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第一部 第四章 第3話

 無音の森の奥で、何かが確かに蠢いた気配がした。

 それは風でも獣でもなく、大地の下から泡立つような、得体の知れない“何か”だった。


 二人は同時に息を飲み、魔導ライフルをぎゅっと握り直した。

 金属の冷たさが掌に吸い付き、指先から体温が奪われていく。

 凍りついた空気を裂くように――ついに、その時が来た。


 レティアとマーヤの視線の先、森の闇がわずかに震えた。

 ほんの一瞬、光でも影でもない、“歪み”のようなものが木々の間を走った気がした。


 その瞬間だった。

 ――ふ、と


 大森林を覆っていた奇妙な無音が、まるで長く張りつめた糸が切れたかのように、一気に解かれた。

 冷え切った夜気の中に風が戻り、梢を揺らすざわめきが森の奥を満たしていく。

 葉擦れのささやきがかすかに聞こえ、遠くでは虫の声も混ざり始めた。

 まるで、世界が再び“呼吸”を取り戻したかのようだった。


「……っ! 音が……戻った……!」


 マーヤが小さく息を吐き、胸を押さえるように安堵の息をこぼす。

 レティアも大きく瞬きをしながら頷いた。


「よかった……の、かな……?」


 声に安堵と戸惑いが混ざる。

 だが、二人の手からは魔導ライフルの重みが消えることはなかった。

 森は確かに生気を取り戻した。

 しかし――その奥にはなお、得体の知れない“何か”が潜んでいる気配があった。

 空気の奥底に、わずかなざらつきのような違和感が残っている。

 警戒を緩めるには、まだ早すぎた。

 レティアは唇を引き結び、低く呟く。


「まずは、周辺の異変を確かめましょう」


 二人は互いに軽く目配せを交わし、ゆっくりと森の中へ足を踏み入れた。

 湿った落ち葉が靴底で沈み、かすかな音が闇に吸い込まれる。

 魔導ライフルを胸元に構え、息を殺すように慎重に進む。


「足跡は……ないな」


 マーヤがしゃがみ込み、指先で地面を撫でた。

 冷えた土の匂いが鼻を掠め、指先に残る湿り気が妙に生々しい。


「獣の魔力残渣も感じられない……」


 レティアが短く答える。

 彼女の瞳は森の奥を鋭く見据え、光のない闇を1つ1つ読み取るように動いていた。


「風の流れも正常に戻ったようですね」


 レティアがそう呟くと、ほんの僅かに枝葉が揺れ、夜露がぽとりと落ちた。

 だが、その微かな音が――かえってこの空間の“異常な静けさ”を際立たせた。


「何か……気配が、違う気がします」


 レティアの声が低く震えた。

 マーヤも視線を上げ、唇を結びながら周囲の木々を見渡す。


「私たちが踏み込んだせいで、隠れていたものが動き出すかもな……」


 マーヤが肩をすくめ、不安げに続ける。

 言葉とは裏腹に、その目には警戒と緊張が宿っていた。

 二人は距離を保ちつつ、森の縁を巡回するように歩き続けた。

 踏みしめる土の感触、擦れる外套の布音すら、耳に痛いほど鮮明に響く。 


 やがて――無音が解けて戻った音の中に、ほんのわずか、不自然な空気の“揺らぎ”が混じった。

 それは風ではなく、音でもない。

 ただ、世界の一部が“ひずんだ”ような違和感。


「見てください、レティアちゃん」


 マーヤが指差す先に、地面に淡い光の筋が浮かび上がっていた。

 夜露に濡れた土の上、細い線がわずかに青白く輝いている。


「これは……魔法の痕跡……?」


 レティアの目が鋭く光を帯びる。

 彼女は膝をつき、光の線にそっと指を近づけた。

 ほんの瞬間、指先に微かな魔力の反応が伝わる。


「……間違いない。誰かが、あるいは何かが、ここを通った証拠だ」


