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第一部 第二章 第6話

 競技終了後、多目的ホールの熱気がまだ空間に漂っていた。

 床には踏み鳴らされた砂の痕跡が残り、空気には鉄と汗の匂い、そして達成感の余韻が混じっている。


 天井に設置された魔導灯が柔らかく光を落とし、静まり返った場内を黄金色に包んでいた。


 十五班とミラージュ王国魔導騎士団の参加者たちは、規律正しく列を組み直していた。


 戦いを終えたとはいえ、その整然とした立ち姿には緊張の糸がまだ残っている。

 それでも誰もが顔を上げ、その表情には誇りと確かな自信が宿っていた。


 最前列に立つレオ班長が、一歩前へと進み出た。

 腕を組み、ゆっくりと全員の顔を見渡す。

 その眼差しには、教官としての厳しさよりも、仲間を見守る者の温かさが宿っていた。


 「まずは――お前たち全員、今日は本当に見事だった」

 低く、だが力強く響く声がホール全体に広がる。

 その瞬間、列に並ぶ者たちの背筋が一斉に伸びた。

 緊張というより、誇らしさがそこにあった。


 「剣術競技では、お互いの力量を認め合った上で、全力を尽くした戦いが多かった。

  特に決勝のアリスとカイルの一戦――あの高速の応酬を正面から受け止めたカイルの胆力も見事だったし、アリスの冷静な判断と最後の決め手は、これからの行軍でも必ず生きるだろう」


