マーヤの声は震え、唇がかすかに動く。


 リナは静かに息を吐き、胸の前で手を組んだ。


「アリスさん……どうか、無事で……」


 彼女の祈りは風に乗り、夜空へと吸い込まれていく。

 声を失った小隊の背を、熱風と土煙が繰り返し打つ。

 遠くで、また閃光が走り、何かが砕け落ちる音が届いた。

 雷にも似た衝撃波が頬をかすめ、地面が低く唸る。

 まるで大地そのものが、ひとりの少女の戦いを見守っているかのようだった。


 誰も助けを呼ばない。

 誰も声をかけない。

 ただ、その背を――あの白銀の背を、絶対に失わないと、ただただ祈ることしかできなかった。


 リナが、かすかに口を開く。


「……あの光を、見失わないように。

  もし彼女が戻ってこれなくても……私たちが道を照らすの」


 その言葉に、皆がわずかにうなずいた。

 彼らの瞳にはまだ涙が宿っていたが、同時に――確かな誓いの光が宿っていた。

 夜はまだ終わらない。

 けれど、その闇の中で彼らの胸に灯った祈りだけは、どんな嵐よりも強く、確かに燃えていた。



 遺跡の外縁――月光さえ届かない、巨石の割れ目と崩れかけた柱が点在する廃墟の奥で、また一体、バロール・ビースト亜種の咆哮が途絶えた。


 砕けた外殻の奥に突き刺さった白銀のエーテルソードの刃が、蒼い燐光を鈍く灯す。


 その柄を握る白銀の髪の少女は、血飛沫を付けた手を軽く振り払い――声を発することなく、ただ目を細めた。


(……まだ二体……か。こいつら、本当に手間をかけさせる……)


 足元では、巨獣の断ち割られた肉片がゆっくりと黒煙に変わり、空気を焦がして消えていく。

 その黒煙の中で、白銀の髪がほのかに光を反射して揺れた。


 脳裏で、はるなの声がくすりと笑った。


――《でも、あの頃の貴女なら……まとめて一瞬でやれたんじゃないの?》


(……言うな……昔話はもういい……)


 唇の端がかすかに歪む。苦笑とも、戦士の呼吸ともつかない表情。


 奥の瓦礫の陰から、残りの一体が、黒い眼孔をぎらつかせて低く唸った。

 その音は地鳴りと見紛うほど低く、空気の粒を震わせて肺を圧迫する。

 獣の爪が地を裂き、崩れた柱の破片が弾け飛ぶ。

 四つの瞳孔が一斉に収縮し、殺気の波が空間を歪ませた。


(さぁ……終わらせる)


 右手をゆっくりと開く。

 掌の中心で蒼白い光が脈打ち、線状の紋章が次々と浮かび上がる。


 その一点に魔力が集束し、光が溶けるように形を変え――やがて、一本の刃が生まれた。

 蒼白い輝きが刃先を走り、周囲の空気を焦がすような高音を発した。

 エーテルソード。

 白銀の光を帯びたそれは、まるで意志を持つ生物のように震え、微かな低音で唸りを上げている。


 同時に、思考の中で一言。


(……フレイム・ボール)


 その瞬間、背後の空間が揺らいだ。

 重力を拒むように浮かび上がる十二の光球――超高密度のエーテル球が、白銀の残光を滲ませながらゆるやかに回転を始めた。


 それらは呼吸をするように明滅し、ひとつひとつが小さな心臓の鼓動のように脈打つ。


 巨獣が咆哮した。

 その声は、もはや生物のものではない。空気を噛み砕くような圧力の奔流。

音波の衝撃で瓦礫が宙に舞い、地面の砂が逆巻く。


 刹那――足元の瓦礫が爆ぜる。

 白銀の影が、闇を裂いた。

 爆音と同時に、彼女の姿が視界から消えた。


《速い――》


 はるなの声が追い付くより早く、レティシアの身体はすでに獣の懐へ滑り込んでいた。

 踏み込みと同時に、風が反転する。

 残光だけが時間を引きずり、彼女の軌跡を描き出した。


 獣の大振りの爪が閃く。

 鋭利な黒鉄の爪が月光を反射し、空間を切り裂く――だが、その刃が振り下ろされる前に、レティシアの姿はその死角へ滑り込んでいた。


 咆哮が割れる。

 巨獣の身体が振動し、動作がわずかに遅れる。

 その一瞬の隙を逃さず、レティシアの足が地を捉える。


 獣の腕が振り下ろされる――

 レティシアは一歩も退かず、左手でその爪を素手で受け止めた。


 ゴギィ――と骨がきしむ金属音。

 火花が散り、掌と爪の間で魔力が火花を上げて衝突する。

 圧力の波が周囲を吹き飛ばし、地面に走った亀裂が蜘蛛の巣のように広がった。


(無駄だ)


