プロローグ 第3話
――その時だった。
最前線のさらに奥、崩れかけた鐘楼の影に、ひとりの少女が立っていた。
背に背負うのは、鈍い白銀の光を帯びた、鐘のようでいて盾のような異形の機構塊。
「……来たわね。じゃあ――始めようか。――セット、ヴァルキリー」
低く、しかし確かな機械音が生まれ、魔導神器が唸りを上げる。
瞬く間に無数の装甲片が自動展開し、少女の四肢を包み込む。
その瞬間、レティシアは静かにため息をつきながら呟いた。
「私も初陣なんだけどな……」
そして、心の中で小さく笑った。
その一瞬の隙間に、彼女はすべての恐怖を抑え込み、再び前を向いた。
背面の可動翼が小さく羽ばたき、推進器が青白い魔力光を灯した。
同時に、全身を覆う淡い魔力障壁が夜気を震わせる。
彼女の黒髪は溢れ出す魔力の奔流に飲まれ、根元から白銀へと輝きを変えていく。
その光は、まるで彼女の力そのものが具現化したかのように煌めき、戦場に圧倒的な威圧感を放った。
魔人族の突撃音が、防衛線を貫くように轟き渡った。
可動翼が空気を裂き、推進魔力の熱が夜気を焼いた。
レティシアは眩い光条となって、前衛の魔国兵の只中へと突撃する。
その進行は、まるで流星が天を駆け抜けるようで、空気が裂け、周囲の魔力が激しく渦巻く。
前進するたびに、その後ろから猛烈な風圧と振動が広がり、魔国兵たちの足元が揺れる。
彼女の全身を包む魔力障壁が、まるで周囲の空間を切り裂くようにひときわ強く輝き、進行方向の空気を震わせる。
「――通さない!」
振り下ろされる重斧を白銀の障壁が火花を散らして弾き返す。
その衝撃で周囲の魔人兵たちが一瞬、戦意を喪失し、動きが止まる。
だが、その瞬間にレティシアは一気に前方へ踏み込んだ。
強烈な一撃が振るわれるも、レティシアの魔導障壁はそれをものともせずに跳ね返し、魔国兵の反撃の機会を与えない。
同時に、左腕の魔導機構がせり上がり、魔力圧縮器が咆哮のような轟音を吐き出した。
轟――ッ!
掌から放たれた衝撃波が夜気を震わせ、前線を一閃の下に切り裂く。
その圧力により、一瞬で七体の魔国兵が装甲ごと粉砕され、血と破片が爆風に巻き上がった。
飛び散った肉片と金属片が夜空に舞い、無数の閃光となって周囲を照らす。
二列目の魔人族すら衝撃に呑まれ、砕けた瓦礫と共に宙へ弾き飛ばされる。
その迫力に、魔国兵たちは一瞬動きが止まり、反撃の隙を見せてしまう。
その隙を逃すまいと、レティシアは鋭い目で周囲を見回し、再び戦闘を加速させた。
「レティシア様……!」
少年兵の喉から、抑えきれない歓声が漏れた。
その歓声が戦場に響き、戦意を高める鼓動となる。
恐怖で縛られていた空気が、ほんの一瞬で希望へと転じていく。
だが、喜びの声もつかの間、敵は止まらなかった。
魔国軍の指揮官が地を割るような咆哮を放ち、残る黒衣の精鋭たちが獣のような足音を響かせて街路を埋め尽くした。
その足音は、まるで大地そのものが震えるかのように迫り、戦場に不気味な静寂を生んでいた。
レティシアは僅かに口元を吊り上げ、白銀の仮面の奥で笑った。
「……フレイム・ボール……」
呟きと共に背面の可動翼が再び金属音を鳴らし、彼女の周囲に五つの超高密度エーテル球が生まれる。
小さな星々のように白銀の輝きを滲ませ、彼女を守るように円を描いて回転した。
その輝きは、まるで戦場を照らす希望の光のように光を放ちながら、数十メートル四方の空間を覆う。
(……魔導神器を装備していない時は一つ出すのが限界だったのに……装備すると五つも同時に……魔力伝達が桁違い……!)
