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第一部 第四章 第1話

 やがて、警備班の交代の時間が訪れた。

 焚き火の炎は静かに揺らめき、橙の光が地面を照らしては影をゆっくりと伸ばしていた。

 夜風が一度、樹々の間を撫で抜け、草葉がさらさらと音を立てる。


 先に警備に立っていたのは、第七小隊の二人だった。

 彼らは木立の隙間から月明かりを頼りに周囲を見渡し、暗がりの奥まで慎重に視線を滑らせる。

 空気のわずかな流れや、遠くの獣の気配すら見逃さぬように。


 やがて、片方が小声で呟いた。

「……異常なし。獣影も遠い。火の番だけは気をつけろ」

「了解、第二小隊に任せてください」


 二人は軽く頷き合い、肩の緊張をわずかに解いた。

 背に背負った魔導ライフルがかすかに揺れ、金属の擦れる音が夜の中に溶けていく。


 第七小隊の警備班は焚き火の側を離れ、森の縁を通ってゆっくりと後方へと消えていった。

 その背後を、新たに交代した第二小隊の二人が静かに引き継ぐ。

 焚き火の明かりの外、半ば闇に沈む位置に立ち、互いに軽く視線を交わして配置についた。


 焚き火の周囲はすでに静まり返っていた。

 橙の光が柔らかく踊り、寝袋の列を穏やかに照らす。

 そこには整然と並ぶ仲間たちの寝息――一定の呼吸音が、静かな夜のリズムを刻んでいた。


 森の木々は風に揺れ、ときおり葉擦れがささやくように鳴り、

 遠くでは小さな獣の遠吠えがかすかにこだまする――はずだった。


「……少し冷えてきたな」

 片方の警備兵が、吐息混じりに呟いた。

 白い息が月明かりに溶け、すぐに夜に消えていく。

「そうだな。風も冷たくなってきてる」


 もう一人が頷き、背中の魔導ライフルをわずかに持ち直す。

 手のひらに伝わる冷たい金属の感触と、内部で微かに震える魔力の鼓動――

 そのわずかな温もりが、彼にとって唯一の安心の証だった。


「……気を抜かずに、交代の時間を乗り切ろう」

「ああ。無事に朝を迎えたいな」


 そんな短い会話を交わした直後――風が止んだ。

 その瞬間、森の音が、すべて消えた。

 まるで見えない手が世界の音を奪い去ったかのように。


「……ん?」

 片方がわずかに首をかしげる。

 静寂が深すぎる。

 風も、虫の声も、葉擦れも、獣の足音すらも――何もない。

 まるで世界が呼吸を止めたような、圧迫する沈黙。


「おい……今、なんかおかしくないか……?」

「……っ、静かすぎる……!」


 もう一人が低く言い返し、胸の奥を冷たいものが這い上がる。

 耳鳴りのような感覚が広がり、代わりに焚き火のはぜる音だけが、異様なほど大きく耳に刺さった。


 ぱち……ぱち……ぱち……。

 一つ一つの音が森に響くたび、異様なほどくっきりと反響する。

 炎の光が強まるたび、影が伸び、木々の輪郭が歪んだ。


 二人は思わず魔導ライフルを握り直す。

 銃身の冷たさが掌に食い込み、呼吸が浅くなる。

 互いに目を合わせる――その瞳には、無言の緊張と恐怖が映っていた。


 寝ている仲間たちの寝息だけが、唯一の“生きた音”として、

 かろうじてこの空間を現実につなぎとめている。


 言葉を紡ぐことすら憚られ、二人は身動きを止めたまま耳を澄ませた。

 しかし、何も聞こえない。

 まるで夜そのものが彼らを見下ろし、息を潜めているかのようだった。


 胸の奥を、氷の指で撫でられるような寒気が這い上がる。

 皮膚の下で血が凍るような感覚に、どちらともなく唇が震えた。


「……だめだ、気味が悪すぎる」

 ようやく絞り出した声は、かすれて震えていた。

 もう一人も小さく頷き、魔導ライフルを構えたまま囁く。

「レオ班長に報告しよう。独断で動くには、状況が異常すぎる」

「了解、俺が行く」


 そう言って、焚き火の灯りを背にしたもう一人が、慎重に一歩を踏み出した。

 地面の落ち葉を踏まぬよう、呼吸を殺し、足音を消す。


 寝袋に包まれた仲間の間を縫うように進み、警備班の隊員はリーダーたちが休む一角へと向かった。

 そこには、寝袋に半身を起こしたまま、浅い眠りに落ちていたレオの姿がある。


「……レオ班長」

 小声で呼びかけると、レオはすぐに目を開け、鋭い視線を向けた。

 焚き火の淡い光が、その瞳に橙の揺らめきを映す。


「……どうした。どこの小隊だ」

「第二小隊です。現在、警備中です」

「……異常か」

「はい。森が――完全に無音です。獣影も気配もまったく確認できません。

 前の警備を担当していた第七小隊にも確認しましたが、同じく異常はなしとの報告でした」


 レオは短く息を吐き、寝袋から上体を起こすと、傍らに置いていた魔導ライフルを手に取った。

 金属の冷たい感触が指先に伝わり、彼の表情がわずかに引き締まる。


「……原因がわからん以上、無闇に人を動かせば却って目立つ。

 全員を起こすのは得策じゃない。

 今回は――警備中の第二小隊だけで状況を確認しろ」

「了解です」


 隊員は静かに頷き、焚き火の明かりの外へと足を返した。

 月明かりが差し込む中、彼は寝息を立てる仲間たちの間をすり抜け、ひとりひとりの肩をそっと叩く。


