第一部 第三章 第12話
リナは小隊長報告会から静かに戻ってきた。
重苦しい空気を背負いながらも、その顔にはわずかな安堵の色が浮かんでいる。
焚き火を囲み、疲労から解放された面々が談笑していた。
その穏やかな空気に溶け込むように、リナは自分の小隊のもとへ歩み寄った。
「お帰りなさい、リナさん」
マーヤが微笑みを浮かべて声をかける。
「ただいま、マーヤさん」
リナは軽く会釈し、焚き火の暖かさを感じながら輪の中に加わった。
「報告会では、各小隊の状況と警戒情報の共有が行われました。
《ゴブリンロード》の群れが予想以上に多かったこと、
それと、あの謎の歌声による警戒強化のため到着が遅れたことを説明しました。魔物に関しては、他の小隊は昨日と変わらなかったそうよ」
リナが頷きながら耳を傾ける。
炎の明滅が彼女の横顔を照らし、真剣な表情を浮かべていた。
「状況はかなり厳しいけれど、各小隊とも無事にここまでたどり着いている。
報告を受けて、今夜の警備は二人一組、各班二時間交代制で行うことが決まりました」
「……さて、アリスは休ませるとして、夜の警備を誰が担当するか決めようか?」
フィルが軽く笑みを含ませながら言った。
「私とレティアさんはどうかな? 二人とも魔導ライフルの扱いには慣れてるし――
交代で見張れば安心だと思う」
マーヤが手を挙げて応じる。
「ええ、構いません。それでよろしければ、ぜひご一緒に」
レティアも笑顔で頷いた。
「任せて!」
マーヤが胸を張って言うと、リナも微笑みを返した。
「いいわ。じゃあお願いね」
二人が力強く頷き合う。
リナはその様子を見てから、アリスに目を向けた。
「アリスさんはゆっくり休んで。私たちがしっかり守るから、安心して」
「すいません。お言葉に甘えます」
アリスは目を細めて頷き、焚き火の熱を感じながら静かにまぶたを閉じた。
その後、班長のレオの指示で物資担当員が各小隊を回り、
新しい魔力コンデンサや予備の魔力カートリッジ、
さらに破損した武装の交換品を順に配っていった。
リナ小隊のもとにも補給が回ってくる。
担当員が箱を抱えて近づき、丁寧に声をかけた。
「リナ小隊、こちら新しい魔力コンデンサと予備カートリッジです。
壊れた武器はここで回収します。
不具合があれば早めに申し出てください」
「ありがとうございます。
今回の戦闘でかなり消耗したので助かります」
リナは丁寧に頭を下げる。
担当員はにっこり笑い、軽く敬礼して次の小隊へと歩き出した。
補給品を受け取ると、隊員たちはそれぞれの魔導ライフルを手に取り、
慣れた手つきでコンデンサを素早く差し替えていく。
金属のかすかな響きと、魔力の流れる微細な音が夜の静けさに混じった。
「よし、これで明日も安心だな」
エルドが魔力残量計を覗き込み、満足そうに頷く。
その隣では、フィルとマーヤが肩を並べて、
魔導ライフルのスライドと魔力供給ラインを入念に点検していた。
焚き火の橙の光が二人の頬を照らし、
金属の表面を淡く反射しては、夜気の中でゆらゆらと揺れる。
焦げた木の匂いと微かなオゾンの香り――魔力回路の通電音が、
かすかにジリ……と鳴っていた。
フィルは器用な指先でライフルの側面を押さえ、
スライドの動きを確かめながら眉をひそめる。
その表情は職人のように真剣で、
一点の曇りも許さぬ集中が宿っていた。
「おい、マーヤ、そっち逆だぞ。コンデンサの向きはこっちだ」
低く響く声に、マーヤが顔を上げる。
焚き火の光がその瞳に映り込み、反射した光が金褐色の髪をふわりと照らした。
「ちょ、わかってるってば! フィルは人のやることに口出ししすぎなんだよ!」
少しむくれた声色に、フィルは眉を上げて肩をすくめた。
「また現場で魔力詰まりを起こすつもりか?」
「うるさいな! あんたこそ、この前リロード忘れて魔力切れ起こしたじゃない!」
マーヤの手元から、空になったコンデンサが小さく跳ねる。
カン、と乾いた金属音が夜の静寂に弾けた。
フィルは口の端を上げ、わざとらしく溜め息をつく。
「……あれは緊急対応中だったからだ」
「へえ~?」
挑発するような声に、マーヤがわざとらしく目を細める。
火の粉がぱちりと弾け、その表情を照らした。
互いに視線をぶつけ合った数秒後――思わず吹き出してしまう二人。
「……ぷっ」
「ははっ」
同時に漏れた笑い声が、夜気の中に柔らかく溶けた。
その場の空気が一気にゆるみ、わずかな疲労と安堵が混ざり合ったような温もりが漂う。