自分の血が滾るのを感じながら、思わず唇に笑みが浮かんだ。
「シュート!!」
その号令と共に、五つの魔力弾が一斉に解き放たれる。
飛翔する閃光は正確無比に黒衣の魔国兵の胸を穿ち、骨と臓腑を内部から爆砕した。
血飛沫と黒布が悲鳴のように夜空へ舞い上がる。
街路にひしめいていた五十体を超える魔国兵が、僅か一分足らずで息絶えた。
その瞬間、魔国兵たちの散乱した残骸が焼け焦げ、周囲の空気が焼けるような熱を帯びる。
「押せッ! 撃て! レティシア様が道を切り開いている!!」
幼い学徒長の絶叫が火花のように火線を繋ぐ。
震えていた少年少女たちが一斉に声を上げ、魔導銃を構え直し、呪文を重ね、剣を振りかざした。
恐怖は戦意に、絶望は祈りに変わり、白銀の閃光を追って無数の弾丸と呪文が夜を裂いた。
――この都市を、この仲間を、生かすために。
夜闇を切り裂く白銀の咆哮が、戦場の全てを貫き続けていた。
結界門が破れてから戦闘が始まり、すでに三時間近くが経過していた。
崩れ落ちた街路には、三千体以上の魔国兵の断末魔と火花が散り積もる。
瓦礫の陰から顔を覗かせていた学徒の一人が、初めて敵が退くのを目にして息を呑んだ。
血塗れの銃床を握る手は、恐怖ではなく誇りに震え、魔導銃を持たない魔術師や剣士たちは安堵の中、その場にへたり込む。
「……まだ終わってない! 前へ、もっと前へ!!」
指揮官代行の少年が声を張り上げた。
少年少女たちの胸に、かすかな希望の火が灯りつつあった。
しかし――街路の奥、黒煙の向こうに新たな影が立ちはだかる。
「……大物を寄越したか」
レティシアの視線の先には、四肢に重鋼の鎧を纏った魔国軍の重騎兵部隊が現れた。
通常の魔国兵よりも二回りは大きい体躯、頭蓋を覆う兜の奥から漏れる鈍い紫光。
「お前たち、後退しなさい! ここから先は私が相手する!」
振り向かずに命じると、背の可動翼が火花を散らしながら展開する。
戦場の魔力残滓を吸い上げ、白銀の装甲に再び輝きが満ちた。
すでにフレイム・ボールを展開するだけの魔力は残っていない。
――あと数分、この形態を保てるかどうか。
頭の片隅で冷酷な自己計算を走らせながら、レティシアは唇を引き結んだ。
ドン――!
重騎兵の一体が地を割るように跳躍し、一直線に突撃してくる。
その背後では、残った魔国兵たちが吼え、散開して街路脇から学徒たちを包囲しようとしていた。
(……時間を稼がないと……みんな、持たない!)
視界の隅で、まだあどけない少女魔術士が呪文を震える声で唱え続けている。
その震えが魔力へと変わる限り、彼女はこの都市の壁になれる。
「ならば――」
レティシアは低く息を吐いた。
「全力で止めるだけ……!」
白銀の翼が推進魔力を解き放ち、空気を裂いた。
その瞬間、巨大な槍のように襲い来る重騎兵の一撃を、正面から白銀の障壁で受け止めた。
ガギン――!
金属が軋む凄絶な音が響き、城塞都市の夜を裂く閃光が火花を散らす。
両脚の機構装甲が悲鳴を上げ、継ぎ目から火花が迸り、魔力制御パネルが赤く点滅する。
「ッ――まだ……!!」
両腕の魔導機構を展開、残る全魔力を指先に集中させた。
紫の魔眼が光る重騎兵の兜を、至近距離から衝撃波で叩き割る。
轟――ッ!
咆哮と共に鎧が砕け飛び、巨体が瓦礫に激突して粉々に崩れた。
だが、次の影がすぐ背後に迫っている。
レティシアは振り返るより早く可動翼を畳み、一瞬で展開。
背面ブースターを緊急推進させて真上へ跳躍した。
「レティシア様、後ろ――ッ!!」
学徒長の悲鳴が混じった声が届く。
見下ろせば、二体目の重騎兵が瓦礫を蹴り上げ、弾丸のように飛び上がってくる。
(……これが、魔国軍精鋭の本気……!)
