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第五部 第三章 第11話

 時計の針が、夜の二十時をわずかに回った頃――

 学院の本館棟三階、大会議室には、張りつめた緊張が静かに満ちていた。


 厚い石壁に囲まれた室内の壁際には、等間隔に魔導ランプが灯されている。

 柔らかな白光が天井から降り注ぎ、長い影を床に落としていた。

 広い円卓の上には、複数の魔導記録装置、転写板、魔力波形解析用の水晶板が整然と並び、淡い光を放ちながら低い駆動音を響かせている。


 学院生たちが日常的に使う教室とは、まったく異なる空気。

 ここは、判断と責任が交差する場所だった。


 会議室中央の長机には、アリスをはじめ、軽傷ながら意識がはっきりしている学院生たちが数名、間隔を空けて着席していた。

 包帯の白さが灯光に浮かび上がり、疲労の色は隠しきれない。

 それでも背筋は伸び、視線は前を向いている。


 その向かい側には、現場から帰還した講師陣が並んでいた。

 魔導装甲の上着を脱いだまま、肘掛け椅子に深く腰を下ろし、資料や転写板を確認している。

 誰一人として無駄口を叩く者はいない。


「では、報告を始めましょう」


 口を開いたのは、学院の戦技・戦術部門を統括する責任教官の一人、

 今回の調査隊を率いていたアークス教官だった。


 白髪混じりの短髪。

 年齢を感じさせながらも、戦場を数多く潜り抜けてきた者特有の鋭い眼光が、会議室全体を見渡す。


 彼は手元の魔導端末に視線を落とし、淡々と、しかし一語一語を噛み締めるように告げた。


「まずは第八班。

 今回、最初に異常を察知したのは君たちだな。

 発生地点、状況、初動対応を順に報告してくれ」


 名を呼ばれた第八班の班長格の学院生が、喉を鳴らし、緊張した面持ちで立ち上がる。

 一瞬、周囲を見回し、意を決したように背筋を正した。


「は、はい……

 我々は湿地帯踏破ポイント付近で小休止を取っていました」


「その際、不意に……歌のような音を耳にしました。

 はじめは風鳴りかと思いましたが、旋律があり、しかも一定で……

 遠くに聞こえたかと思えば、次の瞬間にはすぐ近くにあるように感じられ……」


 学院生は一度、唾を飲み込む。


「方向感覚が狂わされるような、不快な感覚でした。

 幻聴だと疑いましたが、班の複数名が同時に同じ音を聞いており、偶然ではないと判断しました」


 会議室に沈黙が落ちる。


「……歌声が止んだ直後です。

 地面に青白い魔方陣が浮かび上がり、術式展開の兆候を確認しました」


「直後、その中心から巨大な魔獣が出現しました。

 外見、魔力反応、装甲の質から判断して……

 バロール・ビーストの亜種と推定されます」


「即座に戦闘態勢へ移行しましたが、初動で一名が重傷を負いました。

 さらに、周囲一帯に強い魔力干渉が発生し、

 通常なら問題なく行使できる魔術が不安定化しました」


 声がわずかに震える。


「正直に申し上げます。

 まともに戦える状況ではありませんでした」


 会議室は、重苦しい静寂に包まれた。


「私は《クイックアクセル》と《フィジカルブースト》が行使可能でしたので、

 レティアさんの判断により、学院への帰還と救援要請を命じられました」


 アークス教官が顔を上げ、低く言葉を添える。


「……よく逃げ切った。

 その判断がなければ、被害は拡大していた」


 学院生は深く頭を下げ、小さく頷いてから席へと戻った。


 報告が一区切りついたところで、アークス教官が視線を上げた。


「次に、第十三班だ」


 室内の視線が、一斉に一人へ集まる。


「ヴィクトール・グランハルト。副班長として、

 進路変更に至った判断と第八班との合流、交戦状況を報告しろ」


 名を呼ばれたヴィクトールは、椅子から静かに立ち上がった。

