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第四部 第ニ章 第13話

 魔導車は柔らかく規則的な振動を刻みながら、王都へ向けて静かに走っていた。

 車体の下では浮遊魔導石が淡い光を脈打ち、外界の石畳や土道の衝撃を吸収してくれている。

 車内にはかすかな低音の唸りと、車輪の代わりに空気を切るような風の擦過音だけが満ちていた。


 座席は深く、上質な緋色の布地にふかふかの詰め物が施されており、腰を沈めると包み込まれるような感触が背を支える。

 窓際には薄いレースのカーテンが揺れ、陽光が柔らかく差し込んで膝の上に淡い光の模様を落としていた。


 最初は三人、横並びに腰掛けて穏やかな談笑をしていた。


 「それにしても……高速で走る魔導車に乗るのは初めてだけど、思ったより乗り心地がいいね。もっと、ごうごう音を立てるものかと思ってたよ」


 アリスが外の景色を眺めながら言う。

 クラリスは薄く微笑み、静かに頷く。


 「魔導石の防振構造が工夫されているのよ。最近のモデルは特に静音性が高いって聞いたわ。内部の結晶格子の組み方が昔と違うの」


 アリスが小さく笑みを含ませる。

 「さすがクラリス、詳しいのね」


 クラリスは肩をすくめ、どこか照れたように目線を外す。

 「ふふ。お仕事柄、調べる機会が多いのよ。それに……こういう移動技術って、魔力理論とも密接に関わっているから興味深いわ。重心制御とか、魔力圧の分散とか……思わず解析したくなるの」


 「クラリスなら、分解して徹夜で研究しそうだね」


 「……否定はできないわね」


 わずかに頬を赤く染めながら、クラリスは窓の外へ視線を向けた。


 「……でも、たしかに、寝ようと思えばすぐ寝られそうな静けさかも」


 レティアはそう言った後、堪えきれずに一つ、大きなあくびをこぼした。


 「昨日、ちょっと張り切りすぎたのよね。夕食も、準備も、チェスも……全部楽しかったけど、体力は正直ね」


 指先で髪を軽く払う仕草に、疲れと同時に満ち足りた空気が滲んでいた。

 アリスとクラリスは思わず顔を見合わせ、くすっと笑った。


 アリスが小声で囁く。

 「だったら、素直に寝ちゃえば? レティア、寝顔可愛いから大丈夫」


 レティアは頬を染め、目をぱちぱちと瞬かせた。

 「ううっ……褒められてるのか分からない……けど、お言葉に甘えて、ちょっとだけ……」


 レティアはそっとアリスの肩に頭を預けた。

 柔らかな髪がアリスの首筋に触れ、微かな香油の匂いがふわりと漂う。

 まもなく、規則正しい静かな寝息が聞こえ始めた。


 クラリスはそれに気づき、声を潜めてアリスに言う。

 「……寝ちゃったわね、レティア。ふふ、珍しい」


 アリスは肩をすくめ、小さく笑った。

 「きっと、張り切ってたんだよ。いろいろ準備してくれたから」


 クラリスは視線を窓の外に移し、一瞬だけ流れゆく木々や遠くの丘陵を眺めた。


 「……いいわね、こういう時間。王都での毎日だと、こういう静けさってなかなか味わえないもの」


 アリスも同じ方向を見やり、レティアの寝息に合わせるようにそっと呼吸を整える。

 「帰ったらまた忙しくなるけど……こういう“間”があると、少し救われる気がするね」


 クラリスの横顔はどこか優しく、柔らかな空気を纏っていた。

 「ええ。だからこそ、大切にしないと」


 クラリスはゆっくりまばたきをし、微笑んだ。

 その笑みには、学院での日々との落差を静かに受け止める穏やかさが宿っていた。


 そして、表情を少し真剣にして声のトーンを落とす。

 「ねえ、アリス。……今朝、“夢を見た”って言ってたよね。どんな夢だったの?」


 問いかけに、アリスは短く息を飲み、表情をわずかに曇らせた。瞼が一瞬伏せられ、握った膝の上の指先が微かに動く。

 だが、隣に座るクラリスの眼差しが、ただの好奇心ではなく深い理解と寄り添う気持ちを含んでいることを感じ取ると、肩の力を抜くように静かに息を吐き、口を開いた。


 「……戦場の夢。私が、誰かを守るために剣を振るってた。火の海と、崩れた塔……それでも、立ち止まれなくて」


 アリスはそこで、わずかに視線を伏せながら続ける。

 「大聖堂のステンドグラスに描かれていた“セレスの丘の激戦”……あれは、まさにこの戦いの光景だった」


 クラリスは僅かに眉を寄せ、息を静かに吸った。

 「それって、やっぱり……“あの頃”の記憶?」


 アリスは小さくうなずく。

 「うん。あれは、魔将バロールの眷属――《呪獣グリフォラス》との戦いだった。巨大な四肢と蛇の尾、再生能力も異常で……まともに攻撃しても倒せなくて」

 言葉と共に、瞳には遠い戦場の情景がよみがえる。


 クラリスはそっと息を整え、少し前のめりになる。

 「具体的には……どんな戦いだったの? あなたは、どんなふうに戦っていたの?」


 「……あの時の空気はね、ずっと焦げた金属と血の匂いがしてた。空は赤黒くて……風が熱かった。味方の叫びと魔獣の咆哮が混ざって、地面は震えてた」

 アリスの声は遠くを見つめるように沈む。

 「《フレイム・ボール》でも倒しきれなかった。再生の構成式を次々に再構築してくるから、普通の術じゃ歯が立たない。だから私は、《赫焉の一撃アーク・エクリプス》を使ったの」