頭の奥で警告音が鳴り響く。
だがその瞳には、恐怖ではなく、あの遠い異世界で追い求めた理想だけが映っていた。
「壊れるまでは……止まるわけにはいかない!」
咆哮と共に、レティシアの可動翼が一気に展開された。
残る全魔力を一瞬で解放する。
眩い白銀の衝撃波が路地を包み込み、突撃してきた二体目の重騎兵を含め、他の重騎兵や魔国兵を装甲ごと粉砕していく。
学徒たちは見た。
人の身でありながら、人を超えてなお戦い続ける――
一人の白銀の戦乙女を。
――そして、夜が明けた。
朝日が、血と硝煙に満ちた帝都を貫いて射し込む。
魔国兵の咆哮は途絶え、瓦礫の街路に横たわるのは、黒衣の屍と勝利を誓い合う人族兵たちの歓声だった。
歓声が遠ざかる頃、レティシアは崩れかけた鐘楼の影に一人、腰を下ろしていた。
白銀の魔導機構はすでに限界を超え、幾つもの継ぎ目から煙が立ち上る。
身体の奥を走る魔力回路が軋み、熱い痛みが脈打つたびに、意識が霞みかける。
それでも彼女の瞳は、朝日を映す空を真っ直ぐに捉えていた。
瓦礫の向こうでは、泣きながら抱き合う学徒たちがいる。
生き残った者たちが互いの名を呼び、肩を支え合い、血と涙の中に小さな笑顔を取り戻していた。
その笑顔がレティシアの心を温かく照らし、わずかな希望を感じさせる。
――この笑顔を、何度でも救いたい。
その思いが胸に湧き上がる一方で、内心の疲労が身体を重くし、魔力の枯渇がその足元を支配し始めていた。
全身を覆った白銀の装甲は、もはやその輝きを失い、冷却システムも限界を迎えている。
膝がガクッと揺れ、無理に立ち上がろうとするが、足元がふらついて身体が持ちこたえられなかった。
そのまま力なく座り込み、静かに息をついた。
「……もう、魔力は残っていない」
彼女は微かに唇を噛みしめた。
「これ以上は無理だ。もう、今日は来ないでほしい」
その声は、彼女自身に向けたものであり、誰にも届かない願いのようだった。
魔力が尽き果て、肉体の限界も迫る中で、レティシアは目を閉じ、少しの間、静かに呼吸を整えることにした。
しばらくの静寂の後、彼女はその場に倒れ込むように座った。
だが、心の中では次に起こるべきことを考えている。
自分の体力が尽き、魔力が切れたことが、むしろその後の戦いを冷静に見つめるための時間を与えてくれたような気がした。
「……でも、まだ終わりじゃない」
小さな声で呟きながら、もう一度力を振り絞り、ゆっくりと立ち上がった。
その背中に残るのは、戦の疲れと共に消えかけていた白銀の欠片。
それでも、彼女は目の前の困難に立ち向かう強さを持っている。
「やるべきことは、まだある」
彼女の心は、まだ戦いの終わりを受け入れようとしていなかった。
それでも、今の平穏が訪れたことで、少しだけ安堵の息を吐くことができた。
白銀であった髪が魔力切れにより黒髪に戻り、その黒髪をかすかな陽の光が照らした。
その瞬間、何もかもが一時の静けさに包まれたように感じられた。
「今はただ、この瞬間を味わいたい」
しかし、心の奥底では、次なる戦いの準備がすでに始まっていることを感じていた。
思えば、すべては一つの後悔から始まった。
かつての世界で、人を救えなかった自分。
知識に溺れ、技術を誇り、それでも守れなかった人々の亡霊。
あの後悔だけが、異世界に渡った今も、彼女を戦場へと立たせ続けている。
「……これで、まだ……未来に繋がるわ」
その呟きは、朝風に溶けて誰の耳にも届かない。
瓦礫の街を抜ける風の中、レティシアは静かに立ち上がり、足元の血の匂いを踏みしめて歩き出した。
その背に残る白銀の欠片が、朝陽を受けてわずかに煌めく。
――これが、人魔大戦史上初めての魔国軍への大勝利。
この小さな勝利が、やがて連合を再編し、十年後の大逆転を生む種となる――
後世の人々は語り継ぐ。
のちのファーレンナイト王国建国の女王にして王祖。
人魔大戦を駆け抜けた白銀の戦乙女。
そして――希望を生んだ、一陣の閃光として。




