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第四部 第一章 第6話

 遺構の調査を終えたアリスとクラリスは、夕刻の色が洞窟都市の空気をゆるやかに染める中、並んで石畳の道を歩いていた。


 厚く削られた岩壁には無数の魔導灯が埋め込まれ、白色の清らかな光と橙色の柔らかな輝きが交互に灯っている。

 規則正しく続く光の帯は、まるで洞窟の天井から降り注ぐ星々のように街並みを照らし出していた。


 遠くの中央広場からは、賑やかな音楽の旋律と人々のざわめきが届く。


 打楽器の低い重音、弦楽器の澄んだ高音――その調べはどこか祭りの始まりを思わせ、漂ってくる焼き串や菓子の香りが空気を温かく満たしていた。


「……ずいぶん賑やかになってきたね。行ってみる?」

アリスが肩越しに問うと、クラリスは小さく笑った。


「魅力的だけど……今は頭の中が整理できてなくて。人混みに行ったら、たぶん考えてること全部吹き飛ぶわ」


「じゃあ……こっちの方がいいか」


「ええ。少し静かな場所で、今日のことを落ち着いて考えたいの」


 二人は賑わいを背に、あえて人通りの少ない裏通りへと進む。

 露店はほとんどなく、響くのは足音と遠い水流の音だけだった。


 クラリスは手元の記録端末を無意識に撫でていた。

 それは“何かを考えている時”に必ず出る癖だった。


「……やっぱり気になってるんだね、今日の神殿」

アリスの言葉に、クラリスは歩みをわずかに緩めた。


「当然よ。あんなに明確に“隠された構造”が残っていたんだもの。術式痕跡も封印の向きも、残留魔力の流れも……異質だったわ」

クラリスは少し言葉を切り、深く息を吐いた。


「それに……もっと気になることがあるの」


「気になること?」


「今日の壁画に刻まれていた“古代語”よ」

アリスの瞳がわずかに揺れる。


「……やっぱり気づいてた?」


「ええ。けど、おかしいのよ。本来この大空洞は三百年前に戦略目的で掘削された人工構造よね?」


「そう。あの当時の大規模術式で作られた空間で、古代文明の遺跡なんて確認されていなかったはずなのに……」


「なのに、あの古代語は……明らかに三百年以上前の“失われた文明”の体系。人工の空洞に、そんなものが最初からあるなんて普通じゃないわ」


 アリスはそっと頷いた。


「大空洞を掘った時に……もっと古い何かを貫いちゃってたんだと思うの。そして、それに気づいた当時の人たちは――何も語らなかった」


「……つまり、この街は私たちの想像よりずっと“深い層”の上に建ってるってことね」


 胸に広がるのは、説明のつかないざわめきだった。


 やがて宿にたどり着く。

 木製の看板には古代祭祀を思わせる紋様が彫り込まれており、クラリスは目を細めた。


「……この模様、遺構の壁画と同じ系列ね」


「やっぱり気づいた?」


「ええ。この街そのものが、古代文明の影響を受けてる可能性が高いわ」


 部屋へ入ると、外の喧騒は一気に遠のき、静けさが落ちた。

 魔導ランプが柔らかな光を放ち、温かい影を室内に落とす。


「はぁ……ようやく落ち着いた」

クラリスはベッドに腰を下ろし、深く息をついた。


 髪を手櫛で整え、櫛を取り出して静かにすく音が響く。

 その瞳には、分析と懸念が複雑に混じっていた。


「ねぇ、アリス」


「うん?」


「……あなた、さっきからずっと静かよ」


「……うん。ちょっと考えてた」


「神殿で感じた“あれ”のこと?」


「……そう。気づかないふりをしようと思ったけど……無理だった」

アリスは窓へ目を向ける。


「封印の向こうに……“何か”がいた。気配じゃなくて……記憶の奥を直接撫でるような、そんな感覚」


「レティシアの記憶と関係している?」


「たぶん……ううん、きっと」


 クラリスは櫛を置き、そっとアリスの隣に座った。


