第一部 第三章 第2話
会議が解散すると、十五班の面々は素早く荷物を整え、駐屯地中央の広場へと集結した。
夜明けを迎えた空は、まだ淡い靄をまとっている。
東の稜線からわずかに差し込む陽光が、濡れた地面と朝露を照らし、無数の光の粒が斜めにきらめいた。
空気はひんやりと澄み、吐く息が白く溶けていく。
森の輪郭は黒く沈みながらも、その奥には生命の気配が脈打ち、まるで大地そのものが息を潜めて彼らを見つめているかのようだった。
広場では、すでにミラージュ王国魔導騎士団の新人十五名が、先導部隊として整然と待機していた。
彼らは淡い灰青の軍装に身を包み、無駄のない動きで列を維持している。
肩にはそれぞれ所属章と階級紋が光り、腰には王国制式の魔導剣、片手には魔導ライフル。
靴底が砂利を踏む音さえも、規律の一部のように整っていた。
その背後には、出立を支える大型の魔導神器群が並ぶ。
荷台の上には補給用の魔力コンデンサと通信塔が設置され、周囲を覆うように魔力抑制フィールドが展開されている。
さらに監視塔の上には、夜の名残を反射するように金属の砲身が輝く魔導砲が据え付けられ、森の深部へ向けて静かに砲口を構えていた。
砲身の表面に刻まれた術式紋が淡く光を帯び、微かな魔力のうねりを生む。
まるで見えぬ敵へ、沈黙のうちに警告を発しているようだった。
班長のレオは、集まった十五班の面々を一列に立たせた。
その眼差しは厳しく、だがどこか誇らしげでもあった。
「装備点検を最終確認する。順に前へ」
短く号令をかけると、班員たちは一人ずつ歩み出て、レオの前に立った。
彼は手際よく肩掛け具の固定を確かめ、魔力伝導ベルトの緩みを指で押さえ、魔石の残量と動作状態をモニタで確認していく。
マジックビジョンの起動ランプが淡く光り、すべての装備が正常稼働を示す緑色の光を放った。
「……よし。全員、異常なしだな」
レオが静かに言葉を落とすと、十五班の若者たちは一斉に胸を張り、声を揃えた。
「はいっ」
その短い返答が、朝の空気を震わせた。
彼らの表情には、緊張と誇りが入り混じっている。
この日のために積み上げてきた訓練の重みが、ひとりひとりの背中に確かに宿っていた。
そしてその時――背後から、低く響く声が広場の空気を揺らした。
「――気合いは十分のようだな」
その声は静かだが、芯に重みがあった。
一瞬で場の空気が引き締まり、誰もが反射的に背筋を伸ばす。
朝霧の向こうから姿を現したのは、ミラージュ王国第一魔導騎士団団長、エルネスト・ルヴェリエだった。
黒銀の外套を翻しながら、ゆっくりと広場を横切る彼の足音が、石畳に硬く響く。
深く澄んだ碧眼が、十五班とミラージュ側の新兵たちを順に見渡した。
そのまなざしには、厳しさと同時に、若き世代への信頼が宿っていた。
胸元に掲げた王国騎士団の黄金紋章が朝光を受けて微かに輝き、冷たい風が外套の裾を静かに揺らす。
濡れた石畳に魔導灯の淡い光が反射し、重厚な影が列の足元を横切るたび、誰もが思わず息を飲んだ。
エルネストは整列する若者たちを順に見回し、静かな眼差しでひとりひとりを測るように視線を止めていく。
「この森は、魔力の流れが複雑に交錯する特異な地帯だ」
静かな声が、霧の中でよく響く。
彼の声は決して大きくないが、ひとつひとつの言葉が確かな重みを持って胸に届く。
「どれだけ訓練を積んだ者でも、一瞬の油断が命取りになる。……だが、お前たちはそれに挑もうとしている。恐れず、誇りを持て」
語尾に込められたわずかな熱が、十五班の若者たちの心を震わせた。
誰もが自然と背筋を伸ばし、拳を強く握りしめる。
エルネストは一歩前に出て、鋭いまなざしのまま静かに言い切った。
「私が後方から支援を行う。だが――頼れるのは隣にいる仲間であり、自分自身の判断力だ。
互いを信じ、全員で戻ってこい」
言葉を終えると同時に、彼は軽く顎を引き、隊列を見渡した。
そのわずかな仕草にすら威厳が漂い、誰もが深く頷いた。
隊の中から小さく、しかし確かな決意を込めた息がいくつも漏れる。
