第十一部 第三章 第5話
そして、ついにその源――“光の門”の前に辿り着いた。
星海のただ中に、ぽっかりと穿たれたように存在する石造りの枠。
それは確かに門の形をしている。
だが、門扉も、扉板も、蝶番も存在しない。
中心には何もないはずなのに、そこには眩いばかりの光が満ちていた。
白銀にも蒼にも見えるその輝きは、見る角度によって色相を変える。
液体のように揺らぎながらも、決して零れ落ちることはない。
まるで宙を裂き、その向こう側に星そのものを詰め込んだかのような、非現実的で神々しい光景だった。
「……門が光っているというより、門の“中”が光り輝いているのね。枠はただの枠で、光そのものが本体みたい」
レティアがそっと呟く。
その碧眼はきらめく光を反射し、まるで星明かりを宿したかのように揺れていた。
視線を外せない。
吸い込まれそうになるほど純粋で、澄みきった光。
「まぶしすぎて、これ……入るの無理じゃない? 視界が焼けそう。魔力遮断しても透過してくる感じがするんだけど」
ミレーネが額に手をかざし、瞳を細める。
頬を照らす輝きは、昼下がりの陽光よりも強い。
だが熱は感じない。
ただ、視覚を支配する純粋な“光量”だけが圧倒的だった。
「熱源なし、魔力波動は安定……いや、安定しすぎてる。揺らぎがゼロに近い。こんな完全な定常状態、人工物以外ありえない」
ザックが端末を操作し、展開したスコープを門へ向ける。
次の瞬間、赤い警告表示が連続して弾き出された。
センサーが過負荷を示し、映像は白く焼き切れる。
「観測不能。光強度が上限値を超えてる。あの光、センサーを焼いてる。直視は危険かもしれない」
彼は肩を落とし、苦笑した。
「……そういえば、魔獣が全然出てこないな。ここに来てから気配が消えた」
ラースが双剣を軽く構え直し、周囲を見回す。
耳を澄ませる。
だが、先ほどまで感じていた殺意も、重力の歪みも、何一つない。
「もしかして、ここって安全地帯……とか?」
その何気ない言葉に、場の空気が一瞬止まった。
「……ラースくん、それ、いわゆる“フラグ”ってやつでは? 安全って言った瞬間に何か起きるのが常套よ」
レティアが苦笑混じりに突っ込み、わずかな笑みを浮かべる。
「いや、何も起きなきゃいいなって思っただけだよ。今の俺、全力で守る気はあるけど、正直ちょっと疲れてるしな」
ラースは肩をすくめる。
だがその声色には、微かな緊張が滲んでいた。
門を取り巻く空は、相変わらず星々と幻影のような光が交錯している。
夜空が渦を巻いているかのように見えるのに、音はない。
風もない。
重力も、ほとんど感じない。
まるで外界から切り離された“隔絶の領域”。
門だと思われた構造物の“裏側”に回っても、広がっているのは満天の星空だった。
上下の概念が希薄だ。
足元には確かに硬質な地面の感触がある。
だが視界を見上げても、振り返っても、同じ星の海。
どこが天で、どこが地なのか。
感覚が曖昧になる。
「……やっぱり、枠だけなのね。門というより、空間に窓を穿ったみたい」
レティアが細い吐息とともに言う。
その声には、感嘆と畏怖が混じっていた。
荘厳な石のアーチ。
表面には幾重にも文様が刻まれている。
幾何学的でありながら有機的。
符文は脈動するかのように淡く輝き、規則的に光の流れを循環させていた。
風化や摩耗の痕跡はない。
まるで造られたばかりのように滑らかだ。
そこには明確な“意図”と“意味”が込められている。
「門……というより、“枠”の中が光を放っているだけか。外側は固定構造、内側が転移層……いや、違うな。これは単純な転移じゃない」
ザックが低く言い、端末をかざす。
だがセンサーは白いノイズを返すだけだった。
「でも、通り抜けられそうな感じがするね。拒絶されてる感じはない」
ミレーネが前髪をかき上げ、瞳を細めて光を見つめる。
蒼白の輝きが頬を染める。
彼女自身が星の一部になったかのようだった。
「……この構造、どう考えても人工物だよな。自然発生なら、こんな完璧な直線は出ない」
ラースが低く唸る。