「じゃあ、一緒に掘り下げましょう。今日の記録、全部整理する。あなた一人で抱え込む必要なんてないわ」


「……クラリス」


「前にも言ったわよね? あなたのそういうところ……ちゃんと支えるって」


 アリスの胸の奥が温かく揺れる。


「……“なんでもない”って言いたいけど……それは、嘘になる」

彼女はソファへ腰を下ろし、膝の上で組んだ指をぎゅっと握った。


 小さく震えるその手を、クラリスはそっと包む。

 追及でも慰めでもなく――ただ寄り添う手だった。


「さっきの神殿……あの場所に立った瞬間、ふいに――あの日のことが蘇ったの」

一拍置いて、アリスは唇を噛む。


「レティシアが最後に言った。“完全には始末できなかったものが残っている”って……確かに、そう言った」

クラリスの表情に緊張が走る。


「でも……それが何かはまだ分からない。探っても、その部分だけ霞がかかったみたいに掴めないの」


「……あそこ、古代術式の構造に“異常”があったの。気づいてた?」


「うん。普通の人には分からない。でも……あれは何かを封じてた。確かにそう感じた」


「私も解析しながら気づいてた。封印構造の一部が、意図的に“見えないように”されていたわ。何かに触れないよう、避けて流れる術式……あれは明らかに異質」


 アリスは息を詰め、クラリスを見つめた。


「きっと……まだ終わってないんだと思う」

その言葉には、未来への確信めいた気配があった。


 クラリスはそんなアリスへ、そっと微笑む。


「なら、その時までにもっと調べておかないとね。だって……私、こういう調査、大好きだから」

アリスの表情がようやく和らぐ。


「ありがとう、クラリス……本当に、救われた」


 魔導ランプの光が、二人の頬を優しく照らした。

 外のざわめきは遠く、部屋には穏やかな温かさだけが満ちていた。


 洞窟都市の灯りが窓に揺れ、まるで二人を包む守護の光のように淡く瞬いていた。


 やがてアリスが顔を上げ、ぱっと明るい声で言う。


「……よし、気分転換しよ。せっかくだし、最後の夜、美味しいもの食べに行こう」


「もちろん。じゃあ、賑やかな通りに行きましょうか」


 二人は支度を整え、夜のラグナ・グロースへと足を踏み出した――。


 宿を出ると、夜の大空洞は昼間とはまるで違う顔を見せていた。


 天井近くに点在する魔導灯は明度を増し、金色や蒼白の光が混ざり合って巨大な岩の空間を幻想的に染め上げている。


 建物の壁や階段の縁には無数の光結晶が埋め込まれ、遠目には星が降り注いでいるように瞬き、揺れ、街を包む光の海になっていた。


 中央通りは、昼よりもさらに活気にあふれていた。


 露店の明かりが連なり、香辛料の刺激的な匂い、焼きたてのパンの香り、肉を炙る匂いが混ざって温かな空気を作っている。


 通りを行き交う人々は、笑い声とともに木皿やグラスを掲げ、屋台の料理を楽しみながら夜を満喫している。

 街角には即興楽団が集まり、軽快な弦の旋律と太鼓のリズムが夜気に弾むように響いていた。


「すごいね……昼とは別の街みたい」

アリスが楽しげに言うと、クラリスも目を細めて答えた。


「こういう活気、好きよ。なんだか研究室の閉鎖空間が遠い昔みたい」


「研究室、行かない日はないのに?」


「そういう意味じゃなくて……こういう賑わいを見ると、ちょっと世界が広がった気がするのよ」


 二人は歩く足を自然と合わせながら、広場へと向かう。


 ふと、アリスは屋台のひとつで足を止めた。

 鉄板の上では、大きな貝殻のような形をした海魔の肉がじわりと焼かれ、油が弾ける音が耳をくすぐる。

 立ちのぼる湯気には海の香りと香草の匂いが混ざり、食欲を強く刺激した。


「美味しそう……」

思わず漏れたアリスの声に、屋台の主が笑みを浮かべて声をかけた。


「嬢ちゃんたち、観光かい? これは名物シェルステーキ。柔らかくて甘い肉汁がたまらないぜ」