少し離れた場所で、それを見ていたエルドが肩を揺らす。
鎧の金具がこつんと鳴り、低い声が焚き火越しに届いた。
「お前ら、漫才してる暇があったら、ちゃんと点検しろよ。
魔力回路、外したりするなよ」
穏やかな声音だが、どこか兄貴分めいた優しさが滲む。
「漫才じゃないですってば! ちゃんと点検してるのよ!」
マーヤはむっとして振り返り、手に持っていたコンデンサを胸の前で握りしめた。
その必死な様子に、フィルが口元を押さえて笑う。
「はいはい、ちゃんと点検中っと」
レティアがくすくすと笑いながら、ライフルの清掃布をたたみ、静かに間に入る。
「大丈夫です。もしお二人が戦闘中に詰まらせても、
アリスが一瞬で解決してくれますから」
「ずるい言い方だなあ……!」
マーヤが頬を膨らませると、レティアが微笑んだまま目を細める。
その笑みは母のように穏やかで、焚き火の光に縁取られて輝いていた。
焚き火の少し離れた場所では、アリスが寝袋を整えていた。
光が頬を撫で、白い指先が布をなぞる。
彼女は静かに振り向き、にっこりと笑って首を振った。
「なるべく、自分の装備は自分で管理してくださいね……?」
柔らかな声とともに、ふわりと微笑む。
その笑顔には疲労の色がありながらも、どこか包み込むような優しさがあった。
「はーい……」
マーヤは観念したように肩を落とし、少し恥ずかしそうに答える。
そのやり取りを見て、エルドが小さく笑い、レティアも目を細めて頷いた。
やがて、補充を終えた魔導ライフルと剣を手元に置きながら、
隊員たちはそれぞれ、寝床となる簡易シートの上に寝袋を広げ始めた。
焚き火の赤い光が、整然と並ぶ寝具を照らし出す。
金属の表面には、磨き残しのわずかな傷がきらりと光り、
それがまるで戦いの証のように、静かな誇りを宿していた。
リナ小隊の面々も同じように、剣やライフルを丁寧に布で拭き取り、
魔力回路や刻印の亀裂がないかを指先で確かめていく。
装備の確認を終えると、荷物を枕代わりにし、
ようやく身体を休めるようにゆっくりと横になった。
リナは立ち上がり、焚き火の光を背にしながらアリスの寝袋へと歩み寄る。
橙の炎が彼女の頬を照らし、穏やかな光が髪に映える。
「アリスさん、今日はもう休んでください。
今は何も考えなくていいです。起こす時は必ず私が起こしますから」
その声は、疲労を包み込むように柔らかく、まるで姉のような温もりがにじんでいた。
「……はい、ありがとうございます」
アリスは静かに頷き、焚き火の熱を背中に感じながらゆっくりと息を吐いた。
「……おやすみ、皆」
「おう、ゆっくり寝ろ」
エルドが短く返し、フィルも無言で片手を上げ、火の粉の向こうから小さく笑った。
「ゆっくり休んでくださいね、アリス。お疲れ様でした」
マーヤは焚き火の近くにしゃがみ込み、アリスの寝袋のそばで優しく囁く。
その声には、安堵と敬意が入り混じっていた。
「私たちがみんな、ちゃんと守りますから……おやすみなさい、アリス」
レティアも少し離れた位置から、炎の揺らめきを背に静かに言葉を重ねる。
「……ありがとう」
アリスはその声を聞きながら微かに目を開け、火の明かりに包まれた仲間たちの姿を見渡す。
その唇に、穏やかな笑みが浮かんだ。
小さくそう呟くと、彼女はまぶたを閉じ、静かな寝息を立て始めた。
焚き火の火がぱちりと弾け、橙の光が六人の顔を順に照らしていく。
誰も言葉を発さず、ただその音に耳を傾けていた。
エルドとフィルは、眠る直前にライフルを脇へ慎重に置き直し、
銃身の冷たい感触を指先で確かめてから、ようやく体を横たえた。
マーヤは隣のレティアに小声で何かを囁き、二人の間に小さな笑い声がこぼれる。
それはまるで、日常の一片を取り戻すような、優しい笑いだった。
リナも寝袋に身を沈める前に、静かに上体を起こして全員の位置を確認した。
火の明かりの中で、六つの寝袋が規則正しく並び、どの顔にもようやく安堵の色が戻っている。
リナはそれを確かめると、軽く息を吐き、焚き火の炎を見つめながらそっと目を閉じた。
その頬を夜風が撫で、衣の裾が微かに揺れる。
木々のざわめきが遠くで鳴り、夜の森の奥では虫の声が静かに響いていた。
それぞれが張り詰めた一日の疲れを少しずつ手放し、
安堵と微かな不安を胸に抱いたまま、静寂の夜の帳へと溶け込んでいくのだった。
焚き火の炎が、ひときわ高く揺らめいた後、静かに落ち着きを取り戻し――
その光が、眠りについた六人をやわらかく包み込んでいた。




