閑話 レティシア ストーリー2 第一話
不定期にはなりますが、
『白銀の継承者 - Gate of Sealed Eternity -』外伝「レティシア・ストーリー2」を書いていきたいと思います。
今回のショートストーリーは、前回の「レティシア・ストーリー1」から一か月後の世界を描いたお話です。
本編の流れを知らなくても読める内容になっていますので、少し寄り道する感覚で楽しんでいただければ幸いです。
孤児院での会合から、さらに一か月が経過していた。
初夏の湿気を含んだ夜気が、帝都の屋根瓦を重く包み込んでいる。
遠くで夜警の鐘が鳴り、その低い余韻が石造りの街路に溶けた。
レティシアの屋敷は帝都北区の高台にある。
重厚な門扉の内側には広い庭園が広がり、白砂利の道の両脇には整えられた常緑樹が並ぶ。
今宵は風が弱く、葉擦れの音もほとんどない。
まるで空気そのものが、何かを待っているかのようだった。
時刻は深夜二時。
決行まで三日。
屋敷の中央広間。
天井は高く、梁には古い家紋が刻まれている。
壁にかけられた燭台の炎が静かに揺れ、長い影を床へと落としていた。
大理石の円卓の上には帝都近郊の地図が広げられ、城塞都市ケルヴァンには深紅の印が打たれている。
帝都は平静を装っている。
だがその裏で、軍の動きは明らかに慌ただしくなっていた。
兵站の再編。
精鋭部隊の再配置。
封鎖区域の拡大。
そして――反攻作戦。
帝都から約五十キロ離れた帝国領の城塞都市ケルヴァン。
北方防衛の要であり、帝国の象徴の一つ。
いまは魔国軍の支配下にあるその城塞を、再制圧する計画が進んでいる。
静かな足音とともに、セリーネが広間へ入った。
淡い銀色の髪が燭火に照らされ、その瞳には警戒と覚悟が宿っている。
「呼び出しとは穏やかではないわね、レティシア。こんな時間に集めるということは、よほどの話なのでしょう?」
広間の奥に立つレティシアは振り返らない。
窓越しに帝都の灯を見つめたまま、静かに応じる。
「穏やかで済む話ではないもの。帝都は静かに見えて、その内側ではすでに戦の足音が鳴っている」
彼女の声は低く、しかし揺らぎはない。
円卓の傍らにはクリスが立っている。
端正な顔立ちの青年は書類を整えながら口を開いた。
「帝国軍が動く。三日後の夜明け、城塞都市ケルヴァン奪還作戦が発令される。規模は五千。重装歩兵三千、騎兵千、魔術師団五百、残りは攻城部隊だ」
室内の空気がわずかに張り詰める。
「帝国軍は正面突破を選ぶ。包囲も攪乱も行わない。攻城塔と破城槌、そして結界破りの術士隊で城壁を叩き割る算段だ」
レティシアはゆっくりと振り返る。
「……帝国軍は愚かなの? 城壁を正面から叩けば血が流れるわ。あえて最も損耗の大きい手を選ぶ理由は何?」
「できるの? 本気で城壁と三層結界を力で押し潰せると踏んでいるの?」
クリスは一歩前へ出る。
「できると踏んでいる。無謀ではない。帝都侵攻軍のほぼ九割は、あの戦いで壊滅した。本来ならケルヴァンへ増援されるはずの兵力が存在しない。魔国軍の守備は千五百ほど。城壁頼みだ」
「帝国軍は?」
「さっきも言ったが五千。数で二倍以上だ。結界が削れた瞬間、雪崩れ込む。短期決戦で終わらせるつもりだ」
セリーネが地図を覗き込む。
「勝算は高い。でも正面突破は必ず犠牲が出る。城壁上からの投石、油、魔術弾。攻城塔が燃えれば中の兵は全滅するわ」
「分かっている」
クリスは頷く。
「だが長引けばもっと血が流れる。帝国は“勝てる戦”を示す必要がある。威信の回復が目的だ」
レティシアの蒼銀の瞳が赤い印を射抜く。