クラリスは興味深そうに覗き込みながら、小型端末を起動し温度を測る。


「……内部を低温で保ちつつ、最後に表面だけ高温……美味しくなる理屈ね」


「相変わらず、分析から入るんだね」

アリスが笑うと、クラリスは肩をすくめて返す。


「仕方ないでしょ。職業病よ」


 アリスは小皿に乗せられた一切れを受け取り、そっと齧った。噛んだ瞬間、濃厚な旨味が舌の上に広がり、ほのかな塩気が後を引いた。


「……うん、これは絶品」


「ほんと? じゃあ……」

クラリスも一口食べ、目を細めた。


「……なるほど。表面はパリッとしてるのに、中は驚くほど柔らかい……これは人気になるわね」


 その後も二人は通り沿いの甘味屋で焼き果実のデザートを楽しみ、香草茶を片手に今日の調査の話をゆっくりと語り合った。


「クラリス、この香草茶……香りが優しいね」


「地下で育ててるんだと思う。湿度の高い場所で育てた葉は、こういう甘みが出るのよ」


「へぇ……やっぱり詳しいなぁ」


「あなたが戦う人なら、私は“調べる人”なんだもの。それでバランスが取れてるでしょ?」

その言葉にアリスが笑みを返し、二人は洞窟都市最後の夜を心ゆくまで味わった。


 店を出て宿へ戻る頃には、夜の空気はひんやりとしていたが、露店の明かりがまだ点々と灯り、湯気を上げる屋台からは賑わいが続いていた。


「さすがに食べすぎたかも……」


「明日歩ける? エクスバルドまでは結構距離あるんじゃなかった?」


「歩く前に温泉で整えれば大丈夫!」


「言うと思った」


 二人は笑い合いながら宿へ戻る。


 部屋に入ると、魔導ランプの暖色が二人を迎えた。


 アリスは上着を椅子の背にかけ、クラリスは窓辺に置いた荷物を整理しながら、ふと口元を緩めた。


「……ねぇアリス。もう一回、温泉行かない?」


「もちろん行く!」


 浴衣とタオルを持って部屋を出ると、宿の地下へ続く階段はしっとりと湿り気があり、岩肌むき出しの壁には魔導ランプが等間隔に灯っていた。

 階段の下からは柔らかな硫黄の香りが漂ってくる。


「この匂い……落ち着くね」


「わかる。温泉って、どうしてこんなに安心するのかしら」


 浴場に入ると、岩盤をくり抜いた湯船が優しい湯気を立てていた。


 湯に肩まで浸かったアリスは、思わず声を漏らした。


「……ん……あったかい……」


「冷えが溶けていく感じ、好きだわ……」

クラリスは天井を仰ぎながら、湯の熱に頬を染めている。


「ねぇクラリス」


「ん?」


「今日は、ありがとう」


「どういたしまして。でも……まだ全部終わったわけじゃないでしょ?」


「うん。でも……隣にクラリスがいてくれたら、大丈夫だと思うんだ」


「それは光栄ね。じゃあ研究者としても友人としても、ちゃんと見守らせてもらうわ」


 湯の熱と二人の声が混ざり、静かな蒸気の中に溶けていった。


 外から微かに夜市の音が聞こえてくるが、ここは別世界のように静かで満ち足りていた。


 湯上がりの二人は浴衣姿で並んで通路を歩き、部屋へ戻った。


 魔導ランプの灯りが落ち着いた影を作る中、クラリスが軽いストレッチをしながら言う。


「……で、明日の朝は出発だよね。エクスバルドまで」


「うん。宿の人によると、朝八時に馬車が来るみたい」


「じゃあ……寝坊しないようにしないと」


「クラリスは寝起きいいから心配してないよ」


「あなたが寝坊したら叩き起こすから」


「……優しいのか厳しいのか分かんないよ」


「どっちもよ」


 二人は笑い合い、それぞれベッドに腰を下ろし、旅支度の確認を始めた。


 こうして、ラグナ・グロースでの最後の夜は、静かで穏やかな空気に包まれながら、更けていった――。

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