 その言葉に、列の中ほどでカイル・ザックバーグが軽く頭を掻いた。

頬を赤らめ、照れくさそうに笑うその姿に、周囲の仲間たちから小さな笑いが漏れる。

 だがその笑いには、揶揄ではなく確かな敬意が込められていた。


 レオは小さく頷き、話を続けた。

 「ライフル競技も同じだ。

  固定標的では狙撃の正確さを、可動標的では不測の状況にどう対応するかを見せてもらった。

  リナの冷静さと集中力は、どの騎士たちにも学ぶべき点があったはずだ。

  そして――レティア。

  初めての実戦的射撃で、最後まで諦めずに立て直そうとしたその姿勢、誇っていい」


 名を呼ばれたレティアは、一瞬肩をすくめたが、すぐに顔を上げた。

 緊張で頬が赤くなりながらも、隣のリナに向けて小さく微笑む。

 リナもまた、静かに頷き返した。

 その短い視線のやり取りには、確かな連帯感があった。


 レオは全員を見回し、声の調子を落として締めくくる。

 「全員の剣も銃も、確実に実戦で役に立つ

  お前たちならやれる――俺は胸を張ってそう言える」


 その言葉は静かな余韻を伴って広がり、列の端まで届いた。

 若き騎士たちの表情が次第に引き締まり、同時に、その胸の内に新たな火が灯る。


 疲労の中に、誇りと希望が確かに息づいていた。


 舞台上では、まだ魔導灯の光が砂粒を反射してきらめいている。

 その光はまるで、今日ここに刻まれた努力と絆を照らし出すかのようだった。


 静寂の中、エルネスト団長がゆっくりと前へ歩み出た。

 その一歩ごとに、磨き上げられた床がわずかに鳴り、場内の空気が再び引き締まる。


 長身の姿に漂う重厚な威圧感――だが、その瞳には戦場を知る者ならではの温かさが宿っていた。


 「……ファーレンナイトの若き精鋭たち、そして我がミラージュの新兵諸君」

 低く、深みのある声がホールの隅々まで届く。

 その声音はまるで鎮魂の鐘のように落ち着いていて、聞く者の心に自然と静けさをもたらした。


 「今日の訓練と競技を通して、私はお前たちに――確かな可能性を見た」

 重々しい言葉のひとつひとつが、若者たちの胸の奥に染み込んでいく。

 エルネストの視線がゆっくりと全員を巡り、やがてアリスの前で止まった。

 その瞳に満足の色が宿り、微かに頷く。


 「剣術競技では、無駄な力みのない剣の軌道が多く見られた。

  それは日頃からの鍛錬の賜物だ。――アリス・グレイスラー」


 名を呼ばれた瞬間、アリスは姿勢を正し、静かに敬礼した。


 エルネストは淡い笑みを浮かべて続ける。

 「君の動きは、もはや学院生という枠に収まらない。

  実戦経験者といっても差し支えない完成度だった。

  そして――それを正面から引き出し、最後まで折れずに挑んだカイル・ザックバーグもまた立派だ」


 カイルはきびすを返し、深々と頭を下げた。

 その横顔には悔しさと同時に、確かな誇りが滲んでいる。


 周囲からも、静かな拍手がわずかに起こった。


 エルネストはその音が止むのを待ち、ゆっくりと次の言葉を紡ぐ。


 「ライフル競技に関しても――特に可動標的では、軌道の乱れや速度変化に惑わされる者が多かった中、最後まで冷静さを失わなかった者がいた。……リナ・フローレンス」


 呼ばれたリナは小さく息を吸い込み、緊張した面持ちで一歩前に出る。

 姿勢を正し、胸の前で手を揃えて深く頭を下げた。

 「君の射撃は精密で、何より――動揺の気配がなかった

  それは訓練では得られない“心の強さ”だ。今日の結果に慢心せず、明日の行軍でもその眼と心を活かしてほしい」


 その言葉を受けて、リナはわずかに頬を紅潮させながら「はい」と小さく返した。


 傍らで見ていたアリスとレティアが柔らかく微笑み、目で「よくやった」と伝える。


 リナはその視線を受けて、少しだけ唇を引き結び、誇らしげに微笑んだ。


 「――まとめると」

 エルネストは姿勢を正し、全員を見渡す。

 「今日の競技と訓練は大成功だ。

  お前たちの力は確かに私たちに届いた。

  この調子で、明日の行軍も――頼りにしているぞ」


 低く落とされたその一言に、列の中から小さなどよめきが広がった。


 安堵と誇りが混ざり合い、緊張で強張っていた空気がようやく解けていく。

 仲間同士が視線を交わし、互いに微笑み合う。

 その表情には、「やり遂げた」という実感が確かに宿っていた。


 エルネストが一歩下がると、代わってレオが再び前に出た。

 鋭くも晴れやかな声が、ホールに再び活気をもたらす。

 「――さて、講評は以上だ」

 その言葉に場内の空気が少し弾む。

 「本日の訓練と競技は、これにて終了。

  これからは各自、自由時間とする」


 力強い号令が放たれた瞬間、整列していた若者たちが一斉に声を揃えた。

 「はいっ」

 その声は天井に反響し、まるで戦場の号令のように清々しく響き渡る。


 軽く礼をして整列を解くと、肩の力を抜いた笑顔があちこちに広がった。

