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第一部 第二章 第4話

 ライフル競技も、いよいよ最終競技者を残すのみとなった。

 最後に名を呼ばれたのは、魔術師団の新人――リナ・フローレンス。


 多目的ホールの天井から吊るされた魔導灯が柔らかく光を落とし、空気が静まり返る。


 さっきまで響いていた観客たちのざわめきが嘘のように止み、音のない緊張が場を満たした。


 ステージ中央には、ライフル競技用の特設射撃台。

 床に埋め込まれた魔導制御盤から微かに青い光が立ち上り、十メートル先には大小さまざまな可動標的が展開されている。


 それらはゆっくりと、そして時に不規則な軌道で動きを変え、参加者の精密な照準を試すために設計されていた。


 訓練とはいえ、張り詰めた空気はまるで実戦の射場。

 誰もが息を詰め、最後の射手を見守る。


 リナは静かに一歩、また一歩と前へ進み出た。

 靴底が床を擦る音がわずかに響き、それだけで会場全体の空気が緊張を帯びる。


 彼女は立ち位置に着くと、軽く膝を曲げて体の重心を整え、ライフルを両手で持ち上げた。


 銃身は黒金に輝く合金と魔力結晶の複合構造。

 光を受けるたびに、表面が淡く青白く脈動し、まるで生きているように呼吸していた。


 リナは右肩にしっかりと銃床を当て、頬を添え、視界の先を覗き込む。

 照準器の中に浮かぶ標的の輪郭が、わずかに揺れて見えた。


(……大丈夫。焦らない。いつも通り――)


 彼女は深く息を吸い込む。

 肺の奥まで冷たい空気を満たし、心臓の鼓動が静かに落ち着いていくのを感じる。


 細い指先が、わずかに震えていた。

 だがその震えを押さえつけるように、リナはゆっくりと目を閉じ、一拍の間を置いた。

 魔導灯の光が頬をかすめ、汗の粒がきらりと光る。


 再び目を開くと、その瞳は射手のものに変わっていた。

 柔らかさを捨てた視線が、まっすぐに前方を貫く。


 銃口が、呼吸と同調する。

 息を吸い、止め、そして――吐く。

「……ふぅ――」


 わずかに開いた唇から、静かな息が零れた。

 吐息が熱を帯び、照準の揺らぎが霧のように消えていく。

 視界の中心には、ただ一点――最初の標的だけが鮮やかに浮かび上がっていた。


 その瞬間、リナの世界は完全に静止した。

 観客の視線も、遠くのざわめきも、すべてが消える。

 聞こえるのは、自分の呼吸と、心臓の鼓動だけ。


 左手で銃身を支え、右手の指がゆっくりと引き金にかかる。

 肩の筋肉がわずかに張り、瞳孔が絞り込まれる。


 ――今、この瞬間だけは、誰にも邪魔されない。


 狙いが定まった。

 そしてリナは、まるでその一点に世界のすべてを集めるように、息を完全に吐き切った。


「……撃つ」


 小さく呟いたその声は、自身の集中を断ち切るための合図のようだった。


「――始め」


 主審の静かな合図が響いた瞬間、空気が切り替わった。

 その声が合図となり、リナの視界に最初の可動標的が滑らかに浮かび上がる。


 青白い魔導光をまとった円盤が、左右に一定のリズムで揺れながら移動を始めた。


 リナは呼吸を一度整え、わずかに腰を落とした。

 銃身を肩に密着させ、頬を銃床に添える。


 彼女の瞳はわずかに細められ、視界の中心には、揺れる標的だけが存在していた。


(落ち着いて――焦らない。呼吸、照準、引き金。すべてをひとつに……)


 呼吸を吸い込み、止め、吐く。

 リナの世界から余分な音が消えていく。


 観客の気配も、足音も、遠くの魔導機器の駆動音さえも。

 ただ静寂と、標的の軌跡だけが、意識のすべてだった。


 指先がわずかに動く。


 ――カチリ。


 第一の一撃。

 魔導ライフルの銃口から放たれた蒼い光が一直線に走り、標的の中心を正確に貫いた。

 金属の響きとともに淡い閃光が散り、円盤が音もなく消滅する。


 リナは瞬きひとつせず、すでに次の照準へ移行していた。

 二発目、三発目――。


 引き金を引くたび、規則正しいリズムが生まれる。

 無駄な動きは一切ない。

 肩、肘、指、そして視線――すべてが機械のように正確だった。


(いい……この感覚。この静けさの中でなら、すべてが見える)


 リナの頬を伝う汗が、細い光を受けて淡く光る。

 息を吐くたびに、体の中の緊張が少しずつ溶け、代わりに集中の密度が増していく。


 会場には、彼女の呼吸音と、トリガーがかすかに触れる乾いた音だけが残った。


「……すごい……」

 レティアが思わず呟いた声が、静かな空間に溶けた。


 ステージ脇で見守るアリスも、ほんのわずかに口角を上げ、友の精確な射撃に目を細める。


 やがて――中盤。

 標的の動きが変わった。

 規則的だった左右の往復が、突然、斜めと縦軸を絡めた変則軌道に変化する。

 速度も一定ではなく、まるで意思を持つように緩急を繰り返す。


(来る……!)

