第一部 第三章 第1話
夜明け前の駐屯地は、まだ薄暗い空の下、冷たい空気に混じって青白く揺れる魔導灯の灯りが淡く瞬いていた。
十五班の面々は、中央棟の横に設けられた大会議室に集められ、簡易の作戦卓を囲みながら班長レオの声に真剣に耳を傾けていた。
卓上には昨夜と同様、大型の魔導モニタが設置されており、その淡い光が浮かび上がらせる立体地図には、濃密な密林の進路と、幾つかの宿営予定地が赤いラインとマークで鮮明に示されている。
「……よし、全員揃ったな」
レオは手にしたマジックビジョンを操作しつつ、鋭い視線で一人ひとりの班員の表情を確かめた。
「今回の演習は三泊四日。初日はこの駐屯地を出発し、森の南側をゆっくりと半日かけて踏破する。最初の宿営は、古い狩猟小屋を改装した臨時の野営地だ。ここで一晩を過ごす」
モニタの映像がゆっくりスクロールし、獣道のように細く曲がりくねった赤いルートが、次の目的地へと繋がっていく。
「二日目は、今回の演習の目玉だ。行軍を続けながら、指定された調査区域を探索し、夜には古代遺跡の入り口付近に宿営する」
その言葉に、部屋の中に緊張と期待の混じった小さなどよめきが走る。
アリスとレティアは、手元のマジックビジョンに映る遺跡のマークを食い入るように見つめた。
「……遺跡で泊まるんですか? 危険じゃないんですか、班長?」
若い団員の一人が不安げに尋ねると、レオは少し口元を緩めて微笑んだ。
「心配するな。遺跡内部に泊まるわけではない。遺跡の外縁で安全が確認されている区画だけを使う。
この古代遺跡周辺には強力な魔力場が残されており、その影響で一定範囲内の魔物の侵入を防ぐ結界のような役割を果たしているんだ。
いわば自然の結界だな。だから、遺跡を拠点にすれば夜間の魔物襲撃のリスクを大幅に減らせるというわけだ」
レオはモニタ上の青く輝く円形の結界範囲を指差す。
「ここが結界範囲だ。明後日の夜はこの中で安全に宿営する。
そして、三日目は朝から遺跡の周辺を調査、昼には遺跡内部の探索行動を行い、四日目の昼までに予定区域を踏破して駐屯地へ戻る予定だ。
以上が大まかな行程だ」
班員たちは一斉に頷き、手元のマジックビジョンに新たに示されたルートを慎重に保存した。
レオは少し間を置き、さらに重要な補足を加えた。
「ちなみに、ミラージュ王国魔導騎士団の新人十五名は、初日の古い狩猟小屋を改装した臨時の野営地までは我々と共に行動する。
しかし、二日目の探索行動は別行動となり、それぞれ別ルートで指定区域の調査を行う予定だ。
そして三日目の昼、古代遺跡の入り口で再び合流し、その後は合同で行動を続け、四日目の帰還まで共に進むことになる」
別行動となることへの少しの緊張と期待が、班員たちの表情に入り混じるのが見て取れた。
レオは最後に、いつもの頼もしい笑みを浮かべて締めくくった。
「いいか。初めての長期野営の者もいるだろうが、何があっても慌てるな。
焦らず一歩ずつ確実に進め。……全員、必ず無事に帰還するんだ」
「はいっ」
引き締まった声が一斉に部屋中に響き渡り、緊張感と一体感が満ちていく。
レオはモニタを切り替え、班の編成図を映し出した。
「今回は班をさらに小隊パーティーに分割して行動する。
各パーティーは三名を最小単位とし、互いに適切な距離を保ちながらも緊密に連携して進む」
班員たちは顔を見合わせ、小さく頷き合った。
レオはリナ・フローレンスを呼び上げた。
「リナ・フローレンス」
突然の呼びかけに戸惑いながらもリナは「はい」と返事をし、一歩前に進み出る。
「一番パーティーはリナをリーダーとし、アリス、レティアの三名だ」
予想外の指名に小さなどよめきが生じたが、リナはすぐに背筋を伸ばし、凛とした佇まいを見せた。
「魔術師団の連中は知っての通り、リナは入団試験で首席合格した精鋭だ。
今回、現地での先導役と隊列指揮、両方を任せる。異論はないな?」
「はい」
強い声が揃って返り、場内に短く響いた。
レオは他のパーティーメンバーも順に発表し、最後に全員を見渡して言った。
「森では魔物も自然も油断ならん。判断に迷ったら、必ずリーダーの決定を仰げ。
全員が無事に生きて帰ること、それが何より重要だ」
「了解です」
アリスはリナの方を見て、真剣なまなざしで囁くように声をかけた。
「……リナさん、頼りにしています」
レティアも微笑みを浮かべ、優しく続けた。
「私も支えます。リナさん、一緒に頑張りましょう」