「勝つための戦いではない。勝てると示すための戦い。帝都防衛の次に、奪還の象徴が欲しいのね」
燭火が揺れ、影が壁に伸びる。
「三日後。夜明けと同時に、ケルヴァンは揺れる。血と炎の中で、帝国は再び立ち上がろうとする」
小さく息を吐く。
「ならば私は、その勝利が瓦解しないようにするだけ。正面突破で崩れた瞬間に生じる隙、そこを誰が塞ぐのか……それを考えるのが私の役目でしょう?」
沈黙。
外では風がほとんど鳴らない。
まるで帝都そのものが、三日後の夜明けを待っているかのように。
燭火がゆらりと揺れ、円卓の上の地図に長い影を落とす。
外は静まり返っている。
だがこの広間だけは、まるで嵐の前の海のように張り詰めていた。
クリスが一枚の紙を取り出す。
封蝋の跡が残るそれを、静かに卓上へ置いた。
「帝国側の有志は?」
レティシアの問いは低く、無駄がない。
「……人族連合軍に加わる数、だ。現在確認できているのは約三百。正規軍内部の志ある者たちと、地方貴族家の私兵が含まれる。動けるかは当日次第だが、合流の意思は固い」
紙には名と部隊、配置予定が細かく記されている。
レティシアは小さく息を吐く。
「三百……足りないわね。意志は尊いけれど、戦場は意志だけでは埋まらない」
クリスが視線を上げる。
「こちら側は?」
レティシアの蒼銀の瞳が、広間の奥へと向けられる。
「屋敷の執事とメイドたち。元近衛よ。形式は違えど、剣を持てば即座に戦列へ戻れる者たち」
室内の空気がわずかに変わる。
「元近衛達の魔導兵装部隊、数五十。いまは静かにしているけれど、呼べば夜明け前に整列する」
わずかな沈黙。
「魔導ライフル、約五百丁。弾倉と予備結晶も十分にある。射撃訓練は済んでいるわ」
セリーネが目を見開く。
「それだけの武装を……帝都のど真ん中で眠らせていたの?」
「眠らせておくには惜しいでしょう? 錆びるより、戦場で吠えたほうが道具も喜ぶわ」
淡い微笑。
クリスが続ける。
「学生連合は?」
「約千。帝都各学舎の有志。戦闘経験は浅いけれど、士気は高い。剣はまだ軽いが、心は重い。彼らは“何もできないまま見ている”ことに耐えられないの」
「……そして?」
レティシアの声がわずかに低くなる。
「リディア達、元エルファーレ近衛と、同騎士団の生き残り。百五十」
燭火が揺れ、セリーネの指先がわずかに震える。
「それは……亡国の残り火じゃない。燃えている炎よ」
「まだ誇りを捨てていない者たち。祖国を失っても、剣の意味を失っていない者たち」
静かな断言。
クリスが整理する。
「合計で約千二百。帝国の有志三百を加えれば、千五百。帝国軍五千と魔国軍千五百が衝突する戦場に割って入るには、十分とは言えないな」
「十分よ」
即答。
レティシアは微笑む。
「数で勝つ気はないもの。五千と千五百がぶつかる正面戦は、血と火の海になる。攻城塔が燃え、破城槌が砕け、城壁から油が降り、重装歩兵が盾列ごと押し潰される。そこへ割って入るのは、数の論理ではない」
燭火が揺れる。
「私たちは、勝利の瞬間に現れる。帝国軍が城塞を奪還したその瞬間、血と煙がまだ渦巻く城門前に、連合軍の旗を掲げる」
クリスの目が細められる。
「……立つだけで済むと思うか?」
「済まないわ。帝国は我々を排除しようとする。自分たちの勝利の物語に、余計な名は入れたくないから」
「失敗すれば?」
「処刑か、追放か。あるいは全面戦争」
沈黙。
燭台の炎が小さく揺れ、影が壁を這う。
レティシアはゆっくりと顔を上げた。
「……全面戦争になれば」
蒼銀の瞳が、静かに光を宿す。
