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第五部 第三章 第3話

 学院の門が視界に入った瞬間、四人はほぼ同時に歩みを緩めた。


 朝の光を受けた石造りの門は静まり返り、普段なら行き交う生徒や教官の姿も見当たらない。

 思っていたよりも早く到着してしまった――その事実を、全員が遅れて実感していた。


 だが、門前に差しかかっても、誰一人として前へ進もうとしない。

 張り詰めていた緊張が解けてもおかしくない瞬間。

 それなのに、空気は奇妙なほど静かで、音が吸い込まれたかのようだった。


 ザックが、周囲を伺うように声を落とす。

「……あれ?」

 一拍置き、さらに続ける。

「誰も出迎えに来てないし……動きもないね」


 ラースが落ち着かない様子で門の左右を見回す。

「確かに」

「まさか、このまま解散ってことはないよな?」


 冗談めかした口調にしようとしたが、語尾がわずかに上ずっていた。


 ミレーネは眉をひそめ、無意識に杖を握り直す。

「でも……まだ教官も来てないよね」

「何か、待てってことなのかしら」


 アリスも門を見上げ、胸の内に小さな違和感を覚えていた。

 演習の終わりにしては、あまりにも静かすぎる。


 小さく息を整え、言葉を選ぶ。

「こういう時は……」

「勝手に動かず、待つのが正解だと思うわ」


 そのときだった。


 門の奥、石畳の向こうから、はっきりとした足音が近づいてくる。

 一歩ごとに響く重い音は、静寂を割るように規則正しく、次第に存在感を増していった。


 やがて、門の陰から教官の姿が現れる。

 記録板を脇に抱え、変わらぬ厳格な表情で歩み寄ってくる。


 低く落ち着いた声が、門前に響いた。

「……皆、よくやったな」


 その一言で、四人の背筋が自然と伸びる。


 教官は一度、全員の顔を順に見渡した。

「お前たちは――」

「今回の演習で、最も早く帰還した班だ」


 さらに、はっきりと告げる。

「トップだ」


 四人は一瞬、言葉を失った。

 驚きに息を呑み、互いの顔を見る。


 ラースが思わず声を漏らす。

「……え?」

「俺たちが、一番?」


 信じられないというように、アリスを振り返る。

「普段の移動でも、こんなに早いことはないぞ」


 ザックが肩をすくめつつ、口元を緩める。

「まあ……」

「途中で大きなトラブルもなかったしね」

「結果的に、無駄な足を踏まずに済んだんだと思う」


 ミレーネも小さく息を吐き、表情を和らげた。

「全員が役割を意識して動けたのは、大きかったと思うわ」


 アリスは仲間の様子を静かに見守り、そっと微笑んだ。

 胸の奥に、熱すぎない、しかし確かな達成感が芽生えている。


 教官はさらに歩を進め、四人の正面で足を止めた。

「全体として、良い踏破だった」

「皆、お疲れ様」


 その声には、いつもの厳しさに加えて、確かな労いが含まれていた。


 教官は記録板を開き、さらさらと文字を走らせる。

 書き込みながら、淡々と告げる。


 「まず、行軍速度」

 「標準より、およそ三割早い到達だ」


 視線を上げる。

 「これは、無駄のない隊列維持と、進路判断の的確さによるものだ」


 さらに続ける。

 「特に、湿地帯での足場確認と、結界補助」

 「この判断は評価できる」


 アリスが一歩前に出て、きちんと頭を下げる。

「はい」

「足場の魔力干渉が強かったため、杖で安全地を探りつつ、結界で補助しました」


 教官は短く頷く。

「よし」


 記録板に視線を戻し、次の項目へ。

「次に、戦闘だ」

「マッド・ウルフとの交戦について、報告せよ」


 ラースが前へ出る。

 背筋を伸ばし、簡潔に答えた。

「突発的に遭遇しましたが、アリスの初動指示で誘導に回りました」

