表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
135/184

第四部 第一章 第14話

 冒険者ギルドを後にした二人は、エクスバルド市街地を回っていた。

 エクスバルドの街は、谷や湖、そして背後を連なる山脈に守られるように築かれた、自然と人工が調和する城塞都市だ。

 その成り立ちは約三百年前――人魔大戦末期に遡る。


 当時、この地は魔国領への進軍拠点として、急ごしらえの巨大な前線要塞が建設された。

 厚い城壁と高くそびえる物見塔は、南方から迫る魔族の進軍を食い止めるための象徴だった。

 やがて終戦を迎えると、役目を終えたはずのその要塞は、戦乱で家を失った難民たちの避難先となった。かつて兵士たちが詰めていた兵舎は住居に改装され、物資庫は市場や倉庫へと転用された。


 石造りの砦に囲まれた空間は安全と安心を与え、人々はそこに暮らし、働き、やがて城塞は都市へと変貌していった。

 今では、当時の防壁は街を囲む外壁としてそのまま残され、ところどころに見える戦時の傷跡が、この都市の歴史を静かに語っている。


 アリスとクラリスは、環状に整備された石畳の大通りをゆっくりと歩いていた。

 道沿いには、段丘状に広がる住宅地と商業区が重なり合い、視線を上げれば、遠くに荘厳なエクスバルド伯爵家の居城が見える。

 塔屋が空へ突き出し、かつての指令塔の面影を残しながらも、今は街の象徴として静かに人々を見守っていた。


「要塞から始まった街……そう聞くと、なんだか空気が引き締まるわね」

 クラリスが視線を城壁へ向けながら呟く。

 アリスはその横顔を見ながら、ふと視線を遠くに移した。


(……そう。あの時、この場所に前線要塞を築くよう私が命じたんだ)