双剣を握る手に力が入る。
視線は光の奥を警戒している。
「ええ。でも、それが“誰のもの”なのかまでは、今の段階じゃ判断できない。古代文明か、それとも……この階層そのものを造った存在か」
アリスは小さく首を振る。
蒼銀の瞳で光の枠を見据える。
鼓動がわずかに早まる。
それは空間にぽっかりと穿たれた、異界への入口――。
星の海のただ中で異様に浮かび上がるその構造物は、静かに、しかし確実に、次なる試練の存在を告げているように思えた。
「……私が行ってくるわ。ここで立ち止まっていても答えは出ない。危険があるなら、最初に触れるのは私よ」
アリスが静かに、しかし迷いのない声で言い放った。
蒼銀の瞳は、枠の中で絶え間なく揺らめく蒼白の光を真っすぐに捉えている。
その横顔には、恐れよりも覚悟があった。
「待って、アリス! 一人で行くなんて――そんなの、いくらなんでも無茶だよ!」
ミレーネが慌てて声を上げ、両手を胸の前で握りしめる。
淡い星光が彼女の指先を照らし、震えを隠せない様子が浮かび上がる。
「危険かもしれないのよ。戻れなかったらどうするの? さっきだって、この階層は私たちを“試してる”みたいだった。門だって同じかもしれない」
レティアも即座に口を開く。
冷静な声音の裏に、彼女らしくない焦りが滲んでいる。
「調査は段階的に進めるべきよ。まずは遠隔観測、魔力接触テスト、結界越しの干渉……いきなり踏み込む必要はないわ」
しかし、アリスの瞳は揺れなかった。
光は彼女の髪を淡く照らし、その輪郭を白銀に縁取る。
「でも、ここで足踏みしていても状況は変わらないわ。解析はもう限界までやった。センサーは焼き切れ、波形は読めない。なら……実際に触れるしかない」
ひと呼吸置き、仲間たちを見渡す。
「……私が何も感じなかったら引き返す。でも、もし“向こう”に何かあったら、それを確認しなければいけない。ここが第四層の核心なら、避けては通れない」
張り詰めた沈黙が、短い永遠のように流れた。
星々の瞬きだけが、静かに空間を満たす。
やがて、ザックが小さく息を吐き、肩をすくめた。
「……アリスがそこまで言うなら、止められそうにないな。君はそういうやつだって、もうみんなわかってる。理屈より先に、自分で確かめないと気が済まない」
端末を操作しながら続ける。
「簡易リンクを繋ぐ。完全同期は無理でも、魔力反応の断絶が起きたら即座にわかるようにする。無理はするな、少しでも異常を感じたら戻れ」
「本当に……無茶するんだから。でも、それがアリスだものね」
レティアが苦笑を零す。
その笑みの奥には、深い心配と、それでも信じる覚悟があった。
「必ず戻ってきて。あなたがいない第四層なんて、意味がないわ」
ミレーネが祈るように告げる。
声は震えていたが、その眼差しには揺るぎない信頼が宿っている。
「気をつけて。何かあったら、すぐに戻ってきてね。絶対よ」
ラースは何も言わず、ただ一歩前に出る。
双剣を握る手がわずかに強くなる。
「……俺はここで待つ。何か出てきたら全部叩き落とす。だから、安心して行け」
短い言葉に、全幅の信頼が込められていた。
アリスはそんな仲間たちへ、小さく、しかし確かな頷きを返す。
「ええ。みんな、ありがとう。それじゃ――行ってきます!」
深く息を吸う。
胸に手を当て、鼓動を確かめる。
浮遊感の中でも、足裏の感触は確かだ。
一歩。
ためらいなく踏み出した。
――光の“門”。
その瞬間、眩い輝きがアリスの姿を包み込む。
蒼白の光が衣を透過し、輪郭を溶かしていく。
白銀の髪が光に溶けるように揺らめき、伸ばした手が淡い残像を残して消えていく。
音はない。
衝撃もない。
ただ、光の密度だけが増していく。
仲間たちが息を呑んで見つめる中、アリスの姿は音もなく、光の向こう側へと吸い込まれていった。
「……まだ戻らないな。簡易リンクも途絶はしていないが、明確な反応もない。完全な静止状態だ」
ザックが端末を閉じ、懐中時計のような簡易計測装置を取り出す。
針はすでに十数分を刻んでいた。
星光を受けて、細い金属針が冷たく光る。
