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第六部 第一章 第3話

 翌日。


 レティアの病棟へ向かう途中、アリスは学院正門前に整然と並ぶ教員たちの姿を見つけ、思わず足を止めた。

 学院長を筆頭に、副学院長、主要研究室の室長、そして戦術・研究を担う講師陣が一列に並び、誰一人として言葉を交わさぬまま、厳粛な面持ちで正門の方角を見据えている。

 普段ならば微かに聞こえるはずの衣擦れや足音すら、この場では意図的に消し去られているかのようで、広場一帯は異様な静寂に包まれていた。


(……なにか、来る)


 胸の奥を撫でるように緊張が走った、その瞬間。

 空気が一段、重く張りつめた。


 学院前の石畳に、かすかな振動が伝わってくる。

 最初は気のせいかと思えるほどの微細な揺れだったが、それは次第に確かな重みを伴い、低く腹に響く音へと変わっていった。


 ――低く唸るような轟音。


 地面の下を流れる魔力の脈動と共鳴するかのような、不気味でありながらもどこか荘厳さを帯びた響きだった。


(……魔導車)


 学院の正門をくぐり、魔力駆動の重装甲車両が姿を現す。

 一台、また一台と続き、魔導炉の光がエンジン部から淡く漏れ、車体の側面に刻まれた魔術刻印が脈打つように輝いている。


 車体前面には、ファーレンナイト王国第三騎士団の徽章。

 白銀の鷲が双剣を抱くその意匠は、王国の盾であり矛であることを示す象徴であり、陽光を受けてきらめくその姿は、見る者に否応なく権威と威容を刻みつけた。


 厚みのある装甲板には、戦場を渡り歩いてきた証として、焼け焦げや浅い斬撃痕がわずかに残されている。

 それは決して劣化ではなく、むしろ歴戦を誇る勲章のように、車両全体の存在感を際立たせていた。


 五台の軍用特装車が、規律に従った統制された動きで学院広場へと滑り込み、石畳に重い影を落とす。

 駆動音も停止の間合いも、すべてが揃っており、その整然さは、まるでひとつの巨大な意思を持つ存在が動いているかのようだった。


 車両が完全に静止した瞬間、広場を支配していた重低音がすっと消える。

 代わりに訪れたのは、濃密で張り詰めた沈黙。


 風さえ止まったかのようなその刹那、誰もが次に訪れる瞬間を待っていた。


 やがて――

 重厚な車体の扉が、油圧の低い音を響かせて一斉に開いた。


 その瞬間、車内から流れ出る空気までもが張り詰め、場の緊張をさらに研ぎ澄ませる。


 最初に姿を現したのは、威風堂々たる女性騎士たちだった。


 彼女たちは一歩、また一歩と石畳に足を下ろす。

 硬質な靴底が石に触れる音が、規則正しく響き、その一つひとつが、まるで重い鐘を打ち鳴らすかのように広場全体の空気を束ねていく。


 全員が銀白の装甲に身を包み、装甲表面には陽光を反射して淡く揺らめく光が走る。

 その鎧は単なる防具ではない。徹底した整備と鍛錬、そして数え切れぬ実戦を経て初めて宿る、威厳と信頼の象徴だった。


 肩当てや胸甲に刻まれた細やかな紋章は、第三騎士団に属する者の証。

 それを身に纏うこと自体が、誇りであり、同時に重い責務を背負うことを意味していた。


 髪は一様に高く結い上げられ、後れ毛ひとつない。

 無駄を削ぎ落としたその姿は、己を律する厳格さを雄弁に物語っている。


 そして――

 最も強く印象に残ったのは、その眼差しだった。


 彼女たちは単なる騎士ではない。

 戦場を潜り抜け、生死の狭間を幾度も越えてきた者だけが持つ、鋭利で研ぎ澄まされた眼をしている。

 剣を振るう戦士の眼であると同時に、仲間を率い、命を預かる指揮官の眼。


 そこには恐怖も迷いもなく、ただ「使命」に従うという、絶対の覚悟だけが宿っていた。


(……全員、女性騎士)