 人魔大戦末期――南方防衛線を押し上げ、魔国領に迫るための足掛かりとして。

 設計図を広げ、資材や兵員の配分を決め、寒風吹きすさぶこの高地で工事を急がせた日の記憶が蘇る。


 当時はただ、戦局を有利に進めるための拠点にすぎなかったが……いま、そこに人々の暮らしが息づいている。

 その事実に、胸の奥に温かく、そして少し切ない感情が広がった。


「うん。でも、戦争のために作られた場所が、今は人の暮らしと笑顔で満ちている。レティシアも、こういう変わり方を喜ぶんじゃないかな」

「それ、あなた自身の気持ちでもあるんでしょ?」

 クラリスがそっと尋ねる。


 アリスは少しだけ照れたように頬をかき、微笑んだ。


「……うん。そうかも。私、こういう“変わった跡”を見ると、ちょっとだけ救われる気がするんだ。あの日々にも――意味があったんだって」

「あるわよ、意味。あなたが残したものって、こうして街の形になって生きてるんだもの」


 風が二人の髪を揺らし、石畳を照らす陽光が影の形をゆっくりと変える。

 その姿はまるで、三百年前から続く歴史の道を、二人だけの歩調で進んでいくようだった。


 通り沿いの市場では、地元の商人たちが活気よく声を張り上げている。

 木の屋台には、湖で獲れたばかりの銀色に輝く魚や、山の斜面で育った香り高い薬草束、色鮮やかな果実が並び、通る人々を惹きつけていた。


 クラリスは足を止め、小ぶりな籠に入った淡い黄緑色の果実を手に取る。


「これは?」

 果皮をそっと指で押すと、ふわりとした弾力とともに、草のような爽やかな香りが立ちのぼる。


「《サンリーフ》の果実。熟すと甘くなるけど、今の時期は少し酸味が強いかな。でも、冷やして食べるとすっきりしておいしいよ」

 アリスが手を添えて説明する。その声はどこか懐かしむようで、クラリスは思わず微笑んだ。


「じゃあ……買ってみようかしら」

 そう言って屋台の主に銀貨を渡すと、店主はにかっと笑って応じた。


「お嬢さん、いい目利きだよ。今朝、畑から採ったばかりだ。冷やすなら、水に浸けておくともっと甘みが引き立つよ」

「ありがとうございます。試してみますね」

 クラリスは頭を下げ、籠を胸に抱えながらアリスへ振り返る。


「こういう場所……落ち着くわね」

「うん。なんだかんだで、私も好きだよ。実家の近くの市場を思い出すんだ」


 二人は市場を抜け、湖畔へと足を向けた。

 湖面は夏の日差しを受けてきらきらと輝き、吹き渡る風が頬を涼しく撫でる。


 岸辺では子どもたちが裸足で水遊びをし、大人たちは木陰のベンチで談笑している。

 時折、水鳥が羽ばたき、白い軌跡を残して湖面を滑っていった。


「ここに来ると、なんだか時間がゆったり流れているみたいね」

 クラリスは湖の方へ歩み寄り、籠の果実を抱えたまま水面を覗き込む。


 透きとおる水が足元ぎりぎりまで寄せては返すたび、彼女の髪先が風にそよぎ、涼やかな影を落とした。


「そうだね。普段は学院や王都の慌ただしさに慣れてるけど……こういう静かな場所は、心が落ち着くよ」

 アリスも湖面を見ながら、風に揺れる自分の前髪を押さえた。


「それに、湖と山と街が一緒に見える場所って、意外と珍しいのよね。ミラージュも海沿いだけれど、こういう“閉ざされた谷の穏やかさ”はあまりなかったわ」

「たしかに……ミラージュはもっと開けてる感じだよね。ここは、守られてるみたいな気がする」


「ええ。包まれてる、っていう方が近いかも」

 クラリスは湖の向こう岸を眺めながら、ゆっくり息を吸い込む。


「なんだか……ここで一日中、本でも読んでいたくなるわ」

「クラリスなら、気づいたら夕方まで読み続けてそう」

「ふふ……否定はしないわ」


 アリスは笑いながら、湖と空の境界を見上げた。

 水面に映る雲が、ほどけるように揺らいで広がっていく。


「ねえ、アリス」

「ん?」

「あなた……この街が好きなのね。さっきからずっと、表情が優しいもの」


 アリスは驚いたように目を瞬かせ、少しだけ頬を染めた。


「そんなに……わかる?」

「わかるわよ。誰かの故郷を見る時みたいな目をしてるもの。大切な思い出があるっていうか……安心しているっていうか」


「……そうかも。たくさんのものを失った場所なのに、今は“守りたいもの”になってる気がする」

「あ……今の言い方、すごくアリスらしいわね」


 クラリスが穏やかに笑い、アリスも恥ずかしそうに視線を逸らした。

 二人の間に、湖面を撫でる風だけが心地よく吹き抜けていく。


「このあと、どうする?」

「うーん……せっかくだし、もう少し歩こうかな。昔よく通った道とか、案内したい場所もあるし」

「じゃあ、ぜひ連れていって。あなたの“大切な風景”、私にも見せて」


 クラリスの言葉に、アリスは静かに微笑んだ。

 その笑顔には、どこか誇らしく、そして懐かしさを抱えた温かさが宿っていた。


 湖畔を離れると、二人は歴史ある教会の前に出た。

 白い石造りの外壁と尖塔は、かつて城塞の一部として建てられた礼拝堂を拡張したものだ。

 柔らかな鐘の音が街に響き、行き交う人々の足を自然と緩める。


 大きなステンドグラスには、戦乱の終結と平和の再生を象徴する図柄が描かれ、陽光を浴びて色とりどりの光が床に落ちていた。


「戦争の時代を知る建物って、どこか特別な力を感じるわね」

 クラリスはステンドグラスの光を指先でなぞるような仕草をして、微かに目を細める。


「うん。ここで祈った兵士や避難民が、どんな思いで鐘の音を聞いていたのか……考えると胸が熱くなる」

 アリスも光を見つめながら呟いた。


「あなたが、戦いのあとに必ず“静けさ”を求める理由が……少し分かった気がするわ」

「え? そんなこと……言ってたっけ」

「言ってないわ。でも、あなたを見ていれば分かるの」

 クラリスはふふ、と小さく笑い、その瞳にはどこか優しい確信が宿っていた。


 教会を後にした二人は、郷土博物館へと向かった。

 そこには古い武具、魔導兵装の残骸、戦時中の地図、そして当時の人々の生活道具が展示されている。


 クラリスはガラスケース越しに、黒く焼け焦げた盾をじっと見つめた。


「……これも、戦いの証ね」

 指先を胸の前で組み、少し息を吸い込むようにして呟いた。


「そう。でも、今はこうして残すことで、二度と繰り返さないための記憶にもなる」

 アリスが答えると、クラリスは小さく頷いた。


「アリス……あなた、こういう展示を見るときいつも“誰が”って考えるのね」

 クラリスの静かな言葉に、アリスは少し驚いたように目を瞬かせた。


「分かる?」

「分かるわ。表情が柔らかくなるから……たぶん、あなたは“戦った人の背中”を覚えているのね」

「……忘れたくないんだ。名前も、姿も、どこかに残っているなら」


 その言葉には、遠い過去と今が重なったような強い想いが宿っていた。

 クラリスは何かを言いかけて唇を開く――しかし言葉は続かず、再びガラスケースの中の盾へ視線を戻した。


「……ううん、今はまだいいわ。いつか、ちゃんと聞くから」

 小さく微笑むその横顔に、アリスはそっと視線を落とした。


 やがて、石畳の道を進んだ先に、小さな公園が現れた。

 中央には美しい噴水があり、清らかな水が空へ向かって勢いよく吹き上がる。


 水飛沫が陽光を受けて虹を作り、周囲では親子連れや恋人たちが穏やかな時間を過ごしていた。

 子どもたちは噴水の縁を走り回り、水を手ですくっては笑い声を上げている。


 アリスとクラリスはベンチに腰掛け、その光景をしばらく眺めていた。


「この街は……強さと優しさの両方を持ってるのね」

 クラリスが、噴水の水面に映る虹を見つめながら言った。


「強さは、昔の名残。優しさは……今の人たちが積み上げたもの、かな」

 アリスは風に揺れる髪を押さえながら微笑んだ。


「あなたがこの街を誇りに思う理由、なんとなく分かってきた気がするわ」

「え?」

「だって……たくさんの人の思いが“きちんと息づいている街”だもの。あなたの大切な場所になるのも当然よ」


 アリスは少しだけ照れくさそうに笑った。

 その笑みは、夕空に滲む橙色の光に溶け込み、どこまでも柔らかかった。


 しばらくの休憩の後、二人は魔導馬車の停留所へと向かい、アリスの実家のパン屋へ帰路についた。

 夕暮れの街並みは、橙色の光に包まれ、石壁の影を長く伸ばしていた。


「帰ったら……また話してね。今日、あなたが見せてくれたもの、もっと知りたい」

「うん。クラリスと一緒なら……何度でも」

 そんな言葉を交わしながら、二人の影は夕陽の中でゆるやかに重なりながら揺れていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