「もう、十数分経ってるわ。体感ではもっと長く感じる……」
レティアの声は低く抑えられていた。
だがその響きには焦りが滲む。
普段の冷静な声音に珍しく、わずかな震えが混じっていた。
「時間の流れが向こうと一致している保証はないけど……でも、長いわ。長すぎる」
門の蒼白な光は相変わらず一定の脈動を続けている。
強度も、周期も変わらない。
それが逆に不安を煽った。
「何かあったんじゃ……だって、あの光の中だよ? 何があるかわからないのに、アリス一人で……」
ミレーネは胸元の結界符へ無意識に手を伸ばす。
指先が何度も紋様をなぞる。
呼吸が浅くなるのを、必死に抑え込もうとしていた。
「落ち着け、ミレーネ。リンクは切れてない。強制遮断も起きてない。少なくとも即時的な危険は検出されていない」
ザックは冷静を装いながらも、指先がわずかに速く動いている。
端末の光が彼の眼鏡に反射し、焦燥を隠しきれない。
「……俺たちも、行くか? 待つだけってのは、性に合わねぇ」
ラースが鋭い眼差しで仲間を見渡す。
双剣の柄を握る手に力がこもる。
待つことへの苛立ち。
そして、仲間を失うかもしれない恐怖。
「二人以上で入れば、相互救援は可能。でも未知の領域に戦力を分散させるのは悪手よ。もし向こうが“分断”を狙っていたら?」
レティアが即座に応じる。
理性は働いている。
だが胸の奥では、今すぐ門へ駆け込みたい衝動が暴れていた。
「でも、このまま何もせずに待つなんて……」
ミレーネが唇を噛む。
「あと五分。五分待って変化がなければ、俺が行く」
ラースが低く告げる。
「勝手な行動は許さないわよ。行くなら、全員で。あの子を一人にしたまま、さらに誰かを失う可能性は作らない」
レティアの言葉は強かった。
決意のこもった声音。
重苦しい沈黙。
星々の瞬きだけが、静かに空間を満たす。
光の門は何も語らない。
全員が、一歩踏み出すかどうか迷っていたそのとき――
光の門の内側が、ふっと揺らいだ。
規則正しく続いていた脈動の周期が、ほんのわずかに乱れる。
蒼白の輝きの中心部に、水面へ小石を落としたかのような波紋が広がった。
それは一瞬の歪みでありながら、確かに“向こう側”で何かが変化した証だった。
「……今、揺れたわよね?」
レティアが小さく息を呑む。
その声はかすれていた。
全員の視線が門へと吸い寄せられる。
誰一人として瞬きをしない。
呼吸すら止めたような静寂が、星海の空間を満たした。
光の奥で、何かが“形”を取り始める。
霧の中からゆっくりと浮かび上がる影。
輪郭は揺らぎ、まだ定まらない。
だが、確実にそこに“存在”している。
「反応増大……魔力強度、上昇。質量を伴う存在が出てくる。単独だ。サイズは……人型に近い」
ザックが端末を睨みながら短く告げる。
表示された数値は急激に跳ね上がり、すぐに安定した。
「単独……? 魔獣じゃないの?」
ミレーネの声が震える。
「魔獣特有の波形じゃない。……むしろ、私たちに近い」
ザックの言葉が、緊張を一層強める。
それは、ゆっくりとした足取りで近づいてくる“人影”。
光に包まれ、外形は滲みながらも、確かに二本の足で歩いている。
歩幅は一定。
急ぐ様子も、攻撃の構えもない。
長い髪が、光の中で淡く揺れる。
白銀にも見えるその色は、蒼白の光に溶け込みながらも確かな輪郭を保っていた。
「……あれは」
ミレーネの声が震える。
手が無意識に胸元の結界符を強く握る。
「待て、まだ確定じゃない。姿形が似ていても別物の可能性はある。偽装、幻影、擬態――どれも否定できない」
ザックが冷静に告げる。
だがその声も、わずかに掠れていた。
「構えは維持。接触まで三歩……二歩……」
ラースが双剣を握り直す。
攻撃の姿勢ではない。
だが、いつでも動ける構え。
蒼白の輝きが、徐々に弱まる。
光の密度が薄れ、影ははっきりと輪郭を帯びていく。
細身の体躯。
見慣れた立ち姿。
風に揺れるような長い髪。
星光を背に、影が一歩、門の縁を越える。
確かに――誰かがこちらへ戻ってきていた。