 その思念と同時に、右手のエーテルソードが閃く。

 白銀の線が夜空を貫き、軌跡が残光の弧を描く。

 蒼白の剣閃が一閃。

 刃が空気を裂いた瞬間、世界が一拍遅れて音を取り戻す。


 巨獣の首が、咆哮ごと断ち切られた。

 黒い血潮が放物線を描き、霧のように彼女の肩を濡らす。

 その飛沫さえも白銀の光に照らされ、瞬く間に蒸発した。


 黒い巨体が崩れる音だけが、夜気を震わせる。

 重力に引かれた肉塊が地を打ち、震動が廃墟全体に響き渡る。


 倒れた巨獣の瞳が、最後の光を失うよりも早く、レティシアはすでに次の気配へと視線を向けていた。

 エーテルソードの刃先が微かに滴り、白い蒸気が立ちのぼる。


「……残り、一体」


 言葉と同時に、背後で静かに回転する十二の光球が再び軌道を変える。

 その輝きが、闇の中で無数の小さな星々のようにきらめいた。


 残る一体は、咆哮を残して奥の闇へと逃れようとしたが――

 その巨躯が動いた瞬間、空気がわずかに震えた。


 白銀の光がわずかに揺らぎ、背後の《フレイム・ボール》が一つ、音もなく軌道を変える。


 静寂。


 そして次の瞬間――

 蒼白の閃光が夜闇を裂いた。

 音よりも早く、熱よりも深く。


 それはまるで空間そのものが“貫かれた”ような衝撃だった。

 閃光が尾を引き、流星のように放たれたそれは一直線に走り抜ける。

 逃れようとした巨獣の背中――その中央、硬質な外殻の下に潜む心核を、寸分の狂いもなく射抜いた。


 閃光が消えた直後、時間が一瞬止まる。


 そして――


 遅れて炸裂する音と光。

 轟音。

 光の奔流が巨獣の体内を焼き貫き、内部から崩壊が始まった。

 血の代わりに黒い魔力煙が吹き上がり、夜気を震わせる。

 金属を叩くような甲高い悲鳴が上がる。

 耳をつんざくようなその音が、やがて断末魔の咆哮へと変わり――

 亜種の最後の咆哮が、遺跡の奥に虚しく消えた。


 爆煙の中、レティシアの髪がゆるやかに舞い上がる。

 青白い光がその輪郭を照らし、闇の中で彼女だけが別の時間を生きているように見えた。


(……これで、外縁の掃討……完了)


 心の中で、淡々と告げる。

 その声音には疲労の色も、安堵の気配もなかった。

 ただ戦場の空気を測るような冷たい確信。


 脳裏では、はるなの声が小さく微笑むように響く。


――《お疲れさま、英雄様》


(……フッ)


 唇がわずかに歪む。

 その笑みは、喜びではなく――かつての己への皮肉。

 血と光の中に立ちながら、どこか遠い昔を見ているようだった。


――《さすが、レティシア。さぁ……次だよ。まだ終わりじゃない》


(分かっている……無駄に時間はかけられない)


 返す思念は短く、しかし鋼のように研ぎ澄まされていた。


 瓦礫の影を滑るように、一陣の夜風が吹き抜ける。

 焦げた鉄の匂いと、焼けた魔力の残滓が混ざり合い、微かに赤い粒子となって空中に漂った。


 彼女の視線が、闇のさらに奥へと向かう。

 次の標的――遺跡のさらに奥、まだ咆哮を残している気配がある。

 魔力の濃度が異常に高い。

 あれはただの残党ではない。中心部を護る個体――核守獣。


(あそこか……やはり、ここが封印域の端か……)


 思考と同時に、地面を覆う魔導陣の残滓がほのかに青く反応した。

 まるで、彼女の到来を感じて震えるかのように。


 血飛沫に濡れた片手を下ろし、ゆっくりと踵を返す。

 その指先から、乾いた血が滴のように落ちる。

 地に触れた瞬間、淡い光となって消えた。


 白銀の髪が静かに揺れる。

 風が止まり、周囲の空気が一瞬で凍りついた。

 彼女の瞳――蒼銀の双眸が、次なる闇を見据える。

 その中に、恐れもためらいもない。

 ただ、終わらせるという意思だけ。


(……行くぞ――)


 声には出さない。

 胸の奥で燃える魔力が、再び波打つ。

 十二の《フレイム・ボール》が彼女の周囲に再展開し、ゆるやかに旋回を始めた。

 白銀の残光が、次の戦場へ向けて、闇の中に溶けるように消えた。


 その足音はない。

 だが確かに、大地が微かに震える。

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