 リナの瞳が、微かに光を帯びた。


 その瞬間、ひとつの標的が正面へ飛び出すように急接近――。

 反応できなければ射線を外す、危険な間合い。


 しかし、リナの動きには一切の迷いがなかった。

 足元をわずかに沈め、体重を地に預ける。

 呼吸を止め、引き金にかけた指先が一瞬だけ静止した。


 そして――


「ッ!」


 魔導弾が閃光を引き、可動標的を真正面から撃ち抜いた。

 乾いた衝撃音が響き、標的が砕け散る。


「リナさん……!」


 レティアの声が震え混じりに漏れる。

 アリスも思わず目を見開き、ほんの僅かに息を呑んだ。


 だがリナ自身は、その声を耳にしていなかった。

 集中の奥に沈み込んだ彼女の意識は、すでに別の世界にあった。


(まだ終わってない。流れを切らない――)


 標的が次々と現れ、複雑な軌道を描き始める。

 緩やかな回転を交えたり、わざと視界の端に逃げたり。

 それでもリナの照準はぶれなかった。


 魔力の微調整を繰り返し、銃身の揺れを補正。

 引き金を引くたび、呼吸と魔力の律動が一体化していく。


(落ち着いて……見える、見える……)


 まるで世界のすべてがスローモーションになったかのようだった。

 標的の揺れが遅くなり、飛翔の軌跡が、光の線として見える。

 それを、リナはひとつひとつ撃ち抜いていった。


 弾丸の放たれるたび、青白い光が舞い、観客たちの頬を照らす。

 連続射撃――だが、そこに乱れはない。


 彼女の指先はまるで楽器の演奏家のように精密に動き、銃声の一つひとつがリズムを刻む。


 そして――最後の標的が現れた。

 他よりも速く、ジグザグに動きながら飛び回る。


 リナは息を止め、追いかけず、わずかに先を読むように銃口を向けた。

 照準の中心が重なった瞬間――


「……っ!」


 トリガーが沈み、光が閃く。

 魔導弾が空気を裂き、標的を貫いた。


 鋭い破砕音がホールに響き、直後、すべての動きが止まる。


 静寂。


 リナはゆっくりと銃を下ろし、肩で呼吸を整えた。

 心臓の鼓動が早く、熱を帯びた手がわずかに震えている。

 それでも――彼女の表情は穏やかだった。


(やり切った……全部、当たった……)


 その実感が胸に広がる。

 指先の感触、頬に伝う汗の温度。

 そのすべてが、生きているという確かな証のように感じられた。


 審判が、静かに両腕を広げる。

 そして、場内に響く声。


「――可動標的、パーフェクトクリア!」


 瞬間、張り詰めていた空気が弾け、観客席から割れんばかりの拍手と歓声が湧き上がった。


 仲間たちが立ち上がり、手を叩く音が波のように広がっていく。

 レティアは涙ぐみながら両手を合わせ、アリスは静かに頷いた。


 ステージ中央に立つリナは、深く息を吐き、わずかに微笑んだ。


 ――それは、努力と緊張、そして研ぎ澄まされた集中の果てに辿り着いた、ひとつの静かな勝利の笑みだった。


 リナは軽く肩で息をしながらも、わずかに震える指先で魔導ライフルを丁寧に脇へ下ろした。


 その所作には、一発ごとに積み重ねた集中の余韻がまだ残っている。

 銃床を両手で抱え、胸の前で静かに整えると、深く息を吐いて――審判へと礼を取った。


 背筋はまっすぐに伸び、汗の滲む首筋が照明の光を受けて淡く光る。

 誇りと安堵が入り混じるような表情で、リナは赤らんだ頬をわずかに上げ、確かに頷いた。


(終わった……やり切った……)


