表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
171/182

第五部 第三章 第1話

 そして、演習二日目の朝。


 夜明けの気配とともに空が少しずつ白みはじめ、やがて東の地平線から朝日が顔を出す。赤と金の光が森を染め、露に濡れた草木がきらきらと輝きを返した。


 アリスは静かに目を開き、寝袋の中で一度だけ深く息を吸ってから体を起こす。

 まだ冷えた空気が肌に刺さるようだったが、肺に入る酸素は澄み切っていて心地よい。


 寝返りを打つ仲間たちを振り返り、声を抑えて呼びかける。

 「おはよう、みんな」

 「今日は朝食の準備、私とザックがやるわ」

 「ラースとミレーネは、撤収前に装備確認をお願い」


 ラースが寝袋の中で顔をしかめ、片目だけを開けた。

 「りょーかい……」

 「正直、まだ眠いけど……やるよー」


 頭をかきながら、のそりと寝袋から這い出してくる。


 ミレーネも小さなあくびを漏らしながら身を起こした。

 「もう少し寝かせてって言いたいところだけど……」

 「初日でだらけるわけにもいかないわね」

 「任せて」


 テントの外に出たアリスとザックは、ひんやりとした朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。

 白い息が一瞬だけ宙に溶け、すぐに消えた。


 「昨日より冷えるね」

 ザックが肩をすくめる。


 「ええ。でも、空気は気持ちいいわ」

 アリスはそう言って保存食と野菜を取り出し、簡易コンロと魔導加熱具を設置する。

 「手早く作りましょう。撤収もあるもの」


 包丁で野菜を切る音、金属器具が触れ合う音が、まだ眠りを残した静かなキャンプ地に響いた。


 一方で、ラースとミレーネは装備の確認に取りかかっていた。


 ラースは剣を軽く引き抜き、刃を傾けて朝日を反射させる。

 「よし、刃こぼれなし」

 「鞘の固定も問題ねぇな」


 革鎧の留め具を確かめ、肩当ての位置を微調整する。

 「昨日より体が軽い」

 「これなら斜面でも踏ん張りが効きそうだ」


 ミレーネは小さな手鏡を取り出し、胸元の魔導具や装飾の欠損を確認していた。

 「魔力の流れは安定」

 「補助結界用の触媒も揃ってるし、昨日消費した分は全部補充済み」


 ふとラースの腰元に視線を向ける。

 「……ラース、薬草袋の口紐、緩んでるわ」


 ラースがぎょっとして手を伸ばす。

 「おっと」

 「ありがと。危うく道中で落とすところだった」


 「こういうの、意外と見落としがちだから」

 ミレーネは淡々と言い、再び確認に戻った。


 二人のやり取りは短いが確実で、互いの役割が自然に噛み合っているのがわかる。


 鍋を覗き込んだザックが声を上げる。

 「スープ、もう少し塩足してもいい?」


 アリスは味を確かめ、頷いた。

 「うん、それくらいでちょうどいいと思う」


 干し肉を薄切りにしてパンに挟み、香草を散らして軽く焼く。

 焼き面から立ち上る香ばしい匂いが、朝の空気に溶け込んでいく。


 「朝から手際いいな、アリス」

 ザックが感心したように言う。


 「慣れてるだけよ」

 アリスは小さく肩をすくめる。

 「昔は野営なんて、ほとんど日常だったから」


 香りに誘われ、装備点検を終えたラースとミレーネが顔を覗かせた。

 「……うわ、いい匂いしてきた」

 「これは、朝から元気出るわね」


 二人の表情に活力が戻っているのを見て、アリスは内心ほっとする。


 やがてスープが出来上がり、四人は簡単な食器を手に焚き火を囲んだ。

 「いただきます!」


 朝の冷たい空気の中で、湯気の立ち上るスープと温かいパンは格別だった。


 「スープ、ほんと絶妙だな」

 ラースが頬張りながら言う。

 「朝からありがたい」


 「ありがとう」

 アリスは笑う。

 「でも、味付けはザックよ」


 「いや……」

 ザックは照れたように視線を逸らす。

 「素材が良かっただけだよ」


 「これなら多少の湿地帯も乗り越えられそうだ」

 ラースが冗談めかす。


 「……油断すると、靴が泥だらけよ」

 ミレーネが苦笑しつつ返す。


 食後はすぐに片付けに入り、全員で撤収作業に移った。

 昨日はぎこちなさが残っていた工程も、この朝は驚くほど滑らかに進む。


 ラースはロープの結び目を迷いなく解き、ミレーネは荷物を的確に仕分ける。

 ザックは地面を念入りに清掃し、使用痕が残らないよう土を整えた。


 その光景を見ながら、アリスは自然と笑みを浮かべる。

 「……すごいわ」

 「昨日よりずっとスムーズね」

 「もう立派な野営班って感じ」


 「ふふ、リーダーがいいからかな?」

 ミレーネが少し照れたように言う。


 「だな」

 ラースが頷く。

 「ちゃんと教わったから、身についたってことだ」


 最後に焚き火の跡を土で覆い、地面を整える。

 周囲を見回し、忘れ物がないことを確認してから、アリスは頷いた。


