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第一部 第三章 第7話

 小隊を編成し直した六人は、リナの指示のもと、昨日よりもさらに神経を張り詰めて湿り気を増した森を進んでいた。

 小休憩を挟んだ後、全員が息を整え、再び前へと歩を進める。


 湿った土の匂いが濃く、呼吸をするたびに喉奥に冷たい水気がまとわりついた。

 獣道にちらつく光と影――朝霧を透かして差し込む陽光が木々の間で斑模様となり、視界を不規則に揺らしている。

 足元を覆う落ち葉の層が、わずかに音を吸い込みながら沈む。

 その奥に――不意に、低い唸り声が混じった。


「……止まって」


 リナの短い指示が空気を裂いた。

 全員が即座に動きを止め、息を潜める。

 霧が淡く流れ、耳に届くのは自分たちの鼓動と、どこか遠くの枝の軋む音。


「……今の、聞こえましたか」


 レティアが小声で尋ねる。肩のあたりに、わずかな震えが見えた。


「聞こえた。近い」


 エルドが応じ、魔導ライフルの安全装置を静かに外す。

 その金属音がやけに大きく響いた。


 昨日の異変と魔物の多さを踏まえ、リナは先頭を歩きながら何度もマジックビジョンを確認する。

 画面に走る魔力波形の揺らぎが、彼女の眉をわずかに曇らせた。


「反応……薄いけど動いてる。獣型か、あるいは……」


 リナの呟きに、アリスが前へ出た。


「私が索敵を拡げます。五十メートル圏、魔力探査」


 静かに詠唱を始めると、周囲の空気がわずかに震えた。


「了解。エルドさん、後方確認。フィルさんは右の高木を監視」

「任せてください」

「了解、リナさん」


 エルドとフィルも互いに視線を送り合い、いつでも魔導銃を構えられるように肩掛けを調整した。

 銃身がわずかに霧光を反射し、彼らの指先がその冷たさを確かめる。


「マーヤさん、右前の低木帯を頼む。仕掛けられる場所を見て」

「了解です! 踏み跡があるなら、獣道の分岐を塞ぎます」


 マーヤが膝を落とし、素早く符術紙を取り出して地面へ差し込む。

 符が淡く光を帯び、簡易結界が音もなく展開した。


「……完了。反応遮断、三分は持ちます」

「上出来」


 リナの短い言葉に、マーヤが微笑む。だがその笑みもすぐに消えた。

 レティアは左側の茂みへ目を向け、弓なりの枝の隙間から視線を走らせた。


「左も異常なし……でも、音が遠のいた?」

「いや、違う」


 アリスが低く呟いた。


「音が“潜った”――地面の下から響いてる」


 その一言に、場の空気がぴたりと止まる。

 湿気の中、六人の呼吸音だけが重く残った。


 リナは額にかかる前髪を指で払うと、声を低くした。


「全員、警戒態勢。距離五メートルを維持して進行。魔力感知を続けながら行く」

「了解」

「了解!」


 六つの声が重なり、再び動き出す。

 マーヤとレティアは左右の茂みを絶えず警戒し、枝葉の動き一つ見逃さない。

 アリスは剣の柄にそっと手をかけ、呼吸を整えながら周囲の気配を探る。

 剣の鍔がわずかに青く脈動し、彼女の魔力に反応する。


 隊列は前後左右の距離を慎重に取り、落ち葉を踏む音すら抑えながら進んでいた。

 風が途絶えたかのように、森全体が静まり返る。


「……空気が重いわね」


 レティアの声がかすかに震える。


「魔力の流れが偏ってる。まるで……何かが吸ってるみたい」


 アリスの指先が剣を撫で、視線が暗い奥を射抜く。


「焦るな。目的地まではあと一キロ。森を抜ければ開けた斜面に出る」


 リナの声が全員の緊張を支えるように、静かに響いた。

 深い大森林は、昨日よりもさらに湿り気を増しており、どこか得体の知れない息遣いが、木々の奥から――確かに響いていた。

 まるで、森そのものが、六人の足音を待ち構えているかのように。


「……隊長、何かいるわ。前方だけじゃない、左右にも!」


 先頭のマーヤが耳を澄ませ、目を細めて言った瞬間、リナが即座に手を上げる。


「全員、円陣! ライフルで迎え撃つ!」


 その号令は鋭く、森の湿った空気を切り裂いた。

 六人は瞬時に背中合わせに動き、湿った地面に靴底を沈めながら、魔導ライフルを肩に構えた。

 銃口が一斉に四方へ向けられ、魔力の唸りが重なる。

 淡く青白い術式光が銃身に走り、息を呑む緊張の気配が広がった。


 ――茂みが裂け、灰色の狼が背の岩瘤を光らせて飛び出した。

 《ストーンバック・ウルフ》。

 昨日も相手にした中型の獣型魔物。だが今日は、数が違う。

 十、いや十二……その気配が霧の奥で次々と揺らめいた。


「来たわ、撃てッ!」


 リナの号令と同時に、青白い閃光がほとばしった。

 六挺の魔導銃が一斉に火を噴き、魔力弾が茂みを貫く。


 最前列の狼が喉を裂かれ、呻き声とともに地に沈む。

 しかし後続の群れは止まらない。

 吠え声を上げ、四方の木々を弾き飛ばしながら突進してくる。


「多い……っ!」