「帝国軍は三日も保たないわね。正確には――帝国軍“残党”が、ね。戦力ではなく、意地で動く軍は脆い。怒りで突撃し、誇りで退かない軍は、冷静な刃に弱い」
淡い微笑が浮かぶ。
「私が本気で潰すと決めたら、半月もかからない。補給線を断ち、指揮系統を砕き、夜襲で中枢を抜く。五千は三千に、三千は千に、千は百になる。血でなく、秩序を奪えば軍は崩れる」
誰も反論しない。
「だから全面戦争は困るのよ。帝都が焼けるから。城壁の内側で刃を振るえば、守るはずの民が死ぬ」
静寂。
「私は勝てる。でも、守るものが消える」
その声に揺らぎはない。
「もう、待つつもりはない。連合軍は“存在する”と示す。旗だけではない、意思と力を伴って」
三日。
猶予はそれだけ。
レティシアの視線がセリーネへ向く。
「実際に戦場へ割って入るのは――私とセリーネの二人だけよ。城門が破られ、勝敗が決したその刹那に、最も危うい場所へ立つ」
広間の空気が一瞬止まる。
「他は旗を持って掲げるための人員。象徴には目が必要でしょう? 二人だけでは、さすがに寂しいもの」
小さく、いたずらめいたウインク。
だが蒼銀の瞳は笑っていない。
「戦うのは、私たち」
その一言に、覚悟が込められている。
静かな間ののち、レティシアは柔らかく微笑んだ。
セリーネが小さく頷く。
覚悟は、すでに固まっている。
その銀の瞳に迷いはない。
クリスは静かに書類をまとめ、封蝋を押す。
「今夜は一旦解散だな。各自、持ち場で準備に入る。三日後の夜明けまでに、動員経路と合流地点を最終確認する。誰一人、無駄に死なせるな」
協力者たちが静かに頷き、広間を後にする。
足音が廊下へと遠ざかり、やがて完全な静寂が戻った。
残るのは二人。
燭火の炎が、ゆらりと揺れる。
影が壁を長く這う。
レティシアはセリーネを見つめ、柔らかく微笑んだ。
「準備を始めましょう。地下へ行きましょうか。今夜は、あなたが名を得る夜になる」
それは、新たな戦乙女が名を得る夜であり。
同時に――帝国の運命が静かに揺らぎ始める夜でもあった。
地下の武器庫は、厚い石壁に囲まれ、外界の気配を完全に遮断していた。
階段を下るごとに空気は冷え、地上の湿気が嘘のように消えていく。
壁面に埋め込まれた燭台の炎が、ゆらゆらと揺れながら白銀の機体を照らしている。
静寂の中、炉心に封じられた魔力だけが、かすかに脈打っていた。
低く、規則的に。
レティシアはゆっくりと歩み寄り、装甲に手を触れた。
「この機体の名は――《ワルキューレ》。北欧神話では、戦場で選ばれた魂を導く戦乙女の名です。血と鋼の上を駆け、散った者を迎え、次の戦いへと運ぶ存在」
セリーネがわずかに眉を寄せる。
「……北欧神話? この世界の伝承ではないのね」
「ええ。遠い北方に伝わる古い神話よ。戦場を駆け、散った魂を導く戦乙女たちの物語。勇者だけでなく、名もなき兵の魂も救い上げると語られている」
淡々とした説明。
誇張も誇示もない。
「……ちなみに、私の機体には《ヴァルキリー》と名付けている。ヴァルキリーは“選ぶ者”。戦場で、誰が生き、誰が散るのか――その運命に触れる存在の名」
石壁に声がやわらかく反響する。
レティシアは振り返り、セリーネをまっすぐ見つめた。
「でもね、本来“選ぶ者”はひとりでいい。選定者は、孤独であるべきだから。決断は常に、ひとりで背負うもの」
武器庫の空気が、わずかに張り詰める。
「その意志を支え、戦場を駆ける者たちがワルキューレ。選ばれた魂を導き、決意を現実へと運ぶ戦乙女。選ぶ者の隣で、刃となり、盾となり、道を拓く存在」
セリーネの指先が、そっと機体の縁に触れた。
冷たい金属の感触が伝わる。