「仲間の援護と合わせ、短時間で撃退しています」

「怪我人は出ていません」


 教官は記録板に書き込む。

 「初動◎」「損耗なし」


 視線をミレーネへ移す。

「補助結界について」


 ミレーネは一礼し、落ち着いて答える。

「はい」

「突進を受け流すため、二重結界を展開しました」

「持続時間は短かったですが、その間に攻撃を重ねる余裕を作れました」


 教官は満足げに頷き、ザックを見る。

「後衛の補助について」


 ザックは一歩前へ。

「感知魔術で敵の動きを追いながら、火力支援を行いました」

「魔力消費は、想定範囲内に収まっています」


 「……よし」

 教官は記録板を見下ろし、静かに告げる。

「全員が自分の役割を理解し、即応できていた」

「総合的に見て、高水準だ」


 四人は思わず顔を見合わせ、自然と小さな笑みを交わした。


 最後の数行を書き終えると、教官は記録板を閉じる。

 そして、改めて四人に向き直った。


 「今回の演習の詳細な報告書を、明後日の昼までに提出するように」

 「各班で内容をまとめ、誤りのないように」


 「はい!」

 四人は声を揃えて応じた。


 教官はさらに視線をアリスに向ける。

「それと、今日は解散の前に装備を各自で装備課に返却してこい」

「アリス、お前が返却結果の確認と手続きを担当しろ」


 「はい、分かりました」

 アリスは即座に答え、仲間たちへ目配せする。


 四人は整然と足並みを揃え、学院の石畳を踏みしめながら装備課へ向かった。

 背負った荷が揺れるたび、金属同士が触れ合う澄んだ音が響き、革袋の擦れる低い音が規則正しく続く。


 昨日まで戦闘や野営で使われていた装備には、まだ土や水気の名残が残っていた。

 それでも誰もぞんざいには扱わず、歩きながら丁寧に拭い、手入れを怠らない。


 演習は終わった。

 だが、この経験は、確かに彼らの中に残り続ける――そんな予感を抱かせる帰還だった。


 装備課の前に着くと、既に待機していた担当官が無言で頷いた。

 年季の入った制服に身を包んだその人物は、感情を表に出さぬまま、堅牢な木製カウンターの上に帳簿と検査用具を整然と並べる。

 金属製の定規、刃の反射を確認する小型鏡、魔力反応を測る簡易結晶――いずれも使い込まれた道具ばかりだった。


 短く告げられる。

「次、武具をこちらに」


 ラースが一歩前に出て、剣を鞘ごと差し出した。

 鞘には泥の乾いた跡が残り、金属部分には細かな擦過傷が刻まれている。だが刃そのものは欠けておらず、戦闘後に手入れされた痕跡がはっきりと見て取れた。


 担当官は剣を抜き、刃の反射を角度を変えて確認する。

 刃筋に指を沿わせ、魔力反応を測定具でなぞり、最後に鞘の内部まで目を走らせた。


 「……」

 一瞬の沈黙の後、確認印が帳簿に押される。


 「状態良好」

 「返却、承認」


 ラースはわずかに肩の力を抜き、短く頭を下げた。


 続いてザックが杖を差し出す。

 担当官は魔力導管の継ぎ目を重点的に確認し、淡い光を放つ検査結晶をかざした。

 青い魔力石が内部から脈打つように反応するが、乱れは見られない。


 「導管、異常なし」

 「使用量、想定範囲内」


 ザックは静かに息を吐き、次へ下がる。


 ミレーネの補助具も同様に検査される。

 金属部の歪み、符刻の欠け、触媒の消耗――どれも問題はなく、確認印が淡々と重ねられた。


 最後に、アリスが記録用紙を受け取る。

 班長としての最終確認だ。


 硬い羽根ペンの感触を確かめるように一度指を動かし、

 彼女は不備がないことを改めて目で追ってから、端正な文字で署名を記した。


 インクが紙に吸い込まれ、静かに乾いていく。


 「返却完了」

 「問題なし」


 担当官が帳簿を閉じると、四人は揃って深く頭を下げた。

 それから一歩下がり、装備課を後にする。