 心臓はまだ速く打っていた。

 だが、その鼓動が今だけは、努力を刻む証のように感じられた。


 ステージを降りると、控え席の方で拍手が次々と広がっていく。

 十五班の仲間たちが立ち上がり、笑顔と歓声で迎えてくれた。


 リナは軽く手を振りながらも、どこか夢の中を歩くような感覚で、観客席の光と声をただ受け止めていた。


 やがて、全参加者の得点が集計される。

 大型の魔導モニタが光を帯び、淡い魔力の輝きが天井を反射して広がった。


 数字がゆっくりと浮かび上がり、次々にスクロールしていく。

 やがて――最上段に、一つの名前が静かに止まった。


 総合一位:リナ・フローレンス


 その瞬間、会場が一拍の静寂を経て、熱を帯びた歓声に包まれた。

 観客のざわめきが波紋のように広がり、拍手が重なっていく。

 仲間の視線、騎士団の面々、学院生たちの驚きと尊敬が、光のように彼女へ注がれた。


 リナは一瞬、呆然と画面を見上げたまま、息を止めた。

 胸の奥が熱くなり、視界の端がにじむ。

 気づけば、魔導ライフルを胸に抱きしめ、声が震えていた。


「……やった……!」


 小さな声だった。けれど、それは確かな実感のこもった言葉。

 それを合図に、観客席の拍手が一段と強くなる。


「リナさん、本当によかった! 完璧だったよ!」


 駆け寄ってきたレティアが、輝く笑顔で声を弾ませた。

 手にしていた紙コップの水が、彼女の震える指先でわずかに揺れる。


 続いてアリスも歩み寄り、リナの肩に軽く手を置いた。

 蒼の瞳がまっすぐにリナを捉え、静かな言葉を紡ぐ。


「見てた。落ち着いて、最後まで“自分の間合い”を崩さなかった。……さすがよ」


 その言葉に、リナは驚いたように目を瞬かせ、はにかむように笑ってから深く頭を下げた。


「ありがとうございます……。途中で怖くなりかけたんです。

 でも、レティアさんが『大丈夫よ』って言ってくれて……その声が、背中を押してくれたんです」


 レティアは一瞬、照れたように頬を掻き、苦笑を浮かべた。


「私なんて、十一位止まりだったよ~。途中から的が変な動きするんだもん……」


 その言葉に、アリスとリナは同時に笑みを浮かべて首を振った。


「十分すごいよ」

「次はもっと良くなるわ」


 仲間たちの笑い声が重なり、緊張の残る空気が一気に和らぐ。

 ホールの中央、魔導モニタには再び順位表が拡大表示された。


 総合順位

 1位:リナ・フローレンス

 2位:フィオラ・アルデリック

 3位:ダリオ・クレイグ

 ……

 11位:レティア・エクスバルド

 ……


 その文字が光るたび、周囲から新たな拍手と称賛の声が上がった。


 騎士団の教官たちも頷き合い、学院の若き射手たちが静かに感嘆の息を漏らす。


 リナはその中で、改めて深く頭を下げた。

 視線の先にいるアリスとレティア――そして自分を見守ってくれた全ての人たちへ。


 頬を紅潮させながらも、胸の奥に“仲間と築いた結果”の重みを噛みしめるように。


「……ありがとうございました」


 その言葉が、観客席の最前列まで静かに届いた。

 アリスは微笑みながら頷き、レティアは両手を合わせてぱちんと音を鳴らす。


 リナの瞳の奥に宿る光は、努力と誇り、そして仲間への感謝で満ちていた。


 ――そして。


 アリスが紙コップをそっとテーブルに置いた。

 その仕草一つで、場の雰囲気がわずかに引き締まる。

 彼女の瞳が前方へ向けられ、次の戦いへと意識を切り替えていた。


 その瞬間、ホール上空に設置された索敵用魔導音声結界が淡く震え、澄んだ声が響く。


『決勝戦の準備を開始してください。該当選手は競技場へ向かってください』


 レティアとリナは同時に顔を上げた。

 リナの指が小さく拳を握る。

 アリスは二人へ向けて柔らかく微笑み、静かに頷いた。


「じゃあ……行ってくるね」

「うん! 絶対勝ってきて!」

「頑張ってください、アリスさん……!」


 声援が背中に届く。

 アリスは短く振り返って微笑むと、再び前を向き、ゆっくりと歩き出した。


 魔導剣を腰に戻し、足取りは静かだが確固としていた。

 観客のざわめきが遠ざかるにつれ、呼吸が整い、集中が研ぎ澄まされていく。


(次は――自分の番)


 ステージへ続く通路を進むその背に、十五班の仲間たちの想いと信頼が重なる。

 まるで見えない光が彼女を包むように――


 アリス・グレイスラーは、静かに決勝の舞台へと歩を進めていった。

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