 クラリスは思わず息を呑み、その名を繰り返す。

 「……禁術級の広域破壊術。そんな……。あれは、本来なら大陸法規で封印されていたはずで……」


 アリスは小さく首を振る。

 「分かってた。でも、あの瞬間は、あれ以外の選択肢がなかったの。あのままじゃ、味方が……みんなが死ぬところだった」


 そこで、アリスは膝の上で握った拳を緩める。

 「一撃で、グリフォラスの本核は粉砕できた。けれど……同時に、地中の魔力脈を断ち切ってしまったの。地面が裂けて、戦場の中央に巨大な亀裂が生まれて……その裂け目に東から川水が流れ込んだ。結果的にあの湖ができたの」


 クラリスの目がかすかに揺れた。

 「……あの記念碑に、“地形が崩れ、湖が形成された”って書いてあったの、まさかそんな背景が……」


 アリスは、苦い笑みのような、どこか諦めたような表情を浮かべる。

 「うん。記念碑にあるのは綺麗な説明だけど……実際はもっと泥臭かった。あれは……私のせいでもある。でも、あれしかなかった。本当に、ぎりぎりの選択だった。多くの仲間が戦ってて……誰かが止めなきゃ、全滅だった」


 車内に沈黙が落ちる。

 魔導車のわずかな揺れと風を裂く音だけが会話の余韻を撫でた。


 クラリスはゆっくりと手を胸元に寄せ、小さく口を開く。

 「……その戦い、私――“セレーネ”はもう、いなかったのよね」


 アリスははっと顔を向けた。

 クラリスの表情は静かだったが、その奥に悔しさと無力感が滲んでいた。


 「もし、あの時、私もそこにいられたら……あなたが一人であんな無茶をしなくてすんだかもしれないのに」

 「あなたの魔力解析や術式補助があれば……《赫焉の一撃》を使わなくても別の方法があったかもしれない。そう考えると……胸が苦しいの」


 「クラリス……」


 クラリスは悲しそうな顔で微笑む。

 「違うわね。たぶん“レティシア”は、そんなことを考える余裕なんてなかったんでしょうけど……」

 「でも……あなたが、自分の身を削ったことも……倒すしかなかったと理解していても……やっぱり、胸が痛むのよ。そんな大事な時に、私はもう隣にいられなかった」


 アリスはそっと手を伸ばし、クラリスの指先に触れた。

 「……クラリスがいなくても、あなたの術式はずっと私の中に残ってた。あの時、あなたがいたら、って思う瞬間は何度もあった。でも、それでも私は……あなたがこうして今ここにいてくれるだけで、十分だよ」


 クラリスは一瞬で目を潤ませ、震える息を吐いた。

 「……そんなこと言われたら、抱きしめたくなるじゃない。ほんと、あなたって……」

 「昔と変わらない。無茶ばっかりして、でも誰よりも優しい」


 アリスも微かに笑う。

 「優しいのはクラリスのほうだよ」


 「……ほんと、ずるいんだから。そういう言い方」

 クラリスは照れ隠しするように目を伏せ、指先でそっとアリスの手を撫でる。


 アリスはその仕草にくすりと笑い、少しだけ身体を寄せた。

 「クラリスって、たまにすごく素直になるよね。……なんだか新鮮」


 クラリスはぴくりと肩を揺らす。

 「べ、別に……素直になっているつもりはないの。あなたが変なこと言うから、反応してるだけよ」


 「変なこと?」

 アリスが首を傾げると、クラリスは小さく息をついた。


 「……“今ここにいてくれるだけで十分”なんて、そんな言葉……言われて平気でいられる人のほうが変だわ」

 「それに……言われたほうの気持ちも考えなさい。胸が、変にあたたかくなるでしょう?」


 アリスは目を瞬かせたあと、ゆっくり頬を緩めた。

 「じゃあ、その感じ……悪くないってことだよね?」


 クラリスは一瞬むっとしたように唇をすぼめたが、すぐに肩の力を抜いて微笑みに変わった。

 「……ほんと、もう。あなたって、どうしてこう……人の心を揺らすのが上手なのかしら」


 アリスは少し戸惑いがちに笑う。

 「そんなつもりはないよ。ただ、思ったこと言っただけ」


 「だからよ。思ったことが……そのまま刺さるの」

 クラリスは言い終えると、そっとアリスから視線を外し、窓の流れる景色へ目を向けた。


 風に揺れるレースのカーテン越しに、丘陵地帯の草原が波打つように広がっていく。

 ひとしきり沈黙が落ちたあと、クラリスが再び小さく口を開いた。


 「……ねえ、アリス。あなたが背負ってるもの、すべて理解できるわけじゃない。でも、少なくとも——独りで抱えこませたりしない。もう、そんな時代じゃないもの」


 アリスはしばらく言葉を失い、クラリスの横顔を見つめた。

 「……ありがとう。そう言ってくれると、本当に心が軽くなる」


 クラリスは短く笑って肩を寄せる。

 「軽くなるなら、何度でも言ってあげるわよ。……たぶん、レティアだって同じ気持ちでしょうしね」


 アリスは寝息を立てるレティアへ視線を移し、小さな声で続けた。

 「ふふ……きっとね。なんだかんだ一番世話焼きだし」


 「ええ。だから——」

 クラリスは少しだけ目を細めた。

 「三人でなら、きっと乗り越えられるわ。どんな未来でも」


 アリスは短く息を吸い、ゆっくりとうなずいた。

 「……うん。そうだね」


 二人の間に流れる静かな時間は、揺れる車内の心地よさと共に、しばらく途切れることなく続いていた。

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