 顔色はまだ蒼白で、長時間の結界維持による消耗が完全には抜けきっていない。

 それでも、その立ち姿は真っ直ぐだった。


「……はい」


 低く、落ち着いた声。

 だが、その奥には悔恨と責任の重さがにじんでいる。


「我々第十三班は、当初、学院への帰還ルートを進行していました」


「その途中で、通常の魔獣とは明らかに異なる魔力の乱れと干渉波形を感知しました」


「……正直に言えば、嫌な感覚でした。方向性を持った魔力。何かに誘導されているような、不自然さがあった」


 ヴィクトールは一度、言葉を切る。


「このまま進めば、第八班が孤立すると判断し、レティアと私の判断で進路を変更。

 引き返して現場へ向かいました」


「到着した時点で、すでに第八班は交戦中。

 重傷者が発生しており、継戦すれば壊滅の可能性が高い状況でした」


 拳が、わずかに握り締められる。


「レティアさんは、即座に戦術を切り替えました。

 魔力干渉地帯では、純魔力放出よりも物質召喚・属性付与による実体干渉が有効だと判断し

 我々にその展開を指示しました」


「岩槍、氷槍、地形拘束……。

 可能な限りの手段を投入しましたが……敵装甲は異常な硬度を持ち、有効打には至りませんでした」


 声が、ほんのわずかに沈む。


「戦闘が長引くにつれ、魔力消耗は想定を超えて、最終的に……レティアさんが魔力枯渇により戦闘不能となりました」


 その言葉が落ちた瞬間、

 会議室に重い沈黙が広がる。


 ヴィクトールは視線を伏せ、続けた。


「……私の判断が彼女に無理を強いた可能性は否定できません」


 その一角で、クラリスが小さく眉をひそめた。

 転写板に映る魔力波形を見つめながら、何かを考え込むように。


 この夜、学院ははっきりと理解し始めていた。

 ――これは演習ではない。

 ――意図を持った“敵”が、すでに動き出している。


 講師陣の数名が、手元の魔導記録装置へと同時に視線を落とした。

 水晶板の表面を淡い光が走り、解析途中の魔力波形が複雑な曲線を描く。

 互いに目配せを交わすことなく、しかし確かな手慣れで、彼らは密かに短距離魔導通信を行っていた。

 言葉を交わさずとも、状況の深刻さは共有されている。


「……状況は理解した」


 アークス教官が端末を閉じ、視線を上げる。

 会議室に集まる全員の意識が、次に呼ばれる名を待つように静まり返った。


「次は、アリス・グレイスラーだ」


 呼ばれたアリスは、椅子の背から静かに身体を離し、音を立てずに立ち上がる。

 一拍の間もなく姿勢を正し、長机の前へと一歩進み出た。


 足取りは落ち着いている。

 だが、机の前に立つその佇まいには、明らかに“現場を見た者”の気配が宿っていた。

 戦場の緊張をくぐり抜けた者だけが纏う、研ぎ澄まされた静けさ。


 アリスは、講師陣と、向かい側に座るクラリスの視線を真正面から受け止め、口を開く。


「私が現地に到着した時点で、すでに第八班の一名が重傷を負っていました」


「第十三班は継続戦闘による消耗が著しく、結界維持や術式展開が限界に近い状態でした」


「敵個体は依然として健在で、湿地帯全域に強い魔力干渉が発生しており、感知系魔術はほぼ機能せず

 攻撃術式も構築途中で霧散する状況でした」


 淡々とした声。

 だが、その言葉の裏には、あの場の圧力と絶望的な状況がにじんでいる。


「戦術的観点のみで判断すれば、即時戦闘中断と撤退が最も安全な選択肢だったと思います」


 わずかに間を置き、アリスは続ける。


「しかし、

 負傷者の搬送は困難で湿地という地形上、撤退中に敵の追撃を受ける可能性が高いと判断しました」


「また、魔力干渉による混乱が続けば、後続班や救援部隊が同様の状況に陥る危険性もありました」


 会議室の空気が、さらに張り詰める。