「……みんな、起きてください。異常発生、静かに」

「……ん……なに……?」


 囁きが焚き火の周囲に点々と生まれ、微かな衣擦れの音が夜気を震わせる。

 やがて指名された第二小隊の面々が静かに目を開け、状況を察して即座に武器へ手を伸ばした。


 レオはゆっくりと立ち上がり、集まった彼らを見渡す。

 焚き火の赤い光が、警戒の色を宿した顔をひとつひとつ照らした。


「いいか。原因は不明だが、この沈黙は自然現象じゃない。

 お前たちは元の三名単位でパーティーを再編し、遺跡外縁から大森林側を重点的に調査しろ。

 ただし――絶対に外縁から出るな。

 外へ一歩でも踏み出せば、伏兵が潜んでいる可能性がある。

 安全圏を死守しろ」


「了解!」


 短い返答が、夜の静寂の中で鋭く響く。

 焚き火の炎が小さく揺らめき、赤い光が彼らの顔を照らしては、また影を落とす。

 誰もが息を潜め、森の奥を見据えていた。

 だが、そこからは何の音も、気配も返ってこない。


 ――森はなおも、気味の悪い沈黙を保ち続けていた。


 第二小隊の隊員たちは、三人一組に分かれ、遺跡外縁の安全地帯内を慎重に歩き回っていた。

 魔導ライフルを胸元に構え、音を立てぬよう足を忍ばせながら、大森林の方向に神経を張り巡らせる。


「……なんだこれ、まるで大森林だけが時を止められているみたいだな……」

 一人が低く呟き、隣の隊員が小さく肩をすくめる。


 踏みしめる枯葉の音さえも許されぬ、無音の世界。

 湿った土の匂いが鼻をかすめ、月光が白く地面を照らす。

 倒木の影がゆらりと揺れるたび、三人は互いに目配せし、緊張を共有した。


「……足跡も魔力残渣もない。獣道も荒れていないな」

 一人がしゃがみ込み、指先で土を掬い、匂いを確かめる。

 湿り気の残る黒土は冷たく、まるで呼吸をしていないように沈黙していた。


「こっちも異常なし。風が止まっているだけなのか……?」

 別の隊員が耳を澄ますが、森はただ冷たい沈黙を返すだけ。

 木々の葉は凍りついたように揺れず、空気すら動いていない。


 小隊は無言のまま、指先で小さな手信号を交わした。

 外縁の岩壁に沿って陣形を保ち、数歩ずつ位置をずらしながら周囲を調べていく。

 夜の静寂の中で、彼らの呼吸音と心臓の鼓動だけが、わずかな生命の証のように響いた。


 やがて全ての組が焚き火のそばに戻り、息を潜めてレオの前に整列した。

「……班長、やはり何も異常は見つかりませんでした。音以外の変化は一切なしです」


 報告を受けたレオは、焚き火の光に照らされた険しい表情のまま腕を組み、沈黙した。

 薪の爆ぜる音が、異様なほど大きく夜気に響く。


(……森の異常現象か、あるいは何かが潜んでいるのか。だが証拠は一切なし。

 無理に探れば、かえって危険を招く……)


 レオは額にかかる前髪を指先で払いながら、ゆっくりと息を吐く。

 背後では、部下たちの不安が空気のように重く漂っていた。


(……このまま調査を続けるべきか、それとも撤退を視野に入れるか……)

(……リナ小隊が遭遇した《ストーンバック・ウルフ》の大群、そして数多の《ゴブリンロード》。

 加えて、繰り返される謎の歌声。どれもこれまでにない異常だ。

 偶然の重なりか、それとも背後に“意志”があるのか……)

(……だが、証拠も影もない。無理な行動は命取りになる……)


 焚き火の赤い炎がレオの頬を照らし、その横顔を影のように削った。

 部下たちの視線が、不安と緊張を混ぜ合わせて彼の背中に注がれる。


(――今は、被害を出さずに夜を乗り切る。それが最優先だ)


 その思考を断ち切るかのように、背後で小枝の折れる微かな音がした。

 ぱき……と、静寂を破る短い音。


 レオがすぐに振り返ると、交代の警備に来た第三小隊の二人が、焚き火の灯りに照らされて現れた。

 月光と炎の光が重なり、彼らの鎧の縁が淡く光る。


「レオ班長、交代に来ました。状況は聞きましたが……どうすれば?」

 レオは短く頷き、魔導ライフルを握り直す。

 冷たい銃身の感触が、思考を現実へと引き戻した。


「……異常の原因は掴めなかった。調査はここまでだ。

 お前たちは通常の警備を続行。外縁の外には出るな。

 何か兆候があれば直ちに報告しろ」

「了解しました!」


 第三小隊の二人は素早く敬礼し、焚き火の周囲から離れて夜闇へと散開した。

 その背が闇に溶けるのを見届けると、レオは再び第二小隊へ視線を戻す。


「第二小隊は交代で休息を取れ。……よくやったな」

「了解です!」


 安堵の表情を浮かべた隊員たちは、ゆっくりと焚き火の輪へ戻っていった。

 火の粉が舞い、焦げた木の匂いが夜気に混じる。


 レオはひとり、夜空を仰いだ。

 淡い雲の隙間から、月が冷たくのぞいている。


「……この沈黙の奥に、いったい何が潜んでいるのだろうか……」


 その呟きは、夜の底へと吸い込まれた。


 ――森は依然として、不気味なほどの静寂を保ち続けていた。

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