 アリスは静かに目を細める。

 降り立った彼女たちは、誰一人として声を発しない。

 ただ粛々と、規律に従い、定められた動作で広場に整列していく。


 その姿は、無言のうちに語っていた。


 ――言葉は不要。行動こそが証明。


 漂っていたのは威圧ではなかった。

 恐怖や圧迫感ではなく、もっと澄み切ったもの。


 徹底して己を鍛え、揺らがぬ信念を刻み込んだ者だけが纏う“誇り”そのものが、目の前の空気を静かに震わせていた。


 そのときだった。

 列の中の一人が歩みを止め、背筋を正したまま静かに方向を転じる。

 彼女の視線の先には、最後尾に滑り込んでいた黒塗りの特装魔導車があった。


 車体は他のものよりひときわ重厚で、漆黒の装甲には余計な装飾は一切ない。

 艶を抑えた外殻は光を拒むかのように沈黙を保ち、ただ圧倒的な存在感だけを放っていた。

 それは移動手段ではなく、“玉座”がそのまま地上を運ばれてきたかのような威容だった。


 銀白の籠手をはめた女性騎士が、迷いのない所作で歩み寄る。

 靴音が石畳に規則正しく響くたび、広場の空気は一層研ぎ澄まされていく。

 誰一人として声を発しない。

 だが全員が、その一歩一歩の意味を理解していた。


 やがて彼女は車体の前に立ち、厳かに右手を伸ばす。

 黒塗りの魔導車の扉に、白銀の籠手が静かに触れた。


 瞬間――

 広場全体が、息を飲むように凍り付いた。


 次の刹那。

 前列の騎士たちが、一糸乱れぬ動作で剣を抜き放つ。


「シャァッ!」


 幾重にも重なった金属音が、澄み切った鐘の音のように空へと駆け上がる。

 それは単なる刃の響きではなかった。

 幾千の戦場で血を吸い、それでもなお清められてきた“誓いの刃”が、一斉に声を上げた瞬間だった。


 剣は一斉に胸元へ掲げられる。

 額に寄せられた刃が陽光を受け、眩い光を放つ。

 整然と並んだ列は一条の光の帯となり、やがて幾重にも重なって広場全体を包み込んだ。


 光は揺らぎ、共鳴し、やがて一つの巨大な光輪のように空気の中に浮かび上がる。


 ――“ティアナ騎士団”独自の剣礼。


 それは軍規であると同時に祈祷であり、誓約だった。

 忠誠と敬意、命を賭して主と共に戦う覚悟を示す、神聖なる式。


 列を吹き抜けた風は、もはやただの自然現象ではなかった。

 剣の光と共鳴し、まるで聖霊が宿ったかのように、全員の誓いを祝福しているかのようだった。


 呼吸は揃い、鼓動すら統制されているかのように感じられる。

 誰一人として揺らがず、誰一人として瞬きすらしない。

 掲げられた腕は石柱のように堅牢で、背筋は矢のように伸び、広場全体が“静謐なる大聖堂”へと変貌していた。


 ――その中心。


 黒塗りの特装車の扉が、音もなく静かに開く。

 内部から流れ出た空気は、外気よりもわずかに冷たく、澄み切っていた。


 そこから姿を現したのは、白銀のマントを纏う一人の女性騎士。


 陽光を受け、金糸のような長い髪が燦めく。

 澄み切った碧眼は、広場の隅々にまで等しく注がれ、逃げ場を与えない。


 ティアナ・レイス・ロアウ。


 その一歩が石畳を踏みしめるたび、掲げられた剣の群れが光を反射し、彼女を中心に星環のような光景を描き出していく。

 風がマントを大きくはためかせ、その姿はまるで見えざる翼を背にした神話の女神のようだった。


 沈黙の中――

 ただ一本の声が、澄み渡る鐘の音のように広場へ響き渡る。


「――ファーレンナイト王国第三騎士団、総員、敬礼用意」


 一拍。

 空気がさらに引き締まる。


「――第三騎士団 第二独立師団長にして、王代家第一公女。ティアナ・レイス・ロアウ閣下、着任!」


 その宣言と同時に、掲げられていた剣が一斉に振り下ろされる。

 石畳に触れる寸前で、寸分の狂いもなく静止し、重厚な気配が空気を圧した。


 “剣を掲げ、剣を伏す”。


 それは忠誠の始まりであり、命を捧げる覚悟を示す、騎士団最高位の礼。


 広場は完全な静止の中に閉ざされ、陽光は剣の群れに反射して、ティアナの背後に光の幕を描き出す。

 それはまるで大聖堂のステンドグラスに光が差し込んだかのような、厳かで神聖な光景だった。


 ティアナの足取りは一片も乱れない。

 ただ確固たる威風を纏い、前へと進む。


 その姿は、もはや一個の軍人という枠を超えていた。

 王族の威厳と、戦場を知る者だけが持つ静かな凄み、そして聖女のような気高さ。

 それらすべてを併せ持つ存在が、今この学院の地に立っていた。


 アリスは、その光景に思わず息を詰めた。

 胸の奥で、何かが静かに軋む。


(……クリス……)