「以上を踏まえ、私はその場で敵を足止めするのではなく、討伐に踏み切る必要があると判断しました」


 アリスは一切、言い訳をしない。

 自らの判断を、事実として述べる。


「魔力干渉の影響下では、通常の術式制御は困難でした」


「そのため、制御可能な範囲を見極めたうえで自身の魔力を段階的に開放しました」


「まず、俊敏性向上、肉体強化、物理防御の三系統補助術式を同時に展開しています」


 講師陣の何人かが、無言で頷いた。


「干渉による揺らぎが発生するたび、魔力量を微調整し術式の安定域を維持しました」


「その後、敵の動きと干渉波形を観測しながら近接戦闘に移行、装甲部位を重点的に削り、最終的に致命打を与えることに成功しました」


 言葉は冷静だ。

 だが、その一文一文の裏に、

 泥と血と轟音の戦場が確かに重なっている。


「結果として敵個体は完全に沈黙し、討伐は完了しました」


 アリスはそこで言葉を切り、静かに背筋を伸ばした。


「以上が私の行動と判断の全てです」


 会議室には、しばし沈黙が落ちる。

 講師陣は記録装置とアリスを見比べ

 クラリスは解析板に映る魔力波形を見つめたまま、言葉を発しない。


 アリスは表情を変えず

 そのすべての視線を正面から受け止めていた。


 逃げも

 誇示も

 後悔もない。


 ただ――

 守るために選び、戦い抜いた者の報告が、そこにあった。


「……ご苦労だった。アリス・グレイスラー、席に戻ってくれ」


 アークス教官の低く落ち着いた声が、張りつめた会議室に静かに落ちた。

 命令でもあり、ひとつの区切りでもある言葉だった。


 アリスは軽く一礼し、背筋を崩さぬまま静かに向きを変える。

 足音を立てることなく自席へ戻り、椅子に腰を下ろした瞬間、張り詰めていた糸が、ほんのわずかに緩む。


 深く、静かな呼吸が胸の奥から漏れた。

 疲労ではない。

 判断を下し、語り切った者だけが許される、短い安息だった。


「ふむ……」


 アークスは唸るように声を漏らし、背後の操作卓へ手を伸ばす。

 指先の動きに反応し、壁面の大型モニターに淡い光が走った。


 映し出されたのは、簡易的に再構成された魔導転写映像。

 湿地帯の俯瞰図。

 抉られた地面の痕跡。

 砕け散った氷塊、隆起した岩塊。


 敵の進路と、それを迎え撃った側の防御線が、光の線として重ねられていく。

 淡く揺れる映像が、会議室の空気そのものを青白く染め上げた。


 アリスの報告に対し、講師陣はすぐには何も言葉を発しなかった。

 誰もが映像を見つめ、記録装置を確認し、頭の中で戦闘を再構築している。


 その間に流れるのは、重苦しい沈黙。

 否定でも、肯定でもない。

 判断を下す前の、最も緊張した“空白”だった。


 その席の一角に、クラリスの姿があった。

 学院で補佐教官として調査に立ち会い、戦場の魔力波形解析を担当していた彼女は、淡い光を反射する眼鏡の奥から、アリスをじっと見つめている。


 表情は抑制されていた。

 だが、その瞳には、明らかな懸念が宿っていた。

 同時に、それ以上に濃い“理解”の色も。


 (……やっぱり、使ったのね)


 言葉にはしない。

 ここで声に出す意味がないことを、クラリスは理解していた。


 アリスの報告には、論理的な矛盾は一切なかった。

 戦術判断も妥当。

 結果も、紛れもない成功。


 ――だが。


 冷静で、戦術的で、正確な報告の裏側に、いくつかの“語られていない部分”があることも、彼女には分かっていた。


 戦闘を決定的に左右するほどの力を行使してなお、それを報告の中に含めないという選択。


 それは虚偽ではない。

 隠蔽でもない。


 ――報告として、どこまでを語るかという「選択」だった。


 (魔力干渉を上回るように開放……)


 (それだけで、あのバロール・ビースト亜種を倒せるなら……)