 門前へ戻ると、そこには教官の姿に加え、学院付きの医療班が待機していた。

 白衣に似た簡易衣をまとい、腰には携帯用の魔導測定具と薬草袋を提げている。

 医療班員たちは小さな木箱を開き、水筒と乾パンを並べながら、生徒たちに順番に声をかけていた。


 「次の者、こちらへ」

 「脈拍を測るぞ」


 アリスが前に進む。

 手首に柔らかな布製の測定具が巻かれ、淡い光が点滅する。

 冷たい感触と同時に、微弱な魔力が流れ込み、鼓動のリズムが数値として浮かび上がった。


 医療班のリーダーが淡々と読み上げる。

「心拍、安定」

「呼吸も乱れなし」

「軽度の疲労反応はあるが、危険はない」


 アリスは小さく息を吐き、

「ありがとうございます」

と静かに答えた。


 その隣で、ラースは肩を回しながら検査を受けている。

 筋肉の張りを確かめられ、軽く押されるたびに表情を引き締める。


 「張りはあるが、損傷はなし」

 「今日はよく休め」


 ザックは魔力消耗の測定を受け、結界維持に使った量が数値で示される。

 「正常範囲だ」

 「無理な出力はしていないな」


 ミレーネは視線と反応速度の確認へ。

 浮かべられた小さな光球に対し、瞬時に視線を合わせ、反応を示す。


 「反応速度、問題なし」

 「集中力も維持できている」


 「全員、体調に問題なし」

 医療班のまとめ役が教官へ報告する。

 「休養を取れば、完全に回復するでしょう」


 その報告を受け、教官はわずかに頷いた。

 そして、穏やかに四人へ視線を向ける。


 「今回の演習は――」

 「君たちの連携と判断力が、よく表れていた」


 一人ひとりの顔を見渡し、続ける。

 「特に第十五班」

 「リーダーの指示は的確で、班員の動きも良好だった」


 記録板の上で羽ペンがさらさらと音を立てる。

 黒々とした文字が、新たに刻まれていった。


 アリスは小さく息を整え、一歩前に出る。

 背筋を伸ばし、落ち着いた声で報告する。


 「突発的な魔物との遭遇がありましたが、負傷者は出ませんでした」

 「班員全員が即応し、それぞれの役割を果たせたことが成果だと思います」


 後ろに控えるラース、ミレーネ、ザックも、

 誇らしげで、しかし少し照れた表情を浮かべていた。


 ラースは腰に手を当て、胸を張る。

 ザックは顎に手を添え、静かに頷く。

 ミレーネは目を細め、仲間を見つめていた。


 「うむ」


 教官は短く頷き、記録板に新たな印を入れる。

 再び四人へ視線を戻したその眼差しには、厳格さと柔らかさが同居していた。


 「その調子で、次回も集中を切らさずに臨んでほしい」

 「演習は終わりではなく、次へと続く過程だ」


 一拍置き、言葉を重ねる。

 「気を抜けば成果はすぐに失われる」

 「だが――今日のお前たちの働きは、確かに学院に示すに足るものだった」


 その言葉を聞きながら、アリスは胸の奥に熱いものが広がるのを感じた。

 仲間たちも背筋を伸ばし、それぞれの瞳に自信と次への決意を宿す。


 「はい!」


 四人は声を揃え、深く礼をした。


 教官は記録板を閉じ、わずかに表情を和らげる。

 「よし、第十五班はこれで報告終了だ」


 「これから全班の帰還が揃うまで、少し時間がある」

 「門内の休憩所で体を休めておけ」

 「軽食と水も用意してある。しっかり補給するように」


 「ありがとうございます」


 アリスが答えると、四人は改めて礼をし、

 門の横に設けられた休憩所へと歩みを進めた。


 演習は終わった。

 だが、この経験は、確実に彼らの中に積み重なっている。

 それを自覚しながら、四人は次の時間へと向かっていった。


 石造りのベンチが並ぶその休憩所は、学院の外縁に近い一角に設けられていた。

 背の高い樹木が日差しを遮り、葉擦れの音とともに涼やかな風が吹き抜けている。

