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第一部 第四章 第9話

 暗く、深い眠りの底で――。

 アリスの意識は、どこまでも白く広がる無限の空間に、ぽつりと浮かんでいた。


 白。

 ただそれだけが存在する世界。

 上下も、前後も、時間の流れすらも失われたかのような、静止した永遠の中。

 足元はなく、風もない。

 音も、温度も、感覚のすべてが薄れている。

 それでも“ここ”は確かに存在していた。

 意識だけが、宙に漂うように。


 その純白の空間の中心で――二つの影が、向かい合って立っていた。

 一人は、かつて“彼女”自身でありながら、いまは異なる名と姿を持つ存在。

 “王祖”――レティシア・ファーレンナイト。

 そして、さらに遠い前世の記憶――科学者、長瀬はるな。


 二人の間に、穏やかな緊張が流れていた。

 静寂を切り裂くように、レティシアが先に口を開く。


「……さて、と」


 凛とした声が、凍りつくような静寂の中を滑っていく。

 その声は低く、しかし確かな力を帯びていた。


 言葉は自然と、彼女たちのかつての祖国語――日本語の柔らかな響きを帯びている。


「アリスの身体の状態、ちょっとスキャンしてみる」


 レティシアが一歩、虚空に踏み出す。

 彼女の足元から光の波紋が幾重にも広がった。

 深い色の瞳が鋭く輝き、空間に無数の光の断層が浮かび上がる。


 幾重もの術式文様が球状に展開し、ゆっくりと回転を始めた。

 線と符号が重なり、交差し、アリスの身体の内部構造を立体映像のように映し出す。


 まるで宇宙の星図を覗き込むかのような精密さ。

 白の世界の中にだけ、淡い紅と金の光が散っている。

 その一つひとつが、アリスの生命活動の輝き。


「……っ……これは……」


 はるなが眉を寄せ、不安げに覗き込んだ。

 目の前に浮かぶ映像には、無防備な身体が映し出されている。

 折れた骨、損傷した臓器、途切れた神経回路――。

 その一つひとつが、淡い赤の光点として浮かんでいた。


「どう? 結構まずい?」


 はるなが声をひそめる。

 レティシアは短く息を吐き、冷静な口調で答えた。


「外傷自体はそれほど深刻じゃない。

 でも、肋骨が数本折れていて、内臓にも裂けがある。

 それに加えて――神経伝達経路のほとんどが断絶しているの。

 これじゃ、意識があっても身体を自由に動かせる状態じゃないわ」


 はるながわずかに目を伏せた。

 無音の世界に、二人の呼吸音だけが響く。


「じゃあ、治すしかないね」


 短く、しかし力強く。

 彼女の瞳には、科学者だった頃の理知と、幾度も死線を越えた者だけが持つ決意の光が宿っていた。


 レティシアはその視線を受け、ほんの少しだけ口元を緩める。


「ふふっ……やっぱり、言うと思った」


 深く息を吸い、光の環の中心に片手を掲げた。


「古代魔術の高位治癒魔法を使うわ。

 現代の回復魔法じゃ、到底追いつかないレベルだからね」


 はるながうなずく。


「わかった。私はリンク構築を完了させる」


 彼女の両手が空間をなぞる。

 細く輝く光の糸が次々と編まれ、幾重にも重なっていく。

 科学的な精密さと、魔術的な直感が融合した構築式。


 数式と呪文が同時に流れ、それが三方向――アリス、レティシア、そしてはるな自身へと伸びた。

 光の糸が一本一本、柔らかく結びつき、彼女たちの間に淡い輪が形成される。


 ――リンク、確立。


 無音の世界に、淡く響く電子的な音。

 はるなが微笑しながら小さく呟く。


「接続、安定。……さあ、始めようか」


 だが、次の瞬間。


「……ん?」


 レティシアがふと動きを止めた。

 瞳がわずかに見開かれる。


「どうしたの?」


 はるなが魔導陣を回転させながら問いかける。

 レティシアはスキャンの光を再度集中させ、驚愕に似た息を吐いた。


「……今のアリス、魔力量が異常よ。

 単純な総量で言えば、私の全盛期と同等……いいえ、それ以上。

 魔力の密度が、常識では説明できないほど高い」


 はるなが目を丸くする。


「え、本気で言ってるの?