「あなたは、誰かに従うために戦う人じゃない。でも、誰かの覚悟を支える強さを持っている。怒りで振るう剣ではなく、信念で振るう剣を持っている」
蒼銀の瞳が、揺るぎなくセリーネを映す。
「だからこの名を贈る。選ばれる側でも、命じられる側でもない。“連なる戦乙女”として。私と並び立つ者として」
一拍の静寂。
燭火が揺れ、白銀の装甲が静かに光を返した。
地下深く、新たな戦乙女は名を得た。
レティシアは静かに装甲から手を離す。
「――それと、もうひとつ大事なことがあるわ。この機体は魔導兵装とは違う。魔導神器は、装着者を選ぶの」
セリーネが視線を上げる。
「選ぶ……? 意思があるの?」
「ええ。内部に簡易的な自我を持たせているから。……AI、と言ってもいいけれど、今は“自律補助意識”と考えて。戦闘中、あなたの判断を補完し、危険を予測し、魔力配分を最適化する」
燭火が揺れる。
「最初に適合した者だけが装着できる。あなたが最初の装着者になれば、この機体はあなた以外を拒絶する。たとえ私でも、無理に起動はできない」
セリーネの指先が、わずかに強く装甲を握る。
「装甲内部には魔核を仕込んである。あなたの魔力量は最低でも二倍以上に引き上げられるわ。瞬間的には三倍近くまで跳ね上がる可能性もある」
「……二倍以上? それは人の域を越えるわよ」
「制御できれば、ね。力は増幅されるけれど、扱えるかどうかは別。暴走すれば、あなた自身の神経が焼ける」
レティシアの瞳が静かに鋭くなる。
「自動防御機構も搭載している。物理防御を常時強化する《オート・プロテス》。斬撃や衝撃を自動で軽減する。それから魔法防御を常時展開する《オート・シェル》。一定水準までの攻撃なら、あなたが意識せずとも弾く」
一拍。
「だから通常の敵に対して過度に構える必要はない。でも、当てにしないで。高位の敵や神器級の攻撃には通用しない。あくまで“補助”。最後に守るのは、あなたの判断と覚悟よ」
レティシアはわずかに視線を上げ、白銀の外装を見つめた。
「飛行機能――正確には空中滑空機能と各種武装も装備している。魔力推進で一時的に浮き、加速し、上空から斬り込むことができる」
セリーネの目がわずかに見開かれる。
「空を……?」
「完全な飛行ではない。魔力流を読み、地形と風を利用する滑空制御。城壁上から城門へ、攻城塔から城内へ、あるいは敵陣の背後へ。戦場の立体を支配するための機能」
レティシアの口元がわずかに柔らぐ。
「使いこなすには訓練が必要ね。……私は何度も落ちたから。初めて城壁から跳んだとき、制御を誤って地面に叩きつけられた。石畳が砕けるほどに」
燭火が揺れる。
「三日は動けなかったわ。神器は落ちても壊れないけれど、あなたは壊れる。骨も、内臓も、簡単にね」
静かな忠告。
「いいわね、セリーネ? この機体はあなたを強くする。でも、無敵にはしない。強くなった分だけ、戦場の中心に立つことになる」
セリーネはゆっくりと頷く。
「なら、その中心に立つわ。あなたの隣で」
地下武器庫に、燭火の揺らぎと新たな決意だけが残った。
夜は深い。
だが三日後の夜明けは、確実に近づいている。
どうだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。
このストーリーは、ほぼリアルタイムで執筆しています。
予約投稿は行わず、出来上がり次第、即投稿していきます。
そのため、投稿時間や日時は未定となります。
次のお話も、これから書きます。
少しずつの更新になりますが、気長にお付き合いいただければ嬉しいです。
本編も引き続き、よろしくお願いいたします。