 レティアが叫び、魔力コンデンサを交換。再装填の光が閃く。


「右五十度、二体! アリスさん、左に回して!」

「了解!」


 アリスが即座に反応。ライフルを斜めに構え、魔力弾を連射する。

 青光が縦横に走り、突進してきた二体が衝撃波に弾かれた。

 だが、群れの速度はそれを上回っている。


「くっ……近い!」


 エルドが肩で銃を押し返すように構えるが、距離はもう十メートルもない。

 狼たちの牙が閃き、湿った空気を切り裂く。


「エルドさん、近接に切り替えるわ! アリスさん、援護を!」


 リナの指示が飛ぶ。

 アリスは頷きざまに腰の魔導剣を引き抜いた。


「了解――!」


 柄の基部に指をかけ、小さくルーンを押す。

 剣身が青白い光をまとい、金属音を響かせて起動する。

 淡い閃光が空気を震わせ、周囲の霧が揺れた。


「フィルさん、マーヤさん、後方援護!」

「任せろ!」

「了解!」


 二人の魔導ライフルが後列で構え直され、弾幕が張られる。

 青光が連続して閃き、弾丸が木々を貫くたび、湿った葉が舞い散った。


「おらぁっ!」


 エルドが咆哮とともに踏み込み、ライフルを背へと回した。

 腰の魔導剣を抜き、起動ルーンを押し込む。

 刃が青く輝き、空気が震えるほどの魔力が走った。

 目の前の狼が飛びかかる。

 その顎を狙い、エルドの剣が一直線に突き立つ。

 硬質な岩瘤が砕け、赤黒い血が飛び散った。


「次――ッ!」


 すぐさま二体目が横から襲いかかる。

 エルドは剣を捻り、刃を立てたまま受け流すと、逆袈裟に一閃。

 刃が獣の胴を断ち割り、重い音とともに地面へ崩れ落ちた。


「まだまだだ……!」


 息を荒げながらも、エルドの声には力があった。

 その横を、アリスが疾走した。

 彼女の魔導剣が風を裂き、蒼光の残滓を引きながら狼の首筋を断つ。

 足元のぬかるみを滑るように踏み込み、刃の軌跡が蒼い弧を描いた。


「アリス、左を頼む!」

「了解、右はお願い!」


 アリスは身をひねり、低く構え直す。

 その直後、右側の茂みから二体が飛び出した。

 エルドが右、アリスが左へ――背を合わせるように動く。


「せーの!」


 掛け声が重なり、二本の魔導剣が交差した。

 閃光が弾け、二体の狼がほぼ同時に倒れ込む。


「リナさん、後方からも数体来ます!」


 フィルが叫ぶ。視線はスコープ越し、冷静に獲物を狙っていた。


「撃ち抜いて、距離を取らせて!」

「了解!」


 後方でマーヤが符術紙を投げ放ち、弾けた光が罠陣を形成する。

 飛び込んできた狼が足を取られ、動きを止めた瞬間――フィルの弾丸が正確に眉間を撃ち抜いた。


「いい連携ね、二人とも!」


 リナが短く声を上げ、再び前方に構えを戻す。

 彼女のライフルから放たれた魔力弾が、突進してきた個体の前脚を撃ち砕いた。


「リナさん、左は抑えました!」

「よし、全員で右を潰す!」


 六人の動きに、もう無駄はなかった。

 連携が音になり、光になり、戦場そのものが彼らに呼応しているようだった。


「いっけえぇっ!」


 マーヤが叫びながら符術弾を投げ放ち、爆発的な光が狼たちを一瞬怯ませる。

 その隙に、エルドが斬り込み、アリスの刃が追う。


「はぁッ!」


 アリスの魔導剣が風を裂き、残った最後の個体の首を断つ。

 鮮血が弧を描き、濡れた地面に散る。


「――終わりっ!」


 リナが確認の声を上げる。

 ……静寂が戻った。

 霧の中、重い息だけが残る。


 エルドが剣を肩に担ぎ、苦笑いを浮かべた。

「ふぅ……おいおい、群れの規模が増してるぞ。昨日の比じゃねえ」


 アリスは剣を軽く振って血を払うと、静かに息を吐いた。

「……感覚的に、倍はいますね。しかも動きが統制されてる」


 レティアが後方で結界を展開しながら呟く。

「まるで誰かが……誘導してるみたい」


「考えすぎだといいけどな」


 フィルがライフルの銃身を拭いながら小さく言う。

 マーヤが苦笑いを浮かべ、アリスの背を軽く叩いた。


「でもやっぱり凄いよ、アリス。あの動き、見惚れたわ」


 エルドも剣を納めながら頷いた。

「おかげで助かった。背中預けられるってのは、安心だな」


「ありがとうございます……まだまだ、頑張ります!」


 アリスが照れたように笑うと、リナも口元を緩めた。

「ほんとに助かるわ、アリスさん。それに……みんな、よくやった」


 六人の笑い声が、血の匂いを帯びた湿った風に溶けていった。

 だが、その直後――。


「……これって、大森林だから魔獣が多いだけだよな」


 フィルがぽつりと呟く。


「まさか、昨日のあの歌声のせいじゃないよな……?」


 誰もすぐには答えられなかった。

 木々の奥で風が揺れ、ざわめきが不気味に続く。


 それはまるで――森そのものが、彼らの問いに耳を傾けているかのようだった。

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