 冗談はやめてよ、それじゃ化け物じゃない」


 言いながらも、声にはわずかに興奮が混ざっていた。

 研究者の血が、未知への驚きにざわめく。


 レティシアは肩をすくめ、淡々と答えた。


「本気よ。冗談でこんなこと言うわけがないでしょ。

 魔力総量だけじゃなく、密度構造も……まるで“封印を解いたあと”みたい」


「封印……?」


「ええ。彼女の中には、まだ私たちが知らない“鍵”がある。

 もしかしたら――フローラの残した“継承層”が、反応してるのかもしれない」


 はるなが息を呑む。


「つまり、アリス自身が……封印の一部と共鳴してる?」


「そういうこと」


 レティシアの瞳に、静かな光が宿る。

 冷たいのに、どこか温かい。


 それは、かつて“王祖”として世界を守った時の、それと同じものだった。


「……やっぱり、あなたは特別よ、アリス」


 呟くように言いながら、レティシアは両手を広げた。

 光の波が彼女の身体から放たれ、眠るアリスの意識体を包み込んでいく。


 白の世界が、ゆっくりと銀色に染まり始めた。

 淡く輝く粒子が降り注ぎ、まるで夜明け前の雪のように舞う。


 はるなが小さく笑みをこぼす。


「……さて、ここからが本番だね」


 その声は柔らかく、そして――どこか懐かしい温もりを帯びていた。


 ――そして。


 白の空間がゆっくりと脈動を始めた。

 無限に広がる純白の光が波のように揺れ、空間そのものが呼吸しているかのようだ。

 アリスの身体を包む輝きは、静かに、確実に強まっていく。


「まるでロボットの起動シーケンスみたいね」


 レティシアがふっと微笑し、肩を軽くすくめた。


「――『全システムオンライン。コア出力正常。武装展開開始』……そんな感じかしら?」


 はるなが顔をしかめる。


「ふざけんなよ、そんな楽しそうなこと。こっちは魔導リンクの管理だけで手いっぱいなんだから」


 怒り混じりの声。

 だが口元には、抑えきれない笑み。

 罵りながらも、どこか楽しげで――戦友としての呼吸が、確かにそこにあった。


 レティシアはわずかに目を細め、遠い記憶をなぞるように呟く。


「……当時の私に、これだけの魔力があれば……あの悲劇は回避できたのにね」


 その声には、哀しみと悔恨、そして微かな誇りが混ざっていた。

 白い空間にその音だけが残り、静かに消える。


 はるなが苦笑し、肩をすくめる。


「じゃあ今のアリスに頑張ってもらいましょう。

 “あの不始末”を、きっちり片付けてもらうためにね」


 レティシアは、かすかに寂しげな笑みを浮かべた。

 かつて王祖として全てを背負った者の、遠い微笑。


「……そうね、たぶんそうなるわね。

 でも――“六つの門”か」


 呟くと、空間に淡い六つの光が浮かび上がる。

 それぞれが別の色を帯び、まるで封印を象徴するようにゆっくりと回転した。

 レティシアの瞳が、ほんの少しだけ哀しみを帯びて揺れる。


「でも、今のアリスの身体能力じゃ、全力のあなたを支えきれないでしょ? 本当に大丈夫なの?」


 はるなが真剣な眼差しを向ける。

 レティシアは小さく息を吐き、静かに微笑んだ。


「大丈夫よ。身体に合わせて魔力出力を調整するだけ。

 それでも――あの亜種くらいなら、十分に無双できるわ」


「……どの口が言うんだよ、それ」


 はるなが呆れたように息を吐く。

 けれど、その瞳には確かな熱が宿っていた。

 皮肉と信頼、そして長い時間を超えた友情が、その視線に滲む。


 その瞬間――眠るアリスの身体から、淡い青白い光が静かに零れ始めた。


 はじめは小さな灯火のような輝き。

 だが次第にそれは鼓動と共鳴し、光の波となって全身を包み込んでいく。


 どくん――どくん。

 規則正しく、穏やかな鼓動のように光が脈打つ。

 光の粒が髪を撫で、肌を照らし、やがてその青白さは白銀へと変化した。


 アリスの金の髪が、流れる銀糸のように染まりゆく。

 白銀の光がその全身を包み、指先に至るまで滑らかに輝きを帯びていく。


 まるで純粋な魔力が人の形を取ったかのよう。

 その姿は、静謐で、神々しく、美しかった。

 彼女はまだ目を閉じたままだが、確かな意思がそこに息づいている。


 ――目覚めの時は、すぐそこまで来ていた。