 石畳はまだ朝の冷えをわずかに残していたが、陽光に温められ、腰を下ろすにはちょうどいい具合だった。


 机の上には学院の備蓄から支給されたパンと果実水が並べられている。

 素朴な硬焼きパンは小麦の香りが濃く、果実水はほんのり甘酸っぱい匂いを放っていた。


 ラースは荷を下ろすと、どかりとベンチに腰を落とした。

 「はぁ……」

 大きく伸びをし、背骨を鳴らす。

 「正直、もう一歩も歩きたくない気分だ」


 ザックは無言で果実水を手に取り、栓を外して喉を潤す。

 冷えた液体が体に染み渡り、自然と肩の力が抜けた。

 「……水がうまい」

 「ちゃんと戻ってこれた実感が、今になって来るな」


 ミレーネは椅子に腰を下ろし、靴紐を緩める。

 足先を軽く揺らしながら、ふぅ、と安堵の息を吐いた。

 「張ってた力が、一気に抜けた感じ」

 「やっぱり、気づかないうちに相当緊張してたのね」


 アリスはそんな三人を見渡しながら、同じように腰を下ろす。

 パンをひと口かじると、噛みしめた分だけ小麦の素朴な甘みが広がった。


 「……ようやく落ち着けたわね」

 声に出してみて、初めて実感が伴う。


 ミレーネが小さく笑う。

 「本当に」

 「さっきまで、門の前で足が止まったままだったのが嘘みたい」


 ラースが苦笑交じりに言う。

 「俺はもう脚が棒だ」

 「でも、あの湿地と丘陵を越えたあとだと思えば、よく持った方かもしれないな」


 ザックも頷く。

 「無事に終えられた」

 「それが一番だよ。誰も怪我しなかったし」


 「それに……」

 ミレーネが言葉を継ぐ。

 「教官の評価、悪くなかったもの」


 アリスはパンを持ったまま、少しだけ視線を伏せた。

 「うん」

 「みんなが冷静に動いてくれたからよ」


 門の外からは、まだ帰還していない班の声や足音が遠くに響いてくる。

 重い荷を下ろす音、安堵の笑い声、教官に呼び止められる張りつめた声。

 それらを耳にしながら、四人はそれぞれの疲労を癒していった。


 果実水を飲み干したラースが、空を仰ぐ。

 「……こうして座ってるとさ」

 「演習だったってこと、やっと実感できるな」


 ザックが静かに同意する。

 「移動中は、次の判断ばかり考えてたから」

 「終わった後のことまで、頭が回ってなかった」


 休憩場所に腰を下ろしたまま、ミレーネがぽつりと呟く。

 「今日はもう……休みたい」

 「頭も体も、思った以上に疲れが溜まってるみたい」


 アリスは少し考えてから頷いた。

 「そうね」

 「じゃあ、報告書は明日の午後に集まってまとめましょう」


 ラースが即座に反応する。

 「賛成」

 「今日はもう、剣を持ちたくない」


 ザックも小さく笑う。

 「明日の昼なら、頭も整理できてるはずだ」

 「記録も見返しておくよ」


 「じゃあ、明日ね」

 ミレーネが言う。

 「ちゃんと休んで、万全の状態で」


 「了解」

 ラースがうなずく。

 「また明日だ」


 「うん」

 アリスも微笑む。

 「明日の昼には、きちんと形にしましょう」


 四人はそのまま、しばらく言葉少なに体を休めた。

 石造りのベンチに座り、風に吹かれ、陽光に包まれながら。


 午後の穏やかな日差しが石畳を暖かく照らし、

 張り詰めていた緊張と、体に溜まった疲労を少しずつほどいていく。


 やがて遠くから、足音や声が増え始める。

 別の班が次々と帰還し、門前に再び活気が戻っていく。


 四人はその様子を静かに眺めながら、

 同じ時間と試練を乗り越えた仲間たちの帰りを待っていた。


 こうして、演習の余韻に包まれた午後は、穏やかに流れていった。

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