 名を呼ぶことすら許されない記憶が、さざ波のように押し寄せる。

 遠い戦場の空気、剣戟の音、張り詰めた魔力の流れ。

 そして、そのすべての只中に、常に隣に立っていた存在。


 レティシアの右腕として、戦術を組み、戦線を支え、決して一歩も退かなかった名将――

 クリス・レイス・ロアウ。


 目の前に立つティアナの姿は、その面影を映し出す鏡のようだった。

 輪郭、眼差し、立ち姿。

 剣を抜かずとも周囲を制圧する重心の低さ。

 判断を言葉にせずとも伝えることができる、沈黙の圧。


 まるで血脈そのものが、時を越えて再構成されたかのように。


(……血筋。やっぱり、そういうこと)


 理屈としては、とうに理解していた。

 だが、実際に目の当たりにすると、胸に残る感情は単純ではない。


 尊敬。

 信頼。

 そして、わずかに残る後悔と――置き去りにした時間への、名付けようのない未練。


(ティアナ・レイス・ロアウ……クリスの血を引いているなら、あの人もまた――)


 “覚悟を持って、この場に立っている”。


 それは肩書きではなく、姿勢そのものが語っていた。

 一歩踏み出すごとに、地に刻まれる意志の重み。

 誰かに守られて前に出ているのではない。

 守る側として、最前線に立つ者の歩みだった。


 ティアナが正面へと視線を向けた、その瞬間。

 学院長を含む出迎えの全員が、示し合わせたかのように一斉に深く頭を垂れた。


 音はない。

 だが、その動作が生む圧は、広場全体を覆い尽くした。


 アリスは段差の上から、その光景を静かに見つめていた。

 事前に知らされていたはずの来訪。

 想定されていたはずの威容。

 それでも、彼女が現れた瞬間に、空気そのものが“塗り替えられた”。


 支配ではない。

 威圧でもない。


 統率と信頼が積み重なった末に生まれる、揺るぎない風格。

 それは“王”に連なる者だけが纏う、特別な気配だった。


(これが……ティアナ・レイス・ロアウ公女殿下)


 アリスは声に出さず、その名を胸の内でなぞる。


 ファーレンナイト王国王代家第一公女。

 王位継承権第三位。

 現役の師団長にして、“ティアナ騎士団”と称される第二独立師団を率いる存在。


 その姿を見つめるうちに、胸の奥に微かな緊張と、

 そして――既視感にも似た感覚が芽生えていく。


 学院長が一歩進み出て、恭しく頭を垂れた。


「ようこそおいでくださいました。

 王立騎士団第三騎士団 第二独立師団長にして、王代家第一公女、ティアナ・レイス・ロアウ閣下」


 一拍の沈黙。


「学院の協力に感謝する。

 臨時捜査室を速やかに設置し、ここを作戦拠点とする」


 凛とした声が、広場に澄み渡る。

 無駄がなく、感情を誇張しない声音。

 だがその一言で、場に集う全員が理解した。


 ――これは“視察”ではない。

 ――“介入”だ。


 後ろに控えていた騎士たちが、寸分の乱れもなく歩を進める。

 その整列の動きですら、一つの完成された儀式のように洗練されていた。


 アリスは静かに息を吸い込む。


(……なるほど。これが“本物の騎士団”)


 学院の演習でも、模擬戦でもない。

 国家の意志を背負い、最前線に立つ者たち。


 そして、思う。


 この動きが意味するものは、ただ一つ。


 《バロール・ビースト》の件は、もはや偶発的な事件ではない。

 王国が、“敵意”と“意思”を持った何かの存在を、正式に認定した証。


 アリスの心に、僅かな緊張が走る。


 そして――同時に。


(――あの人、何か……私に気づいてる?)


 ティアナの碧眼が、一瞬だけこちらを向いた――そんな気がした。

 ほんの刹那。

 周囲の誰も気づかないほどの短い時間。


 だが、その視線に宿っていたのは、

 単なる調査対象を見る目ではなかった。


 ……まるで、誰かを“探している”かのような。

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