それは恐怖を打ち消すような、静かな覚悟の吐息だった。
レオは静かに一歩前へ進み出て、エルネストに一礼した。
光を反射する肩章が、淡く朝日に照らされる。
「――みんな、今日からの四日間は、俺たちが“班”として試される日になる」
低く落ち着いた声。
その背にある責任の重さを、十五班の誰もが理解していた。
「困難もある。だが、その先にあるのは、仲間と積み上げてきた力だ」
彼は拳を胸に当て、軽く叩くようにして続けた。
小さく響いたその音が、士気の鼓動のように広場に反響する。
「森に入れば、指揮は基本的にパーティー単位で行動する。
先導はミラージュ魔導騎士団が担うが、現場の判断はお前たち自身にかかっている。
迷うな、立ち止まるな――分かったな」
「はいっ」
十五班の声が一斉に広場へ響き渡り、朝の冷気を震わせた。
その響きは確かに若さと誇りの混ざり合う音だった。
隊列の先頭には、一番パーティーのリナ、アリス、レティアの三人が並んでいた。
リナは背に固定した杖の位置を微調整し、腰のベルトに掛けた魔石袋の口を再確認する。
アリスは腰の魔導剣の柄に手を添え、刃の固定を確かめた。
レティアも魔導ライフルのマガジンを慎重に押し込み、音を確かめると、ふっと微笑んで隣のアリスに目をやった。
二人の視線が交わる。
その瞬間、言葉を交わさずとも互いに頷き合った。
長い訓練と幾多の戦闘演習で培った信頼――その絆が、ほんの一瞬の目配せの中に宿っていた。
「リナさん、行きましょう」
「ええ。……みんな、油断しないで」
アリスが静かに頷き、レティアもその声に応えるように姿勢を正した。
空気がわずかに張り詰め、緊張と高揚が混じった熱が列全体を包み込む。
「誰ひとり欠けず、全員で帰るぞ。それが十五班の誇りだ」
レオの言葉が響く。
誰もが真っ直ぐに彼を見つめ、拳を握りしめた。
レオは頷くと、背後に控えていたミラージュ王国の先導騎士へ視線を送った。
手が静かに挙げられ、出立の合図が放たれる。
「十五班――行軍開始」
号令と同時に、前方でミラージュの先導騎士が腕を振る。
鋼鉄の鎖が外れる音が響き、前方の魔導障壁ゲートがゆっくりと開かれていった。
淡く光る結界の膜が、朝の光を受けて弾けるように解ける。
そこから吹き抜けてくる森の冷気が、隊列の頬を撫で、外套の裾をわずかに揺らした。
靴底が硬い石畳を叩く音が、次第に湿った土の感触へと変わっていく。
吐く息が白く揺れ、周囲を包む霧がゆっくりと流れた。
十五班とミラージュ王国魔導騎士団の連合隊は、静かに、しかし確かな決意をもって森の入り口へと足を踏み入れていった。
その背後で、駐屯地の魔導灯がひとつ、またひとつと消えていく。
残された光は、まるで彼らの旅路を見送るかのように、淡く瞬きながら消えていった。
夜明けの霧は、まだ樹々の間にゆっくりと漂っていた。
枝葉の端に宿る朝露は冷たく、その滴が、ぽつり、ぽつりと騎士たちの肩や兜の上に落ちては、静かな音を立てて弾ける。
頭上を覆う濃緑の葉が微かに揺れ、こすれ合うたびに湿った音を響かせていた。
その一つひとつが、森の静寂に不穏な気配を帯びている。
足元には濡れた落ち葉とぬかるんだ土。
一歩踏み出せば、靴底が微かに沈み込み、柔らかな音を残す。
不用意な足運びは、すぐさま周囲に響き返る。
地中に染み込んだ湿気が靴底からじわじわと這い上がり、空気の密度そのものが身体を包み込むような重さを持っていた。
「足元、滑りますよ」
先頭を進むリナが、背後の仲間に向けて低い声で注意を促した。
その声は風に紛れず、確実に届くように抑えられた、訓練された響きだった。
「了解」
アリスが短く応じる。
その声もまた小さいが、澄んだ響きが森の湿った空気の中に確かに残る。
「……こういう道、嫌いじゃないけど……油断はできないわね」
レティアが苦笑混じりに呟いた。
その表情には余裕の笑みが浮かぶが、瞳は森の奥を警戒するように鋭く動いている。
アリスは頷きながら、足裏の感覚を研ぎ澄ませる。