 レティアが低く断言すると、マーヤは小さく息を飲み、唇を噛んだ。


「……やっぱり、何かいたんだね」


 二人は互いに緊張を強め、目を合わせて頷き合う。


「急いで戻りましょう。報告しなければ」


 レティアの言葉に、マーヤもすぐ同意した。

 魔導ライフルを構え直し、足音を殺して焚き火の方向へ駆け出す。

 風が二人の髪を払う。

 葉の影がわずかに揺れ、光がその動きに追いすがる。

 ――森は確かに“息を吹き返した”。


 だがその奥では、再び何かが静かに蠢いている気配がした。

 二人の背を追うように、夜の闇がゆっくりと形を変えていく。


 ――その直後。


「ズズ……ズウゥ――……ッ!」


 耳をつんざくような重低音の振動が大地を走った。

 地面が波打つように揺れ、周囲の空気が圧迫される。

 遺跡正面の開けた地面が青白い光に包まれ、

 その輝きは夜を裂く閃光となって空へと伸び上がった。


 複雑な幾何模様がゆっくりと浮かび上がり、

 まるで何かを呼び覚ますかのように脈動する。

 地面の亀裂の1つ1つが光を帯び、

 魔力が血流のように地を走るたび、振動が足裏に突き上げてきた。


 この異変が起きたのは、マーヤたちが警戒に就いている場所からやや離れた――

 遺跡正面の広場だった。


 視界からは外れ、まだ誰も気づいていなかったが、

 その場所ではすでに、静かに、そして確実に魔方陣が展開し始めていた。


「な、なに……あれ……!」

 マーヤの声は震えていた。

 唇がかすかに噛みしめられ、震えながらも視線は離せない。


 地面に描かれた魔方陣――

 直径数十メートルにも及ぶ巨大な転移式古代魔法陣が、

 焼け焦げた土の上で目覚めるように輝き、

 強烈な光の奔流を吐き出した。

 蒸気のような白煙が周囲を覆い、

 青白い光が夜気を切り裂く。


 その中心から――

 うねるように、ねっとりとした闇の影が数体、這い出してきた。


 バロール・ビースト亜種。

 人魔大戦末期、魔国軍が生体兵器として創造した魔獣の改良型。

 単眼の魔眼は赤く輝き、開いた瞬間、空気が焼けるような音を立てた。

 巨大な二足歩行の体躯――10メートルを超える巨体が、ずしりと音を立てて立ち上がるたびに、地面が悲鳴を上げる。


 その全身は硬質の黒い外殻に覆われ、甲殻の隙間には赤く脈動する瘤が無数に浮かび上がる。

 それが拍動するたび、腐臭を帯びた熱風が吹き出し、空気を歪めた。


 そして、腕に携えるのは巨大な包丁型の片手剣。

 金属ではなく魔質結晶で形成された刃が、光を吸い込みながら鈍く輝いている。


 半知性を持つがゆえに単独行動が基本とされるこの種が――

 今回は異例にも、複数体同時に姿を現していた。

 その数、4。


「――嘘だろ……なんでこんなモノが……!」


 近くで布陣していた第6小隊の隊員たちが悲鳴を上げ、

 反射的に魔導ライフルを構えた。


 銃身の術式刻印が青く光り、引き金にかかる指が震える。

 だが――


「ゴガアァァァァア……ッ!!」


 咆哮が夜を裂いた。

 鼓膜を貫くような低音と高音が混じり合い、空気そのものが震え上がる。

 土が跳ね、空気がうねる。

 まるで森全体が悲鳴を上げたかのようだった。

 咆哮は地鳴りのように続き、遺跡の石壁がびりびりと振動した。


 火の粉が焚き火から舞い上がり、夜空へと散っていく。


「……な、なんだ、この音……!」

「鼓膜が……っ、割れる……!」


 近くにいた第6小隊の隊員たちが、反射的に耳を押さえながら後退した。


 一体のバロール・ビースト亜種が、巨大な剣を振りかぶり――そのまま地面へ叩きつけた。


 ドンッ!!