 アリスの意識の奥深くで、レティシアがゆっくりと肩を回し、深呼吸をする。


「……目覚めると痛覚が戻ってくる。だから、先にやっておくわね」


 その声は、指揮官としての静かな厳粛さを帯びていた。

 彼女は片手を胸に当て、もう片方の手を虚空へ伸ばす。

 低く、厳かな声で紡がれるのは、失われた古代魔術語。

 詠唱が響くたび、白い世界に新たな光の層が刻まれていく。


「――《エルン・ラハス・ミスティル……》」


 その瞬間、周囲の光が緑に染まった。

 エメラルドグリーンの輝きが優しく広がり、波紋のようにアリスの身体を包み込む。


 光は柔らかく、しかし確実に――癒していく。

 砕けた骨が静かに結び直され、裂けた臓器が織り合わされるように再生される。


 断絶していた神経の一本一本が、細い光の糸として再び繋がっていく。

 そのたびに、微かな音が響いた。

 まるで弦楽器の調律のような、優しい共鳴音。


 レティシアの唇がわずかに震え、詠唱の最後の一節が、静かな吐息と共に放たれる。


「……ふぅ。これで完治よ」


 緑の光がゆっくりと薄れ、再び白銀の光が穏やかに脈動を始める。

 レティシアは深く息を吐き、はるなを振り返った。


「じゃあ――行くわよ」


 その瞳には、覚悟の光が宿っていた。

 はるなは無言でうなずき、やがて笑みを浮かべて言う。


「うん。頑張ってね、レティシア。

 無双してきて――あの子の代わりに」


 軽口のようでいて、確かな信頼のこもった声。

 はるなの指先から細く光の糸が伸び、静かにレティシアへと流れ込む。

 その光は優しく、温かく――かつて共に戦った絆そのものだった。


 白銀の光が眩く弾け、空間全体が震える。

 レティシアは静かに目を閉じ、唇の端をわずかに上げた。


「……了解。じゃあ、見せてあげるわ――“白銀の継承者”の力を」


 彼女の声が空間を満たし、光が――世界を貫いた。


 そのとき――静寂の世界に、かすかな震えが生まれる。

 白銀の光に包まれたアリスの瞼が、ほんのわずかに揺らいだ。

 それは羽ばたく蝶の羽音のように繊細で、確かな生命の兆し。


 閉じていた長い睫毛が微かに震え、淡い光を受けて銀の縁を帯びる。

 一本一本が呼吸に合わせて小さく震えるたび、空気そのものが反応するかのように光の粒が舞い上がった。

 まるで世界が、その瞬間を息を潜めて待っていた。


 音も風もなく、ただ光と鼓動だけが存在する。

 心臓の鼓動が一度――ゆっくりと、深く鳴る。


 そして――。


 世界が音を取り戻すかのように、アリスの睫毛が静かに持ち上がった。

 ゆっくりと、慎重に。

 まるで世界の輪郭を確かめるように。

 淡い光が、閉ざされていた瞳の奥に流れ込む。


 その瞬間、純白の世界に鮮やかな蒼が宿った。

 澄み渡るような蒼。


 しかしその奥には、白銀の光が溶け合う。

 蒼と銀が重なり、まるで夜明け前の空と星光がひとつになったような輝き。

 その瞳が、ゆっくりと開かれていく。


 静寂が震え、光の粒がざわめいた。

 まるで歓喜するように周囲を舞い始める。

 彼女の吐息が、初めてこの世界に音を与えた。

 冷たく、澄みきった空気が肺を満たし、喉の奥からわずかな吐息がこぼれる。

 それは痛みではなく、再生の証。


 アリスの頬を淡い白銀の光が撫で、髪は液体の銀を流したように輝きを増す。

 ひと房ひと房が柔らかに揺らめきながら光を反射し、まるで世界が彼女を中心に形を取り戻していくかのようだった。


 やがて、完全に開かれた蒼の瞳が、まっすぐに前を見据える。

 その眼差しには、もはや迷いも恐れもない。

 そこにあるのは――覚悟と、確信。


 静かな呼吸の中、彼女の全身から溢れ出す魔力が柔らかく空間を満たし、白銀の風となって流れ出した。


 衣の裾がふわりと揺れ、髪が光と共に広がる。

 白銀の輝きが次第に輪郭を形づくり、彼女を取り巻く空間全体が、ひとつの生命のように脈打つ。


 ――その瞬間、世界が再び動き出した。


 光が弾け、風が舞い、音が、戻る。


 目を開いたその少女――アリス・グレイスラーは、もはや「倒れた少女」ではなかった。


 “白銀の戦乙女”として、再びこの世界に立つ者の姿だった。

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