リナは少し照れくさそうに二人の顔を見返しつつも、力強く頷いた。
「ええ、必ず無事に戻りましょう」
大会議室には緊迫感の中にも強い結束を感じさせる空気が満ち、若き騎士たちはいよいよ目前に迫った演習への覚悟を胸に刻んだのだった。
その後、レオが最後の確認を終えると、室内に一瞬の静寂が落ちた。
誰もが固唾を呑み、それぞれの胸中で役割やルート、注意点を再確認している。
卓上のマジックビジョンが「ピィ……」という小さな音を立てて沈黙すると、淡い青光が収束し、空中投影されていた立体地図がゆっくりと消えた。
レオは静かにその操作パネルから手を離し、班員たちを順に見渡す。厳しくも落ち着いた眼差しで視線を交わし、一拍置いてゆっくりと頷いた。
「――以上だ。これで作戦会議は終了する」
その言葉が放たれると、張り詰めていた空気が一気にほどけ、室内に安堵の吐息がいくつも漏れた。
微かに椅子が軋む音と、資料をまとめる手の動きがあちこちで重なる。
レオはそのまま立ち上がりながら、再び班員たちに向き直る。
「改めて確認しておく。今回の演習には、我々十五班と共に、ミラージュ魔導騎士団の選抜十五名が随行する。彼らもこの演習を通じて実地経験を積む見習いだが、十分な訓練を受けた者たちだ」
その言葉に、一部の班員が小さく頷く。すでに昨日の顔合わせで交流を交わした者も多く、互いに意識し合っている様子がうかがえた。
「現場での統括は俺が務めるが、補給と後方支援については――」
レオの声が、わずかに誇らしさを滲ませる。
「エルネスト団長が、直接指揮を執ってくださる」
その名を聞き、室内に小さなどよめきが走る。
「――だからこそ言うぞ。各自、出発準備に移れ。装備、魔力残量、持ち物の最終チェックを怠るな。些細な確認の差が、生死を分けることもある」
レオは言葉を区切り、一歩踏み出して視線を強めた。
「……いいか、誰一人として、欠けるなよ」
その重みのある言葉に、全員が即座に立ち上がり、真剣な面持ちで右手を胸に当てて敬礼を交わす。
「了解です」
若き騎士たちの声が小会議室に一つに重なって響いた。
アリスとレティアも、リナと目を合わせてわずかに微笑み合ったあと、揃って背筋を伸ばす。確かな覚悟が、その目に宿っていた。
やがて作戦会議が終わると、班員たちは着席していた椅子を静かに戻し、それぞれ必要な装備を最終確認するため、整然と部屋を後にした。
廊下に出た瞬間、外の冷えた空気が頬を撫でた。
まだ薄暗い早朝の空には、一筋の蒼が差し始めており、駐屯地の上空では魔導灯が青白くまたたいている。
遠くの見張り塔では、警備隊の交代の挨拶が交わされており、辺りは静かながらも、確かに動き出していた。
アリスは肩に下げたマジックビジョンの端末を指で軽く叩きながら、隣を歩くリナへと視線を向けた。
「リナさん、本当に大丈夫? 指揮と先導、両方なんて、負担が大きいと思うけど……」
心配を込めた声に、リナは歩を緩めることなく、ふっと口元を和らげて返した。
「ありがとう。でも、大丈夫。……班長が任せてくれた役目だもの。それに、アリスさんとレティアさんが一緒にいてくれるなら、怖いものはないよ」
その言葉には、控えめながらもしっかりとした信頼と責任感が込められていた。
すぐ後ろを歩いていたレティアが、肩越しに声をかけてきた。
「私も魔物の気配くらいなら、すぐに探知してみせますから。……だから、リナさんは前だけ見ててください」
明るい口調に、アリスが小さく笑い、リナも思わず口元をほころばせた。
そんな三人のやり取りに、すれ違った先輩の男性騎士が、にやりと笑ってリナの肩を軽く叩いてきた。
「おっ、精鋭トリオってやつだな? 頼りにしてるぞー」
「もう、からかわないでください……」
リナが赤くなりながらも笑うと、アリスとレティアも思わず笑みを返した。
気負いすぎない空気が、確かな絆として彼女たちを包み込んでいる。
駐屯地の中庭では、すでに荷車に補給物資を積み込む音が響き始めていた。
箱を運ぶ声、装備点検の報告、魔力残量を確認する術者の詠唱――演習に向けた準備が着々と進んでいる。
班員たちは各自のバックパックや腰の武装を丁寧に確認し、マジックビジョンのルート情報を改めて照合しながら、出発の瞬間に備えていた。
――こうして、朝露に濡れる静かな森へと繰り出す、十五班の若き行軍が、いよいよ幕を開けようとしていた。