 凄まじい衝撃が地を突き抜け、重圧が全身を貫いた。


 巨大な剣先が地を砕き、激しい衝撃波が砂煙とともに巻き上がる。

 爆風が走り、草地が根こそぎ吹き飛んだ。

 光の破片と岩の欠片が宙を舞い、まるで閃光弾が弾けたような光景が広がる。

 反射した光が隊員たちの顔を白く染めた。


「きゃあああああッ!!」


 防御態勢を整える間もなく、第6小隊の最前線は一瞬で押し流された。

 身体が宙に舞い、装備が砕け散る。

 魔力障壁が悲鳴のような音を立てて破裂し、衝撃波が内臓を揺さぶった。


「ぎゃっ……あぁぁぁっ!」

「後ろへっ、退け――うわぁッ!」


 倒れ伏す隊員。

 転げ落ちた魔導ライフルが地面を跳ね、火花を散らす。

 焦げた土の匂いが鼻を突き、血の金属臭が混じった。

 戦場の空気が一気に崩壊する。


 残った隊員たちは必死に魔導ライフルを構え直し、連射を開始した。


「撃てッ! 止めろぉぉッ!!」

「弾けッ! 弾けよ、クソッ!!」


 連続する青白い閃光が夜を染める。

 だが放たれた魔力弾は、獣の黒い外殻に弾かれ、火花と煙を散らすだけだった。


「くっ……装甲が……!」

「貫通しないっ! 弾かれてる!」


 弾痕はついても傷は浅く、熱を帯びた殻が鈍く輝いている。


 反撃の魔力衝撃がライフルを逆流し、隊員の腕が痺れ、銃を取り落とす。


「うわッ、逆流だ! 魔力制御が……っ!」

「リミッター効かねぇ! 誰か、制御符を!」


 混乱の中、攻撃の軌道を読んで回避する個体も現れる。

 その動きは巨体からは想像もつかぬほど俊敏で、滑るように地を這い、影が跳ねるようだった。


「効かない……だと……ッ!」


 怒声とともに、1人の隊員が突撃した。

 魔導剣を抜き、関節部を狙って斬りつける。


「うおおおおッ――!」


 だが――刃は外殻を削るだけで深く入らず、金属音とともに弾かれた。

 火花が飛び散り、刀身が震える。


「なっ……バカな……!」


 次の瞬間、巨大な尾が唸りを上げて振り抜かれた。

 空気が裂け、鋭い衝撃波が走る。


「うわああああッ!!」


 隊員が吹き飛ばされ、鎧ごと地面に叩きつけられる。

 鈍い音が響き、魔導剣が転がり落ちた。

 刃が光を反射しながら闇の中へ消える。


「誰かっ……! 治療班、早く来い!」

「くそっ、もう1体来るぞ――避けろッ!」


 撤退を試みた者たちも、次々とその尾撃や剣撃に捕まり、倒れていく。

 土煙があがり、血飛沫が宙を舞う。

 振り下ろされる剣の軌道は無慈悲だった。


 重い衝撃音が連続し、地面は陥没して赤黒く染まる。

 飛び散る砂と血が光を反射し、炎のように見えた。


「うわああっ、もう駄目だ……!」

「退け! 早く後方へ!」


 周囲は悲鳴と怒号で満たされ、音が音を押し流して混沌となる。


 その中で――


「――進行方向の小隊は下がれッ!! 散開して回避しろ! 無理に戦うな、巻き込まれるぞ!!」


 レオの怒声が夜空を貫いた。

 喉が裂けるほどの叫び。

 その声には焦燥と怒り、そして仲間を守る意志が宿っていた。


「まだ立てる者は防衛線を下げろ! 負傷者を中央に集めろ!」

「第7、支援符を展開! 結界を3層目まで上げろ!」

「弾切れの者は後退、魔力供給を優先しろッ!!」


 彼の指揮に呼応して、残された隊員たちが必死に動き出す。

 震える手で符術を展開し、光の防壁が断続的に立ち上がる。 