滑る岩の上でも音を立てず、落ち葉の層を踏みしめるたび、わずかに身体の重心をずらしていた。
わずかな枝葉の擦れる音すら、今は命取りになりかねない。
一行の動きは決して速くはなかったが、全員がその歩みを精密に制御していた。
呼吸のリズムさえ無駄を削ぎ落とし、後方を進むパーティーも一定の距離を保ちながら、静謐そのものの連携で続いていく。
森の深部へ向かうその列は、まるで一つの生き物のように統一された動きだった。
「……空気が、澄んでるのに……どこか重たい」
レティアが小さく呟いた。
その声には、彼女の中に眠る感知の才――微細な魔力の揺らぎを読み取る感覚がにじんでいる。
アリスはマジックビジョンを操作し、視界に浮かび上がる魔力濃度と干渉波の分布図を確認する。
波のように揺れる魔力線が、地中の浅い層に集まっているのが見て取れた。
「ここは記録でも“集積区域”って呼ばれてる場所。
魔力が溜まりやすくて、地殻の流れも乱れてる。
……魔物が集まるのも、そのせいだね」
「魔力が滞る土地って、空気まで重くなるんですね……」
レティアが呟くように言い、指先で空気を感じ取る。
手をかざしただけで、ぴり、と肌を刺すような微かな圧があった。
リナは静かに頷き、杖の先端を苔むした地面にそっと突き立てる。
その先から淡い青光が広がり、地表の下にある根の網や岩の割れ目に沿って、過去に蠢いた何者かの痕跡が感知された。
「……反応あり。足跡がある」
アリスとレティアが近づく。
散乱する落ち葉の下には、野生魔物による五本の深い爪痕が複数刻まれていた。
表土は抉れ、小動物の巣が掘り返された跡も見える。
爪痕は比較的細いが、深さは鋭く、明らかに大型の獣類。
「《フォレスト・グラウル》の縄張りかもしれません」
リナが低く呟き、杖を握る手に力を込めた。
魔力の共振が杖の先にわずかに走る。
「通り道ですね。複数体。二日前……いや、半日ほど前に通った痕跡もあります」
レティアが周囲の匂いを嗅ぎ取りながら言う。
湿った風の中に、かすかに鉄錆のような血の匂いが混じっていた。
前方を進んでいたミラージュ王国の先導騎士が、手信号で進路変更を伝えてくる。
その仕草は簡潔で、迷いがない。
隊列はすぐに反応し、東寄りの獣道へと進路を変えた。
そこは枝の張り出しが多く、地面も斜めに傾いた不安定な道。
鳥の巣が枝の高みに見え、時折、霧の向こうで小動物の走る気配がした。
まるで“狩る側が獲物を導く通り道”のように、自然の罠めいた配置をしていた。
「この先、第二分岐でルートが分かれます。そこからは各パーティー行動です。……いいですね」
前方の先導騎士が振り返りながら確認する。
「了解」
アリスとリナ、レティアが同時に頷いた。
「ふぅ……ようやく分岐か。肩の力、抜く暇もないね」
レティアが小さく息をつき、額の汗を拭う。
その声にも冗談めいた響きがあったが、緊張の糸は決して緩まない。
「油断した瞬間、踏み抜くよ。……ここの地面、見た目より浅い」
アリスが淡々と答え、杖の柄尻で地面を軽く叩く。
湿った音が返り、確かに土が柔らかく沈んだ。
「了解……慎重に行こう」
リナは短く言い、先頭へ戻る。
その時、鳥の声がぴたりと止んだ。
代わりに聞こえてきたのは、風に揺れる枝葉のきしむ音。
その一つひとつが、まるで何かが息を潜めているような圧を帯びていた。
アリスは小さく息を整え、マジックビジョンを閉じた。
「……嫌な静けさ」
「うん。森が“待ってる”みたい」
レティアが答える。
その表情は穏やかだが、指先はいつでも武器を取れる位置にあった。
風の流れ、葉の揺れ、地面の感触――どれもが命を守るための感知の材料になる。
湿った空気の中、誰ひとりとして無駄な言葉を発しない。
その沈黙の中には、全員の意思が凝縮されていた。
生き残り、使命を果たし、仲間と共に戻る。
そのために必要な“静寂と集中”が、今、森全体を支配していた。
十五班とミラージュ王国魔導騎士団の連合隊は、極限の緊張を張り詰めたまま、古代遺跡の眠る森の深奥へと、一歩ずつ足を踏み入れていった。




