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第五部 第三章 第12話

 大会議室の扉が静かに閉じると、空間に残るのはクラリスと数名の講師陣のみとなった。

 ランプの揺れる灯火が、沈黙の中で書類の表面をぼんやりと照らし出している。


 アークス教官が、重く低い声で口を開いた。

 「――状況を見て、思い出さざるを得んな。あの件を」


 誰かが小さく息を飲む音が聞こえた。

 「アリス・グレイスラーとレティア・エクスバルド。あの特別討伐演習に参加を許されたのは、年に一度の武術競技会で上位入賞を果たした特別選抜の面々。つまり、戦闘力と魔術適性のいずれにも秀でた者たちだけだ」

 「その彼女たちが……偶然とはいえ、またバロール・ビーストの亜種と接触した。しかも、前回と同じ“ミラージュ王国の合同演習”で使われた古代遺跡の構造と酷似した、魔力異常の多発する地帯で、だ」


 講師の一人が肩をすくめるように言った。

 「未だにあの遺跡での事象は解明されていない。あのときも、魔力干渉地帯、歌声の出現、そして本来の生態や行動原理とはまったく異なる反応を見せたバロール・ビーストの亜種……。偶然にしてはあまりにも符合しすぎている」


 「歌声……報告にあった通り、今回も同じでしたね」


 静かに、クラリスが口を開いた。

 「第八班の学院生たちが聞いたあの歌声。風に乗り、距離が不明瞭で、感知術式にも引っかからない。そして直後の召喚……いえ、あれは“転移”に近い魔方陣でした」


 クラリスは一拍置いて続ける。

 「本来は機密ですが、このような状況ではお話しする必要性があると思い、発言します。ですので議事録には伏せてください。――私が知る限り、古代遺跡の件は、遺跡付近に魔国勢力が三百年前に仕掛けたトラップが発動したものとして処理されています」