 クラリスの脳裏に、ひとつの姿が浮かぶ。

 白銀の光を纏い、戦場を制圧していた――

 かつての白銀の戦乙女、レティシア。


 その記憶を宿しながらも、今ここにいるのは、誰かに導かれた存在ではない。


 自らの意思で判断し、自らの責任で力を振るった、

 アリス・グレイスラーだった。


 だからこそ。


 クラリスは問い質さない。

 称えることもしない。

 擁護もしない。


 ただ、この沈黙の中で、彼女が下した選択の重さを理解した者として、静かにその背中を見つめ続けていた。


 やがて――

 この沈黙が破られる時、学院は正式な判断を下すことになる。


 だがその前に。

 この場にはまだ、誰も口にしていない“核心”が、確かに横たわっていた。


 一方、講師陣の中でも特に戦術教官のアークスは、映像の細部に目を細めていた。

 氷と石の交錯した攻撃痕――召喚魔法としては驚異的な密度と精度。そして、破壊された地形の中心に残る、明らかに高出力の魔力干渉痕。


 (……あれは、単なる補助魔術の力じゃない)

 (だが、報告にあるのは補助術の展開と魔力量の段階的調整……)


 講師陣の誰もが、その“ズレ”に気づいていた。

 だが、口を開く者はいない。


 それは咎めではなく、確認でもない。

 ただ、戦場でなされた判断を、信頼のもとに受け止めようとする者たちの、無言の選択だった。


 それでも――

 一人の若き戦術者が、確かにその瞬間に前へと出た。

 その事実だけが、今この場にいる全員にとって、最も重い報告だった。


 クラリスの口元が、かすかに動いた。

 その微かな笑みには、誇らしさと、そしてほんの少しの哀しみが混じっていた。


 (……どこまで、一人で背負うつもりなの? アリス)


 その時、アークスの端末に補助員からの報告が入った。


「教官、調査隊の記録がまとまりました」


「よし。全員に共有しろ」


 背後のモニターが切り替わり、救助隊よりさらに遅れて現場に到着した調査隊の記録が映し出された。

 荒れ果てた湿地の地形。抉られた地面、爆裂痕、そして残骸に覆いかぶさるように展開された結界の様子。


 調査員の冷静な声が記録映像から流れた。


『現場到着時、バロール・ビースト亜種の残骸はすでに力を失っていた。甲殻は内側から爆裂した痕跡を示し、外的な斬撃と衝撃痕が複数残っている。特に両腕部は切断されており、高度な斬撃術式、あるいは極めて精度の高い魔力刃の使用が想定される』


 別の調査員の声が続いた。


『残留魔力の波形を解析した結果、自然の変異種ではなく、外部からの強制干渉があったと推定される。魔核に刻まれた歪な符号痕は、儀式的、あるいは人工的な操作の痕跡と符合。偶発的な出現ではない可能性が高い』


 会議室に再び重苦しい気配が満ちる。


 講師陣の一人が低く呟いた。


「……やはり、意図的に送り込まれたか」


 アークスは顎に手を当て、短くまとめる。


「現場の痕跡は、各班の証言と矛盾していない。……問題は、この干渉の背後に“誰”がいるかだ」


 クラリスも小さく頷いた。


「この件、学院内部の記録だけでは不十分です。中央機関へ正式に報告すべきでしょう」


 アークスは一拍の沈黙ののち、学院生たちに視線を戻した。


「以上をもって、現地での報告と調査隊の解析は確認した。……あとは、こちらで処理を行う。よく報告してくれた」


 その一言に、静かな安堵が波紋のように広がった。


「今日はもう、よく休んでくれ。学院生諸君はこれで解散だ。医療班からの診断を受けていない者は、順番に保健区画へ向かうように」


 アークスの指示に、学院生たちはそれぞれ立ち上がり、淡い疲労の面持ちで小さく礼をしてから、会議室の扉へと向かっていく。


 アリスもまた、ゆっくりと歩を進めながら、振り返ることなくその後に続いた。


 魔導ランプの灯りが揺れる扉が静かに閉じられると、残されたのはクラリスと、講師陣数名のみ。


 誰からともなく、会議室には再び深い沈黙が降りた。

 ただ一つ、アリス達の報告と、調査隊の解析の余韻だけが、空気の中に微かに残っていた。

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