 だがそれを嘲笑うかのように、バロール・ビースト亜種の咆哮が重なった。


「グガアァァァァッ!!」


 次の瞬間、再び地面が揺れ、森の奥で何かが目を覚ますように唸りを上げた。


 夜は――もう静寂を許さなかった。


 遺跡正面に出現した複数のバロール・ビースト亜種は、まるで意志を持つかのように各方向へ散開した。


 獣の咆哮が交錯し、足音が地鳴りのように連鎖していく。

 黒い影が闇の中を滑るように移動し、その1歩ごとに地面が悲鳴を上げた。


 野営地へと一直線に迫るその群れは、逃げる者を狙いすますように動き、障害物を踏み砕きながら突進した。

 倒れた木々が裂け、土煙が舞う。

 振動で天幕が吹き飛び、火の粉が空へ舞い上がった。


「うわああッ、正面突破だ! 止めろ、止めろぉ!」

「距離30――くそっ、早すぎる!」


 魔導ライフルが一斉に閃光を放つ。

 青白い魔力弾が夜気を裂いて飛び、だが、そのほとんどが黒い外殻に弾かれた。

 閃光が弾かれるたび、空気が焼け、耳が痛む。


「装甲が厚すぎる! 貫通しないッ!」

「支援符を展開しろ! 誰か、治療班を――!」


 進行方向にいた小隊は、抵抗もままならず、悲鳴を上げて次々と巨体と剣に飲み込まれていく。


 咆哮が近づくたび、足下の地面が波打つように揺れた。

 目の前で仲間が吹き飛ばされ、金属鎧が砕け散る音が耳を貫いた。


「退け! 退けぇッ!!」

「無理だ、逃げろ! 無駄な抵抗はやめろ!」


 叫び声が夜の森に響き、しかしすぐに獣の咆哮にかき消された。

 金属が弾ける音、衝撃波で吹き飛ぶ岩塊、

 燃え上がる魔導装置の光――。


 破壊と炎が交錯し、戦場は瞬く間に地獄絵図と化した。

 赤と青の光が断続的に閃き、視界が焼き切れるような明滅が続く。

 焦げた魔導符が空を舞い、倒れた兵士の腕から血が滴った。


「くそっ、前線崩壊だ! 後退、後退っ!」

「誰か生きてるか!? 反応符は――!」

「だめだ、通信妨害! 魔力波が乱れてる!」


 絶叫と怒号が飛び交い、恐怖と混乱が入り混じる。

 兵士たちは汗と血にまみれ、指の震えを止められないまま、ライフルを再び構えた。


「来るぞ――右側面ッ!」

「後衛、支援魔法っ、急げぇ!!」


 その時、黒い影が低く身を沈め、跳躍と同時に一気に間合いを詰めてきた。

 地面を蹴る音が雷鳴のように響く。


 その質量がぶつかった瞬間、魔導防壁がひび割れ、破砕音が森中に轟いた。


「ぎゃあああああっ!!」


 血と破片が飛び散り、倒れた隊員の上に獣の影がのしかかる。

 燃え上がる焚き火の炎が、その輪郭を不気味に浮かび上がらせた。

 地鳴りと咆哮が重なり合い、夜空が唸るように震える。

 空気が熱を帯び、焦げた土の匂いと血の臭気が混じり合う。


 ――レオの怒号が、轟く咆哮と地響きにかき消されそうになりながらも、なおも夜空に響き渡っていた。


「全員、散開しろッ!! 無理に撃つな、回避優先だ!!」

「魔導符班は左翼へ回れ! 結界を張り直せ!」

「負傷者は中央へ――まだ息のある者は運べぇッ!!」


 その叫びは、絶望の中で唯一、秩序を取り戻そうとする声だった。

 混乱の只中で兵たちは顔を上げ、それぞれの持ち場へ走り出す。


 光、音、衝撃、悲鳴――

 すべてが重なり、夜は怒り狂うように燃え上がっていた。

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