 装備を肩に担ぎ、仲間と軽口を交わす者。

 剣を磨きながら静かに余韻に浸る者。


 そして、競技での出来事を笑い話に変えながら歩いていく者――。


 駐屯地の中には、ひとときの安堵と穏やかな自由の空気が満ちていた。

 夜の灯りがゆっくりと落ち始め、明日の行軍に向けた準備のざわめきが、遠くで微かに聞こえてくる。

 その響きは、確かに――彼らが次の戦いへと進む音だった。


 そのとき、ステージ片隅で片付けを手伝っていたミラージュ王国魔導騎士団の少女――ルシア・ハルフェインが、アリスたちに笑顔で声をかけてきた。

 「そういえば、今日は女子が大浴場を使える日なんです。夕食前に汗を流して、さっぱりしておいたほうがいいですよ」


 柔らかな声とともに、彼女の栗色の髪がふわりと揺れた。


 その瞬間、周囲にいた女子たちの顔がぱっと明るくなる。

 「えっ、本当? 広いお風呂に入れるの」

 「わあ、嬉しい。絶対行こう」


 わずか前まで緊張を帯びていたホールが、一気に華やいだ笑い声で満たされていく。


 戦いの余韻を纏っていた少女たちの頬に、ようやく安堵と柔らかい色が戻った。


 レティアは嬉しそうにアリスの方へ駆け寄ると、ぱっと彼女の腕を掴んだ。

 「アリス、一緒にお風呂入ろ

  リナさんも一緒だよ」


 勢いそのままに身を寄せるレティアの頬はすでに紅潮していて、目がきらきらと輝いている。


 リナは少し驚いたように目を瞬かせ、それから恥ずかしそうに微笑んだ。

 「は、はい……

  みなさんと入るのはちょっと緊張しますけど……でも、楽しみです」


 彼女の声は控えめだったが、柔らかな光がその瞳に宿っている。

 アリスは二人を見渡して、優しく微笑んだ。

 「じゃあ、みんなでさっぱりしようか

  ……せっかくだし、今日の疲れは全部流しちゃわないとね」

 「賛成。広くて気持ちいいお風呂、絶対に最高だよ」


 レティアの明るい声に、他の女子たちも一斉に笑顔を浮かべた。

 その笑い声は、競技場の残響を柔らかく包み込み、まるで解放の鐘のように心地よく響く。


 少女たちは話しながら荷物をまとめ、着替えの準備を始めた。

 鎧を外す金具の音、魔導具の収納音、衣擦れの小さな響きが、どこか新鮮で和やかだった。


 魔導騎士団の女性隊員が手際よく浴場の場所や利用時間を説明し、初めて使う者たちに笑顔で声をかける。

 「洗い場の魔力温調はここのルーンで調整できます。石鹸は共用ですが、乾燥防止剤入りですからご安心を」


 細やかな気遣いと、互いの笑い合う声が交じり合い、場の空気は次第に柔らかくなっていく。


 アリスたち三人は肩を並べ、話しながら廊下へと向かった。

 照明石の淡い光が廊下を照らし、足音が静かに響く。


 行き交う隊員たちも、「お疲れ様」「おめでとう」と声をかけ、少女たちは軽やかに会釈を返していく。


 「ねえ、アリス。明日の行軍、また模擬戦とかあるのかな」

 「たぶんね

  でも今日は考えないでおこう。――お風呂優先」

 「ふふ、賛成です」


 そんな他愛のない会話が続くうちに、日中の張りつめた緊張がすっと溶けていった。


 そして――浴場の扉が目の前に現れた。

 磨かれた黒石の扉の上には、淡く輝く魔導文字で「女性専用浴場」と刻まれている。


 扉を開けると、ふわりと温かな湯気が流れ出し、肌を包み込んだ。

 心地よい蒸気と微かな薬草の香りが漂い、思わず三人の肩の力が抜ける。


 「わあ……本当に広いね……」

 リナが思わず感嘆の声を漏らす。

 そこには、想像を超える光景が広がっていた。


 石造りの壁は淡い蒼光の符術で照らされ、中央の大浴槽からは白い湯気がゆらゆらと立ち上っている。

 滑らかな石床は素足に心地よく、湯面には明かりの反射が揺れていた。


 天井の高窓からは夕暮れの光が差し込み、橙と金の色が湯気の中で淡く混ざり合っている。


 「ここ、まるで王城の浴場みたい……」

 レティアが感嘆の声を上げると、アリスも小さく頷いた。

 「うん……戦いのあとの静けさって、こういうのなんだね」


 三人はローブを脱ぎ、湯気の中へと歩み出る。

 肌に触れる空気はやわらかく、湯舟に一歩足を入れた瞬間、ふわりと身体の芯から熱が広がっていった。


 「ああ……気持ちいい……」

 リナが目を細めて息を漏らし、レティアは両腕を広げて湯の心地よさに身を委ねる。

 「このまま眠っちゃいそう……」

 アリスは軽く笑いながら、湯面に映る二人の顔を見て静かに頷いた。

 「今日の疲れを全部流して、また明日からがんばろうね」

 「うん」

 「はい」


 声が重なり、湯気の向こうで三人の笑みが柔らかく溶け合う。

 石の壁に反響する笑い声が静かに響き、外の夜風が窓の隙間を抜けて湯面を揺らした。


 ――それは、戦いと鍛錬に生きる少女たちが、ほんのひととき心を解かす、穏やかな時間だった。

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