 「忘れ物、なし」

 「テントの結び目も解いた」

 「……よし、準備完了」


 「簡易結界、解除完了」

 ザックが続ける。

 「周囲も異常なし」


 全員の報告を受け、アリスは班をまとめるように声を上げた。

 「それじゃあ、教官に撤収完了を報告しましょう」


 四人は荷を背負い、整列して教官のもとへ向かう。

 既に他の班も続々と撤収を終え、教官の周囲には小さな列ができていた。


 アリスが一歩前に出る。

 「第十五班、撤収完了を報告します」


 教官は記録板を手に頷いた。

 「よし、確認する」


 焚き火跡、土の覆い方、周囲の清掃、結び目の始末まで、鋭い目で点検していく。

 「……ふむ。焚き火跡、処理良好」

 「装備の撤収も迅速だ」

 「周囲への配慮も行き届いているな」


 記録板に書き込み、アリスたちを振り返る。

 「第十五班、撤収作業――合格だ」


 張り詰めていた空気が緩み、四人は小さく息を吐いた。


 教官の声が全体に響く。

 「では各班、撤収完了をもって帰還行程に入る」

 「正午までに学院へ戻ること」

 「最後まで気を抜くな」


 生徒たちが一斉に応じる。

 「了解!」


 アリスは仲間に振り返り、力強く言った。

 「それじゃあ、最後の行程よ」

 「気を抜かずに、出発しましょう!」


 晴天の下、朝日を背にしたアリス班は再び整列し、学院への帰還の道を進み始めた。

 昨日よりも、確かな一体感を帯びた足取りで――。


 その様子を、少し離れた位置から教官が静かに見守っていた。

 歩調を合わせるでもなく、かといって距離を詰めすぎることもない。

 常に一定の間合いを保ったまま、生徒たちの背を追っている。


 教官の左手には、いつも通り記録板。

 右手には細身の筆具。

 視線は休むことなく、各班の動きを追っていた。


 歩行間隔。

 荷の揺れ。

 足取りの乱れと呼吸の荒さ。

 それらを一つずつ拾い上げるように観察する。


 アリスたち第十五班に視線を留め、教官は小さく息を吐いた。

 「第十五班……」


 低く呟きながら、筆先を走らせる。

 「足並み、良好」

 「歩行間隔の維持、安定」

 「撤収の速さに続き、移動時の統制も崩れていない」


 一瞬、ラースの肩の動きを見て眉を寄せる。

 「……疲労は見えるな」


 だが、すぐに視線を全体へ戻す。

 「それでも、隊列が乱れない」

 「個々の疲れを、統率で補えている」


 さらさらと文字を書き込みながら、小さく頷く。

 「班長の判断が的確だ」


 視線を前方へ移す。

 第七班の列は、わずかに間延びしていた。


 荷の重さに耐えかねて肩を落とす者。

 列の中で視線を逸らし、周囲への注意が散漫になっている者。

 小さな私語が、風に乗って断片的に届く。


 教官の目が細くなる。

 「……第七班」


 記録板に、やや強めの筆圧で書き込む。

 「連携意識に乱れ」

 「帰還路での集中力低下」


 一拍置いて、低く続ける。

 「疲労時こそ、班の本質が出る」

 「ここで崩れるのは評価を下げる要因だ」


 さらに後方へ視線を向ける。

 第十班は、淡々と無言で進んでいた。


 隊列は揃っている。

 歩幅も一定。

 誰一人として遅れはない。


 だが――


 教官はわずかに眉を動かす。

 「……静かすぎるな」


 記録板に目を落とし、言葉を選ぶ。

 「第十班、整列状態は良好」

 「だが、声かけが皆無」


 前後の生徒同士が、互いを確認する気配がない。

 個々が、自分の足元だけを見て進んでいる。


 「協調性に欠ける」

 「各個人の集中力に頼りすぎだ」


 淡々と書き込みながら、小さく鼻で息を吐く。

 「事故が起きるときは、こういう班だ」


 記録板には、各班の長所と課題が静かに積み重なっていく。

 そこに感情はない。

 あるのは事実と評価だけだ。


 再び視線を前方へ戻す。

 朝日を浴びながら進む、第十五班の背中。


 四人の歩調は揃い、

 誰かがわずかに遅れれば、自然と速度が調整される。


 教官は小さく呟いた。

 「……初日のぎこちなさは、もう見えないな」


 記録板に新たな一文を刻む。

 「第十五班」


 筆を止めず、言葉を重ねる。

 「班長の指示が機能」

 「統率が行動に反映されている」


 一瞬だけ視線を横に流し、他班の列を見比べる。

 「……他の班への、良い刺激にもなっている」


 最後に、少しだけ筆圧を強める。

 「総合評価、高水準」


 そう記すと、教官は記録板を閉じ、再び歩を進めた。

 歩調は一定。

 距離も変えない。


 帰還の道そのものが、最後の試験。

 そのことを、生徒たちはまだ完全には理解していない。


 だが――

 歩き方一つ。

 声の掛け方一つ。

 視線の向け方一つ。


 そのすべてが、確実に評価へと繋がっていく。


 教官は無言のまま、最後まで各班の背を見守り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