 「それが意味するところは?」


 「断言はできませんが、同じように三百年前のトラップなのか……。でも、今回は意図的に“誰か”が呼び出している可能性はあると思います」


 「召喚者、あるいは操る者が存在する、と?」


 再び沈黙が流れた。

 「仮に、それが本当だとしても……我々だけでは判断は下せない」


 アークスはそう締めくくると、魔導端末を閉じ、視線を全員に向けて告げた。

 「現時点で決定するのは三点だ。まず、五年次《探索者育成部》の実地訓練は、明日より臨時休校とする」


 「了解」


 「次に、今回の戦闘発生地帯――《シュトラードの丘陵地帯》は全面封鎖する。これは王国騎士団および魔術師団へ合同調査を要請する予定だ」


 講師陣が一斉に頷いた。

 「そして三つ目――」


 「歌声とバロール・ビースト亜種の関連性を“同一犯の可能性”として重く見て、ミラージュ王国との連携を強化する。王国から正式に、協力依頼を通達する」


 クラリスは静かに頷いた。

 その眼差しの奥には、まだ説明のつかない“何か”への不安と疑念が灯っている。


 「……やはり、あの子たちは何かに巻き込まれつつあるのかもしれませんね」


 「“巻き込まれている”のか、それとも……“選ばれている”のか」


 誰ともなく漏れたその言葉が、会議室の天井に吸い込まれていった。

 こうして、学院内部の緊急会議は静かに終わりを迎えた……はずだった。


 だが、重苦しい沈黙が会議室を満たしたまま、誰も口を開こうとしない時間がしばらく続いた。

 魔導ランプの灯がわずかに揺れ、円卓の上に並ぶ魔導記録装置の結晶面が、淡い反射光を天井へ投げ返す。


 その沈黙を破るように、誰からともなく低い声が漏れた。


「……で、実際に討伐までどう持ち込んだのか。報告はあったが、正直に言って、痕跡を見る限り、それだけでは説明がつかん」


 言葉は静かだったが、そこに含まれる疑念は重い。

 それは、この場にいる講師陣の誰もが、口に出さずに抱いていた問いそのものだった。


 シュトラードの丘陵地帯から回収された映像記録と、調査隊の詳細な報告。

 モニターには、半ば爆裂し崩れ落ちたバロール・ビースト亜種の巨体が映し出されている。

 紫紋を帯びた甲殻は内側から裂け、焼け焦げた地面には不自然なほど均一な破壊痕が走っていた。

 周囲には砕け散った岩塊、氷槍が突き刺さったまま溶けかけた痕跡、そして――戦闘直後にしては妙なほど澄んだ、浄化されたかのような魔力残滓。


「調査隊の報告によればだ」


 別の教官が資料をめくりながら続ける。


「魔核周辺は、外から叩き割られた形ではない。内部から破壊された痕跡が濃厚だ。高密度の魔力が魔核内部で暴発し、構造そのものを内側から引き裂いたように見える」


「つまり……」


 別の教官が言葉を継ぐ。


「誰かが、敵の魔力干渉波を逆流させた可能性がある、ということか?」


 会議室の空気が、さらに一段重くなる。


「だが、それが学院生の手で可能なのか?」


 眉を深く寄せ、戦術教官の一人が問いを投げた。


「通常でも、魔力干渉下で術式を安定させるだけで精一杯だ。干渉を“押し返す”どころか、逆流させるなど……理論上はあり得ても、実践できる者がどれほどいる」


 その視線が、自然とクラリスへ向けられる。


 クラリスは一拍置いてから、静かに口を開いた。


「第八班と第十三班、双方の証言を照合しました。その結果、アリス・グレイスラーは戦闘中、補助術式を単独ではなく、複数同時に展開していたとされています」


 彼女は指先で資料を示しながら続ける。


「俊敏性、身体強化、防御補助。それらを同時に維持しつつ、魔力出力を段階的に調整していた。単純な全開放ではなく、圧縮と解放を繰り返す制御型の運用です」


「それで、干渉を上回ったと?」


「結果的には、そう見えます。魔力干渉の波形が乱れ、内部に揺らぎが生じた。その隙を突いて、魔核構造が耐えきれず崩壊したのではないかと」


 だが、その説明を遮るように、アークス教官が腕を組んだ。


「理屈としては理解できる。だが、これは“理屈の上”の話だ」


 彼は立ち上がり、モニターに映し出された残骸を指し示す。


「見ろ。この爆裂痕だ。魔核周辺の破壊密度、周囲への衝撃伝播。学院生の平均魔力量で到達できる領域ではない。最低でも上級術士クラスの出力が必要だ」


 一瞬、言葉を切り、低く続ける。


「彼女の魔力量が上位であることは承知している。それでも――限界を超えている」


 重く息を吐く音が、どこかで響いた。


「……何かを、伏せているな」


 小さく、しかしはっきりとした声だった。


 その言葉に、クラリスは目を伏せる。

 彼女にはわかっていた。

 アリスが意図的に語らなかった“沈黙”の意味を。


 ――報告として語れる範囲。

 ――そして、語るべきではない範囲。


 その境界を見極めた上で、アリスは自分の戦いを説明した。

 それは虚偽ではない。だが、すべてでもない。


「ただの優秀な学院生……で片付けるには、確かに情報が足りないな」


「だが」


 別の講師が静かに言った。


「少なくとも、彼女は暴走しなかった。制御された力を行使し、戦場を破壊し尽くすこともなく、学院生たちを守り切った。それだけは、疑いようがない」


 アークス教官はしばし黙考し、やがて小さく頷いた。

「よかろう。詳細な追及と解析は、我々大人の責務だ」


 その声は、先ほどまでよりもわずかに柔らいでいた。


「今夜は、これ以上踏み込まない。学院生たちは命を懸けて戦った。結果として被害は最小限に抑えられた。それ以上を求めるのは酷というものだ」


 クラリスは小さく目を閉じ、静かに呟く。

「……どんな手段を使ったにせよ、彼女は“間に合わせた”のです。そして、必要以上の力を振るわずに、終わらせた」


「ならば、今はそれを信じよう」

 アークスがそう締めくくると、ようやく講師陣は一人、また一人と席を立ち始めた。


 円卓の上には、調査隊の報告を刻んだ魔導記録が残され、淡い光を放ち続けている。


 謎は、まだ解かれていない。

 だが少なくとも今夜は――それ以上を問うべきではない。

 その思いだけが、会議室の空気に静かに共有されていた。


 講師陣の足音が会議室から消え、最後の扉が閉じられると、広い室内にはクラリスとアークス教官だけが残された。

 魔導ランプの灯りがわずかに揺れ、円卓の中央に置かれた転写板が、静かに脈打つような光を放っている。


 アークスはその光を見下ろしながら、低く呟いた。

「……学院だけで抱え込める案件では、もはやないな」


 クラリスは否定せず、小さく頷いた。

「ええ。魔力干渉の規模、亜種の性質、そして“歌声”。どれを取っても、地方演習で起きる偶発事故の範疇を超えています」


 アークスは端末を操作し、転写板の表示を切り替える。

 そこに浮かび上がったのは、シュトラードの丘陵地帯を中心とした広域魔力分布図だった。

 異常値は一点に留まらず、薄く、しかし確実に、周囲へと滲むように広がっている。


「王国魔術師団に渡す資料は、すでに整えさせている。騎士団にも、明朝には封鎖命令が下るだろう」


「……正式な形で、ですね」


「隠す理由はない。いや、隠すべきではない段階に入った」

 アークスは視線を上げ、静かに言葉を続ける。

「この件が中央に届けば、必ず王国評議会が動く。調査権限は学院の手を離れ、王国直轄案件になる可能性が高い」


 クラリスは一瞬、唇を結び、それから問いかけた。

「それは……あの子たちにとって、良いことだと思われますか?」


 アークスは即答しなかった。

 数拍の沈黙ののち、重く息を吐く。


「良し悪しではない。必然だ」


 そして、低く付け加える。


「王国が動くということは、同時に“王国の目”が彼女たちに向くということだ。アリス・グレイスラー、そしてレティア・エクスバルド……二人とも、すでに記録上では十分に目立ちすぎている」


 クラリスの脳裏に、戦場で白銀の魔力を纏った少女の姿が浮かぶ。

「……特に、アリスは」


「そうだ」

 アークスは短く頷いた。


「彼女が今回見せたものが、たとえ“報告書に書かれていない力”だったとしても、王国の調査官は必ず気づく。痕跡は消せない」


 クラリスは静かに言った。

「王国が動けば、ミラージュ王国にも情報は渡ります。今回の件、両国の合同演習で起きた事象と、あまりにも共通点が多いですから」


「……あちらも黙ってはいないだろうな」

 アークスは端末を閉じ、結論づけるように告げた。

「学院は“起点”に過ぎない。次に動くのは王国、そしてその先だ」


 クラリスはランプの灯りを見つめながら、静かに呟いた。

「事態は、もう学院の外へ出てしまった……ですね」


「そうだ」

 アークスは頷き、最後にこう付け加えた。

「そして一度、王国が本気で動き出せば――彼女たちの“日常”は、もう以前の形には戻らない」


 魔導ランプの灯が、ふっと揺れる。

 その小さな揺らぎが、これから先に広がっていく波紋の前触れのように、二人の目に映っていた。


 こうして、学院内部の判断は終わりを告げる。

 だが同時に――物語は、王国を巻き込む次の段階へと、静かに踏み出していた。

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